『神様は独りが怖かった。
 だから、人間を作った。
 けれど、人間はそんな神様を創造主と呼び、崇め、友達にはなってくれなかった。
 だから、神様は、愛しい愛しい、その子等と自分を結ぶため、天使を作った。
 天使は神様の痛みをわかり、それでも、人間の痛みも分かる……そんな存在だった。
 きっと神様は、生みの苦しみは分かっても、生きる苦しみまではわからなかったのだろう。』



第十四節  知ってください、痛みを。…………いえ、やっぱり、知らないでください。


 ミズキの部屋と、ミカナギが連れ出してくれるプラント内、そして、トワが時々気まぐれに作り出すホログラフの草原だけが、幼い頃の天羽にとっての世界だった。
 すぐに汚くなるミズキの部屋は、いつも誰かしらが掃除をしていたのを覚えている。
 ちいちゃな天羽はそれを、ベッドにちょこんと座って、足をブラブラさせて見ているだけ。
 ハウデルは隅々まできちんとチェックをして、掃除機まで掛けて出て行くこともあったけれど、これがミカナギともなると、適当に書類・本・生活用品・ゴミと大雑把に分けて、それぞれの場所に戻すだけで、埃取りは自動掃除機能に任せていた。そして、トワが天羽の隣に座って、そんなミカナギに指示を出すのだ。
 面白いことに、トワがミズキの部屋を掃除しているところを見たことは一度もなかった気がする。
 いつも笑顔で天羽の頭を撫でて、うっすらと出来始めていた腕の傷に触れながら、ミカナギの掃除をしているとは思えないくらいのドタバタぶりをおかしそうに見つめているのだ。
 天羽はそんなトワを見つめていると、とても幸せな気分になった。
 ミカナギがいなくなったのは、10年前。
 天羽が、3歳の時だったと思う。
 ミカナギの背中を見送って、その後、ポタポタと涙が溢れた。
 ずっとその場で泣いていたら、慌てたようにミズキが駆けてきて、天羽を優しく抱き締めて、優しく頭を撫でて、天羽に言った。
 天羽はみんなのもので、いつでも笑顔でいなくちゃいけない。
 みんなの前で泣くなんてことは、これで最後にするんだよ、と。
 幼い天羽の心に、その言葉は容易に刻まれた。
 それは、ミズキ自身も、そのように生きているのだと思ったから。
 子供の天羽にとって、ミズキほど、自分の中で常に正しいのだと思わせてくれる存在はなかったのだ。
 なぜなら、ミズキは、天羽の父親同然なのだから。
 子供にとって、親の言うことは何よりも正しい。
 だから、彼を見習わなくてはと、天羽自身思ったのだろう。
 それから、天羽が泣くのは、トワかミズキといる時だけになった。
 天羽の心は、とても純粋で、とても素直に何もかも吸収してしまう。
 そんな綺麗な心を、トワはとても良いものだと誉めてくれるけれど、天羽は、傷つきやすい自分の心が、とても……とてもとても嫌いだった。
 嫌いなのは、ミズキのように強く立てていないと、思うことが多いからだ。
 自分はミズキのようにはなれなかった。
 どんなにどんなに頑張っても、自分の中で不自然さが消えない気がした。
 みんなの前では泣かない。
 それはミズキとの約束で、けれど、結局1人になれば耐えられなくて泣いてしまう。
 ミズキの胸で、トワの胸で、泣いてしまう。
 天羽の取り柄は、明るく元気で、綺麗な感情だからこそ、ストレートに気持ちを届けることができることだ。
 けれど、ミズキとの約束は、それを妨げてしまう。
 明るく元気で、その明るさが、みんなに元気を与えられるというのは、ミズキの言う通りだと思う。
 けれど、彼女の感情のストレートさを、トワは何よりも尊重していた。
 2つの取り柄が、約束によって、相殺されあう……。
 天羽は苦しくて、本当の自分は、結局弱いのだ。
 そうとしか、思えなくなり始めた。
 けれど、そんなことで心が痛いなんて、ミズキに言ったら、ミズキはどんな顔をするだろうと、いつも怖れていた。
 なぜなら、天羽は天使で、ミズキの心を誰よりも分かるために生み出された……はずの存在だったからだ。

