『神とは、押し付けられぬもの。
 けれど、絶対的にそこにいる存在。
 ……脅威であってはならないし、親密であってもならない。
 だから、通り過ぎてゆくだけでいい……。』



第十一節  時が生むは、現在・過去・未来。思い出・罪・夢。(後編)


 風が、トールの神父服の裾を翻す。
 腰から下の、ハリのある部分がユラユラと揺れた。
 天羽が元気よく、砂時計を指差して、尋ねる。
「ねね? ずっと気になってたんだけど、あのおっきな砂時計、なんなの〜?」
 砂時計のグラスが、夕日を反射する。
 キラキラと、落ちてゆく砂が綺麗に輝く。
 七色に分けられた砂の色。
「どうして、あの砂は、七色に?」
 カノウが静かに尋ねる。
 ミカナギはふぁ〜……と欠伸をして、とりあえず、その場で話を聞く……というスタンスを取っている。
 アインスも皆より一歩下がった位置で、砂時計を見上げて、トールの答えを待っていた。
 トールはスタスタと歩いていって、ゆっくりと振り返ると笑顔で言った。
「七色に分けられているのは、この砂時計が一週間分の時間を示しているからです」
「……なるほど」
「この砂時計はですね、私たちの信じる神の道の、象徴たるものなのです。過ぎ去る時間を、偉大なる先人は、神と崇めました」
「…………う〜ん? 時間が神様?」
「そう」
 天羽は意味が分からないようにこっくりと首を傾げた。
 トールはそれを見つめて、にっこりと笑う。
 ミカナギもいまいち意味が分からずに、もう一度欠伸をしてから、トールを見つめた。
 カノウもアインスも、興味津々、な様子で、トールを見る。
「よく例えられるでしょう? 砂時計の中の、流れ落ちた砂は過去で、流れている砂が現在。そして、上にまだ残っているものが未来だと」
「ああ、そうですね」
 カノウが皆を代表して頷くと、トールは続けた。
「時は全てを作り出すのです。思い出や夢、希望……罪や傷跡……。全てを作り出すのは、流れ行く時。なれば、創造主とは時間であるのではないかと。我らの教えは、そう説いております」
「ふーみゅ。だから、砂時計が象徴なのね? 一番、それを表すのに、ピッタシだから☆」
「ええ、そうです」
 天羽が理解したように笑うと、トールも嬉しそうに笑みを浮かべた。
 何か、懐かしいものでも見るように、天羽を見て、すぐに視線を動かした。
「今日は、あまり多くの教えは説きません。興味があれば、明日にでも教会に来てくだされば、いくらでも話して差し上げますよ」
 トールはそう言うと、スタスタと砂時計の脇を通って、奥の畑まで案内してくれた。
 天羽が目を輝かせる。
「うっわぁ♪ たくさんのお野菜! あたし、こんなにたくさん見たことないよ〜。ぷらん……」
「天羽」
 天羽が容易くプラントという言葉を口にしそうになったのを、アインスが遮った。
 天羽も言われてから気がついたように、わたた……と口を塞ぐ。
 けれど、遮られた理由を本人がきちんと理解しているのかどうかは微妙なところだ。
 プラント在住者、だなんて、本当は易々と言ってはいけないのだ。
 未知の場所。
 だからこそ、プラントは貴ばれ、崇められる。
 神と同じで、姿なき……が、優先される。
「自給自足。野菜も肉も、全て、自分達で賄っています」
「支給は? ないんですか?」
「先程も言ったでしょう。ここは、異端の町、なのです。この世界に、嫌われた、ね?」
「…………」
 カノウはその言葉に悲しげに眉をひそめた。
 今度はアインスが尋ねる。
「それは、プラント自体が、あなた方への支給を、拒んだと……そういうことですか?」
「……ええ、そう、なりますかね」
「そんなことがあるはずはない」
 アインスはそれだけ呟いた。
 その呟きは、ミカナギの耳にだけ届く。
 ミカナギはアインスのほうをそっと見やり、すぐに畑へと視線を動かす。
 これが『世界』ね。……そんな言葉が、心を掠めた。
 記憶がなくても、ミカナギは分かっている。
 元々あった自分の価値観や常識レベルの知識は失われていない部分も多かったから。
 ニールセンはまっさらだからこそ、受け入れられる部分も多かろうと言ったが、そんなんじゃない。
