第六節  緊急事態


 ミズキは指令室の椅子に腰掛けて、モニターを見つめる。
 横で、ヤキモキするようにトワが爪を噛んだ。
「なによ、記憶喪失って……」
 マイクに拾われないくらいの小声で、とても悲しそうに眉を吊り上げる。
 ミズキはそれには気がつかないフリをして、モニターの向こうのミカナギに話し掛けた。
「覚えている限りでいいんだけど、記憶喪失になったのはいつ頃だい?」
「さぁ……、覚えている限りじゃ、1年前……かねぇ?」
「……7年も時差があるな……」
 答えを聞いて、ミズキはうぅーんと唸る。
 ミカナギとの連絡が途絶えたのが8年前。
 その間、記憶喪失になるまで7年ほどの時間があったのなら、プラントへ一度戻ってきてから、再び旅に出てもよかったのではないだろうか。
 とはいえ、記憶がないという相手にそんなことを言っても仕方がない。
 とりあえず、ミズキはトワにマイクを手渡して、背もたれにもたれかかった。
 トワの声だけは覚えがあるというのなら、聞いていれば、何か彼の中で戻るものがあるかもしれないと、思ったからだ。
 けれど、マイクを手渡されたトワは戸惑うように黙り込んでしまった。
 かぁぁっと顔が紅潮する。
 どう接していいのか、分からないのかもしれない。
「トワ?」
 ミズキは、立ち尽くしているトワを気遣うように声を掛ける。
 トワはマイクをそっと手で塞いで、俯く。
「……だって、覚えてないって……。それで、前みたいに話したら、嫌われちゃう……」
「どうして?」
「だって……私、我儘で、いつも彼を引っ張り回してた」
「でも、そのままで接しないと、彼は、思い出してくれないかもしれないよ?」
「……そ、それは……そうだけど……」
「あんなに楽しみにしてたんじゃないか」
「…………」
「しょうがないなぁ。お貸し?」
 ミズキは、トワの言っていることがいじらしくて可愛らしいこともよく分かったけれど、いつまでも何も尋ねられないのも困るので、トワからマイク返してもらって、再び質問をした。
「天羽は? 一緒にいたろう?」
「ああ、相棒と喧嘩してな。天羽はそっちと一緒にいるよ」
「そうかい。すぐ捕まるかい?」
「……ああ、おそらくな」
「そう、ならよか……」
「けど、アイツも微妙に記憶障害起こしてるぞ」
 ミズキが安堵のため息を漏らそうとした瞬間、冷静な声でミカナギはそう付け加えた。
 今度絶句するのはミズキのほうだった。
 ……だから、ハウデルの存在を、理解しなかったのだ……。
「ああ……、なんてことだ……」
 ミズキは頭がクラリと揺れて、そのまま背もたれに倒れこんだ
 トワが慌てて、落ちそうになったマイクを受け止める。
「もうすぐ会えると思ったのに……。もうすぐ、あの可愛い声で、『ミズキ♪』って呼んでくれると思ったのに……」
「……変態……」
 トワが冷たい声で、そう呟いたが、ミズキはそんなことは全く気にも留めなかった。
 天羽の設計は自分仕様で行なった。なにが悪い。
 とはいえ、あそこまでキュートに育ってくれるなんて、予想もしていなかったのだけれど。
 ミズキは頭をぐしゃぐしゃと掻きむしり、ため息を何度も吐く。
「ミズキ様、あまり頭を掻くと、毛が抜けますので、お気をつけて」
