第十三節  心が似ている。


 トワはベッドの上に、膝を抱えて座っている。
 ただ、待つだけの日々。
 けれど、待ち人が、今度こそ、帰ってくるのが分かっている……日々。
 それを考えると、どれだけ恵まれているだろう。
 トワはそっと両手を合わせて、ぽぉっと、青色の光を放つホログラフの集合体を取り出した。
 簡単に取り出せたことに、トワは驚きを隠せない。
 ミカナギと連絡が取れなくなった8年前から、自分はこの力を使えなかった。
 それは何よりも、精神的に安定していなかった証だ。
 このホログラフボールは、プラント内のシステム全てを操ることの出来る、トワの最強の力。
 これさえあれば、もうテンキーなんて必要ない。
 黒いホログラフに、澄んだ青い光で文字が流れている。
 トワはそれを眺めて、静かに呟いた。
「システム、異常なし……」
 ふわりと宙にそれを浮かべて、トワはコテンとベッドに体を倒した。
 安定した。
 自分の心も、力も。
 ……でも、それでも、戻らぬものもある。
 翼。
 自分の翼は、もう二度と、空を切ることはないだろう。
 その原因も、分かっている。
 誰にも言わずにいたけれど、本当は……トワはその原因を分かっていた。
「私の想いは……穢れ……扱い?」
 トワはクスリと笑って、そっとミカナギのホログラフを呼び寄せる。
 目を細めて、頬を少しばかり赤らめる。
 翼が言うことを聞かなくなったのは、彼を意識し始めてからだ。
 簡単だ。
 自分だけは、それがわかる。
 けれど、そんなこと、知られる必要などない。
 もう、飛べないことを、誰かに知られる必要もない。
 飛べない翼だろうとなんだろうと、『約束』を果たすくらいの機能はある。
 その機能だけは、失われない。
 トワからしてみれば、そちらの機能こそ、無くなってほしかったけれど。
 ゴトリ。
 突然、そんな音が耳元でした。
「え?」
 トワは驚いて体を起こす。
 周囲を見回したが、別段、室内の何かが落ちたわけでも、動いたわけでもないようだ。
「…………」
 トワは静かに口元に手を当て、考え、そして、思い至ったように呟く。
「ミカナギ……?」
 その言葉の後、翼の埋まっている背中がズキリと疼いた。
 トワは唇を噛み締めて、痛みだけ堪える。
 ああ、ミカナギが、何か無茶をしたのだ……。
 けれど、すぐに止んだ痛みに、トワは胸を撫で下ろして、笑みを浮かべる。
「……全く、対なんだから、あまり無茶しないで頂戴……」
 その声は、誰もいない部屋に色っぽく響いた。