 ミカナギの中には、自分が自分で得たと実感の湧かない知識が、これでもかというほどに蓄えられていて、……理屈で理解できないのに、当然のように自分が受け入れてしまう多くのものがある。
 その中の1つが……この世の中は不条理だという、言葉。
 だから、仕方ないという言葉を、ミカナギは知っている。
 それがないと、心を守れないからだ。
 けれど、その言葉を口にすることにも、嫌気が差すことだってある。
「……20年ほど前に、一度だけ、支給開始の話が上がったことがありました」
「え?」
「けれど、結局、駄目だったんですよ」
 なぜか、トールは天羽を見つめてそう言い、神父服を翻して、今度は教会へと歩いていく。
 天羽はトールの視線に戸惑ったように、首を傾げる。
「あの人、ロリコンかもな」
 ミカナギがケタケタと笑って、そんなことを言い、天羽の頭をそっと撫でて、先頭を切って歩いていった。
「もう、どういう意味ぃ? あたし、子供じゃないし!」
 天羽がむくれたようにそんなことを言って、ミカナギを追いかける。
 カノウはまだ畑を見つめていて、アインスも、何かを逡巡するように呟いた。
「プラントは……全ての民に平等で、研究で生み出されたものは徐々にであっても、世界に還元されるように。……そのための機関です」
「……本当の平等なんて、どこにもないよ、アインス」
 カノウは静かにアインスに返す。
「……ミズキ様が目指すのは……あなたが今ないと言った、平等な世界です」
 アインスは、抑揚のない声なのに、なぜか、悔しさのこもった響きを発して、カノウよりも先に、教会へと歩き出した。
 カノウは、砂時計を見上げた。
 不思議に思うのだ。
 時間を表す砂時計は、全ての砂が落ちた時、再び引っ繰り返せば、また時を刻む。
 過去になった砂が、未来になる。
 過去が……未来を作る。
 思い出が……傷や夢を作る。
 なんとなく、それに気がついて、涙が浮かんだ。
 ……ああ、砂時計の例えが、これほどまでに錆び付かずに残っているのは、真を捉えた理屈だからなんだ。
 そんなことを呟く。
 ならば、自分の過去だって、未来になるのだろう。
 孤児だった自分の過去でも、現在を作れているのだから。
 そんなことを心の中で呟いて、カノウは教会に入っていく皆の背中を追った。






「ニールセンは、どこまで話しましたか?」
 教会に入って、並んでいる長椅子に腰掛け、ひと心地つくと、トールがそう尋ねてきた。
 ミカナギはポリポリと頬を掻き、うぅん……と唸ってから答えた。
「核を落とした教団の人間達で、世界から否定された存在だと」
「はは……相変わらず、端的に言うなぁ、ニールセンは」
「ニールセンさんとは、どういう?」
「ん? 昔馴染です。昔、ニールセンも、ここに住んでいたことがあったんですよ。教えには興味がなかったようだけど、私たちの存在に興味があったようでね」
 トールはそう言うと、ふぅぅ……と息を吐いて、天井を見上げる。
「当時の史料が欲しいと言われたのですが、私たちはただ運よく残ってしまった迷える子羊の子孫ってだけでして。ニールセンの学問に役立つものは、これ1つとして持ってはいないんですよ。自分たちの教えの正しさを訴えるためのものすら持っていないなんて、笑えるでしょう?」
「……じゃ、なぜ、50年前に、あのような悲劇が起こったのかも、わからないんですね?」
「そうです。どんな団体にも、過激派というものは存在しているのでしょうが、……どうにも、些か事が大きすぎます。このような状態になるのも、一応、分かる気もします」
「因果応報」
「ええ、砂時計を象徴に置く、我らだからこそ、納得もしています。けれど……それでも、流れ去る時が、全ての過去を洗い流してくれる時を、私は待っているのかもしれません」
 トールは胸の前で祈るように指を組んだ。
 その姿は、本当に救いを求める人間、そのものに見えた。
 その時、突然前の長椅子から少年の声がした。
「へん。何が因果応報だ。覚えもないこと、身に積まされて、やってらんないったらないね」
 生意気そうな声。
 すぐにひょっこりと顔を出す。
 色素の薄い青い髪に、不機嫌そうな眼差し。
 ふわぁぁぁと欠伸をして、スタンと立ち上がる。
