第九節  ちょっとだけ、切れた。


 大人のこぶし大の石が天羽に向かって飛んでいくのを見て、ミカナギの頭の中で、微かに記憶が動いた。
 いつも、当然のように記憶は巡る。
 ミカナギにはそれの半分も分からないのに、それでも、分かっているような自分がどこかにいる。

 桜色の髪の女性・ママが、黒髪の男・ツムギに深々と頭を下げた。
 何が起こったのかわからずに、子供の頃のミカナギとトワが、その様子を見守る。
 ミズキとハズキは、夜遅いこともあって、もう別室で眠りについていた。
『子供が出来ました……』
 その言葉に、ミカナギもトワも、笑顔になりかけ……、けれど、次の言葉で、それは遮られた。
『……あの人の子供です』
 その言葉が出てすぐに、いつも温和なツムギがママに対して手を上げた。
 パシンと鋭く、ママの頬が鳴る。
 ミカナギがすぐにそれを止めに入った。
『なんだかわかんねーけど! やめろよ!! 女に手上げるなっていつも言ってるのは、ツムギだろ?!』
『子供はあっちに行っていなさい! ほら、トワと一緒に!!』
『……み、ミカちゃん、いいのよ。悪いのは、ママだから』
『なにが?! 赤ちゃんいるなら、手荒なことなんて、尚のことダメじゃん!!』
『ミカナギ、いこ……』
『何がだよ?! 意味わかんねー!! 兎環、お前黙れ!!』
 ミカナギの服の裾を掴んで、なんとなく状況を把握したであろうトワがそう言ってきたが、ミカナギは勢いのまま怒鳴りつけた。
 ミカナギの鋭い視線に、いつも気丈な兎環がビクリと肩を震わせる。
 その様子を見て、少しばかり冷静さを取り戻したのか、ミカナギはすっと額に触れ、一瞥もせずにぼそりと言った。
『わり……』
『…………』
『ツムギ……、ママ殴るなよ? もし殴ったのわかったら、オレがその100倍ぶん殴るからな!!』
 そう叫んで、すぐにトワの手を取り、部屋を出る。
 ミカナギは……誰よりも、ママが大好きだった。
 だから、誰がなんと言おうと、ミカナギにとって、ママは絶対なる存在だった。


 天羽の桜色の髪が目に入る。
 人が変わったように、ミカナギは横殴りにその石を叩き割った。
 パラパラ……と石の粉が舞う。
 女に手を出す人間。よっぽどの事情がない限り、ミカナギ的に、NG。
 けれど、それ以上に、何かが自分の中で動いた。
 理屈でない憤り。
 天羽に手を出すこと……それは、よくわからないけれど、ミカナギの中で、許されないこと。
 宝石のような綺麗な色の目が、ドロリとした血のような色に変わる。
「ちょっと、カッチーーーンきた……」
 次々に投げられてくる石のつぶて。
 バシバシと叩き落とし、ミカナギは少々不機嫌な声でそう漏らした。
 子供達の行動を止めるどころか、周囲にいた人たちも、嫌悪の眼差しをもってこちらを見据えている。
 先程までののどかな空気などどこへ行ったのか、いつの間にか、この空間はとても冷たいものへと成り下がっていた。
 天羽をカノウが庇う形で立ち、その前にアインスが立ちはだかる。
 カツンカツンと音を立て、なんともないように石を弾くアインスの体。
「なんなんだよ?! もうーーー!!」
 カノウが天羽を抱き寄せながら、不機嫌な声で叫んだ。
「なんだ、あやつ、いないのか?」
 後ろでニールセンがそんなことを言った。
 ミカナギは再び飛んできたこぶし大の石を、はじめと同じように叩き割った。
 ブワリと粉が舞って、視界が一瞬ふさがれる。
 その次の瞬間、ゴツンと、ミカナギの頭に石がぶつかった。
 鈍い痛みが走ったが、特によろめきもせず、ミカナギはフルフル……と頭を振るだけ。
 ドロリ……。
 血が額から零れる。
 それによって、一緒に石を投げてきていた子供たちの動きが止まった。
「お、お兄ちゃん!!」
 石の流れが止まったとはいえ、すぐに飛び出してくる天羽を、ミカナギは庇うように天羽の前に立った。
「天羽ちゃん、危ないから……」
 カノウも心配するように駆け寄ってくる。
 ミカナギは軽く血を拭って、なんでもないように顔を上げた。
「お前ら、怪我は?」
「な、ないよぉ。お兄ちゃんもカンちゃんもアイちゃんも、護ってくれたから」
「うん、ボクも、大丈夫。それより、ミカナギ、大丈夫?」
「平気平気。お前らがなんともないならいいよ。アインス、サンキューな」
「いえ。むしろ、おれが前に出なくてはいけないところでした」
「ロボットなのばれるの不味いだろ。無茶すんな」
 先程覚えた憤りなど奥に隠して、ミカナギはヘラリと笑ってそう返す。
 そして、ゆっくりと振り返った。
 そこにあるのは、冷たい目・冷たい雰囲気。
 出て行け。
 ……そんな声が今にも聞こえてきそうだった。
 とても居心地悪そうに、天羽は周囲を見回す。
 ミカナギは意味もなく、ポンポンと天羽の頭を優しく撫でた。

『背伸びたねー? ミカちゃん。ほら、私、もう、ミカちゃんの頭なでなでできないわ。トワちゃんが羨ましいわー。なんで、2人とも、そんなにニョキニョキと……』
 なんとなく、そんな声が、頭の中でした。

