第十二節  『 翼 』


 ミズキは何度も何度も、アインスの回線チップに強制的に繋ごうと、コンソールをひたすらカチカチといじくっていた。
 基本的にあちらが通信を受け付けてくれないと、こちら側からは回線が繋げないようになっている。
 なので、通信を受け付けないということは、事態が酷いことになっているか、または回線チップを破損してしまったかの、どちらか、ということだ。
 ミズキはモニターを見つめ、青い顔を一層青くさせる。
「ミズキ、しばらく待ちましょう」
 トワとて心配だろうに、優しくそう言って、自分に温かなコーヒーを手渡してくれた。
 ミズキはぎこちなく笑って、それを受け取り、ズズズ……とすすった。
 あと、1時間。
 それだけ待っても駄目なら、ハウデルたちを行かせる。
 事態を把握しなくてはならない。
「坊ちゃま」
 しかし、それよりも早く、モニターにハウデルが映し出された。
 ヘルメットをかぶって、完全武装を終えた状態で、指示を仰ぐような眼差しだった。
「ハウデル……」
「先程、このような報告があった模様です。坊ちゃまはまだ開いていないようですので」
 そういえば、先程、連絡用のモニターが赤い光を発していた気がする。
 それどころでなく、無視をしていたけれど。
「遥か東、サーテルの街で激しい爆発が起こり、……街の反応が消えた、とのことです」
「サーテル……」
 トワの反応は早かった。
 おそらく、必死に耐えようとしたのだろうが、心は素直だ。
 口元を覆って、よろりと足をふらつかせる。
 サーテルは、アインスに向かわせた地帯で、最も近くにあった街の名だ。
 ミズキはそれを聞いて、静かに目を細める。
「ハウデル」
「は」
「お願いだ」
 ミズキは苦しそうに頭に軽く手を当てて、そう言った。
 トワはもう完全に絶望したように、目を閉じて、傷だらけの腕を抱きこむように俯いた。
「……アインスなら」
 ミズキは声を絞り出す。
「あの子を絶対に護ってくれているはずだ」
「坊ちゃま」
「探して」
「……坊ちゃまの、心のままに」
 懇願するようなミズキの声を、ハウデルはとても神妙な表情で、受け止めた……。