 ミカナギとトワは、ミズキの父親に、2人一緒に造られたと聞いた。
 はじめは、なんとも思っていなかったけれど、……年を取り、天羽は気がつく。
 それはなんて、幸せなことだろう、と。
 トワの恋心を知った時。きっと、それが始まりだった。
 2人で1つ。だから、対と呼ばれる2人。
 そんな存在のいない天羽にとって、それはとても羨ましいことだった。
 神様(ミズキ)しか知らない痛みがあって、人(ミズキ配下の人間)しか知らない痛みがあるように、天使(天羽)しか知らない痛みも、確かにそこに存在していたからだ。
 ミズキの痛みを、天羽は分かろうとした。
 けれど、ミズキは……きっと、天羽の痛みに気がついてはくれなかった。
 なぜなら、彼は強い人だから。
 だから、欲しくなった。自分の対を。
 そう。だから、天羽はある日尋ねた。何の気なしに尋ねた。
 どうして、あたしは独りなの? と。
 その言葉に、ミズキが悲しそうに表情を歪ませたのを覚えている。
 独りだなんて、言うものではなかった。
 こんなに優しいパパがいて、あんなに綺麗なお姉ちゃんがいて、そんなことを言うものではなかったのだ。
 ……そして、ある時、天羽は真実を知った。
 自分にも、対が『いた』ことを。
 結局、その対は人の形を成さずに、肉の塊となって消えたのだ。
 天羽は、ミズキの部屋を掃除している時に、偶然見つけた自分が造られた時の研究結果と映像を見て、吐き気をもよおした……。
 『人』を造る、ということ。
 それがどんなにか恐ろしく、気持ちの悪いものであるのかを。
 天羽だけが形を成し、隣のポッドにあったもう1人の赤ん坊は、はじめこそ、形を保っていたものの、しばらくすると、ぼろぼろと肌が崩れ、肉がえぐれ、細い骨と、未発達な臓器が見えてきて、息絶えた。
 天羽が肉を食すことが出来なくなったのは、見るのさえ嫌になったのは……それが、きっかけだった……。
 それから二度と、天羽はミズキにそんな言葉を言うことはなくなった。
 もう、あんな気持ち悪いことにミズキが関わるくらいなら、対なんて要らないと思った。
 天羽はミズキのために造られた。
 ならば、ミズキの存在もまた、天羽のためになくてはならない。
 けれど、彼はそんな狭い世界の人間でなく、もっと広い世界で生きなくてはならなかった。
 だから、彼の心にたくさんの真実の愛があったとしても、天羽はなかなかそれを真実とは感じられない。
 だからと言って、そんなものを積極的に求めるのも間違いだと思う。
 生きるのは……自分だ。
 例え、造られた存在でも、生きるのは自分なのだ。
 自分の命、自分の人生、それ全てを押し付けたくなどない。
 ミズキは天羽のことをみんなのものだと言ったけれど、本当にみんなのものなのは、ミズキだからだ。
 だから、自分だけにのみ心血を注ぐなど、大変だ。
 負担にまでは、なりたくない……。
 そんな中、いつのまにか、天羽の心の中にいた想い。
 それを恋心と呼ぶのかは、自分でもわからない。
 もし、そうなのだとしたら、それは決してしてはいけない恋。
 創造主に、思いを寄せるは、罪。
 まして、自分は……人の形と遺伝子を持ちながら、……人ではないのだから。



