第十七節  Transgenics-Mensch


 カノウは、まだグシグシ泣いている天羽を、彼女のベッドまで連れて行って、ゆっくりと腰掛けさせた。
 サーテルの街で泣いているのを見つけた時のように、天羽の隣に腰掛ける。
 けれど、あの時とは違った。
 彼は、笑顔ではなかった。
 ミカナギが床に膝をついて、心配そうに天羽の顔を覗き込み、何度も何度も頭を撫でてくれる。
 その手が暖かくて、余計に涙が止まらなかった。
「悪かったな。気付かなくて」
 ……きっと、天羽の言い分も何も分かっていないのに、ミカナギはそう言った。
 天羽の異変を、一番近くで聞いていたのが彼自身だったこと。
 それが、その言葉の元になっているであろうことは、容易に想像できた。
 天羽はブンブンと首を横に振る。
「サイテー……もぉだめ……。あたし、サイテー……っく……っ……」
 何度も何度も、ゴシゴシと涙を拭い、顔を手で覆った。
 アインスがこちらへと歩いてきて、カノウのベッドに腰掛ける。
「どうしました?」
 すぐに状況の説明を仰いでくる。
 ニールセンは起きてから、再び本を読んでいた様子だったが、さすがに女の子の涙には弱いのか、本を読むのをやめて、こちらに視線を寄越していた。
「あーー、ちょっとな。お嬢ちゃんが癇癪起こして、トールん家のテーブルをドカンと引っ繰り返した。……まぁ、大したことねーよ。オレが後でもっかい謝りに行ってくらぁ」
「駄目だよ」
 カシカシと頭を掻いて当然のように言うミカナギに対して、カノウが静かにそう言った。
 天羽は零れてくる涙を拭いながら、カノウの声に耳を傾ける。
 こんなに冷たい声は、ミカナギと喧嘩した時ぐらいにしか聞いたことがなかった。
「謝りに行かなきゃいけないのは、天羽ちゃんだよ。そのくらい、わかるでしょ?」
 天羽はカノウの顔も見ずに、コクリと頷いた。
 感情だけがダダ滑りした。
 そんな状況だったのは、自分でも、よく分かっている。
 理屈に適っていない。
 あの人たちの気持ちになって、考えようともしなかった。
 だから、自分で自分を最低だと思った。
「……でも、オレは、宗教に身を捧げてますって話聞いてた時、どうにも腑に落ちない点も、感じたぜ? そっから見れば、天羽が言いたいことも、何割かは分かった気もすっけどな。神と人間の関係なんてのは、親と子の関係と同じようなもんだろ? 与えられたいから与えるんじゃなくってさ、与えたいから与えるんだよ。それで、おまけみたいにお返しが返ってきたら、運がよかったねみたいなよぉ。それをどちらもすることによって、最良の関係ができるっていうかさ。確かに、見た目はギブアンドテイクかもしんねーけど、中身は全然違うんじゃねぇの?」
 ミカナギの優しい声。
 とにかく、泣き止ませようと、してくれているのが分かった。
 けれど、感情が昂ぶって、なかなか落ち着いてくれない。
「……小屋の中で、どんな話していたかは、分からないけどさ。なんていうの? 食糧って、この町では、すごく貴重なものだよね?」
 カノウはミカナギの言葉を軽く流して、そう言った。
 その声の裏にあるもの。
 微かな、憤り。
 天羽も、その言葉でようやくそこまで思い至る。
 ああ、彼が責めているのは、自分の取った行動に対してだ……。
「そ、そう、だな」
「食べさせてもらったのに、引っ繰り返したんだ。後で、絶対に謝りに行くこと」
「……わかりました……」
 天羽はようやく声を返した。
