『あたしはあたしでしかない。
 あなたにも、君にもなれない。
 知らないでしょう?
 こんなにも焦がれる心を……。』



第十六節  泣きたくて泣きたくて。


 ミカナギが、不自然じゃない程度に、ひょいぱく、ひょいぱくと天羽の皿の肉を口へと運んでいく。
 何も言わずに、当然のように、だ。
 天羽はフォークを握り締めて、きゃろんと笑う。
「もーーー、がっつきすぎだよぉ」
「うるせ、オレは今日出る気でいるんだ。食えるだけ食うんだよ」
「あ、そっか」
「もう、行かれるのですか?」
 トールが2人の食事の様子を優しい目で見つめながら、少々悲しそうに首を傾げた。
 ミカナギはソースのついた指先を軽く嘗めて、トールに視線を移す。
「ああ。先を急ぐんでね。っと、一宿二飯の恩は返すよ。薪割りかなんか、やらしてくれ」
「い、いえ……そんなことは気にしなくていいんですよ。私達が勝手にお出ししたんですから」
「んなわけに行くかよ。オレの流儀に反すらぁ」
「お兄ちゃん、記憶喪失なのに、流儀とか主義とか言うよねぇ」
「悪いか? 胸がもやつくんだよ、ちゃんとしねーと」
「ううん。お兄ちゃんらしいよ」
 天羽はミカナギの言葉を聞いて、ニコニコと笑い、そう言うと、またのろのろとご飯を食べ始めた。
 ミカナギは完食した皿を洗い場まで持っていく。
 とりあえず、水に浸けるだけで戻ってきた。
 洗う時はまとめて。そんなに水に恵まれているわけではないのだから。
 トールが、モゴモゴと食べている天羽を見つめて、懐かしそうに目を細めた。
 そして、静かに尋ねてきた。
「あなたのお母さんは……サラ、さんとは言いませんか?」
 ミカナギがピクリと反応した。
 けれど、自身で意味が分かっていないのか、何も言わずに首だけ傾げて、目を細める。
 天羽は突然の問いに、まだ口の中にある野菜を必死に噛みながら、首を傾げた。
「んっく……ふぇ?」
「あ、飲み込んでからでいいですよ」
 トールは柔らかく笑うと、そっと視線を落とした。
 ミカナギが飲み込むまでの間を繋ぐ。
「誰?」
「20年程前に、一度だけあったと言ったでしょう? この町にも、支給開始の通達が下りそうになったことがあったと」
「ああ」
 天羽は咀嚼しながら、必死にその名前を検索した。
 知っていたからだ。
 …………。
 そう。
 ミズキの母親の名だ。
「それを取り成してくださったのが、プラントで暮らす……サラという女性でした」
 天羽はようやくゴクリと飲み込んで、トールの話に耳を傾ける。
「天羽さんのように活発ではありませんでしたが、とても可愛らしい雰囲気のある方で……。似ているんですよね、彼女に」
「だから、昨日から?」
「あ、失礼しました。もしかして、気味の悪い思いでもされましたか?」
「あ、ううん〜。ただ、なんだろう? と思ってただけ〜」
「ロリコンかと思ったよ」
「はは……いえ、単に初恋の思い出、なんですよ」
 トールは照れるように目を細めて、そんなことを言い、ふぅ……と息を吐く。
「子供の頃に、数度お見かけしただけなんですけど……。忘れられないんですよね。わざわざ足を運んでまで、我々のことを気に掛けてくださったのは、悲劇以来、あの方が初めてだったのではないかと思います」
「へぇ……」
「全く無関係なら、別に。すいません、変な話を」
「ううん。あたし、プラントから来たの。あ、ゲンミツに言うと、風に流されて、落ちたんだけど……」
 天羽は苦笑を漏らして、フォークを握り締める。
 すると、トールの顔色が少しばかり変わった。
 何やら、嬉しそうに表情がほころぶ。
「そ、それじゃ……? サラさんは、お元気ですか? 彼女は最後も、上手く行かなかったことを済まないと……、いい大人なのに、涙ながらに謝ってくださったんです」
「あ、え、えと……」
 天羽はトールの発する独特の勢いに圧されて、口ごもってしまった。
 そして、少しばかり考えてから答える。
「ご、ごめんなさい。あたし、そのサラさんって人とは、全く無関係なんだ。だから、わかんないや」
「そう……なんですか。それにしても、似ておられる……」
 天羽はご飯を食べる素振りをして、トールから視線を逸らす。
 言えるわけなんてない。
 もう、この世にはいませんなんて。言える訳ない。
 だって、彼は……とても嬉しそうに、『サラ』のことを語る。
「私達にとって、彼女は天使のようでした」
「え?」
「神が……ようやく、汚名を返上するために、我等迷える子羊に、救いをもたらしてくれようとしたのかと。そんな風に思いました」
「…………」
「こんなにも忠実に、神へ全てを捧げているのです。その報いが、ようやく、来るのかと、この町の、誰もが思いました」
 天羽は……食べる手を止めた。
 いや、動かせなかった。
 ミズキの背中が過ぎる。
 家族全員が映ったホログラフを見つめて、寂しそうに目を細めていた……まだ、少年の頃のミズキだ。
 天羽が声を掛けると、彼はすぐに笑った。
 寂しくないはずなんてなかった。
 彼は10歳にして、大切な両親を失ったのだ。しかも、目の前で、命が消えるのを目の当たりにした。
 それでも、彼はそんな素振りを、周囲にはあまり見せなかった。
 ただ、研究に没頭して、天羽をネコっ可愛がりして、普段も笑顔で、……本当に、出来た坊ちゃんを演じていた。

