第十二節 理解はできなくとも、記憶は動く。 ミカナギは小屋の外で、はぁぁと白い息を吐き出した。 昼は暑いし、夜は寒い。 嫌な環境だ。 ぐしっと、赤くなった鼻の頭を拭い、暗闇の中に、にわかに光を放って零れ落ちる砂を見つめた。 「あの砂たちは……自分の歴史を知ってるんだな……」 小屋の中では、カノウが持っていたカードゲームに興じている3人の声。 ニールセンは相変わらず本でも読んでいるようだ。 先程まで、ミカナギも参加していたのだが、あまりにもカードゲームが強すぎるから、と弾かれてしまったのだ。 別にイカサマを使っているわけではなく、今夜のミカナギには恐ろしいほどの強運がついていただけのこと。 「ま、いっか……。1人に、なりたかったしな……」 ミカナギは目を細めて、ぼそりと呟く。 自分の頭を、整理しなくてはいけない。 何かをきっかけとして、あふれ出してくるかもしれない、多くの記憶。 その記憶の波に押し流されるよりも早く、自分は少しでも多く、自分の知る限りの記憶を理解しておかなくてはいけない。 『え、ええ。あ、あと……あなたも、戻ってきて……』 『オレも、こいつについてけばいいの?』 『そう。……会い、たい……から、一度、こっちに……』 恥ずかしそうにそんなことを口にした、綺麗な声の女性。 気丈で、けれど、とても繊細な心を持ち、……ミカナギの心を、どこまでも苦しく締め付ける。 ミカナギの流れ込んでくる記憶の中で、一番の存在感を纏う存在。 「兎環……」 ドクン。 心臓が跳ねた。 ああ、この名に呼応するか。 自分の心臓は、彼女に激しく反応を示す。 早く、会ってみたい。 興味。 自分の心を、自分の記憶を……もしかしたら、一切合財、彼女は持っているかもしれないのだ。 帰ってくれば、全て大丈夫だと、彼女は言った。 なぜか、何よりも、それを信じられる自分がいる。 「帰るんだ」 ミカナギはぐっと拳を握って、唇を噛み締めた。 ミカナギが静かに、夢の端にいた彼女の存在に思いを馳せていると、ジャリジャリ……と、砂利を踏みしめて、誰かが歩いてくる音がした。 すぐに顔を上げて、警戒を強める。 気配が、おかしい。 明らかな……殺気。 ミカナギが身構えた瞬間、何か鋭利なものが闇の中から飛び出してきた。 それを間一髪でかわし、ミカナギは素早く立ち上がった。 小屋の柱にぶつかって、それは砕け散る。 「ハッハッハ! 朝までなんて、待てねー。オレは、夜のほうが得意なんだよ」 「誰だ? お前……」 ミカナギは眉間に皺を寄せて、窓から漏れてくる光に映し出された、銀髪の男・氷を睨みつける。 如何にも遊び人という風体の氷は、ピンクのタンクトップに派手な色の緩いベストを羽織り、ゴテゴテしたアクセサリーを首や腕にたくさん着けている。 指だけ出るタイプの手袋は上腕部まで覆うほど長く、ダメージジーンズは丁度いいくらいに履き潰されている印象があった。 何よりも……ミカナギと同じ……赤い、目。 「オレ? 答える筋合いなんてねーよ!」 氷はおかしそうに表情を歪めて、すぐにこちらへと飛び込んできた。 氷の手がキラリと輝く。 ミカナギは構わずに、殴りつけてきた氷の手を軽く払い、受け流し、鳩尾に蹴りをぶち込む。 静かに言った。 「負かす相手の名前は、先に聞いとく主義なんだよ」 切れ長の目を鋭くさせて、ミカナギは続けざまに、氷の首の後ろに肘を打ち下ろした。 ……けれど、肘が氷を捉えるよりも前に、ミカナギの腕がピキピキ……と凍りついた。 驚きを隠せずに、ミカナギは攻撃の手を止める。 それを見透かしたように、氷が素早く、拳を打ち上げてきた。 綺麗なアッパーカットが、ミカナギの顎に打ち込まれる。 額の傷がズキリと疼いて、視界がグラリと揺れた。 「獲物が粋がるな」 氷は腹を軽くさすって、すぐににぃ……と笑みを浮かべる。 ミカナギは衝撃で切れた口元を、すっと拭って、ペッと血を吐き出した。 「お前も、天羽狙いか?」 「天羽? ああ、なんかそんな話もあったな。オレは、お前にしか、興味ないけどな」 ミカナギは小屋の柱に腕をガンと叩きつけて、凍ってしまった腕から氷を無理やり取り除いた。 