第五節 あなたアナタ貴方 「違うって! これはこうだから、その次もこうなんじゃんかぁ」 5歳くらいの金髪の男の子が、むきになったようにブンブンと腕を振って、コンピュータを指し示し、桜色のストレートロングヘアーで同じく5歳くらいの女の子に向かってそう言った。 女の子は少々不機嫌そうに唇を尖らせ、ふわりと右手を動かした。 すると、モニターに映し出されていた映像が宙へと飛び出してきて、男の子と女の子の目の前で止まった。 青い画面に、ダラダラと長く、アルファベットが続いている。 それを女の子は、澄んだ紫色の瞳に映してゆく。 そして、問題の箇所を見つけて、ぴたりと指差し、男の子の首根っこを引っ張った。 「ここよ。絶対にここだわ。ここでバグ起こしてるんじゃないの?」 女の子の指差した箇所が赤く点滅する。 男の子も同じように、澄んだ赤い目にそれらを映し、はじめは納得いかないように唇を尖らせていたけれど、自分でも原因がようやく納得できたのか、急に泣きそうな顔で、女の子を見た。 「ごめん。ボクの間違い……」 女の子に首根っこを掴まれたままで、男の子はシュンとしてそう言う。 女の子はそれを聞いて得意そうに笑った。 「コンピュータのことで、ミカナギが私に勝てるわけないでしょう?」 「…………」 男の子は困ったように目を細めて、女の子の発言を聞いている。 女の子は気が済んだように男の子から手を離し、ポンと、いつもはツムギが腰掛けている座り心地の良さそうな椅子に腰掛けた。 デスクを手で押して、椅子をクルクル……と回す。 回してから、ゆっくりと止まり、男の子のほうを向いて、椅子は止まった。 女の子は足をブラブラさせて、モニターに視線を移す。 男の子はまだああでもないこうでもないと、女の子が取り出してきたホログラフとにらめっこをしている。 にらめっこをしたままの男の子に、女の子は静かに話しかける。 男の子はホログラフを見つめたままで返事だけをしてくる。 「ねぇ、ミカナギ?」 「なに?」 「……外出てみよっか?」 「えぇぇ?!」 ようやく、そこで女の子の顔を見た。 本当に驚いたような顔で、男の子は女の子のことをキョトンと見つめる。 「なによ」 「だ、だって、もう遅いし、ツムギだってママだって、もうすぐ戻ってくるよ? 赤ちゃん連れて戻ってくるよ」 「……そうだけど、この時間に、ツムギもママもいないなんてこと、この先は無いじゃない。行こうよ。私、見てみたいものがあるんだ」 「……見てみたいもの? 兎環ちゃんが?」 男の子は不思議そうに首を傾げ、女の子に向けて、手を差し出してきた。 椅子は高いから、下りる時は無理しないでと、それは男の子の気遣いだろうか。 女の子は当然のように男の子の手を取り、ポンと椅子から下り、そのままきゅっと男の子の手を握り締めてきた。 女の子は胸元の青い月の飾りを握り締めて笑う。 「月」 「…………。でも、ツムギ言ってたんだ。ボクはだいじょうぶだけど、兎環ちゃんは外に出たら具合悪くなるんだって」 「少しくらいなら平気だって♪ それに昼間じゃないし」 「…………。ボク、そんなに行きたくないや」 女の子の朗らかな笑顔に対して、男の子はそう言って断ろうとした。 俯いて、目の前の彼女には届かないほどの声で呟く。 「……兎環ちゃん、翼出すと次の日辛そうなんだもん……」 女の子はそんな男の子の気遣いなどには全く気がつかずに、髪をサラリとかき上げ、少々不機嫌な顔をする。 「臆病者。別にいいけどね。あなたが行かないって言ったところで、私は行こうと思えば行けるし」 「?!」 自分が行かないと言えば、観念すると思っていたのか、男の子は驚いたようにすぐ顔を上げる。 「…………」 そして、困ったように数度目を泳がせ、仕方なさそうに女の子の手を握り返した。 