「ぷっ……」
 アインスの物言いに、初めてトワが笑い声を漏らした。
 ミズキはそんな冗談のような物言いを、アインスが言うとは思いもしなかったので、驚いて眼鏡を掛け直す。
 本当に不思議なプロトタイプだ。
 トワがクスクスと笑っていると、ミカナギがこちらに声を掛けてきた。
「とりあえず、天羽を探してるんだよな? じゃ、コイツに、天羽を預ければいいんだよな?」
 答えを返す元気もないミズキを尻目に、トワがその声に慌てたように言葉を返す。
「え、ええ。あ、あと……あなたも、戻ってきて……」
「オレも、こいつについてけばいいの?」
「そう。……会い、たい……から、一度、こっちに……」
「了解。じゃ、そこが、プラント?」
「そう! そうよ! プラントは分かるのね?!」
 トワがようやく表情を軽くして、彼女らしい話し方で尋ねた。
 ミカナギがモニター上で頷き、頭を掻く。
「名前と、プラントって単語だけ、残ってたから」
「……そっか……うん、でも、いい」
 トワはようやく覚悟を決めたように優しく笑ってそう言った。
「大丈夫よ。戻ってくれば、全て、大丈夫だから……」
「…………。そっか」
「うん」
「不思議だな」
「え?」
「あんたの大丈夫は、すげー、落ち着かぁ」
 ニッカシ笑って、ミカナギがそう言うと、トワもモニターを見つめて、困ったように笑う。
「…………いつもは、あなたがそう言って笑ってたのよ」
 トワはそう言って、すぐにミズキにマイクを手渡してきた。
 ふぃっと踵を返して、顔を覆い、にわかに肩を震わせている。
 嗚咽が、少しだけ聞こえた。
 ミズキはなんとか落ち着きを取り戻して、アインスに声を掛ける。
「そろそろ、着くだろう?」
「はい」
「できるだけ、街から離れた場所に」
「承知しています」
「……とにかく、保護しないと、何が起こるかわかったものじゃない」
 ミズキは先程の衝撃を引きずったまま、はぁぁとため息混じりにそう言った。
 すると、アインスが落ち着いた声で、こちらに言ってきた。
「……ミズキ様、どうやら、その何かが起きたようです。一旦、回線を切ります」
「え?! ちょっと待て、状況を説明してから!!」
 そんなミズキの言葉が回線を通る前に、目の前のモニターがブラックアウトし、ザザザザ……という雑音だけが室内に響き渡った。
「何?」
 トワが涙を拭ってから、振り返ってこちらを向いた。
 ミズキは口元を手で覆う。
 頭の血が、どんどん下に下がっていくような心地がした。
「と、とりあえず、ああ、あ、は、ハウデルを……次にアインスから連絡が来たら、ハウデルたちを行かせよう」
「ミズキ」
「分かってる。大丈夫、落ち着く。落ち着くよ……」
 ミズキは一度眼鏡を外して、すっと目を閉じる。
 ああ……たった一週間で、こんなに精神バランスを崩しかけたことが過去にあったろうか。
 色々この25年で辛いことは多々あったが、こんな風になったことは一度もない。
 参った……。
 ポチリと黄色いボタンを押すと、ハウデルの顔がモニターに映った。
「どうしました? 坊ちゃま」
「……出る準備だけ、しておいて」
「了解しました」
「うん、頼む」
ミズキは今度こそ背もたれにもたれて、はぁぁ……と脱力をした。