グルグル……と腕を回し、まだ外の異変に気がついてはいないであろう、小屋の中に意識を動かす。 アインスなどは反応がいいから、やや心配だが、気付いてくれるなと、祈るしかない。 一番安全なのは、こういう時、外のことに気がつかないことなのだ。 「天羽が、何だってんだ?」 「オレが知るか。オレはもう片っぽの天使にしか興味がない」 氷はピキピキ……と空気を凍らせながら、こちらへと近づいてくる。 ……おかしな力を使う。 長引いたら、こちらが不利だ。 「もう片っぽ?」 「綺麗な女だ。美人で聡明で、あれこそ、真の女だ。翼は、ちょっと邪魔だが、な」 氷は舌なめずりをして、両手で氷の塊を作り出す。 「永遠に氷漬けにして、オレのものにする」 ミカナギに向かってそれを投げつけてきて、ミカナギがそれをかわした瞬間、見透かしたようにミカナギのジャケットの襟を掴んだ。 「つぅかまえた」 にぃや……と、口元が激しく歪む。 ミカナギは舌打ちをして、すぐにその腕を掴み返したが、すでに遅く、バキリとミカナギの頬を、氷の右拳が捉えた。 ビリビリと頬が痺れる。 「おら! もう一丁」 ガツンと、ミカナギの額に拳がめり込む。 「ぐあぁぁぁぁ!」 傷口をえぐるように殴られて、ミカナギは堪えきれずに叫び声を上げる。 「なんだよ、こんなもんかよ? こんなんじゃ、潰し甲斐ねぇだろう。鳴いてる場合かよ」 氷がつまらなそうにそう言う。 ミカナギは無理やり氷の腕を握り、片手で投げ飛ばした。 不意を突かれた氷の体が、ふわりと宙を舞い、どしゃりと地面に落ちた。 「油断してんじゃねぇよ、クソが。オレに1発2発入れたぐらいで粋がんな」 ミカナギはそう吐き捨てると、額に触れて、涙目で叫び倒す。 「おぉぉ、痛ぇ。どうすんだよ、血が出たら……。そしたら、また強制的に治療なんだぞ? そんなの嫌だぞ。オレは絶対に嫌なんだかんな」 その時、誰かが窓をガチャリと開けた。 ミカナギはすぐにそちらを向く。 そこにはカノウがいた。 「ミカナギ? なんか、騒いでなかった?」 「バンソーコー剥がそうとしたら、皮膚まで少し剥けたの図だ。気にすんな」 「……そう。ならいいけど、ばい菌入るから、剥がしちゃダメだよ。それと、夜なんだから静かにしないと迷惑だよ」 「ああ、わかってら。すまんすまん」 ミカナギはニヘラッと笑ってそう答えると、すぐにふぅぅ……と息を吐き出した。 カノウはすぐに窓を閉めて、天羽とアインスに声を掛ける。 「外寒いよ! 天羽ちゃん、今晩は外出るのはやめよう。ホント、ミカナギってば、物好きだよねぇ。こんな晩に外なんて」 「だって、カンちゃんが追い出したんじゃないぃ? 今晩のお兄ちゃん強すぎるからってぇ」 「それは……」 「カノウ、次は何をやりますか? 神経衰弱以外ならなんでも」 「神経衰弱はアインス最強だもんねぇ」 楽しげな声がまたもや続く。 ……気付かれるよりはいいはずだ。 アインスが出てくると、ことが小さくは済まないかもしれないし、天羽が外に出てきても危険なだけだ。 「ちぇ……お気に入りのシャツが汚れた」 いじけたようにそう言って、氷はこちらへと歩いてくる。 「お前さんさ」 「あ?」 「どうしたら、帰ってくれる?」 「…………」 ミカナギの言葉に不思議そうに氷は首を傾げた。 けれど、迷う必要も無いようにすぐに答えてくる。 「お前が死んだら」 「マジか」 ミカナギは氷の言葉に頭を抱えた。 肝が据わっているのか、アホなのか。 死という言葉が出ても、そんなギャグな反応が出来るとは。 「トワとなんか関係あるんだろ? 消さなくっちゃ、オレのものにする時、お前、障害になる」 ドクン。 心臓が跳ねた。 心の中の自分が言う。 自分ではない自分が、言う。 兎環は、オレの女だ……と。 「兎環?」 「ああ。オレが唯一、何にもしてないのに忘れられない女だ。どんなにかいい女に育ったかね」 「あーー」 「 ? 」 「オッケ」 「あ?」 「今すぐ消そう。お前を消そう」 いくらか、自分の右目の辺りに蠢くような感触。 素早く、腰に挿してあったビームサーベルを抜いた。 天羽を傷つけるものは許さない。 それは、正体の知れぬ憤り。 