第二十一節  ごめんなさいでした。


 アインスは早速出来そうな仕事を見つけて、外へと出て行った。
 保護者・ミカナギは天羽の隣で、彼女が謝りやすいように話をする。
「さっきは本当に悪かった。片付けも、そっちに任せちまって……」
「ああ、いえ、そんなことは気になさらなくていいんですよ。こちらこそ、すいませんでした」
 ミカナギが頭を下げると、トールも同じように頭を下げてくる。
 だから、天羽も慌てて、頭を下げた。
 こういう時、末っ子気質の天羽はどうにも気が利かない。
「あ、あの、ごめんなさいでした! ご飯、ご馳走してくれたのに、引っ繰り返しちゃって……。しかも、訳の分かんないことまで言っちゃって……」
「いえ、分かりましたよ」
「え?」
 天羽はトールの言葉に驚いて、すぐに顔を上げた。
 大きな目がまんまるになる。
 トールは優しい面立ちを一層優しくさせて笑う。
「何もしていない、というのは、事実ですから」
「あ、あの……」
 自分勝手な言い分を、まさかこんなに柔和に受け止めているとは、思いもしなかった。
 天羽は困ってしまって、唇を噛み締めることしかできない。
 トールは、そっと胸の前で指を組んで、天羽に祈りを捧げるように構えた。
「サラさんといい、あなたといい、桜色の髪は……我等に何かを投げかけてくれているようだ」
「あ、あたし、サラさんみたいに、立派じゃありません! だって、自分の感情を爆発させただけだもん!!」
「時には、必要なこと、じゃないですか?」
「え?」
 トールは真面目な顔で2人を見比べ、静かに声を発した。
 それは、神父の声。
「時の砂は落ちていきます」
「…………」
「私たちが偶像と崇めるのは、砂時計です。週に一度、逆さにしなくては、その先の時を刻みません」
「トール……」
「その、逆さにする行為というのは、人間自身の行動を示します。無為に時に身を任せれば、何かが変わるなんてことは、この書も、教えも……説いてなどいなかった。分かっていながら、私は……逃げていました。教えを説く身でありながら、私も、父も……どこか逃げていたんです」
 トールは愁いのこもった目でそう言い、静かに目を閉じ、またそっと開く。
「誰かが、時を動かしてくれるのを待っていた。本当に、私は弱き迷い子です。このような者に、神が手を差し伸べてくださるなんてことが、あるはずはなかった」
「…………」
「けれど、神は、お見捨てにもならなかった……」
 天羽を見つめて、ニッコリと笑う。
「こんなに可愛らしい天使を、私達に遣わしてくださったのです。サラさんの時だってそうだったかもしれない。……そう気付いてしまった今、この時が、ミカナギくんの言う……ギブアンドテイクじゃない、真のギブアンドテイクを発揮する時なのではないかと、思います」
 本当に、この人は考えたのだ。
 ミカナギの、あんな端的な言葉すら受け止めて。
「トールさん、そんなこと言っちゃっていいのかよ? 面倒になるだけだぜ?」
 ふと、後ろから声がして、天羽はビクリと肩を震わせた。
 振り返ると、そこにはスルケルが斧を持って立っている。
「スルケル、どうしたんですか?」
「あ? いや、母ちゃんに昨日言われて、薪割りの手伝いに来たんだけど、先客がいたから、他に何かないか聞きに来たんだよ」
「ああ、そういえば……今朝言われましたね。あなたをこちらに寄越すと。……そういえば、今朝も寝坊ですか? 本当に怠けた信者だ」
「お祈りなんてして、腹が膨れるかよ。俺は救いなんて要らないから、飯が欲しいね」
 グーーーと鳴る腹を抑えて、スルケルはそう言う。
「ああ、もしかして、起きたら誰もいなかった……というパターンですか?」
「あい、その通り」
 スルケルはいじけたように口を尖らせて、ハァァ……とため息を吐いた。
 トールがそれを見て優しく微笑む。
「待っていなさい。簡単な食事でよければ、今朝の残りがあります。温め直しましょう」
「マジかよ?! はぁ、助かったぜ。ホント、うちの飯時は戦争だからな。時間過ぎたら、全部ねーんだ」
「ご家族全員働き者ですからね」
「……ま、それだけしか取り柄ないしね」
 トールがキッチンへと入っていくと、ガタリと椅子を引いて、早速腰掛けるスルケル。
 天羽とミカナギを見上げて、すぐにふいっと視線を逸らした。
 けれど、天羽は素早くスルケルの隣の椅子に腰掛ける。
「スルケルくん、あたし、天羽。よろしくね?」
「今日出てくんだろ? 今更よろしくかよ」
「うん♪ あたしのこと、覚えて欲しいから。それだけ☆」
 そう言って、そっと天羽は手を差し出す。