第七節  来襲


「ハズキ様、確認しました」
「そう。……じゃ、行っておいで」
「はい」
 少女は回線を落として、すぐに風で乱れたスカートの裾を直した。
 緑色の髪を三つ編みに束ねた、可愛らしい面立ちの少女。
 年のころは16くらいに見える。
 赤いラインのキャミソールに、青色のプリーツスカート。
 ふわりと、三つ編みにしている髪を掻き上げ、街を見下ろす。
 少女・ツヴァイは足の裏から煙を出しながら、宙に浮いていた。
 ツヴァイの視界に入っているのは、クルクルと楽しそうにスキップしながら、大通りを駆けてゆく天羽の姿。
「任務、遂行します」
 少女はたったそれだけ口にして、一気に街へ向かって急降下を始めた。



「カンちゃーん♪ 早く早く〜」
「だ、待ってってば。荷物が多くって……」
「それは、ズゥバァリ! カンちゃんの自業自得でしょ〜!」
「そ、それは……そうなんだけど……」
 天羽に言われて、カノウは反省するように下を向いた。
 そういえば、最近は重たいものは全部ミカナギに持ってもらっていた。
 なんだかんだで、自分にも甘えがあったのかもしれない……。
 それに、天羽を仲間に引き込んだのだって、元はと言えば、自分で。
 それなのに、細かい金銭的な面で気を揉んでいたのは、いつもミカナギだった。
「……大人気、なかったかな……」
 はなから大人気など持ち合わせてもいないくせに、自分では大人だと思っているのか、そんなことを口走って、ハァァ……とため息を吐いた。
 天羽が仕方なさそうにパタパタと駆け戻ってきて、こちらを見上げてくる。
「元気ないなぁぁぁぁ」
「あ、いや……」
「よぉし、今日は天羽様がおごってしんぜよ〜」
 どうにもモゴモゴしているカノウに向かって、天羽はそう言うと、ぴんとでこピンをした。
 カノウは驚いて、目を丸くする。
 けれど、そんな2人の前に、誰かが立ちはだかって、影が出来た。
「ん〜?」
 天羽が不思議そうに首を傾げて、その人を見上げる。
 この世界は日差しが強すぎて、肌を露出している人間はいないに等しい。
 けれど、その少女は、眉1つ動かさずに、そこに立っていた。
 躊躇うことなく露出された白い肌に、思わずカノウはつばを飲み込んだ後、そっと目を逸らす。
 明らかに異色なのか、通行人たちもその少女を何度かチラチラと見ながら、足早に通り抜けていった。
 しかし、天羽は全くそんなことなど気にも留めずに笑いかける。
「お姉さん〜? 熱くないの? ミカちゃんが言ってたよぉ。お日様の光はあんまり受けちゃ駄目だってぇ。可愛いけど、せっかくの綺麗な肌がぁぁ」
 と、無邪気に声を掛ける。……が、突然、その少女が天羽に向かって手を伸ばしてきたので、さすがに驚いて、後ろに下がった。
「な、なんですか?!」
 警戒するように、天羽が叫ぶ。
 カノウもすぐに天羽を庇うように立ちはだかった。
 天羽が警戒している。
 彼女は、何も考えていないようで、とっても敏感な子だ。
 たぶん、その警戒は、間違いじゃない。
「……天羽様と、お見受けします」
「…………」
 カノウは少女を見上げて、睨みつける。
 にわかに、オイルの臭いがする。
 この世界で、オイルの臭いをさせている者など、プラントの技術者か、自分のような違法者しかいない。
「彼女に、何の用ですか?」
「お迎えに上がりました」
「迎え?」
「我が主が、あなたを探しておいでです」
 不自然なほどに淡々と、少女は言う。
 カノウは天羽を更に下がらせて、リュックのサイドポケットにぶら下げていた金属の塊を取り出した。
 昨日、ミカナギが売れば金になると言って持ってきた銃の部品を利用して完成させたブーメラン。
 至近距離の場合は、ロッドにもなる。
 ジャキンと音を立てて、まずはその金属の塊を二又に開いた。
 ブンと振ると、取っ手の部分が伸び、二又ロッドの出来上がり。
「何の真似ですか?」
「……あなたの気配が、どうにも……胡散臭い」
「何を……」
「インスピレーション。ボクの勘は、外れたことないんだ」
 カノウはニッコリと微笑んで、ロッドをグルグルと回した。
 人通りの多いこの場所で暴れるのもなんだけど、仕方ない。
 取っ手についているボタンを押すと、二又に分かれた部分にバチバチっと火花が散った。
「抵抗の意思ありとみなし、これより、戦闘行動に移ります。ハズキ様、許可を」
「許す」
「ありがとうございます」
 手を開いて宙に手をかざすと、そこから槍のような形の武器が現れた。
「ほら、ね。お迎えなんて、よく言うよ」
 カノウは天羽に逃げるように、後ろ手で指示を出して、ぐっと足に体重を乗せた。




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