第三章  徒歩でも行けます、の章

第一節  祈り


 夜も更け、吐き出す息が白かった。
 鼻の頭が冷たさで赤くなって、ミカナギは麻生地のマフラーを口元まで上げる。
 カノウはあれから疲れて寝てしまった。
 ……当然だと思う。
 あれだけの状況を目の当たりにし、あれだけの感情を爆発させれば、疲れないほうがおかしい。
 一応安全のために、野営を張る場所は砂漠の向こうの山の麓のほこらにした。
 今は……ミカナギだけが、あの、街、だった場所に立っているだけ。
 ミカナギは胸に手を当てて、静かに……静かに祈りを捧げた。
 ここにはたくさんの死者が眠る。
 たった一瞬だった。
 街が消え去るのに必要な時間は一瞬だった。
 あの刹那の間、どれだけの人が、自分の死に気付けたのだろう?
 ……きっと、そんな人はどこにもいなかった。
 だから、ここには目に見えなくとも、多くの人の魂が彷徨っているに違いない。
 ミカナギは唇をきゅっと噛み締めたけれど、ほろりとこぼれる涙は堪えられなかった。
 ポタリと、微かに残った石畳に、雫が落ちる。
 ミカナギはその涙を拭いもせずに、瓦礫の山へと近づき、手ごろな大きさの石を探し始める。
 滞在の期間は、今までの街に比べたら長く、関わった人間の数も、普段に比べたら多かったと思う。
 ご飯をおごってくれたご婦人然り、ギルドマスター然り、ジャンク屋のダンナ然り、宿屋の給仕さん然り……。
 ああ、自分は一体この街で、何人の人と会話したろう?
 たとえ、たった僅かでも、話したことを思い出せるか?
 何人の人と笑顔をかわしたか、思い出せるか?
 思い出せないことが、とても申し訳ない気さえ、こういう時はするんだ……。
「しょうがねぇわけ……ねーじゃん……!」
ミカナギは大きな石を見つけて、それを息を思い切り吐き出して担ぎ上げ、それなりに綺麗な場所にその石を置いた。
 ミカナギは特に息も乱さずに、置かれた石をポンポンと撫でる。
 こんな、そのへんの石で悪いけれど。きっと、追悼の石碑は、もっと後にきちんとしたものを造ってくれるはずだから、今は……これで……。
 仕方ない。
 そう、仕方ない。
 あれはあれ以外になかった。
 あれしかなかったのが、わかる。
 たとえ、あったとしても、彼を責めるのは間違っている。
 誰よりも、痛いのは、本人だ。
 ロボットだから痛みなんてないか? それは違う。
 『あの男』が造ったのなら、アインスは、きっと、この結果を悔やんでいる。
 誰に言わずとも、悔やんでいることだろう。
 ミカナギはスモッグに覆われた夜空を見上げた。
 はぁぁと白い息を吐き出す。
 今の自分の頭の中はカオスだ。
 当然のように出てくる単語を、自分は平然と受け入れながらも、それを言葉で説明しろと言われたら、何も説明できない。
 『約束』?
 それが一体なんだったのか。まだ思い出せないのに、その『約束』に関わる部分で、自分は……あの時のアインスの行動を、凄いと、思ったのだ。
 あの時、あの状況に呆気に取られて、悲しみも込み上げてきたけれど、最終的に湧き上がったのは、彼に対する羨望だった。
 ……それが何故なのかなんて、全く分からないのに。
 結果としては最悪なのだろう。
 生き残ったのは自分達だけ。
 街は消滅。住人は全滅。
 けれど、敵は容赦がなかった。
 それを配慮に入れて考えた場合、今、自分達だけでも、生きているということは、奇跡なのだ。
 アインスは、『多く』ではなく、『重要』を取った。
 ……そのことが、なぜか、ミカナギに感動を覚えさせた。
「ミカナギ」
 静かな低い声がして、ミカナギはそっと振り返った。
 目頭をつまむようにして指先で涙を拭い、声の主に笑顔を向ける。
 そこには、天羽を背負ったアインスが立っていた。
「お兄ちゃんめーっけ☆」
 天羽が嬉しそうにそんな声を上げた。
 指でミカナギのことを指差し、にこちゃんと無邪気な笑顔。
「お兄ちゃんはやめれ」
 ミカナギは静かにそう返した。
 なんというか、あの単語が自分に対して向けられたものだと知った途端、やたら背中がむずがゆくなる心地がした。
 天羽はそんなことなどお構いなしに、アインスの背中からぽんと飛び降りて、タッタカタッとこちらへ駆けてくる。
 フードの裾がヒラヒラ翻り、ミカナギのところに辿り着くと、少しばかり息が上がったのか、肩で息をしながら、口を開く。
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん〜」
「ミカちゃんにしとけ。そっちのほうが仲良しって感じだ」
 ビシッと人差し指を立てて、なぜか得意そうにミカナギは言った。
