第六節 『姉妹』
ミカナギはゆっくりと目を開けた。
さすがに朝の騒ぎで起きはしたものの、すぐにバタンキュー。
どのみち、出発は明日になったので、今日はとりあえず、体力温存……といったところか。
ズキズキと右目が痛み、ミカナギはそっと顔に触れた。
「兎環……」
口をついて出た名前。
右目の痛み。
体中の血が普段よりも速く巡っている。
「ん……」
ミカナギは大きく伸びをしてガバリと起き上がる。
夢は当たり前のようにそこにあって、ミカナギはそれを全く疑問に思わない。
……それなのに、形がそこにない……。
結局、その夢は自分の中からあふれ出すものなのか、自分が想像したなんでもないものなのか……それがわからない。
「うーん……珍しくダーク君?」
ミカナギはふっと吹き出してそう言い、カシカシと頭を掻いた。
おそらく、自分のこういった闇の部分は、彼女に会えば解決するのだ。
『トワ』に会えば、解決する。
なんとなく、そう思う。
昨日彼女の声を聞いて、その前にも天羽が呼ぶ名前を聞いて、自分の体は激しく反応を示した。
答えは……記憶が失くなった時と、何も変わってはいない。
答えは、プラントにある。
プラントにある……。
「……兎環……」
自分の中のカオスが、そう、声を発させる。
なんて口に馴染む名前だろう。
それを言えば言うほど、自分の鼓動が高鳴っていく。
自分は、彼女の名を、今まで、何度呼んだのか。
口が思い出したその名は、とてもとても綺麗で、とてもとても大切なもののような気がしてくる。
「あー! お兄ちゃん、復活? 復活?」
天羽が、水を汲んだボトルを持って、パタパタとこちらへと駈けてきた。
ほこらの暗がりは、寝起きの自分に丁度良くて、岩壁にもたれて、もう一度伸びをした。
天羽がはいとボトルを差し出してくるので、ミカナギはそれを受け取って、一気に飲み干す。
「みなさん、お疲れ様ですなぁ」
天羽はきゃろんと言って、ミカナギの脇に腰掛けた。
「……お前は?」
「ほよ? あたし? あたしはゲンゲン元気ですよ♪」
ミカナギが横目で見ると、天羽は両拳を作って、にっこり笑ってそう言った。
その姿が、彼女と重なる。
気丈屋。意地っ張り。……本当は、すごく辛いのに、笑う……。
ミカナギは慣れたように言った。
「無理すんな」
「へ?」
天羽の頭をポンポンと撫で、ミカナギはそれ以外は何も言わなかった。
ただ、ずっとずっと、うざいくらいに天羽の頭を撫でてやる。
まるで、遥か遠くの地で、もしかしたら憂鬱に臥せている『トワ』に言うように、天羽にもう一度言う。
「……疲れんだろ……」
その声に、天羽はこちらを見た。
ああ……やっぱり目が赤い。
この子は、……1人で泣いてた……。
天羽はそれを誤魔化すかのようににっぱりと笑った。
「べっつにぃ」
「…………」
「疲れないよぉ」
「お前……」
「だって、……あたしのせいだもん……」
天羽は目を細めてそう言うと、きゅっと膝を抱きかかえた。
……頭に、桜色の髪の少女が過ぎる。
ベッドの上で、不安そうに膝を抱える少女。
『泣くから見ないで。……でも、そこにいて』
…………。
ああ、きっと、天羽にとっては、自分は慕うべき相手だけれど、今、頭に過ぎった彼女とは、ミカナギに対する気持ちが全然違うのだ。
それが、なんとなく分かる。
「あたしのせいだから、疲れるのは、おカドチガいなの」
いつもと違って、天羽は大人びた声でそう言った。
ミカナギはその声で眉根をひと際寄せた。
アインスもツヴァイも、天羽を探しに来た。
天羽を探して、天羽を手に入れるために、または護るために……あの強烈な力がぶつかり合った。
……辛いのは、護った人間だけじゃない。
被害にあった人間だけじゃない。
護られた人間だって……辛い……。
「あたしは、全力で笑って、全力で歌うの。それが、あたしの取り柄だから。……ミズキも言うの。そんなあたしが、みんなに元気を与えられるんだよって」
「お前……」
「あたしは、天使だから」
「…………」
「お姉ちゃんと同じで、……でも、ちょっと違うの。ミズキ、こうも言った。あたしが、お兄ちゃんが出てって、みんなの前ですごく大泣きしてたら、さ」
「ああ」
「……あたしは、みんなの天使なんだよ。だから、今日たくさん泣いたら、もうみんなの前では泣かないんだよ? って」
「天羽……」
「…………。あたしは、その通りだなぁって思ったよ。だってね、涙って、なんにも解決してくんないんだもん」