 あれから3日経っても、天羽たちは見つからず、アインスからの通信も、入ることはなかった。
 ミズキは2週間に1度の定例会に出るために、トワを引き連れて、10区画も離れた、プラント中枢部へと向かっていた。
「トワ、こんな時になんなのだけど」
「気にしないで。いつものことじゃない」
 トワは静かな目でそう言った。
 元に戻ってしまった。
 以前と同じ、静かなだけのトワに。
 ミズキは悲しげに目を細めて、眼鏡をカチャリと掛け直す。
 すると、前方から茶色い髪で、顔立ちがミズキに似ている……20くらいの男が、ツヴァイを引き連れてやってきた。
 トワがすぐに立ち止まって、男を見つめる。
 男もぴたりと立ち止まって、こちらを真っ直ぐに見つめてきた。
 背はミズキよりも少し高い。
 染められた茶色い短い髪も、白衣にノーネクタイのその服装も、ミズキとは正反対で、清潔感が漂っている。
 ミズキよりも少しばかり眼光鋭い顔立ちを、柔和に和らげて、そっと声を発した。
「やぁ、兄さん。そちらの天使さんは帰ってきましたか? 養父(ちち)が心配していましたよ」
「ハズキ……」
「ああ、今日は定例の会議でしたね。いつもいつもお忙しそうで。同情しますよ、兄さんにも、……トワにもね」
 ハズキはトワへと視線を移してから、そう付け加えた。
 ツヴァイはただ静かにそこに立っているだけ。
 ただし、いつもと多少違う部分に気がついて、ミズキはすぐに尋ねた。
「……瞳の色が、若干変わったように見える。何かあったかい?」
「……ああ、少々調子が悪くなりましてね。どうせなので、直せる部分は全て取り替えたんですよ」
「…………そう」
「兄さんのところのお人形さんはお元気ですか?」
「……あ、ああ。なんとかね」
 ミズキは眼鏡をカチャリと掛け直し、すぐにトワに視線を動かした。
 トワはもう行きたそうに、チラチラと前方に視線を向けている。
 トワは、ミズキとハズキを見守る存在として、ここにいるのだけれど、ここ最近は、ハズキのことを……だいぶ毛嫌いしているところがある。
 おそらくは……。
「それはよかった。それではまた」
 ハズキはそんなトワの心を知ってか知らずか、ぺこりと頭を下げて、スタスタスタ……とすり抜けていく。
 おそらくは、あの底のないような笑顔が苦手なのだと思う。
 ”弟”は気がついたら、あのように育ってしまっていた。
 それはいた仕方のないことのようにも思うが、作ったようなあの不自然な笑顔は、まるでミズキを責めているようにさえ感じる。
 兄の自分ではなく、彼がタゴルの元に養子に行かなくてはならなかった。
 ハズキが、それを心のどこかでひどく疎んじていることを、ミズキは知っていた。
 それでも、自分はそれに気がつかないフリをして、もう……15年になる。
 その思いに気がついていようといまいと、結局のところ、何にもならないと、そう思っていたからだ。
 ミズキはトワを促して、再び歩き始める。
 そして、ポケットの中の薬に気がついて、すぐに取り出した。
「トワ? これを飲んで……」
「要らない」
「し、しかし……」
「いい。要らない」
 トワはフルフルと首を振って、そっぽを向いてしまった。
 ミズキは取り出した薬をぎゅっと握り締める。
 これから、彼女は実験室に入れられる。
 その実験は、女性ならば誰だって嫌がる……そんな辱めと同じだ。
 一糸纏わずに、広い部屋に1人だけ残され、ガラスの向こうでは多くの研究員が、彼女を見つめる。
 ……彼女の、背の中にある翼を、調べるために。
 だから、せめて、その間だけでも意識はないほうがいいのじゃないかと思い、ミズキが毎回用意していたのだが、久しぶりに、トワは要らないと言った。
「トワ」
「私が泣けば……タゴルだって、少しは心が痛むでしょう」
 トワはしれっと言った。
「…………。すまない。キミにばかり」
「いつも言っているじゃない。これは、誓約なのだから仕方ないと」
 タゴルのことを言う時は苦虫を噛み潰したような表情だったが、ミズキに対しては、優しい笑顔でそう言ってくれた。
 苦しいだろうに。
 心の支えにしていた、ミカナギや天羽が失われたかもしれないという恐怖があるだろうに。