 けれど、天羽はブンブンとかぶりを振ってみせる。
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん〜」
「落ち着かねぇんだよなぁ、その単語。別に妹がいるわけでもねぇのに、お兄ちゃんとかさ」
 すると、その言葉に対して天羽はむぅっと頬を膨らませ、ぐにっとミカナギの頬を思い切り摘んだ。
 面白いように頬が伸びるミカナギの顔。
「あだだだだだ……!!! こぉら、ガキ、何をする?!」
「お姉ちゃんの代わりにやったまでじゃ」
「あ?」
「とぉにかく! お兄ちゃんはお兄ちゃん! それで決定事項なの! あたしの中ではカクテイなの!!」
「……ああ、そう」
 ミカナギは天羽がようやく手を離してくれたので、頬をさすりながら、どうでもよさそうな声で頷いた。
 本当にこの少女は、ごねると酷い。
 アインスが聞き分けがなくて苦手だと言っていたのも、頷ける気がした。
 そっとアインスに視線を移すと、アインスは何やら街のあった場所を見回して、ただ立ち尽くしているように見えた。
「アインス?」
「おれは、この街の、どこに何があったのかを、全く知らないものですから」
「…………」
「けれど、たとえ、それを全て復元できたとしても、……街が元に戻ったと、言えるわけではないのですよね」
「アイちゃん……」
「街というのは、人間がいて、初めて成り立つのでしょう? おれのデータの中にも、そのようにあります。ミズキ様は、多くの考え方を、おれの中に搭載してくださいました。その中で、おれは自分で最良と思ったものを選び出し、それに基づいて行動するようになっています」
 それは人間と同じだ。
 自分で考え出し、生き方を選ぶ。
 『あの男』ならば、それくらいやりそうなものだ。
「けれど、最良のはずの決断は、今、カノウにとっては最悪の状況になってしまいました」
「……それは仕方ねぇよ。アイツは、甘ちゃんなんだ。頭でっかちに自分の正義は持ってるんだろうけど、どうにも堅いんだよ」
「カンちゃんは、優しいだけだよぉ。優しいから、許せないんだよぉ」
 天羽がブンブンと腕を振って、2人に訴えるように言った。
 アインスがその天羽の言葉にコクリと頷いてみせる。
「はい。おれもそう思います。カノウは優しいのです。そして、ミカナギも優しい。形は違えど、それが人の優しさというものです」
 アインスはゆっくりとこちらへ歩いてきて、何度か逡巡した後、また口を開いた。
 本当に不思議だ。
 棒読みのような口調なのに、彼の言葉は、必死に考えているのが伝わってくる。
「おれはなんと言われようと構わないし、あのツヴァイのしたことも、文句を言われて当然です。しかし、……プラントにあるものが、みんなこのようなものだと思われるのは、心外です」
 アインスはあの後語った。
 ツヴァイも、おそらくはプラント関係者だと。
 それを聞いたカノウが、不機嫌な表情で睨みつけたことを、思い出したのかもしれない。
「ミズキ様の許可は後で頂きましょう」
「へ?」
「おれにお任せください。プラントまで、ご案内致します」
「地上からでも行けんのか?」
「当然です。プラントは地上にあるのですから」
 アインスがそう言った後に、ミカナギは天羽のことを横目で見た。
 空を飛んでしか行けないような、そんなことを以前天羽が言っていたのに。
 それで、カノウもミカナギも頭を悩ませていたというのに。
「お兄ちゃん、あれですよぉ。虹はプラントまでの道しるべで、方向音痴のあたしはあれがないとダメダメだったと。まぁ、記憶が戻ってみれば、そんな感じぃ? あはは〜」
「あはは〜、じゃねぇよ」
 ミカナギはコツンと天羽の頭を小突き、すぐにアインスに視線を戻す。
「カノウにこそ、プラントを知ってもらうべきような気がするのです」
「それにぃ、たぶん、ミズキとカンちゃん、気が合うと思うんだよねぇ。サイエンティストとエンジニアさん♪」
 天羽も横で舌っ足らずな話し方で、ポンッと両手を合わせて楽しそうに笑う。
 ミカナギは天羽に視線を向け、ポリポリ……と顎を掻いた。
「よっし、それじゃ、そろそろ歌いますか☆」
「へ?」
 天羽が何の前触れもなく、そんなことを言って、パサリとぽわぽわフードを脱ぎ、ポンとこちらに投げてよこした。
 赤色のセーラーカーラーが風にびゅ〜となびく。
「歌いに来たの♪」
「……追悼歌」
「アイちゃんに頼まれたから!」
「そういうことです」
 朗らかな天羽の声と、抑揚のない静かなアインスの声が、なんとも対照的で面白い。
 ぽわぽわフードを畳みながら、光のない夜の中、普段見せないような寂しげな歌声を発する天羽を、優しい眼差しで、ミカナギは見つめた。