「…………」
また過ぎる。
『泣いたってなんにもならないのに、どうして、こんなに……』
桜色の髪の少女も、同じように言った。
ただ、1つ違うのは、少女はみんなのものじゃないけれど、天羽はみんなのものだということ。
与えられた……製作者の想いだけが、こんなにも違う。
「どんなに自分を疎んでも、どんなにこの状況を悔いても、何にもならないでしょ?」
「……でも、そういう気持ちが、この先、これ以上の悲劇を起こさないぞって、思いに繋がるんじゃねぇか?」
「え?」
「確かに、今は、あの街の死を悼んで、悲しむだけでいいかもしんねぇけど」
心の中で。
ひたすらに悲しんで。
そして、笑う。
『オレ達』って、馬鹿だなぁ。
ミカナギの心をそんな言葉が過ぎった。
また、記憶もないのに、ミカナギは『トワ』と対であることを思い出したように言ってしまった。
勿論、彼の中でそれが繋がってはいないのだが。
「お兄ちゃんは強いなぁ……」
「オレは、お前が強いと思うよ」
「ううん……お兄ちゃんのほうが強いよ。すっごく、……重たいんだ。考えてることが。それを考えて、それをやろうとすることって、絶対に辛いと思うのに、お兄ちゃんは当然のように言うんだよね。すごいよ」
天羽は静かに目を伏せてそう言い、ミカナギの肩にもたれかかってくる。
甘えるように体を預け、天羽は何かをブツブツと小声で呟いている。
「何?」
「……カンちゃんには、まだ言っちゃ駄目だよ」
「へ?」
「カンちゃんは優しいし、強いと思うけど……、たぶん、今は、その理屈が重荷になっちゃうから」
「…………」
「カンちゃんは、あたしみたく前進しまくれないし、お兄ちゃんみたいに切り替えも早くないの。……でも、ゆっくり、たぶん追いついてくるから、それまでは言わないであげて? ね?」
「……天羽……」
天羽はそこで再び顔を上げ、跳ねるように立ち上がった。
きゃろんと笑顔をこちらに向けて、むんと両拳を胸の前で作る。
「よっし、充電完了〜。それじゃ、ちょいとばかし、行ってまいりますか☆」
「どこに?」
ミカナギは天羽を見上げて首を傾げる。
すると、天羽は口元に人差し指を持っていって、楽しげに笑った。
「ご恩返し」
「恩返し?」
「カンちゃんはガキだけど、あたしの恩人だからのぅ〜」
黒い発言を軽く言って、天羽はタタタッとほこらの外へと駆け出していった。
ミカナギは頭をカシカシ掻いて苦笑を漏らす。
「天羽にガキって言われてんぞ、大先生……」
第七節 仕方ない。そんな言葉、気に食わない。
カノウは水場の水を簡易浄水器で漉してから少しずつボトルへと移してゆく。
これから目指す街は相当時間が掛かる。
水は入手できるだけしておかないと、自分達が干からびてしまう。
……手を、動かしていないと、また余計なことを考えてしまいそうで。
カノウは手早く水を汲んで、浄水器の口にザザザッと流し込んだ。
自分が、どれだけ大人気ないことを言って、どれだけ大人気ないことをしているのかも、分かっている……。
分かっているけれど、分かっていても、割り切れなんてしない。
仕方ないなんて、言いたくない。
仕方ない。その言葉で解決するには、ことが大きすぎるじゃないか。
失われた命に対して、仕方ないなんて……、そんな言葉、失礼すぎる。
「カノウ」
低い声が、後ろでした。
それがミカナギでなく、アインスのものであることは、すぐに分かった。
「何?」
カノウは出来るだけ平静を保って、そう返した。
全く関心を示さないように、一瞥もしない。
「おれは、造られて……そろそろ2年になります」
「だから?」
「プラントの……ミズキ様が暮らす区画のみが、おれの中の世界でした」
「…………」
「言い訳でしかありません。けれど……、天羽を護れなければ、おれは、おれの世界を護れなかったのです」
「そう」
「……何にもなりません。彼らは、戻らないでしょう。それでも、おれは……努力をしようと思います」
「努力?」
「世界を広げる努力をします。力も足りません。そこも徐々に拡張して、今度は、絶対に人間を護ります。この身に代えても」
「拡張……か」
アインスの言葉の真意など無視をして、カノウはそこだけを挙げた。
自分だって、身を護るために武器を作っている。
だから、分からないわけじゃない。
けれど、彼らの持っている兵器は、本当に護るためのものか?
