第十九節  異論


「異論があります」
 そう言うと、アインスはゆっくりと立ち上がった。
 天羽の傍に寄り、ポフリと天羽の頭を撫でる。
「 ? 」
 天羽は首を傾げて、それを見上げる。
 アインスは静かに口を開く。
「異論1。ミズキ様は、天羽に自分の苦しみを理解して欲しいなんて思っていない」
「…………」
「異論2。あなたの”特別な力”はその朗らかだけれど、繊細な心です。その心が、皆を和ませます。それは、誰にも真似できない、天羽だけの力かと」
「…………」
「異論3。ミズキ様が大勢の前で泣くなと言った件については、おれもミズキ様から聞いたので補足しておきます。あれは、僕の胸で泣きなさいと言えなかった、あの方なりの照れかと思います」
「えっと……」
「異論4。あの方は、何をおいても天羽が一番大切です」
 丁寧に指を折り、スラスラと言葉を繋ぐアインス。
「これにて、異論終了です。天羽は履き違えていましたね。あなたはいるだけで、あの方の支えになっている。それをきちんと自覚したほうがいい」
 抑揚のない声が、なんとも端的に異論を述べて、すぐに元の場所に戻った。
 天羽は口をパクパク動かすだけ。
 目の前がぐるぐる回る。
 アインスの言わんとしていることが、微妙にわからなかった。
「アインス」
 ミカナギがすぐに尋ねる。
「今の、慰めた?」
「? はい、そのつもりでしたが」
「ああ、そう。ならいいや」
「どうかしましたか?」
「いや、異論1言った時に、何言い出すんだよ、コイツって思っただけ……」
「何か、不味かったですか?」
「あ、いや……聞きようによってはグッサーー来るかなと思って」
 ミカナギは苦笑を漏らしつつ、首を掻いて、にっと笑みを浮かべる。
「これで終わりでいいか? オレ、こういうの苦手なんだよな」
「すいません、もう1つ」
「ん? なんだよ、アインス」
 アインスは天羽をしっかりと見つめて、少しばかり目を細めて口を開きかけ、カノウの様子を見て、やめた。
「やっぱり、なんでもありません」
「あ? なんだよ」
 ミカナギはアインスの言おうとしたことが気になるように首を傾げ、まぁいいかと相変わらずの軽さでスルーした。
 天羽は頬の涙の跡を拭い、アインスの言った言葉を反芻する。
 それでは、自分は10年もひとり相撲していたって……そういうこと?
 天羽はその言葉が過ぎった瞬間、頭を抱えた。
 でも、ミカナギのようにまぁいいかと立ち直る。
 どうせ、気が付かないで通り過ぎるかもしれなかった恋だ。
 そんなに気に掛けることでもない気がした。
 それよりも、今は……。
 天羽はすっとカノウのほうに向き直る。
 怖かった。
 あなたの反応が一番怖かったんです。
 そう言いたい。
 でも、カノウはまだ考えているように、俯いたままだ。
 ミカナギはもう終了と決めて立ち上がる。
 確かに、癇癪を起こした理由は分かったのだから、ミカナギの気掛かりはないのだろう。
 でも、天羽にとっては、一番の気掛かりは、これ、だった。
 この件について、カノウだけが、人間らしい反応を示すと、思ったから。
 だから、怖いのだ。
 どんな色の目に、自分が映ることになってしまうのか、それが、怖い。
「カンちゃん?」
 その様子を、アインスだけが見つめている。
 カノウは頭にすっと手を当てて、悩むように天羽の声を無視した。
 天羽はその様子に目を細める。
 カノウは何度もうぅん……と唸って、ようやく顔を上げる。
 青い綺麗な目と、目が合った。
 天羽は怖々とカノウを見つめる。
「笑って」
「え?」
「もういいから。これで元通りね。それで、いいんだよね?」
 カノウはそう言うと、すっくと立ち上がった。
 天羽は驚きを隠せない。
 こんなにサラリと?
 物分かりが良すぎやしないか。
「カンちゃん」
「ボクは直感を信じる」
「え?」
「だから、気にしない。理屈は、きっと後からついてくる」
「…………。本当に? 目を見て言える?」
「…………」
 カノウはゆっくりとこちらを向いた。
「ボクにとって、天羽ちゃんは天羽ちゃんなんだ。だから、天羽ちゃんが心配するようなこと、気には……してないよ」
 そう言って、部屋の外を目指して歩き出そうとするカノウ。
 それを、天羽がパーカーの裾を掴んで止めた。
「じゃ、何を気にしているの?」
「え?」
「カンちゃん、ずっと、考えてたでしょう?」
 天羽は気にしていた。
 天羽の言葉を聞く度に、カノウが何かを思い悩むように考え込んでいたことを。
 そこで、カノウは目を逸らす。
 片手で顔を覆って、苦しそうに唇を噛み締めるカノウ。
「カン、ちゃん……?」
「ごめん……、まだ、ボクも頭の中が整理しきれてないんだ……」
「え?」
 優しく、天羽の手を払うと、カノウは静かに微笑んだ。
「……ボクはいいから、謝っておいで」
「あ……」
「……んじゃ、行くか?」
 ミカナギが荷物を整理しながら、天羽のほうに視線を寄越す。
 天羽がコクリと頷く。
 そして、今度はカノウに視線を動かし、目を細める。
 気遣うように、その目は優しかった。
「カン? 飯、まだだろ? トールんとこ、一緒に行こうぜ」
「…………。食欲、ないんだ。ごめん……」
 カノウは静かにそう言って、ゆっくりと外へと出て行ってしまった。
 それを4人とも見送る。
「……まぁ、気持ちは分かるんだが。あからさま過ぎるなー……相変わらず」
「おれが、傍についていましょうか?」
「あー、いや、今はやめとけ。それより、一宿二飯の恩返ししたいから、アインスも手貸せ」
「……わかりました」
 アインスもすっと立ち上がる。
 天羽は静かに窓の外を見る。
 カノウがどこかに歩いていくのが見えた。
「お嬢ちゃん、行くぞ?」
「あ、う、うん……」
「カンのことは気にしなくていいから」
「で、でも……」
 天羽が困ったように目を細めると、ミカナギがポンポンと天羽の頭を撫で、トンと背中を押した。
「まず、謝るのが先。後味悪いまま、出たくねーだろ?」
「あ……う、うん」
「らしくねーなぁ」
「え?」
「うるさくねーと、お前って感じしねーだろ」
 ミカナギはニッカシと笑う。
 天羽はそれを見て、目を見開いた。
 ああ……本当に、ミカナギは……お兄ちゃんなのだ。
 今更、天羽はそんなことを思う。
 なので、一瞬目を閉じて、すぐに目を開けた。
 きゃろんと笑って、ガッツポーズをしてみせる。
「よっし! 天使の天羽! これより、謝りに行きます!!」
「そうそう! その意気その意気! んじゃ、おっさん、荷物頼むぜ?」
「うむ」
 頷くニールセンを見て、3人は小屋を出た。