第二節  人間と人間じゃないのの境界線


 広口のガラスが壁についた白い部屋。
 部屋の中心には、色々とごちゃごちゃしたコードが、物々しい機械製の椅子に差し込まれており、トワが裸でその椅子に腰掛けている。
 彼女の肌はとても白く透き通っていて、体型も、正直女性の中では綺麗と称されるであろうほどのバランスをしているため、なんというか、いやらしさというものをあまり感じない。
 神秘的とでもいうのだろうか。
 ただ、両腕についてしまった傷だけが、勿体無いように感じられる。
 ガラスの向こうには、多くの研究員と……タゴルがいる。
『それでは、これよりテストを行う。トワ、そちらの準備はいいかな?』
 中年の、落ち着いた男の声が、スピーカーを通して聞こえた。
 タゴルの声だ。
 トワは別段動揺も見せずに、口を開く。
「ご勝手に」
 準備をしようとしまいと、自分のダメージは大して変わらないのだ。
 ミズキの薬で、意識だけでも失っていれば、テスト中の苦痛は確かに感じずにはすむけれど、なんだか、今日はその痛みを味わいたい気分だった。
 これが夢ならば、全て醒めてくれる気がして。
 醒めればいい。
 全て夢だと、わかればいい。
 ミカナギや天羽が死んだかもしれないなんて、悪い夢。
 ミカナギがプラントを出て行ったのは夢。
 ミカナギと一緒に手渡された宿命も夢。
 もっともっと振り返れば、自分はただの夢見がちな少女で、本当は人間で、この世界なんて本当はなくて、ただ、悪夢を見ている。
 そうであればいいとさえ思う。
 ……ミカナギが記憶喪失だと知った時、確かにショックだったけれど、その反面、心のどこかがほっとした。
 彼が思い出さなかったら、その『約束』は果たされなくていいからだ。
 けれど、やはりショックだったのも事実で……、自分のことを覚えていないということもだが、彼は……自分達の背負う宿命を忘れたのだ。
 忘れたことで果たされなくても良くなったかもしれないと思ったけれど、それと同時に、共に背負っていた存在が消えてしまったような心地がした。
 自分の中にだけ持っていればいい。
 持ったまま、いつか命が尽きるまで、それを口にせずにいようとも……ミカナギと話しながら考えたけれど、それでも、やっぱり1人でそれを知っていることさえ重いような気がして、どうすればいいのかがわからなくなった。
 重すぎる。
 あの『約束』は重すぎて、だから、ミカナギと一緒に手を繋いで、一緒に背負うことで、少しだけ軽くなった。
 いや、少しではないかもしれない。
 ミカナギは、たくさんたくさん、持てる限り持とうとしてくれた。
 それによって、軽くなった分など、本当はないのかもしれないけれど、……その気持ちが、とても嬉しかった……。
 ……それなのに。
 まだ、テストが開始されていないのに、無意識のうちにトワの目から涙がこぼれた。
 ガラスの向こうで何人かの研究員が、その涙と憂いに満ちた表情に見惚れている。
 けれど、そんなことは知ったことではない。