「……ミカナギ?」 「す、すぐ帰ってくるんだかんね。ツムギもママも、ちゃらんぽらんだけど、怒ると怖いんだから」 「ふふ……だから、ミカナギ、スキよ」 女の子はしてやったとでも言いたげな顔でそう言って笑う。 男の子は別段そんな言葉には動揺も見せずに、女の子の手を引いて、外に繋がる通路へと駆けてゆく。 いつもはとてもオーバーリアクションなのに、時々男の子はこうやってなんでもないように女の子の言葉をかわす。 その言葉がそれほど本気で発されたものじゃない時に限るのだけれど。 外に出て、男の子も女の子も呆然とする。 外の世界は、真っ暗だった。 それが夜というものなのだろうが、いつも明るいプラントの中にいる彼らにとってはそれは初めて見るものだ。 それにツムギに教えてもらっていた夜というのは、月と星の光がワルツを舞っていて、とっても綺麗なんだよというものだから、スモッグのせいで見えないのだということが分かっていても、言葉を失ってしまった。 女の子が不安そうにきゅっと男の子の手を握ってくる。 真っ暗だから男の子にはわからないけれど、女の子は今にも泣きそうな顔をしていた。 男の子はその不安を察したように、見えもしない隣の人に視線を動かし、唇を噛み締める。 そして、わざとらしく言った。 「暗いねー。怖いねー」 と。 その言葉に女の子は、すぐに気丈な声を返してくる。 「ミカナギは臆病者だから」 「うん、ボク、怖いの駄目」 声は神妙だったけれど、女の子の言葉に、男の子はそっと笑みを作った。 その笑みに、女の子は全く気がつかないだろう。 女の子が、その男の子の考え方に気がつくのは、これからずっとずっと後のことで、……女の子のそういうところが、可愛いと、男の子は思う。 女の子は一度男の子から手を離して、ワンピースの肩紐を少しばかり緩めて、背中が見えるようにずらすと、再び男の子の手を取る。 「行くよ?」 「うん」 男の子は優しく女の子の手を包み込み、頷いた。 女の子の体が不思議な光を発し、ポンッと音を立てて、背中に綺麗な真っ白い翼が生えた。 女の子の体にどうやって入っていたのかと思えるくらいの大きな翼。 バサバサと何度かはばたきを繰り返して、次の瞬間、2人は同時に地面を蹴った。 ふわりと2人の体が浮き、グングンと高度を上げてゆく。 虹がある場所を目指して飛び、虹の傍まで寄った後は、スモッグのことなど気にせずに更に高度を上げた。 このスモッグの汚染に当たらないためにするには、虹の傍を通ること。 そんな情報を、女の子は適当に取り出した情報群から見つけ出していた。 「だいじょうぶ?」 「ええ、もう少ししたら、虹に降りよう?」 「うん、あと少しすれば走れそうなところが見えるだろうしね!」 男の子は女の子を気遣うようにそう言って、ただ引かれるままの体を、少しだけ女の子に寄せてきた。 2人は虹に下り、そのままどちらともなく駆け出す。 トタタタタタ……と2人の軽い足音が、静かな夜に響く。 少しずつスモッグが薄くなって、2人の視界に、大きな銀色の月が現れる。 それに驚いて女の子が立ち止まった。 なので、男の子も止まって、月を仰ぐ。 2人の視力だと、クレーターがくっきり見えて、銀色の煌々とした輝きが心を奪う。 「綺麗だね」 「…………」 女の子は言葉が出てこなかった。 なんというか、体の芯から震えが来ている。 たぶん、とてもとても感動しているのだ。 血が逆流して、ほこほこと体温が上がってくるのがわかる。 「ツムギが言ってたこと、分かるかも」 「え?」 「兎環ちゃんみたいだ」 「…………」 女の子は驚いて、男の子に視線を送る。 月明かりが男の子の顔をくっきりと映し出して、女の子はほこほこ熱い顔が、とても赤くなっているのではないかと、少しばかり不安になった。 