トワを氷漬けにするだなんだという話。 お前、何様だ? ミカナギの心が言う。 自分の使命は……、歌姫を護ること。 またもや、当然のように受け止める自分。 その感情の正体を、さすがにミカナギは知っていた。 これは……執着、だ。 一瞬で氷との距離を詰める。 氷は驚いたようにミカナギを見据える。 言葉を発する隙も与えずに、ミカナギは薙ぎ払う。 「かは……」 その場に、氷が膝をつく。 ミカナギは躊躇うことなく、第二撃目を放つ。 いつもの優しさなどない。 完全にリミッターの外れた状態。 けれど、ミカナギの表情に、感情は存在していなかった。 その行動の原動力は怒りや悲しみではない。 まるで、埋め込まれた本能のようだった。 氷の頭にサーベルが刺さる寸前、見えない何かが、ミカナギの手を激しく叩いた。 予期せぬ衝撃に、サーベルが吹っ飛ぶ。 ミカナギは拾うのも面倒で、何度も何度も、倒れている氷に蹴りを入れる。 「排除」 その声は、ゾクッとするほど恐ろしく、普段のミカナギを知っている者が聞いたら、きっと吐き気さえ覚えたと思う。 けれど、ミカナギが思い切り、氷の体を踏みつけようとした瞬間、氷の体が光を放って消えた。 ミカナギは失われた標的を探すように、機械的な動きで周囲を見回す。 けれど、どこにもいないことが分かって、ちっと舌打ちをし、地面に転がったサーベルを拾い上げた。 次の瞬間、右目がゴトリと音を立てた。 激しい激痛。 ミカナギは、そのまま、意識を失った。 「ひょ、氷ちゃん……だいじょうぶ?」 木の上で伊織は心配そうに氷を見上げる。 氷の体がふわふわと浮いている。 ……これが、伊織の力。 見た目と違い、とても強い念動力の使い手だ。 「けっ、ガキに助けられるたぁ……」 「い、1回戻ろうか? その怪我じゃ……」 「ちっ。ハズキのガキに……大目玉食らうな」 「そ、そんな」 「お前が、な」 「え、えぇぇぇぇ?!」 伊織は唇を尖らせて泣きそうな顔になった。 「まだ、ネコ耳の子に、接触もしてない……確かに、パパに怒られるかも……」 拳を握り締めて、不安そうに伊織は考え込む。 「帰っていいか、聞けよ」 「で、でも、何もしてないよ。氷ちゃんが余計なことしただけ……あ」 大慌てで口を塞いだが、出た言葉が戻るはずもなく、氷が不機嫌そうに眉を吊り上げる。 「ご、ごめんなさい。ごめん、ごめんなさい」 「……どうせ、余計なことしかしねーのは、ハズキだって分かってたはずなんだがな」 「え?」 「オレが言うこと聞かないのは、あいつだって分かってたはずなんだよ。何考えてんだか、アイツ」 「…………」 伊織はもじもじと手を動かして、少し悩んでいたが、ジャケットのポケットに入れていた小型トランシーバーを取り出した。 ピッとボタンを押すと、白猫を抱いたハズキの姿が映し出された。 「やぁ。そろそろ連絡が来る頃かと思っていたよ、伊織」 「パパ、あのね! ひょ、氷ちゃんが怪我したの。か、帰っても、いい?」 「ひどいのかい?」 「う、うん……瀕死」 「瀕死とか言うな、クソガキ!!」 伊織は氷の檄にビクリと体を震わす。 ホログラフのハズキはおかしそうに笑う。 「はは、瀕死ではないね、その様子じゃ」 「で、でも、ひどい怪我なのは確かなの」 「そっか……。じゃ、帰っておいで」 「え? いいの?」 「ああ、いいよ。だって、伊織1人じゃ、心配だもの。テラもね、お前を探しているんだよ。帰っておいで」 「あ、う、うん♪つ、次は頑張るから!」 「ああ、いい子だね、伊織」 優しく微笑むハズキのホログラフを見つめて、伊織は頬をポポポッと上気させた。 その様子を見て、氷はハァ……とため息を吐く。 余りにも、タゴルと氷の2人とは、真逆の関係だからかもしれない。 氷はタゴルを嫌っているし。タゴルも、氷にあまり興味を示さない。 それに引き換え、どうだ。 この吐き気がするほどの、家族”ごっこ”の2人は。 そんな意味のため息。 けれど、伊織はそんなこととは気がつかずに、ニコニコ……と笑みを浮かべた。 |
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