 ミカナギはすぐに気を取り直す。
 なんだかおかしい。
 いや、ここ最近はずっとこの調子なのだから仕方がないのかもしれないが。
 中途半端に戻ってくる記憶の波に、ミカナギは微妙な違和感を覚えてしまう。
 とりあえず、それを無視して、町の奥に建つ大きな砂時計を見上げた。
「……なんなんだよ、ここ……」
「世界に見放された町」
「え?」
 ようやくニールセンがミカナギよりも前に立つ。
「言っただろう。信心深い者は迫害者……と。ここは、50年前に宗教テロを起こした教団の……忘れ形見よ」
「な……」
「集団内の僅かな悪要素というのは、その集団がどんなに良き物でも、悪い物なのだというイメージになりやすい」
「あ?」
「そういうものよ。別に彼らに何か問題があるわけではない」
 問題は大いにある。
 とりあえず、有無を言わさずに人に石を投げつけてくる……という行為が、まず間違いだろう。
 もっと他にやりようが……。
「今やられたことは、世界が彼らにしたことと比べたら、イーブンにもなりはしない」
「おっさん、もうちょい、わかりやすく話広げてくんない?」
「ふむ。青年よ」
「なんだよ?」
「彼らは、存在さえ否定された者たちなのだ」
 ニールセンは話を広げたつもりなのか、静かにそう言い、スタスタと町の中へと入っていく。
「おい、おっさん、あぶな……」
「大丈夫だ」
 確かに、ニールセンの姿を見た途端、人々は急に笑顔を見せ始めた。
 ミカナギは意味が分からずにその場に立ち尽くすことしかできない。
 カノウもさすがに人々の理不尽な行動に、不快な気持ちになっていたようだが、とりあえず、町の中へと歩いてゆく。
 それをミカナギがガシリと腕を掴んで止める。
「あぶねーよ」
「……ここも世界の一部なら」
「カン?」
「もしかしたら、知らないといけないことがここにもあるかもしれない。……アインス、行こう。ミカナギ、まず、泊まるところ確保して、それから治療しよう。痛そうだよ、おでこ」
 カノウはミカナギを心配するようにそう言い、アインスにちょいちょいと手招きをした。
 ミカナギの手を優しく解き、アインスを従えて中へと入っていくカノウ。
「ニールセンさん、とても久しぶりですね。何用ですか?」
 鍬を持った青年が笑顔でそう声を掛け、一緒にいた仲間に、誰かを呼びに行くように身振りで指示を出した。
「これから遠出するのだ。だが、日も傾いてきたから、寝床が欲しい」
「ああ、そんなんはお安い御用だ。待ってください、もうすぐ神父様も来ますから」
「ああ」
「あの人たちは、お連れさんで?」
「水先案内人だ」
「そうでしたか。これは失礼をしました。お詫びに、今日は夕飯、奮発しますんで」
 青年がそう言って、こちらを向き、しっかりとした姿勢で頭を下げてきた。
 それを見て面白くなかったのは、はじめに石を投げた少年だ。
「兄さん、何の真似だよ?!」
「ニールセンさんのお知り合いだそうだ。みんな、丁重におもてなしするように」
 青年は少年を一瞥で黙らせると、同じようにその場にいた人々に声を掛けた。
 ミカナギは垂れてくる血をぐいっと拭い、目を細めてしばし逡巡する。
 天羽がミカナギの服の袖をきゅっと握ってきた。
「お兄ちゃん、行こう? カンちゃんの言う通り、手当てしないと。痛いでしょ?」
「いや、そんなに痛くはないんだ」
 ミカナギはヘラッと笑ってそう返し、天羽の言葉に従うように一歩を踏み出した。
 そう。それほど痛みはない。
 痛いとすれば、頭というより、……右目のほうだ。
 記憶が少しでも動くと、自分の右目は酷く痛みを発する。
 今回は、トワという名前を聞いた時ほどではないが、それでも、鈍い痛みを発していた。



「へぇ……生だとすげーな。こんな動きする奴、人間じゃ見たことないぜ」
 ドロリとした赤が、氷の瞳の中で揺らめく。
 伊織がビクビクしながら、氷の隣で、町の光景を見つめている。
 氷は先程までだれていたくせに、いつの間にか伊織の隣に立って、楽しそうにミカナギの動きを見据えていた。
 確かに、10人以上の子供が投げてくる石を、当たりそうなものだけ選別して、1つ残らず(1つだけ自分で喰らってはいたが)叩き落したとなれば、氷の言葉も、あながち行き過ぎではないだろう。
 ずるりと、舌なめずり。
「早く、やりてー。早く、潰してー」
「ひょ、氷ちゃん……もう大丈夫なの?」
「あ? チビ、誰に言ってんだよ?」
「え、あ、あ、……ごめん……」
 先程まで暑さでだれていたくせに。
 心の中だけで、その言葉を呟く伊織。
「ま、せっかく外出れたしな。慌てるのも野暮か」
「え?」
「プラントは息詰まるだろ? オレは外のこの汚い空気のほうが、幾分か好きだぜ」
 そう言って、う〜んと伸びをする。
 伊織は、氷のそんな言葉が理解できないように、俯いて、しどろもどろに言う。
「ぼくは……早く帰りたいよ……」
「あーうぜー。だから、ガキは嫌いだ」
「……て、テラ、連れてくればよかった……」
 はっきり言う氷の言葉を、少しでも受け流そうと、伊織はそんなことを呟く。
 テラ → ネコ → ネコ耳……。
 自分で言った言葉にはっとして、伊織はほや〜んと頬を赤らめる。
「ネコ耳……」
「あ?」
 幸せそうに呟く伊織に、氷は怪訝そうに眉をしかめた。
「ネコ耳の子は……ぼくの、だよ……氷ちゃん」
 初めて、伊織は氷をしっかりと見上げて、そんなことを言った。




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