月に対してと同じくらいの『ドキドキ』がする。 別に、自分は対として彼がスキなだけなのに、今の『ドキドキ』はいつもと違った。 「でも、兎環ちゃんは、自分で輝けるもんね。……そこがちょーっと違うかなぁ」 男の子はけらけらとおかしそうに笑ってそう言う。 そこで、女の子はむっとして、男の子の首根っこを掴んだ。 「どういう意味?」 「えー? 褒めたんじゃんか」 「その笑い方は褒めてるように思えないのだけど」 女の子は唇を尖らせてそう言うので、男の子は困ったようにハハハ……と笑った。 それからしばしの間、2人は虹に腰掛けて、月を見上げていた。 女の子の翼が、風によって、白い羽根を雪のように降らせ、少しずつ形を失ってゆく。 はじめはただぼんやりと、馬鹿みたいに見上げていたのだけれど、しばらくして翼が全て消えると、カクリと女の子の体が力を失って、男の子の肩にもたれかかった。 男の子が驚いたように女の子の体を揺する。 「兎環ちゃん?」 けれど、顔が真っ青になっていき、女の子は全く返答してこない。 男の子は奥歯を噛み締めて、真剣な顔で立ち上がり、女の子を背負い上げた。 「……だから、言ったのに……!」 怒ったように男の子はそう叫び、フラフラしながらも、虹のふもとを目指して駆け出す。 スモッグの中腹まで来て、男の子は困ったように立ち止まった。 走るには、角度が急すぎる。 もし失敗したら、真っ逆さまだ。 男の子は女の子の顔を肩越しに見て、すぐに下を見る。 女の子を一旦下ろして、前に抱きかかえると、 「ええい! どうとでもなれ!!」 と投げやりに叫んで、ブワッと勢いをつけて飛び上がる。 ザザザザッと音を立てて、滑り台のようにして虹を滑り降りてゆく男の子。 女の子の体が擦らないように、男の子は守るようにして滑っていく。 半そでに半ズボンなものだから、肘やふくらはぎが擦れて、少しばかり痛みがあったけれど、そんなことは気にしている場合じゃなかった。 女の子の翼は、取り出した後、いつも女の子の体の具合を悪くする。 見た目は天使の翼でも、男の子にとっては悪魔のようだった。 地上近くになって、虹の橋が急に途切れた。 2人の体は中空に投げ出され、必死に男の子は女の子の手を取った。 力強く引き付け、頭を庇うようにして抱き締める。 ダスッと、地面と体が衝突する、鈍い音。 男の子の体が少しばかり地面を跳ねた。 ゴロゴロゴロ……と転がり、大きな岩があって、ようやく止まった。 「痛ってぇ……」 そう言って、すぐにむくりと起き上がる男の子。 明らかに落下は激しくて、そのような反応だけで済むはずはないのだけれど、男の子は頭から血を流しながらも、女の子を再び背負い上げて駆け出した。 プラントのドアの横にある装置に、自分の網膜を読ませ、すぐに開いたドアから中へと入る。 ツムギに。 早くツムギに見せないと。 タラタラ……と自分の頭から血がこぼれ、綺麗な白い床が赤く染まってゆく。 パタパタと廊下を駆けていたけれど、どんどん視界が白んできて、男の子は、ついに……ばったりと、床に臥してしまった。 「ミカナギ? トワ!? どこに行ってたんだ!!!」 そんな叫び声が響いて、2人の体はそっと優しく抱き上げられた。 ……次に2人が目を覚ました時には、2人の間に、サルみたいな、小さな小さな赤ちゃんが眠っていた。 女の子はその赤ちゃんを見て、まだ5歳だというのに、とっても愛しそうな表情をして。 男の子が、それに見惚れていたことなんて、きっと、彼女は知る由などなかった。 男の子の怪我が治ると、2人はこってりとツムギにしぼられて、男の子はおまけに2つほど拳骨をもらい、それを大慌てで、ママが止めに入ってくれた。 |
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