第十五節  キレた子供。


「ふにゅ……ん……」
 カノウは額に手を当てて、ゆっくりと目を開けた。
 失敗した。
 窓際にしたものだから、日の光が強い。
 暑さで目が覚めてしまった。
 額の汗を拭い、ガバリと体を起こす。
 汗がひどい。
 ……着替えないと……。
「おはようございます」
「え、あ、ああ、おはよ」
 カノウは寝ぼけまなこでアインスにそう返し、ぼーっと周囲を見回す。
 ミカナギと天羽のベッドが空で、ニールセンだけがすやすや眠っている。
「2人は?」
「先にご飯を食べに行きましたよ。……カノウはどうしますか?」
「あ、じゃ、着替えたら、ボクも」
「そうですか。それと、滞在についてはどうしましょうか?」
「え?」
「ミカナギは早く先に行きたいのではないかと。最近の彼には、目の前のものに対しての集中力が恐ろしいほどに欠如しているように思いますので」
「…………。そう?」
「はい。ミカナギは口ではテキトーなことを言っていても、心の中ではとても深く考えているように思います。なので、気に掛かって」
「そっか。まぁ、ボクはどちらでも、いいけどね……」
「おれも、まだ気になることは山ほどあるのですが、……結局、この町に対しての待遇については、プラントに戻らなくては確認の術もありませんので」
「もし真実だったら?」
「ミズキ様に進言します。あの方は、辞退はなさいましたが、副所長候補に推薦されたこともあるので、影響力だけなら、ありますから」
「……そう」
 カノウはリュックから新しいTシャツを出して着替えると、ベッドサイドに置いておいた、きちんと畳まれたパーカーを手に取った。
 素早く袖を通すと、一応腰にナイフを差して、靴を履いて立ち上がった。
「アインスは行かないの?」
「念のため、荷物を見ています」
「了解」
 カノウはアインスに笑顔を返して、スタスタと小屋を出る。
 アインスが仲間になってから色々と楽な面が増えた。
 野宿の時でも、夜の見張りは彼がずっとしてくれているし、こういう時も各々がバラバラに動きやすい。
 そういった点では、感謝している。
 カノウはすっと目を細めて、町を見回した。
 この町を彩る宗教の、過去の教え子が、今の世界の環境を作り出した。
 彼等が悪くないのがわかっていても、そう思ってしまう。
 皮肉な話だ。
 自分はエンジニアで、今の世界では違法者で、けれど、もしも、そんなテロが起きなかったら、違法などという言葉を背負うこともなかった。
 サーテルの街のおじいさんの親友だって、死ぬことなく、夢を叶えていたかも知れない。
 おじいさんだって、あんな死に方をしなくて済んだかもしれない。
 けれど、それは全て可能性の話で、今のこの状況を見た結果論に過ぎない。
 責めるのは間違いだ。
 責めるよりも、変えていかなくてはいけない。
 山ほど、反省要素は見えたはずだ。
 ならば、変えるべきだ。
 問題を排他して考えるのではなく、自由の下に、志を継ぐべきだ。
 そうでなくては、人間はいつまで経っても、変わりはしない。
 起きたことはなかったことになど出来ないのだから。
 ならば、解決するために考えていくしかないじゃないか。
 直感で動くくせに、結局理屈っぽくなってしまうのはカノウの性分かもしれない。
 最初は、自由に機械いじりができる環境が欲しかっただけだった。
 けれど、旅をしていく内に、知識や技術は世界に必要だと、そう悟った。
 そして、……今は、世界的な問題にまで考えを広げてしまっている自分。
 理屈は、後からついてくるのだ。
 動いてみなくては、その先に何があるのかも、見えない。
 自分がこの性分でよかったと、今更思う。
 けれど、こんな短期間で、まさか、世界的な問題にまで、自分が考えを広げることになるとは思わなかった。
 10年近く、1つところに留まらずに旅をしてきたというのに、見え始めたのはついぞ最近のことだ。
 自分1人では、知るはずのなかったことが、今、目の前にはたくさんある。
「ボクに、何が出来る?」
 カノウはそっと呟く。
 目の前には、サラサラと砂を落とす砂時計。
 落ちた砂は戻らない。
 それでも、時は進んでゆく。
 落ちた砂が、引っ繰り返って再び落ちる。
 昨日、感じたじゃないか。
 戻せなくても、作れるのだと。  自分の決意に、疑問を抱くな。
 今は、進むしかない。
 カノウは心の中でそう呟き、トールの小屋へと方向転換した。
 教会の隣にあるトールの小屋に入ろうとした時だ。
 突然、ドンガラガーンと皿やテーブルが引っ繰り返った音がした。
 カノウはビクリと体を震わし、恐る恐るドアノブに手を掛ける。
 その瞬間、天羽の甲高い声が響いた。
「何にもしないで祈っているだけのクセに、高望みばっかりしないでよ!!」
 と。




*** 第四章 第十三節 第四章 第十六節 ***
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