第三節 放っておいて
「トワ? 入るよ」
「どうぞ」
ミズキはトワの声に、ふぅ……と一度息を吐き出して、きりっと目を上げ、呼吸とともにドアの前に立った。
シューーーーンと簡単に開くドア。
ミズキは眼鏡を掛け直して、自動ドアの操作盤を見た。
緑色のランプが点滅している。
「駄目じゃないか、開けっぱなしにしていたろう? 君は女性なんだから、何があるか分からないんだよ?」
プラントの自動ドアは、常時開け放しにしておくと、緑色のランプが点滅するようになっている。
ミズキの部屋は多くの人が出入りするため、それでも構わないのだが、トワについてはプライベートスペースであるから、本当はこんな設定ではいけない。
このままだと、単に人が通りがかっただけでも開いてしまうから、ミズキがこのように言うのだ。
そして、操作盤の設定を『プライベート』という赤色ランプに変更してから、トワに視線を移した。
……が、すぐに呼吸が止まってしまった。
数え切れないほどのホログラフが、そんなに広いと言えない室内を舞っている。
ベッドの上で膝を抱え、壁にもたれて、トワはその様子をぼーっと見つめているのだ。
手には大切そうに、いつもは身に着けている月をモチーフにした青い胸飾りと、ミカナギの太陽をモチーフにした赤いバングルが、握られている。
「トワ…………」
「ごめんなさい。結局、あの後もデータ引っ張ってきちゃった」
好き勝手にデータにアクセスするなと、ミズキが言った注意のことか。
「あ……いや」
その様を見て、ミズキは何も言えなくなる。
いつも気丈で、女性らしくしたたかに見えるから、気がついているようで気がつけていなかった。
トワはミズキに一瞥もしない。
ただひたすらに何かを探すようにホログラフの波を見つめているだけ。
ミズキはベッドに腰掛けて、そんなトワを見つめる。
膝を抱えて怯えるようにしてそこにいる彼女が、まるで小さな子供のように見える。
「これとこれも」
トワがそう言って、ふっといくつかのホログラフを指差すと、クルクルと回っていたホログラフが光って、青い文字で『SAVE』と出た。
それは随分と昔のデータのようだった。
ミカナギとトワが、今とほぼ変わらぬ風貌をしており、その横には12、3歳くらいの自分がいた。
12年前以前のデータであることは分かったけれど、それを撮ったことは思い出せなかった。
おそらく、勝手にプラントの至るところにあるカメラによって偶然写されたものか……または。
「ああ、これ、ハウデルのスペースのものみたいね」
「……トワ、プラントだけにしなさい。プライベートスペースへのアクセスは不味いよ。もしかしたら、ハウデル、ウィルスかと思って大混乱してるかも……」
「大丈夫」
「え?」
「『ごめんなさいファイル』が開くようにしておいたから」
「……それこそ、ウィルスと誤解されそうじゃないか……」
トワがしれっと言うものだから、余計にミズキは頭を抱えた。
けれど、なんとも声の掛けようがないものだから、彼女のこの行為を止められもしない。
駄目だと、今の彼女に言ったら、一体どうなるのか。
それが全く分からないのだ。
トワは確かに時々妙にしおらしくはなるけれど、こんな風に弱った部分を人に見せることはあまりなかった。
それこそ、対であるミカナギにしか、見せなかったのではないかと思えるほどにだ。
自分よりも先に生まれていた彼ら。
少なくとも、自分はそんな彼らを25年は見てきたというのに、これほどに絶望に臥した彼女を見るのが初めてなんて、自分がどれだけ情けないのかと、そんなことに心が痛む気がした。
……ミカナギならば、きっと、ほんの一瞬で彼女を笑顔に出来るのに。
「何か用?」
「え?」
「用があって来たんじゃないの?」
トワは本当にホログラフから目線を外さなかった。
ミズキはえぇっと……と呟きながら、眼鏡をカチャリと掛け直す。
別段用があった訳ではなかった。
ただ、少々トワが気に掛かった……。それだけのことで。
本当に、用事なんてない。
「ないなら、出て行って?」
「え?」
自分は馬鹿みたいに口をあんぐり開けてばかりだ。
え? 以外に口にしている言葉がない気さえしてくる。
「しばらく、放っておいて」
「トワ、それはちょっと……」
「大丈夫。食事も摂るし、きちんと寝るから」
「…………」
「変な人。いつもは、私の怪我の手当ての時にしか、こちらに来ないくせに」
「そうだけれど……」
「心配?」
「ああ」