 少しだけ、呼吸が落ち着いてきた。
 目が熱い。
 泣きすぎた……。
 天羽は俯いたまま、目の前にいるミカナギに少しだけ視線を上げた。
 まだ、ミカナギの手は天羽の頭に乗っかっている。
 彼は彼で、相当動揺しているのかもしれない。
 本来なら、そういった注意をするのは、彼の仕事だ……。
「それじゃ、本題に入ろうか」
 突然、カノウの声がふんわりとしたものに戻った。
 先程までの冷たい声など、見る影もない。
 GOサインが出たと判断したのか、アインスが、今度は詳細を問うてくる。
「癇癪、なんて、どうしたんですか? 天羽らしくもない」
「神様の救い云々の話になった時に、ちょっくらコイツの様子がおかしくなっちまってね」
「救い?」
「まぁ、簡単に言うと、祈りを捧げているのだから、救いは必ず訪れる……みたいなことをトールが言ったら、そんな理屈はおかしい。神様が可哀想だと、癇癪玉ドカーン」
 ミカナギが出来るだけ場の空気を和ませようと、身振り手振りを交えて話す。
 こういう時、……ミカナギのシリアス嫌いは、とっても役に立つ気がする。
「しかし、宗教というのは、基本、そういう仕組みなのでは? 祈れば救われる。信じれば救われる。そう、銘打つことはよくありますよね? 布教の際、分かりやすいですから」
「そう……なんだが、まぁ、お嬢ちゃんは気に食わなかった、と」
 『ミズキ』を神様と呼んで彼に話した話が関わっていると、ミカナギも分かっているだろうに、その部分にまでは触れなかった。
 自分の分かる範囲だけを、話してくれている。
 天羽はそっと目を細めて、静かに顔の辺りまで手を挙げた。
「ん?」
「……話せる。頑張る……」
「そっか? 言いたくないことは、言わなくていいんだからな?」
 声が上手く出てくれなかったけれど、ミカナギはそれを聞いて、お兄さんな笑顔で、ポンポンと天羽の頭を撫で、アインスの隣に腰掛けた。
「アイちゃん?」
 自分の声が恐ろしいほど沈んでいるのがわかる。
 普段小うるさいタイプなものだから、まるで、他人の声のようだった。
 アインスが静かにこちらを見つめてくる。
 天羽は、セーラーカーラーにそっと触れて、小首を傾げた。
「言っても、いい?」
 その問いに、アインスは長い時間逡巡していた。
 おそらく、彼なりの答えを探している。
 カノウが不思議そうに、天羽とアインスの視線のやり取りを見つめている。
「天羽が、言いたいと判断したのなら。ミズキ様は咎めはしないかと」
 アインスの静かな声。
 天羽は、決意を固めて、ふぅ……と息を吐き出した。
 なんとなく、ここから話さないと、自分がこれから言う言葉の意味は、伝わらない気がしたのだ。
「あたしは……天使です。……ミズキが、正式な呼び方を嫌って、あたしをそう称するようになっただけのことだけど」
 この単語は、何度か言った。
 それでも、おちゃらけた自分だから、その言葉を、誰も真に受けなどしなかったろう。
 だが、今回は違う。
 天羽は、真面目な顔で言った。
「人間とは、少し、違います」
 天羽の言葉を信じるよと、以前言ったカノウが、その言葉に、思い切り目を丸くした。
 天使というのは、親か誰かに、『お前は私たちの天使だよ』と、そう言われて育ったからそうなのだと思い、天羽がそう言ったのだとでも、まだ思っていたのかもしれない。
 カノウの目の中で揺れる感情が何なのか……。
 天羽はわからなくて、少しだけ、怖さを感じた。