 背はそれほどではないが、体つきはしっかりとしている。
 年のころは、15、6。
 先程石を投げてきた、あの少年だ。
 名は確か……。
「スルケル……」
「過去を背負うのが人間の役割なんて、俺は認めないよ。人間ってのは自由でいいはずさ。短い一生しかないのに、そんな過去を背負わされたって、寿命が延びるわけでもない」
「また、あなたはこの神聖な場所で寝て……」
「この空間が一番居心地が良くて、よく眠れるんだから仕方ないだろ」
 当然のようにそう言うと、つかつかとスルケルはこちらへ歩いてきた。
 順繰りに、ミカナギ・アインス・天羽・カノウ……と目で追っていく。
「さっさと出てけよ」
「こら、スルケル!」
「居たって邪魔だよ。少ない食糧、潰されるだけだ」
 スルケルはミカナギを見て、にぃっと笑う。
「どうだった? 俺のコントロール?」
 ……やっぱり、狙っていた。
 この少年の投げる石だけは、的確に、的を定めているのが感じられる球筋をしていたから、ミカナギには分かっていた。
 だとすれば、尚のことだ。
「コントロールはなかなかだが、威力は全然だな。この通り、オレはピンピンしてる」
 先程の消毒の時の騒ぎようなど棚に上げて、ミカナギは挑発するようにスルケルに言って、体を動かした。
 スルケルが面白くなさそうに眉をひそめる。
「加減してやったんだよ」
「ああ、そう」
 ミカナギは別段興味がないような顔で、それだけ返す。
 舌打ちをするスルケル。
「……だから、外の人間は嫌いなんだ」
「ミカナギ、大人気ないよ……」
 カノウがミカナギを諌めると、ミカナギはミカナギでおかしそうに笑った。
「売られた喧嘩は買うのが上等なんだよ」
 それがオレの流儀だ……と呟いて、スルケルを睨みつける。
 ミカナギの中の、先程の憤りが戻ってくる。
 天羽を狙った。この少年ははじめから天羽を狙った。
 この子を傷つけることは許されない。…………を傷つけることは、許されない。
 許されない許されない許されない。
 全く視線を弱めないミカナギが怖くなったのか、スルケルがすっと視線を逸らした。
「けっ、やってらんねー。もう飯時だし、俺帰るわ。トールさんも、早く帰れば?」
「ええ、そうします。それではね、スルケル」
「あい」
 ヒラヒラと後ろ手を振って、スルケルは教会を出て行く。
 扉から覗いた外の景色は、確かに、教会に入る前のオレンジ色から、うっすらとした群青色に変わっていた。
 トールが深々と頭を垂れる。
「失礼な物言いを」
「いや、いいよ、別に。ガキって感じでいんじゃないの?」
 ミカナギは先程浮かんだ憤りなどすぐに押し隠して、ヘラリと笑う。
 トールはそれを聞いて安心したように笑った。
「……優しい子なんですよ。町思いで……子供たちの面倒もいつも見てくれます。気風もよくてね……。若干、あのように血気盛んなのが心配な面ではあるのですけど」
「スルケル君かぁ……お友達になれるかなぁ?」
 天羽がいきなりそんなことを言ったので、ミカナギは驚いて、天羽の額に手を当てる。
「な、なに?」
「熱でもあるのかと……」
「むぅ。普通にお友達欲しいだけだもん、あたしはぁ。どうせ、旅するなら、お友達100人計画ぅ♪ カンちゃんに、ニルどんにぃ、トールさん☆ むむ、まだまだ」
「お友達……」
 指折りながら、拳を握り締める天羽を見て、どうでもいいところで傷ついているカノウ。
 その様子がおかしくて、ミカナギはふっと笑みをこぼした。
 アインスが付け加える。
「天羽、ミズキ様もコルトさんもハウデルも、一応、友達に入るのではないですか?」
「え? あー、プラントも入れるんだぁ……。だったら……うぅん、うぅん……ミズキは恐れ多くて、お友達なんて言えないや☆」
 天羽はきゃろんと笑い、コルト、ハウデル、アインス……と指を折る。
「おれも?」
「ん? 当たり前〜」
 天羽はVサインをして、にゃっぱりと笑った。
 アインスがそっと目を細めて、天羽を見つめる。
 気のせいか、少しばかり笑んでいるように、ミカナギには見えた。




*** 第四章 第十節 第四章 第十二節 ***
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