「……あなたは、天羽とアインスの心配でもしてなさいな。私のことまで心配したら、気が持たないわよ?」
「……トワ、君は……」
ふっと穏やかに笑んでこちらを見たトワに、ミズキは何か言いかけたけれど、その瞬間、ファンファンファンとミズキの白衣のポケットに入っていた呼び出し用の小型トランシーバーがけたたましく鳴った。
ミズキは慌てて白いそれを取り出し、ぽちっとボタンを押す。
手のひらにすっぽり収まる薄型のトランシーバーから光が出て、生意気そうな少女の顔が映し出される。
青色の短い髪に緑色の目。背はあまり高くないうえに、体型もスレンダーと来ている。
スパナやレンチなどの刺さった作業用のベルトをして、軽快な服装だ。
少女は不機嫌そうにこちらを見つめ、第一声を叫ぶ。
「ミズキさん、アンタ、何処行ってんだよ?! こっちはさ、忙しい時間縫って、アンタに呼び出された時間通りに来てやったってのにさ」
「あ、ああ、ごめんよ、コルト」
「まぁいいけどさ、早く来てくれよな。アンタの発注で作ってるもの、納期迫ってるから、このままでいいのかの確認もして欲しいし」
「ああ、今行くよ」
ミズキは気圧されながらも、なんとか笑顔で答えた。
コルトは、アインスの体を作った技術者の1人だ。
まだ10代だが、もう現場のリーダーを任せられるほどの優秀さを発揮してくれている。
ミズキはすぐに通信を切って、仕方なしに立ち上がった。
「お忙しいこと」
トワがクスクスと笑って言う。
普段通りに振舞っているつもりなのだろうが、先程の彼女を見てしまっては、どうにもそれは痛ましい限りだ。
「……僕に仕事しろ仕事しろとがなりたてる人の存在も稀少だからねぇ」
「アインスと、コルトちゃんか」
「そうそう。頑張らないとねぇ」
「そうね」
「トワ、絶対に3人とも無事だから、あまり塞がないでね」
「…………。ええ」
ミズキはなんともないように、一生懸命会話の中に交えて、ようやくその言葉を口にした。
トワは随分な間を置いたけれど、なんとかその言葉に対して、頷いて笑ってくれた。
第四節 なんだ、紛いって
「おはよ〜♪」
天羽は元気いっぱいの声で、みんなを起こすようにほこらの中を駆け回った。
何があろうとも明るく。
それは彼女のポリシーだ。
暗くなって色々考えるのも必要な時はあるのだろうけど、そんなのは一人ぼっちの時にやればいいと、思う。
特に睡眠を必要としないアインスに対しても、天羽は声を掛ける。
「おはよ、アイちゃん」
ポンと肩を叩いて、その後に気がつく。
……何かが足りない。
「ああ、おはようございます、天羽」
声はすれども。
「きゃぁぁぁぁあぁああああああああああああああ〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
ほこらの中なものだから、天羽のけたたましい悲鳴は恐ろしいほどに反響して、その凄まじさにミカナギが飛び起きた。
結局、ミカナギは昨日あったことを考えていて、それほど寝つきがよくなかった。
ほんの小一時間前にようやく眠りについたというのに。
「なんだ、なんだ?!」
「お、お兄ちゃん〜〜」
「なんだよ?!」
「アイちゃんの顔がぁぁぁぁぁ!!」
「顔? うおっ?! ……って、すげーアインス、お前頭外せんのかぁぁぁぁぁぁっ……!」
「いやーーー! アイちゃんが壊れちゃったぁぁぁぁ……!!」
2人は全く正反対の反応を示した。
それも身長の差のせいか。
ミカナギは感心したように嬉しそうに目をキラキラさせており、天羽は今にも泣きそうな顔で、ミカナギの服の裾をぎゅっと握り締めている。
アインスは首から上を外して、高々と片手で頭を掲げ、開いた首から中身を覗きこむような姿勢で、カチャカチャと何かをいじくっていた。
ミカナギは天羽の頭をポンポンと撫でて、上、上と指差してみせる。
すると、小柄な天羽にもようやく見えたのか、ようやくほっと胸を撫で下ろす。
「アイちゃん、なんでもあり〜?」
「天羽、知りませんでしたか? それでは、少々不謹慎でした。驚かせてすいません」
「ううん〜、だいじょぶ〜。壊れてないならいいー」
「いやー、アインス、かっけー。すげーな。頭が外れるなんて、マジロボットじゃん」
「……元々、まじロボットです。……ロボットであるだけですけど……」
アインスは別段元に戻す様子も見せずにそう返してきた。
後半部分はミカナギも天羽も聞き取れず、首を傾げた。
「……で、何してんの?」
ミカナギはアインスの頭を代わりに持ってやって、そう尋ねる。
