第八節  涙


 ミカナギとトワが15歳の頃。
 『あの』悲しい事件は起こった。
 事件というよりは、事故、なのだろう。
 その時の犠牲者は、3人。
 1人は即死。
 1人は行方不明。
 最後の1人は、大怪我の末、二日後に亡くなった。
 まだ10歳と5歳になったばかりの息子2人を残して、ツムギとママは……この世からいなくなった。


 ミカナギはなんともないような笑顔で、10歳のミズキと5歳のハズキを寝かしつけ、トワの部屋へと向かった。
 2人の傍にはハウデルもいる。
 何かあったとしても、彼ならば大丈夫だろう。
 ミカナギがドアの前に立ち、声を掛けると、シューーーン……と音を立ててドアが開いた。
「兎環?」
 ミカナギは心配そうに部屋の主に声を掛ける。
 案の定、彼女はベッドの上に膝を抱えて、膝に顔を埋めたまま微動だにせずに座っていた。
 対であるから、自分を部屋に通してくれただけで、本当は誰にも会いたくなかったのではないだろうか。
「……大丈夫か? 飯食いに行こうぜ? さすがに5日も引きこもりゃ、腹も減ったろう?」
「……要らない……」
 トワは静かにそう返してきた。
 わざとらしいほどの自分の朗らかな声が、余計に寂しく、室内に残ったように感じた。
 赤いTシャツの袖をまくり、カシカシと二の腕を掻きながら、ゆっくりとベッドへと歩み寄る。
 トワは喪服をイメージさせる黒のワンピース姿のままで、そこにいる。
 ミズキとハズキはもういない両親を思って泣きじゃくり、彼女もまだ両親の残り香を感じていたいのだろう。
 相変わらず、自分だけがもう先を見据えている。
 薄情者と言われても仕方がないほどに、自分は先しか見えていない。
 そんなところが、今の彼女には重荷になりそうで、なかなか言葉が出てこなかった。
 ベッドに腰掛けると、その重さで少しばかりベッドが沈んだ。
 トワはまだ顔を上げずに俯いたまま。
 なので、ミカナギはトワの長い髪をさらりとすかしたあとに、ポフポフ……と何度も何度も頭を撫でてやった。
 ……ごめんな。いつもみたいに、オレが一番に泣けば、お前が楽になるのに。
 ミカナギはそんな思いを込めて、何度も何度も撫でる。
 今の状況は、それを許してくれないのだ。
 ツムギがいない。ママもいない。
 ハウデルを抜かせば、……自分とトワが年長者だ。
 いつもならば、トワが弱音を吐きやすいようにしてやれるのに、今はそれが難しい。
 自分まで折れたら、何も出来なくなってしまいそうだし、……それに、もう、すがれる相手はいない。
 ミカナギは体を浮かせて、そっとトワの細い肩を抱き寄せた。
 彼女は全く動かない。
「いくらでも、泣いていいからさ……少ししたら、飯行こうぜ? いくらなんでも、お前が壊れちまう」
「…………ミズキとハズキは?」
「泣き疲れて寝たよ。たぶん、しばらくの間はあの調子だ……」
「……そう……」
 近くで聞いて分かることだが、トワの声は酷く涸れていた。
 ミカナギはそれが悲しくて、唇を噛み締め、一層抱き締める腕に力を込める。
 ……自分達は、子供の出来にくかった、ツムギとママのために造られた……。
 目的が、失われてしまったのだ。
 もう、この世にはいない。
 ツムギも、ママも、いない。
「……ごめん、ミカナギ……離して」
「兎環……」
「今は、ぬくもりが辛い」
「…………」
「ミカナギの温度は、あまりにもツムギに似過ぎているから」
「……わかった」
 ミカナギはトワの言葉に従うように、抱き締める力を緩めて、ゆっくりと彼女から離れ、部屋を出ようとした。
 けれど、ベッドを下りたところで、彼女の手が、ミカナギの服の裾を掴んだ。
 なので、ミカナギは振り返ろうとしたけれど、トワはぴしゃりと言った。
「動かないで」
「兎環?」
 コテンと、トワの頭がミカナギの背にぶつかった。
 ミカナギは呆然と立ち尽くすだけ。
 彼女は感極まった声で、そっと呟いた。
「泣くから見ないで。……でも、そこにいて」
 その声の後、彼女は嗚咽を漏らして、堰を切ったように泣き出した。
 Tシャツに、涙の温度を感じて、ミカナギはぐっと唇を噛み締める。
 彼女らしい。
 人に涙を見られたくないのに、今は誰かがいなければ、泣くこともできない。
 ミカナギの目頭も熱くなってきた。
 思えば、泣いていない。
 自分は……まだ泣いていなかった。
 もしかしたら、自分も、ここに、泣きに来たのかもしれない。
 そっと右手で顔を覆い、ミカナギも少しばかり涙をこぼした。
 辛すぎる。
 こんなの、辛すぎる。