 ねぇ?
 もし、本当にあなたたちの言う神様が存在するとしたら。
 神様は、痛くないのかな?
 苦しくないのかな?
 そんなことないと思うな。
 痛くないなんて、絶対にない。

 天羽の心の中で、多くの言葉が過ぎっては消えてゆく。
 何かが、ざわざわと騒ぐ。
 天羽の『神様』と彼等の神様は別物なのに、それがどんどん混同してゆく。
 もう、ぐちゃぐちゃなのだ。
 天羽の心自体、ぐちゃぐちゃだった。
 気がつくのが遅すぎた……。
 心が、ひどく軋む。
「神は砂時計を動かす。だから、いつか……祈っていれば、いつか……」
 トールが、天羽を見つめる。
 プラントの人間。
 救いを求める彼にとっては、それだけで十分なのかもしれない。
 視線の意味が分かって、天羽の心に、ピシリとひびが入った。
 ……本当に、出来うる限りのこと全てをしてから、その言葉を言っているの?
 天羽はその言葉と一緒に、テーブルに手を掛けた。
 ミカナギが意図を察したようにすぐに止めようとしたが、天羽は躊躇いなくテーブルをひっくり返した。
 食器がガチャガチャと音を立てて、床に落ちる。
 トールが驚いたように、天羽を見据えた。
「何にもしないで祈っているだけのクセに、高望みばっかりしないでよ!!」
 自分でも驚くくらい甲高い声だった。
 こんな風に叫ぶことなんて、一生ないと思っていた。
 でも、軋む。軋んで軋んで……キィキィと、音を立てる。
「そうやってすがられて、神様だって、もしかしたら、大変かもしれないのに! 苦しいと思ってるかもしれないのに!!」
「天羽!」
 ミカナギがすぐに天羽を抱き締めて止めようとしたけど、天羽は少しばかり走って、それから逃げる。
「あなたたちがしているのは、自分の状況を嘆いているだけ! 嘆いて、そうして、悲しそうにしていれば、いつか誰かが助けてくれるって!! そんな調子のいいことあるはずない!! だって、そういう風に思う人なんて、もしかしたら腐るほどいるもの。その人たち全てに、神様が心を砕けると思うの? どんなに広い心があったって、絶対に限界はあるよ。何もしないで、それで救いを待つなんて、調子良すぎる! そんなの、神様も、他で一生懸命頑張って生きている人たちにも失礼だよ!! 何もしないで、祈って、それで救いが来るなんて、本気で思うなら、……そう思うのが、この町の教えなら!! 50年前の事件がなくったって、そのうち、衰退して、無くなってたに決まってる」
 窓際に寄って、天羽は叫ぶ。
 その時、ドアがカチャリと開いた。
 カノウが心配そうに天羽を見つめる。
 天使は、神様のために造られて、けれど、どんなに頑張っても神様になれない。  人間は、天使や神様を崇めて、それでも、天使の心に、何かを呼び込む。神様の心に、何かを呼び込む。
 天使は、どんなに焦がれても、どちらにもなれない。
 ミズキのように独りで立つ心も、カノウのように優しく包む心もない。
 どちらにもなれないなら……だったら、休むことくらい……泣くことくらい、許して……。
 誰かに、慰められることくらい、許してくれたって……いいでしょう?
 天羽はポロリと涙をこぼした。
 もう、何がなんだか分からない。
 自分でも何を言っているのか。
 こんなの、自分の心が弱すぎて壊れただけだ。
 トールが悪いわけではないではないか……。
「カン、ちゃん……」
 天羽は唇を噛み締めて、カノウの胸に顔を埋めた。
「どうしたの?」
 カノウが心配そうにそう言って、ぎこちない手で天羽の頭を撫でる。
 ミカナギがすぐにテーブルを元の位置に戻し、食器を洗い場に持っていく。
「すまん、洗うの、任せていい?」
 トールにそう言い、天羽の頭をポンポンと撫でてから、小屋のドアを開けた。
 カノウに押されるままに、天羽は足を進める。
 最後に残ったミカナギが、少しだけ真剣な声で言った。
「天羽の、しっちゃかめっちゃかな言葉気にしろとは言わないけど……、オレも、アンタの言い分は引っ掛かった。神の教えって、ギブアンドテイクなもんなのかな? オレは、そうじゃないと思うけど」
 と。
 天羽の頭の中がごちゃごちゃする。
 このまま倒れてしまいたかった。
 けれど、カノウが心配そうに、でも、厳しい声で言った。
「小屋までは自分の足で歩くんだよ。そしたら、みんな、君の話、ちゃんと聞くから」
 と。
「あーー、後味悪いなぁ」
 ミカナギが茶化すようにそう呟いた。




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