アインスが両の手が自由になったことで、ようやく首の中から回路を取り出して、それをポケットへと丁寧に入れた。
「回線チップが、僅かですが無事な部分がありまして、そこを利用して、せめて電報紛いのものでも打てないかと」
「ああ、なるほど」
「何もご連絡しないと、ミズキ様がまたパニックを起こしてそうですので」
「ミズキはねー、アイちゃんがいないとダメダメなんだよねぇ〜」
「それは違います。天羽がいないと、だめだめ、なんです」
「……何の騒ぎ?」
頭のないアインスの両手を天羽が取って、ぶんぶんと振っているところに、奥で眠っていたカノウが不機嫌そうな顔でひょっこり現れた。
コシコシと眠そうな目をこすって、ニット帽を寝癖のついた頭にパサリとかぶり、手には簡易浄水器を持っている。
「おはようございます、カノウ」
アインスは首を元通りに繋げ直しながら、すぐにカノウに声を掛けた。
アインスの反応はとても早かったけれど、カノウはそれに対して気がつかなかったように、スタスタとほこらの外へと出て行ってしまった。
近くに水場があったから、一応顔でも洗いに行ったのだろう。
「…………」
アインスは首を繋げ終え、カノウの背中を見送って、そのままずっとそちらを見つめている。
「あー、カンは朝頭回らないから気にすんな」
ミカナギが気遣うように、頭を掻きながらそう言った。
天羽もぶんぶんとアインスの手を振って笑いかける。
「カンちゃん、いつものことだから気にすんなー」
「そうなんですか。朝弱いというのはあまりいいことではありませんよ。栄養が足りていないのでは?」
アインスは真面目な顔でそんなことを言うので、ミカナギがおかしそうにクックッと笑った。
そして、アインスの肩をポンポンと叩き、
「いいねー、お前さん。いいよ。その調子その調子」
と威勢良く言い、その後に思いついたように続けた。
「回路、修理すんのか、何かと掛け合わせるのかわかんねーけど、どっちにしても、カノウに言ってみ。アイツ、機械ならなんでもこいだから」
「そうなんですか」
「うん♪ 昨日もちょこっと言ったけど、カンちゃんは優秀なエンジニアさんなんだよぉ」
「……そうですか。コルトさんとどちらが上でしょうか」
アインスには自分を造った相手にのみ敬称をつける傾向がある。
天羽はそれを聞いて、そういえば、そんな子もいたなぁぁと思い出した。
「へ? う、上とかそういうのはわかんないよぉ」
「上下をつけるものでもありませんか」
「……まぁ、プログラムの設計上、それは仕方ねぇだろ、お前さんの場合」
ミカナギは当然のようにそう言った。
優先順位の明確化が得意なのが、機械のいいところだから。
けれど、……自分の知識にそんなものはないはずなのに、またもや当然のようにそんな言葉が出てきて、ミカナギは言った後に軽く口を塞いだ。
「ミカナギは、詳しいんですね」
「あ、いや、記憶喪失だからよくわからんが、オレがプラントにいた頃は、そういう勉強でもしてたんかね」
「してたよー」
天羽がミカナギの疑問に素早く反応した。
アインスから手を離して、ミカナギを見上げ、こてんと首を傾げる。
「お兄ちゃんはプログラマーさん紛いだったのよー」
「…………」
何、その『紛い』って。
「ほんで、お姉ちゃんはハッカー紛い」
だから、なんだ、その『紛い』って。
「まぁ、別にお仕事はしてなくってー。お姉ちゃんは歌姫で、お兄ちゃんはみんなの世話ばっかり焼いてた……ような気がする」
天羽はどんどんあやふやな口調になりながらそう言い切った。
「天羽とダバダバ遊んでくれたのもお兄ちゃん〜。ほんのちょっとしか覚えてないけど」
「……はぁ、なんとなくわかったようなわからないような」
「お兄ちゃんは記憶がなかろうとあろうと、全然変わってませんなぁ」
天羽はきゅっとミカナギの腰に抱きついて、懐くようにそう言って笑った。
ミカナギはため息を吐きつつも、ポンポンと天羽の頭を撫でてやる。
そこに、顔を洗って目が覚めたカノウが戻ってきた。
「おはよ、天羽ちゃん、ミカナギ」
カノウはアインスの存在など全く無視をして、2人にそう声を掛けてきた。
「ああ、はよ、カン」
ミカナギは返事をしながらも寂しげに目を細める。
天羽はカノウに返事もせずに、むぅっと頬を膨らませて、心の中で呟いた。
『カンちゃんの、ガキー』
と。
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