 スルケルが困ったように目を細めた。
 なので、天羽は無理やりスルケルの左手を取って握り締める。
「お友達、7人目〜☆」
「は?」
「ふふ〜」
 天羽があんまり無邪気に笑うからか、スルケルの顔が少しばかり赤らんだ。
 天羽は、自分で自分を分かっていない面が多すぎる。
 トールがとりあえず……といった調子で、パンとミルクを持ってきた。
「……あ、さんきゅ」
 素早く、天羽の手を払って、スルケルはバケットの中のパンに手を伸ばした。
 トールはその様子を見つめて、楽しそうに笑う。
 ミカナギが適当に小屋の隅にあった鍬に手を掛けた。
「トール! 畑仕事少し手伝っていくわ。貸せよ?」
「ああ、だから、そんなことは気にしなくても。アインスさんだってやってくださってるのですし」
「いいからいいから! オレはやりたいからやるんだ。気にすんなよ」
 ミカナギはニッカシ笑って、そう言うと、スタスタと小屋を出て行く。
 彼の言うギブアンドテイク。
 それは、トールたちが、天羽達に与えてくれた一宿二飯と同じだ。
 見返りなんて求めていない。
「やれやれ……」
 トールは呆れたように目を細めてため息を吐いた。
「いいお兄ちゃんでしょう?」
「ええ、筋の通った、気持ちいい若者ですね」
「えへへ〜。でしょでしょぉ?」
「オレ、あいつ嫌い」
 天羽が自分のことのように、頬をホタホタさせて答えると、スルケルがミルクをすすった後に、そう言った。
「なんで〜?」
 天羽は不機嫌な顔ですぐにスルケルを見る。
 スルケルはふぃっと視線を逸らして言う。
「基本的に、人見下す奴嫌い」
「スルケル、あれは、あなたが悪いでしょうに」
「だって、ガキだから適当にあしらとけって感じだったぜ、昨晩なんか。ああいうの、腹立つんだよ」
 唇を尖らせて、切れ長の目を少しばかり鋭くさせるスルケル。
 天羽はうぅん……と唸る。
 むしろ、対等にしていたと思うのだけれど。
 ミカナギは大人なようで、ああいうやり取りになると、極端に”ガキ”になると、……それが天羽の主観だ。
 けれど、そういった態度が、逆に彼の、誰とでも対等に向き合えるっていう、長所にも繋がっていて、天羽はそれが大好きだ。
 ただ、ヘラヘラしてて、いい加減にも……見ようによっては見れるのかもしれない。
 だから、スルケルは、こう言っているのかもしれない。
「お兄ちゃんはね、面倒見がよくって、どこまでも、相手に対してハードル下げちゃう人なんだ」
「あ?」
「だから、見下したつもりなんてないと思うんだけど、そう感じたんなら、代わりにあたしが謝る。ごめんね?」
「……お、お前に謝られても……」
「いいんですよ、天羽ちゃん。この子は無駄にプライドの塊なだけなんですから」
「なっ?! なんだよ、それ!!」
 スルケルがトールの言葉に、顔を真っ赤にした。
 負け犬の遠吠えと言われたような気でもしたのだろう。
 トールはクスクスと笑って、ああそうだと思いついたように口を開く。
「スルケル、外に布教活動に行く気はありませんか?」
「は?」
「勿論、私がしばらく教え込みますけどね。あなたは頭が良くても、怠けてばかりだから」
「ふっ、布教活動って……なん、だよ?」
「私たちに出来ることから、始めるべきじゃないかと、ね」
「……偏見の目で見られるだけだよ」
「かもしれません。でも、出てみなければ、わかりません」
「い、違法行為だろ、しかも」
「ですね。だから、あなたの能力を買って、言っているのです」
「…………」
「逃げるのだって、あなたなら容易いでしょう? 運動神経抜群のお兄ちゃん」
 トールがそう言って、ニコリと笑う。
 スルケルは唇を尖らせて、うぅん……と唸る。
「この村は、スルケルには小さすぎるかなぁと思ったんですけど」
「……別に、村の連中さえ元気なら、俺はどうでもいいけどね」
「でも、閉鎖された空間では、そのうち、皆滅びるでしょう」
「…………」
「私は、少しもがいてみる気になりました。先程も、プラントに、支給について、少しでも考えてくださるように打診をかけました。初めて、自分でメールを打ったので、とても、緊張しましたよ。動いてくれて、ほっとしました」
 トールは晴れ晴れとした顔でそう言うと、そっと髪に触れて、天羽に視線を移す。
「……ということだから、もし、プラントに帰れたら、サラさんを探してみてくださいね? あなたと同じ髪の色だから、きっと目立つと思うのですけど」
「う……うん、わかった♪」
 天羽は必死に誤魔化すように笑顔を作る。