あの威力は、護るためのものなんかじゃない。
人を殺し、大地を焼き払う……そういうものだ。
科学自体は悪くなく、使い方を誤った者が悪いのだと、自分は常々思ってきた。
50年前の悲劇を思うたびにそう思ってきた。
……でも、目の当たりにして、訳が分からなくなってしまった。
確かに、アインスの力は護るためのものなのだろう。
ぶつかり合わなくてはならない相手が存在するからこそ、あれだけのものを搭載している。
心じゃわかったけれど、納得いかない。
あと一歩が足りない。
「どのように思われても構わない。けれど……ミズキ様やプラントは、おれとは違います。それだけは信じてほしい」
「……元々、ボクはプラントに対して良い印象はないから気にしなくっていいよ」
「え?」
カノウはようやく立ち上がって振り返った。
背の高いアインスを首が痛くなるほど見上げて、不敵に笑う。
「元々、ボクはプラントに闘いに行こうとしてた人間だ。そんなに気にしなくっていいよ」
「……カノウ……」
「でも、印象だけで何もかも決め付けるのも浅はかだ。プラントに行くまでは、ボクはこれ以上は言わない。……君を罵るのもやめる。だって、結局のところ、ボクらが生きているのは、君が体を張ってくれたからだしね」
カノウはゆっくりとアインスに歩み寄り、手を差し出した。
アインスが意図を汲み取れないように動きを止めて逡巡している。
「ボクには力がない。力がないくせに、理屈ばかりを振りかざすのは卑怯者のすることだ。そして、君はまだまだ世界を知らない。知識がないのに、力ばかりを振るうのは粗暴者のすること。でも、出来ないことがあるということは、その先に進める可能性があるって、ことだ」
アインスが手を出してこないので、カノウは無理やり彼の手を取って、きゅっと握り締めた。
「互いに未熟者ならば、これから頑張ろう。……成長が出来なければ、この悲劇は何のためにあったのか分からない」
「カノウ」
「仕方ないなんて言葉、ボクは認めない。確かにそれで済まさなければ辛いだろうけど、仕方ないと言って逃げていたら、成長できない。また、同じことを繰り返すことになる」
アインスは言葉に困ったように、ただカノウの言葉を聞いていた。
カノウもそれなりに考えた。
考えた上で、……まだ、彼の存在は認められないけれど、それでも、この先を見てみようと、それだけは思ったのだ。
許すなんて無理で、認めるのも無理で。
でも、この結論が、今の自分の精一杯なのだ。
ミカナギは容易にここまで到れる。
でも、自分には時間が必要だった。
覚悟を決めるのに、時間が必要だった。
「はい。おれも、努力します。ロボットとして、本当の意味で、人型になれるように」
ようやく、アインスもカノウの手を握り返してきた。
そして、そのままカノウは思い出したように言った。
「通信機造るんだったよね?」
「はい」
「手伝う……っていうより、ボクがやろう。2時間で済む」
「……速いですね」
「送信さえ出来ればいいんでしょう? それなら簡単さ」
「……コルトさんよりも上かもしれません」
「は?」
「いえ、なんでもありません」
アインスはポケットから回線チップを丁寧に取り出して、握っていたカノウの手を開いて、そこに乗せた。
「ちっさ! すごいなぁ、こんなに小さいの?」
「これが普通では?」
「いや、たぶん、世界の最新型より小さいよ。プラントってば、やっぱり技術独占してるなぁ」
カノウは苦笑いしながらも、楽しそうにチップをマジマジと見始める。
持っていた荷物で、通信機を作るのに向いている部品があったかどうかをあれこれ考えながら、アインスにチップの説明を受けていると、そこに天羽がタタタッと駈けてきた。
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