第十三節  謝るべき相手は、どこにもいない


 アインスは瓦礫をガラガラとどかし、前方を確認した。
 爆発で消滅したのか、それとも、素早くプラントへ戻ったのか、ツヴァイはそこにはいなかった。
 アインスは次に後方を確認した。
 アインスの後ろ500メートルほどだけが、街の形状を留めて残っている。
 とはいっても、元々そこは大通りだったため、残っているものなど、通りの石畳と、門の一部だけなのだが。
 3人。ミカナギとカノウと天羽が、衝撃でいくらか吹き飛んだのか、だいぶ後方に倒れていた。
 ミカナギのバイクも、そこに転がっている。
 残っているものは、それだけだった。
 先程まで確かにあった街は、どこにもなかった。
 人間達の生活の息遣いが、もうそこにはなかった。
 アインスはキュィィィンと体を動かす。
 回線チップが破損している。また、転送チップもだ。
 ……プラントへ帰る手段が失われてしまった。
 けれど、あの衝撃でも、自分の体だけは損傷していないことは、運のいいことだったのかもしれない。
 アインスはガシャンガシャンと音を立てて、倒れている3人の元に駆け寄る。
 ミカナギがいくらかピクピクと動いて、すぐにうっすらと目を開けた。
「アインス……?」
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ、オレァ、だいぶ丈夫だから……問題ねぇけど」
 むっくりと起き上がって、そこに広がる光景に驚いたように目を見開く。
「……これは……」
「申し訳ありません。おれの計算を遥かに超えてしまいました。まさか、あれほどのエネルギーを、あちらが放出してくるとは思わなかったもので」
「…………」
 ミカナギは悲しげに目を細めて、街を見つめた。
 おそらく、思うところあるのだろう。
 けれど、ミカナギはそれらを何も口にしなかった。
 アインスは少しばかり離れたところに倒れている天羽とカノウの元へ向かう。
 アインスがそっと天羽の肩を揺すると、天羽よりもカノウのほうが早く目を開けた。
 吹き飛んだ時に頭でも打ったのか、しきりに頭をさすりながら、ゆっくりと体を起こす。
 ……そして、絶句したように街の状態を見つめた。
「これ……」
「申し訳ありません。おれの計算を……」
 ミカナギに言ったように告げようとしたが、それ以上も早く、カノウはアインスをきっと睨みつけてきた。
 アインスはそれで言葉を切り、カノウを見つめた。
「計算なんかで、物事を見るな!!」
 カノウの叫びが、空に響いた。
 その声で天羽もぼんやりと目を開ける。
 けれど、まだ正気が戻らないのか、ただアインスを見つめているだけだった。
 ミカナギが慌てたように駆け寄ってきた。
「やめろ、カノウ!!」
「こんな……、こんなの! こんな状態になって、計算以上の力が作用してしまいましたなんて言葉、聞きたくない!!」
 カノウは座ったままで地団駄を踏んだ。
 アインスは、何をどう言えばいいのか、言葉に困ってしまった。
 自分は、自分の導き出せる最善の方法を選び出したつもりだった。
 もちろん、それ以上の方法もあるにはあったが、限られた時間で、最低限護るべきものは、護ったつもりだった。
「なんで……?!」
 カノウはボロボロ……と涙をこぼす。
 ミカナギがなんとかカノウの言葉を止めようとしたが、カノウの言葉は止まりはしなかった。
「なんで、お前みたいなのが存在するんだ! なんで、まるで、兵器みたいに、そんなになんでもかんでも詰め込んでるんだよ?!」
「やめろ、カノウ! 仕方ねーだろ?! 駄々こねるな!!」
「駄々じゃない! 駄々なんかじゃない!!」
「お前の言ってるのは、ただの駄々っ子だ!! それ以外に何がある?! これ以上の結果を望むなんて無理なの、さっきの状況じゃ仕方ねーこと、お前だって、ガキじゃねーんだから、もうわかるだろ?!」
 カノウはミカナギの言葉で唇を噛み締め、ぐしっと涙をパーカーの袖で拭った。
 拭っても拭っても、涙は止まらなかった。
「……こんなの……」
 悔しそうにカノウは泣く。
「こんなのって、ない……。おじいさんは、人型ロボットを、楽しみにしてたのに……。こんなのって、……ない……」
 カノウは本当に悔しそうに、悲しそうに、涙を拭い続ける。
「だいじょうぶ? カンちゃん……?」
 まだ意識が遠いのか、状況を把握せずに、天羽がカノウを気遣った。
 カノウがそんな天羽を見て、そっと抱き締める。
「見ちゃ駄目だ……。天羽ちゃんは……見ないで。こんな光景……見ちゃ駄目だ……」
 カノウはそう言って、天羽の視界を塞ぎ、肩を震わせてまた泣く。
 ミカナギが、アインスの肩をポンと叩いた。
 なので、すぐにそちらへと視線を動かした。
「……気にすんな。しょうがねぇことがあるのは……分かってるから」
「……申し訳、ありません」
 アインスはそれしか言えなかった。
 なんとなく、カノウの言いたいことは分かった。
 最善ではなく、最高の……最低限ではなく、最大限のものを、護ってほしかったと、そういうことなのだろう。
 当たり前だ。
 どれだけの命が、ここにはあったか。
 本当ははかりに掛けてはいけなかった。
 けれど……、自分はそうやって、どちらが重いのかをはかりに掛け、明確にすることで物事を選択していかなければ、バグを起こして停止してしまう。
 そして、停止してしまっては最低限すら、護れなかったのだ。
 これしか、なかった。
 ミカナギがカノウの頭をポンポンと撫で、なんとか落ち着かせようとしている。
 アインスは、その様子を見つめたままで、そっと目を細めた。
 ミズキの言葉が、思い起こされた。
『どんなことがあっても裏切らず、ピンチを救う。人間を護る。助ける。……そして、考え、感じる』
 アインスはそっと俯いた。
 言葉が空気を震わせる。
 その言葉は、その場にいた誰にも向けられず、誰の耳にも届かなかった。
「……おれは、人型ロボット、失格、です……」

 人間を護る。
 ミズキの語った、人型ロボットの理想。
 彼の誇りとする『ろまん』。
 自分は……それに足りない。
 アインスは、頭を垂れ、誰に言うのか呟いた。
「申し訳ありません……」
 その言葉の先には誰もいない。
 その言葉では、誰も、取り戻せなど、しないのだ……。




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