「う……ん……」
 ミカナギはぼんやりしながら、目だけ開けた。
 見えたのは、木目の読める小屋の天井。
 頭を抑えて、ゆっくりと体を起こした。
 微妙なだるさ。
 まるで、酒を飲んだ次の日のように、思考が鈍い。
「あれ? オレ、いつの間に、ベッドに……」
 膝元の白いシーツを見つめて呟き、けれど、気だるさもあって、すぐにどうでもいいようにため息を吐いた。
「ま、いいや」
 何の気なしに額のバンソーコーを剥がし、当然のように傷口の消えた額に触れる。
 相変わらず、治りが速い。
 だから、治療など要らないのだ。
 不自然だろう。
 負ったはずの怪我が、次の日には無くなっているなんて。
 自分にとってはどうでもよくても、他の人間が見たら、気持ち悪いと、そう思うに決まっているのだ。
 枕元にあったバンダナをきゅっと巻き、その上にゴーグルを着ける。
 ミカナギ自体は、もう出発する気満々。
 早く、答えを知りたいのだ。
 自分のパーツを知りたい。自分のルーツを知りたい。
 どんどん溢れ出して来る記憶は、決して答えじゃない。
 まるで、数学で与えられる数式と、使うための値をいくつもいくつも追加されていっている、そんな気分だ。
 だから、問題を解くのに、手一杯で、結局、自分は何をしているんだろう。と、ふと我に返る、あの瞬間に似ていた。
 ミカナギが知りたいのは、過程なんかじゃない。
 確固たる答えだ。
 中途半端に溢れる記憶が、ミカナギに焦りを生み出してしまった。
 けれど、……なんとなく、カノウたちが、この町に激しく興味を抱いていることもわかっている。
「おはようございます、ミカナギ」
 しばらく、様子を見ていたのか、アインスがベッドの上に座ったまま、そう声を掛けてきた。
 ミカナギはそこで我に返る。
 見られていた。けれど、アインスはなんでもないようにこちらを見、特に何か質問を投げかけてこようとするわけでもなかった。
「おぅ、はよ、アインス」
「はい」
「昨日、オレ、いつ寝た?」
「は? ……おれたちがババ抜きをしている時に、突然フラフラと戻ってきて、そのまま、ベッドにバタリと」
「そう」
「さすがに風邪をひくかと、寝る前にカノウが布団を掛けてあげていましたけど」
 追い出したのもカノウだということを思い出して、そのアインスの言葉は、なんとも、得てして妙、だった。
 ミカナギはふっと笑い、ベッドから立ち上がる。
 ギシギシと体が軋む。
 ミカナギは躊躇して、動きを止めた。
 思い出してきた。
 昨日、不思議な力を持った銀の髪の青年に襲われたのだ。
 ミカナギは自分1人でそれを撃退しようとして……、しようとして……?
 ……思い出せない。
 ある瞬間から、自分の記憶がすっぽりなかった。
 けれど、自分が無事で、皆も無事ということは、上手く追い返せたのだろう。
 ミカナギはグーーーッと伸びをして、体の軋みを一気に吹き飛ばす。
「朝食にしますか?」
「ん?」
「トールが先程、いつでもいいから食べにきてくださいと言いにきました。カノウはいつものことで起きませんし、ニールセン・ドン・ガルシオーネ二世も遅くまで本を読んでいましたから。天羽でも起こして行ってきたらどうですか?」
「そう……だな。オレ、いつもより起きるの遅かったか?」
「いえ、早いくらいですが?」
「トール、起きるの早いんだな……」
「ええ、朝の祈りがあるんだそうです。この町の人間はほとんど、太陽と共に起きるそうですよ」
「そっか」
「はい」
「アインス、結構楽しんでるだろ?」
「楽しいという感情はよくわかりませんが、自分から学習する姿勢を持とうとしているのは確かですね」
 アインスは抑揚のない声で、けれど、微かに目を細めて、そう言った。
 窓から差し込む光に、彼の不自然なほどに白い肌が透ける。
 やっぱり、笑っているように見えるのだが、彼自身は自覚がないようだ。
 ミカナギはそっと天羽のベッドに寄り、静かに覗き込む。
 布団を思い切り被って、まるでネコのように丸まって寝ている。
 ……相当、昨晩の寒さが堪えたのだろう。
 ミカナギは天羽の背中を軽く叩く。
「お嬢ちゃん」
 小声で声を掛け、何度も揺さぶると、天羽はすぐにパチッと目を覚まして、起き上がった。
 ゴチンとミカナギの顎に、天羽の頭が当たり、ミカナギも天羽も、2人とも身悶えしてうずくまる。
「石頭……」
 ミカナギはすぐにそう言ってやった。
 天羽が泣きそうな顔で、頭をさすり、ふるふると記憶を呼び戻すように頭を振る。
「おはよ♪」
 状況が分かったのか、少しだけ小声の天羽。
「ああ、おはよう。朝飯行くぞ」
「え?」
「トールが食わせてくれるって」
「本当にご馳走してもらえるんだ。あたし、昨夜だけだと思ってた」
 因みに昨夜出たご飯は、天羽とカノウが野菜を片付け、ミカナギとニールセンが肉を片付けた。
 量はそれほど多くはなかったが、アインスが物を食べないということで、十分に腹は膨れた。
 天羽はゆっくりと布団をどかして、スカートのプリーツを丁寧に直すと、ぴょんとベッドから飛び降り、ブーツを慣れた様子で履く。
 枕元に置いてあった髪飾りと、セーラー服もどきのスカーフを身に着ける。
 ミカナギの腕にきゅっと抱きついて、出発進行〜♪と小声で、天羽は無邪気に言った。
 ミカナギはゆっくりと天羽の歩幅で、外へと出る。
 外には、今から畑仕事に向かう者や、狩りに行く者、洗濯板片手に水辺へと向かう者など、様々な人で、早朝だというのに賑やかだった。
 それを横目で眺めながら、2人はトールの小屋へと向かう。
 その間、天羽はミカナギの腕から離れなかった。
 何か寂しげな空気を感じる。
 ミカナギは、昨日のバイクに乗っていた時の件もあったので、少しばかり気に掛ける。
「どうかしたか? 昨日からお前変だぞ?」
「なんかねぇ」
「ん?」
「神様の町にいるせいか、変なの」
「…………?」
「泣きたくなってくるなぁ……」
「天羽?」
「あはは。おかしいね? 記憶のなかったあたしが本当なのか、記憶のある、今のあたしが本当なのか、それすらわからなくなってきたの」
 きゅぅっとミカナギの腕を締め付ける腕に力を込めて、そんなことを言う。
「それは……今のお前が、本当なんじゃないのか?」
「そうかな?」
 ミカナギは天羽の言わんとしていることが分からずに、首を傾げるしかない。
「記憶があるってことは、今のあたしは、多くの記憶に作られたあたしかもしれないんだよ?」
 人間は記憶によって作り出される。
 そんなのは当然のことじゃないか。
 過去があるから、地盤があるから、今の自分を確かに感じられる……はずだ。
 ミカナギが焦りを覚えているのは、そう、考えているからなのだし。
 それなのに、天羽は、今の自分が本当かわからないと、言う。
「本当のあたしは、泣き虫で、1人じゃ何もできない。記憶のないあたしは、とても簡単に泣いた」
「…………」
「泣き虫じゃないあたしを作ったのは、神様」