 数日前の事故は、実験の暴発……だった。
 そして、そこに居合わせた内の3人が犠牲者になってしまった。
 ミズキとハズキは、ミカナギとトワが咄嗟に庇ったので大丈夫だったのだが……。
 振り返ると、そこにはいたはずのママの姿がなく、バラバラの体だけがあった。
 ツムギも右腕を失い、苦しそうにもがいていて……。
 もう1人、タゴルの子供がいなくなった。
 死ぬ直前、ツムギが必死に語った。
『あの子はどこかに飛んでしまっただけのはずだから、どうか探して、兄に返してあげて欲しい』
 と。
『兄に謝っておいてくれ……。わたしはあなたの考え方とは添えないけれど、それでも、あなたを大切に思っているのは嘘じゃない、と。……もう、怒ってなどいない、と。その証に、あの子と年が近いハズキを養子として預かってもらってくれ』
 ツムギは息を切らせながら、必死に喋る。
 もう、死が見えているかのように、焦ったように口を動かしていた。
『……それと、トワには申し訳ないけれど、兄の研究の手助けをしてあげて欲しい……』
 悔しそうに苦汁の決断を漏らすツムギ。
 ミカナギはその時、トワが悲しげに眉をひそめたのが見えた。
『兄の区画に行く機会ができれば、ハズキにも、会う機会が作れるだろうし』

 ツムギは残されるもの全てに心を砕くように、思いつく限り、言葉を列挙し、……そして、最後に言った。
『兄が、どうしても、あの考えから折れてくれない時は……その時は……お前達が……』
 ………………。


「泣いたってなんにもならないのに、どうして、こんなに……」
 トワが泣きじゃくりながら、背中でそう言った。
 そこで、ミカナギも我に返る。
「ごめん……。こんなの意味がない。意味がない……。でも」
 心の整理がつけられない。
 泣かないと、整理がつかない。
 いつものように、したたかに立てない。

 分かっているよ、トワ。
 心は、いつでも対だから。
 自分が思っていることと、お前の思っていることは、きっと近い。
 ただ、自分の心はバングルのモチーフのように太陽で、トワの心は飾りのモチーフのように月なのだ。
 たった、それだけのことだ。

「……大丈夫だ」
 ミカナギはそっと優しい声で囁いた。
 少しだけ泣いたせいか、声が少しだけ震えてしまった。
「オレしか、いないよ」
「締まりがないわね……」
 泣きじゃくっているくせに、そこだけはしっかりと突っ込んできたトワ。
 その一言で、……ああ、大丈夫だな……と、ミカナギは思った。