第十八節  けしかけるな、おっさん。


 カノウは林の中の切り株に腰掛けて、ハァ……とため息を吐いた。
 どうしてこうも、自分は不器用なのだろう。
 なんでもないような顔が出来ればいいのに。
 そうすれば、好きな人に、あんな風に悲しそうな顔をさせなくって済むじゃないか。
 恋は突然降ってきた。
 文字通り、彼女は自分の上に降ってきた。
 ……一目惚れだった。
 元より、自分は異性に全く免疫がなくて。
 それによるドキドキなのかと思っていた。
 でも、違う。
 これは違う……。
 だって、免疫のないだけのドキドキなら、こんなに……苦しいはずない……。
 18にして、初恋。
 18にして、初失恋……。
 カノウはグシリと鼻をすすった。
 ポタポタとこぼれる涙を慌てて拭う。
 泣くな。
 こんなことで泣くな……。
「青春か、少年」
 いきなりのそんな声に、カノウはビクリと肩を震わせた。
 振り返ると、そこにはニールセンが立っていた。
 カノウは困ったように目を細める。
「言えばよい」
「え?」
「想いとは、伝えてなんぼ」
「……そんなことしたって」
「吐き出されぬ想いに、意味などない」
「…………」
「小生は思うのだ。惚れさせた側にだって、苦しむ義務はある、と」
「……そんなの……」
「何かが変わるかもしれん。変わらないかもしれん。……だが、やらずに悔やむよりは、やって悔やむべきではないのか?」
 今更?
 結果なんて、見えているのに。
「小生は、何かが残らずに終わるのは好きではない」
「ニールセンさん」
「傷を負うなら、とことん負え、少年よ」
 無茶苦茶な論理だった。
 けれど、なぜか、カノウの心にそれは届く。
 カノウは唇を噛み締めた。
 天羽の笑顔が過ぎる。
 その笑顔が自分に向けられなくなるかもしれないのに?
 でも、……自分の心がはやる。
 だって、好きなのだ。
 欲しいと思うのは当然で。
 それなのに、目の前で、彼女は別の人の名を愛しそうに呼ぶ。
 何かが変わるとしたら、自分が動くことでしか、それは起こらないだろう。
「……本当に、いいのかな……」
 最も、答えを求めてはいけない人に、カノウは問う。
 ニールセンは、当然のように頷いた。




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