第十八節  Transgenics-Mensch ぱぁとつー☆


 ミカナギはその言葉を静かに聞いていた。
 どうしてか、自分はそれを聞いて驚かなかった。
 天羽の天使の翼を知っているからか?
 それはよくわからないけれど、自分が記憶を理解せずとも容易く受け入れるそれと似ている。
 ということは、天羽の正体についても、どうやら、自分の記憶の中に存在するらしい。
 けれど、それとは違い、カノウは動揺を隠せないようだった。
 天羽が心配そうにカノウを見つめている。
「正式には……TG-M……Transgenics-Mensch(トランスジェニックス-メンシュ)。TG-M004です」
「遺伝子組み換え人間?」
 ニールセンが興味深そうにそう声を発した。
 アインスが天羽の代わりに頷く。
 カノウは困ったように、視線を落とした。
 目を合わせてはいられなかったのだと思う。
 天羽がそれを見て、悲しそうに目を細めた。
「あたしは……ある人の遺伝子を基礎にして造られた……。人間に近くて、でも、人間ではありません」
「何がどう違うのだ? 小生には、同じに見えるが」
「見た目はほとんど変わらない。でも、大きくなると、どんどんずれていくの」
「 ? 」
「周囲の人間達と、成長の度合いが極端に変わる。それと、遺伝子を好きにいじれるから、下手したら、本当になんでも完璧なTG-Mだって造れてしまう」
「……なるほどな……。その成長の度合いが云々……というのは、試してみた結果、そうであったということか? 他にもいるのか?」
「…………」
 天羽はそこで口を噤んで、ミカナギに視線を寄越し、すぐに俯いた。
「ニールセン・ドン・ガルシオーネ二世。今は、その話は」
「……わかった」
 アインスがニールセンを制し、再び、皆の視線が天羽に集まる。
「どこから話せばいいんだろ」
「ゆっくりで、大丈夫だよ」
 ミカナギは天羽を安心させようと、優しい声でそう言った。
 このカミングアウトは、彼女の、小さな勇気なのだと思う。
 ならば、きちんと聞いてあげたい。
「あたしは……ミズキに造られた。特に、何か特別な力があるわけじゃない。空が飛べて、声が武器になって、遺伝子が特殊なこと以外、ほとんど人間と同じと言っていいと思う」
「ああ」
「でも、やっぱり、人間とは違くて……。どんなに焦がれても、あたしの目の前には見えない壁がある。手を伸ばしても届かない。なろうと思ってもなれない」
「…………」
「あたしは、ミズキのために造られた。ミズキの良き理解者として、ミズキのための、天使として……」
 天羽はきゅっと袖を握り締める。
 癇癪を起こしてしまった理由まで、繋げられないかもしれないと思ったのだろう。
 天羽が困ったように黙り込んでしまった。
「でも、気付いてしまった?」
 ミカナギが、少し考えてから合いの手を打った。
 天羽の話を思い返しつつ、促す。
 主語も目的語もつけない。天羽が、補うべきだから。
 コクリと頷く天羽。
「気付いてしまった……。あたしが、ミズキをどんなに好きなのか……」
「この前の、会話のせい?」
 ようやく、カノウが口を開く。俯いているから、表情はわからなかった。
 天羽が少しだけ笑う。
「うん。あたし、思えば、真面目にそんなこと考えたことなくって……。この前考えてみたら、そうなのかなぁって」
「天羽……それは」
 アインスが何か言いかけて、けれど天羽はそれを遮った。
「うん、わかってる。あたしの遺伝子の基礎はミズキだから、そんなの、絶対に駄目……だよね」
 その言葉に、カノウもミカナギも目を上げた。
 アインスが何か言いたげにしているが、そんなものはこの状況では二の次になっている。
 ようやく繋がった。天羽が『ミズキ』を神様と称した理由が。
「泣きたくなった。創造主に恋をして、あたしはどれだけ馬鹿なんだろうって……」
 ほろりと、天羽の目から涙がこぼれる。
 そっと目を閉じ、涙の雫はつー……と頬を伝う。
「好きだから、なんだよね。こんなに、言われたこと、ゴショウ大事に守ろうとしたりしてたのも。本当は泣き虫なのに、ミズキの言葉のままに頑張ってたのも」
 カノウが顔を伏せるのがわかった。
 天羽が思わず、そちらを見た。
 ミカナギは静かにそれを見守るだけ。
「ミズキの期待に応えたかった。ミズキの辛さを分かってあげたかった。……でも、あたしは、それが上手くできない。できても、それだけで、役には立てない。ミズキの役に立てない。どうして、あたしに、もっと……アイちゃんたちみたいな力とか、くれなかったの? って、思ってた」
 アインスがやはり何か言いたげに動く。
 けれど、天羽が話し続けるため、何も言えないようだった。
「ただ、当然のように恵みをもらうだけの子供ではいたくなかった。パパに、何か返せるようになりたかった。……でも、あたしは、できない……。あの人たちみたいに、結局欲しがるだけ。これだけじゃないでしょう? あなたの愛は、もっと暖かいはず。もっとあるんじゃない? もっと……って。そんなことないのに。ただ、ミズキの中では、大勢の人間達の中の1人にしか過ぎないかもしれないのに。あたしは、欲しがっていた。あたしだけに注がれる愛を」
 天羽はようやく、そこで言葉を止める。
 ミカナギは昨日の天羽の言葉を思い出した。

『神様は、大変だと思いませんか?』
『は?』
『誰にでも平等で、でも、平等ってことは、結局、誰に対しても、真実の愛なんて注げないって、そういうことなんじゃないかなぁと、あたしは思うのです』

 天羽にはそう見えていた。
 そういうこと。
 けれど、当の本人はどうなんだろうか?
 ミカナギはそう思い、アインスを横目で見た。
 素晴らしき代弁者がここにいるではないか。
 アインスは、天羽がしたように、すっと顔の位置まで手を挙げてみせた。
「異論があります」
 彼は、静かにそう言った。




*** 第四章 第十六節 第四章 第十九節・第二十節 ***
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