第九節  受信


「ミズキさん、……じゃ、ここはもう少し変えたほうがいいってことか?」
 コルトが困ったように顔を歪ませて、設計図の真ん中の部分を指差した。
 ミズキも困ったようにポリポリと頬を掻いて頷いてみせる。
「すまない、言うのが遅れてしまって」
「いや、……まぁ、別に構わないけどよ。あんた、忙しそうだし」
 コルトは足をブラブラさせながら、直しが必要な部分を赤ペンで書き加えていく。
 年のころは、天羽の見た目と同じくらい。
「コルト、君いくつになるっけ?」
「あ? 15かな。それが何か?」
「いや、別に。少し気になっただけさ。花も羨む馨しき時期に、設計書とにらめっこなんて、勿体無いものだなぁ」
「うるせーなぁ。だったら、あんた、アタシのこと、抜擢しなきゃ良かったろ? アインスの時に声掛けられてから、大忙しなんだけど」
「あー、まぁまぁ。ほら、育ちそうな美しい芽は、出来るだけ傍で育てたいと思うものだろう?」
「……本当に、あんたの言葉は、時々宇宙人語かと思うよ」
 コルトはミズキの言葉に呆れたように、はぁぁ……とため息を吐いて、腕組みをした。
 そして、キョロキョロと室内を見回し、不思議そうに言う。
「アインスは?」
「……ん、ちょっと……ね」
 ミズキははぐらかすように少しばかり笑んで、俯いた。
 さすがにハードの大部分を造ってくれた人間に対して、もしかしたら、壊れたかもしれないなんて言えない。
 ふと、その時、カンカンカン……と激しく、モニター傍の受信を知らせるスピーカーがけたたましく鳴った。
 ミズキは慌てて駆け寄り、赤いボタンを押して、メッセージをすぐに見ようとした。
 この受信音は、アインス専用のものだ。
 ……ということは、無事だった?!
 信じた通り、無事なのがわかって、ミズキは感動のまま、ボタンに指先を当てた。
 けれど、その瞬間、トワが強制的に回線を開いて、ホログラフとして、そこに姿を現した。
「トワ? 何?」
 宙に浮かび上がっているトワに対して、怪訝な表情をするミズキ。
 トワは神妙な顔つきで言った。
「不正アクセスされてる」
「え?」
「……誰かに、メッセージを閲覧される可能性がある。まだ、開かないで」
 ミズキは訳が分からなくて、唇を噛み締めた。
 どうして、アインスからのメッセージをわざわざアクセスしてまで盗み見る必要性があるのだろう。
「今、排除するから、それまで待って」
「……わかった……」
 ミズキは仕方なく、ボタンから指を離し、椅子へと腰掛けた。
 コルトが不思議そうに寄ってきて、モニターを見上げる。
「今の誰?」
「ん? ああ、そういえば、コルトには紹介していなかったね。……あとで、会わせてあげるよ。我がプラントのセキュリティ担当さ。ハッキング・クラッキングなんでもござれでね」
「ふぅん……あんたの周りにはいろんな人がいんね」
「コルトもその1人だよ」
「ばっ!? アタシをあんたら変人と一緒にすんな!!」
 楽しそうに言うミズキに対して、コルトは顔を真っ赤にして叫び、バシンとミズキの頭を叩いた。
 これだけ男勝りなのに、変人と一緒にするなというほうが無理があるだろうに。
「できた。大丈夫。見ていいわよ?」
 トワのホログラフがそう言い、ミズキがすぐにメッセージを開いた。
「みんな無事?!」
 ミズキよりも早く、トワが嬉しそうに声を上げて、その後微笑んだ。
「トワ……」
 ミズキは苦笑を漏らして、トワのホログラフに視線を送る。
 勝手に覗き見る人物を排除しておきながら、自分はそこに居座っているという……。
 本当に素晴らしいよ、君は。
 心の中でそう呟いて、ミズキは今度こそ、送信されてきたメッセージに目を通した。
『転送チップと回線チップが故障しました。
 世界を見て、自分で色々と学習したいものが出来ましたので、お迎えは要りません。
 時間は掛かりますが、徒歩でそちらに向かいます。
 必ず、みな無事でそちらにお届けしますので、その点は心配しないでください。
 また、ミズキ様がお好きなそうな少年を、1人連れて行きます。
 到着の折には、プラント滞在のご許可をお願いします。
 追伸:ミズキ様。おれはあなたのご期待に添えるかわかりませんが、もっともっと精進したいと、思います。

アインス 



 やっほー☆ ミズキ、お姉ちゃん!!
 も少しで帰ります〜。
 それまで、ちゃんとお仕事するんだよぉ?

あも 』






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