 そこで、以前天羽が言っていた言葉を思い出した。
『あたしは、全力で笑って、全力で歌うの。それが、あたしの取り柄だから。……ミズキも言うの。そんなあたしが、みんなに元気を与えられるんだよって』
『お前……』
『あたしは、天使だから』
『…………』
『お姉ちゃんと同じで、……でも、ちょっと違うの。ミズキ、こうも言った。あたしが、お兄ちゃんが出てって、みんなの前ですごく大泣きしてたら、さ』
『ああ』
『……あたしは、みんなの天使なんだよ。だから、今日たくさん泣いたら、もうみんなの前では泣かないんだよ? って』
『天羽……』
『…………。あたしは、その通りだなぁって思ったよ。だってね、涙って、なんにも解決してくんないんだもん』

 ミカナギは、すっと目を細める。
 天羽の言う神様は……『ミズキ』だ。
 今頃気付くなと言われそうだが、それを感じ取って、なんだか悲しくなった。
 原因は……よく分からない。
「あはは〜。そんなこと言うのは無責任だね☆ これじゃ、あたし、自分が生きてきた13年間、全部自分じゃ生きてませんって言ってるみたい。そんなのは、最低だ」
「天羽……」
「言われた言葉を受け止めたのは自分。それを実践したのも、自分。だったら、今のあたしが、本当の自分だって思わなくちゃ、最低な生き物になっちゃう」
 人間ではなく、生き物という表現に、ミカナギは少しばかり引っ掛かりを感じたが、静かにそれを聞く。
「あなたのせいで、こんなになったなんて言ったら、……言われたら、神様が可哀想」
「人に影響を与えられるって悪いことばかりではないだろ?」
「……そうだね。あたし、カンちゃんが一緒に旅しようって言ってくれた時、嬉しかった。こうやって、包める人になれたらなって、思った」
「お前の考えようだよ、神様が可哀想になるか、それとも、笑顔になるかだって」
「…………そう、だね」
 天羽はミカナギの言葉に、すっと目を細めた。
 静かに俯き、それからトールの小屋に着くまで、何も話さなかった。
 彼女は、ミカナギといる時だけ、妙にシリアスになる。
 そのギャップに、少しばかり戸惑う自分がいることも、ミカナギは気がついていたけれど、天羽のその様子は、まるで自分のようだと、親近感が沸く部分も、あった。




*** 第四章 第十二節 第四章 第十五節・第十六節 ***
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