 バチバチッと、椅子に繋がれたコードが音を立てた。
 テスト開始の気配を感じ取って、トワはそっと腹を抱えるような体勢で、自分自身を抱き締める。
 ピシピシッと、自分の背中が音を立てた。
 その音がした瞬間、トワの二の腕にスパスパ……と傷がつく。
 うっすらと血が浮き上がり、ピリピリとした痛みを覚える。
 それまで、何もなかった背中の肩甲骨のあたりが、グググッと盛り上がった。
「……ぅっ……」
 トワの悩ましげな声が室内に漏れる。
「ぁ……くっ……」
 皮膚は盛り上がるのに、そこから先が、いつも上手くいかないのだ。
 それは、大人になればなるほどそうだった。
 子供の頃は、こんな装置などなくても、自分は翼を取り出して、ミカナギを連れ、虹の上まで行くこともできたのに。
 それに伴い、自分と同型でありながら、天羽の体には翼は埋め込まれなかった。
 ミズキが考えに考え抜いた結果であった。
 肌と翼。
 その組み合わせが、反応力を鈍らせるのではないかと考えたと言っていた。
 けれど、そうなると、天羽はあのセーラーカーラーと合わせてワンセットということになり、それでは、あのセーラーカーラーも、天羽の体の一部なのかとミカナギが問うてみたことがあった。
 勿論、それはふざけての問いだったのだが、ミズキは真面目な顔で答えた。
『ああ、それさえも、ロマンだよねぇ。カーラーまで一部に、してみたかったよ』
 と。
 あの時、ミカナギは呆れたようにため息を吐き、自分はクスクス……と笑ったのだ。
 皮膚から翼の先端がすっと出てきた。
 けれど、そこでまたもや停滞してしまう。
 トワは痛みで涙がこぼれた。
 激痛とは違う。
 激痛は実験後に襲ってくる。
 この痛みは、しくしくと、少しずつ自分を責めて、とても、切ないような心地にさせる痛みだ。
「は……早く……」

 終わって。
 もうわかった。
 夢じゃないのは、もう分かったから……。

 ゆっくりグググッと翼が、その姿を見せていく。
 白い、綺麗な翼。
 体の一部なので、この翼が出ることによって、傷が出来ることはないけれど、肌から翼が出てきているのだから、見た目としてはとても不気味なものだろう。
 今日はいつもよりはスムーズかと思われたが、それからしばらくの間、翼が半分出た程で停滞してしまった。
 ジンジンと、痛い。
 そのまま、一時間ほど、タゴルは待っていたようだったが、そこから先がないことがわかって、そこでテストは中断された。
『前回よりは反応が良かった。その調子でな、トワ』
 スピーカー越しのタゴルの声。
 聞き方さえ変えれば、それはなんといかがわしい言葉か。
 トワは涙交じりの目で、タゴルを見据えた。
 けれど、彼はテストが終わると興味がなくなったように、さっさと実験室の外へと出て行ってしまった。
 ……痛みを堪えるために噛んだ唇から、ほんの少しだけ、血が垂れた……。




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