 この人は、再び、サラに会えることを期待しているかもしれない。
 もう……いないのに。
 それが、とても悲しいことのように思える。
 言ったほうがいいのだろうかとも、思う。
 でも、天羽は……敢えて言わないことを選んだ。
 唇を噛んで、天羽はそっと立ち上がる。
「そ、それじゃ、今のうちに荷物の整理しちゃわなくっちゃ! 本当にお世話になりました!! もっと、ちゃんとお話を聞けたらよかったんだけど、急いでるから……そうもいかなくってごめんなさい!!」
「いえ、そんなことは。お体に気をつけて、元気に旅を進めてください」
「うん♪ スルケルくんも、じゃーね!」
「ああ、せいぜい生きな」
 スルケルは一瞬だけこちらに視線を寄越してそう言うと、再びガツガツとパンを食べ始めた。
 天羽はニッコリと笑顔を返し、跳ねるように小屋を出る。
 アインスとミカナギが戻ってくる前に、もう出られる段階にしておかないといけない。
 自分の起こした騒ぎのせいで、だいぶ時間を取られてしまった。
 救いなのは、あの暑い砂漠を渡りきった後だということだろうか。
 この先なら野宿でも繋げると、アインスも言っていた。
 天羽はスキップ混じりで、小屋へと向かう。
 少しだけ、自分の心が晴れやかだ。
 全て、ではないかもしれないけど、ぶちまけられて、自分はすっきりできた。
 ……ただ、まだ、気掛かりもあって……。
 ザザザザ……と、突然激しい風が吹いた。
 思わず天羽は立ち止まり目を閉じて、頭の髪飾りを押さえる。
 セーラーカーラーがバサバサと音を立ててなびいた。
 吹き抜けていった風に驚いて、天羽はふーーーと息を吐き出す。
「あー、びっくりした」
 天羽はキャロンとそう言い、すぐに歩き出そうとした……が、目の前にカノウが立っていて、ビクリと肩を震わせる。
 カノウはそっと被っていたニット帽を取り、静かに俯く。
 羨ましいくらいサラサラの水色髪が、風になびく。
「か、カンちゃん」
「天羽ちゃん、ちょっと……話があって」
「え、あ、え、あ、う、うん」
 天羽はわたわたしながらも、なんとか頷く。
 先程話したかったこと。
 ようやく、きちんと話してくれる気になってくれたのだ。
 天羽は動揺しながらも、そう思ったら嬉しくなった。
 なんというか、この人とは、きちんと向き合って話したいと、そう思う自分がいる。
 カノウの不安定だけど、それでも包み込む度量の大きさみたいなものを、自分が認めているからだと、思う。
 カノウは周囲の様子を気にするように、きょろりと目を動かした。
 誰も……いない。
 天羽もつられて一緒に周囲を見る。
「別に気にしないよ、誰がいても」
 にゃはは〜と天羽は笑いながら、そう言った。
 すると、カノウがすっと髪を掻き上げて、伏し目がちだった目をこちらへと向けた。
 彼の目の青は……まるで、深海を思わせる。
 カノウが口を開く。
「好きなんだ!」
 …………。
 その言葉に、天羽は目が点になった。
 ……それが、自分に対して発せられた言葉なのかわからなくて、思わず、口から出た。
「ふぇ?」
 はっきり言って、天羽は自分に対する人の感情に、恐ろしく疎い面がある。
 それが、ミズキの問題でも発生しているわけだから、そんなことは想像も容易いわけだが。
 アホな問いを返す。
「何が?」
 カノウの顔が真っ赤に染まっているのに、天羽は首を傾げて尋ねてしまった。
 カノウは困ったように目を細める。
 そして、ボソリと付け加える。
「……君が……天羽ちゃんが、好きなんだ……」
 超ド球の鈍感娘を前に、カノウは聞き間違いや勘違いのないように、きちんと付け加えてみせた。
「…………………………」
 天羽は長きに渡って、笑顔のままで停止している。
 噛み砕く。
 なんて言った?
 好きだって言った。
 誰を?
 あたしをだって、聞き間違いがなければ。
 天羽の中の心の声。
 まっさかぁぁ、そんなわけないって。あれだよ、友達としてとか!
「友達としてとかじゃ、ない、から」
 まるで見透かしたように、カノウは付け足した。
 その言葉に、天羽の大きな目が丸くなった。
 ぽぽぽぽ、と、頬が赤くなっていく。
「え、あ、え、ふぇ、えっと……」
 天羽は何がなんだかわからなくて、グルグルと、目の前が回る。
 すっと髪に手をやって、必死に自分の頭の中に、カノウの感情を呑み込もうとした。
 でも、上手くいかない。
「そう、言いたかっただけ、だから。それじゃ」
 カノウは静かにそう言い、タタタタッとどこかへ駆けていってしまった。
「そっち、小屋じゃないよ……」
 天羽は寂しげな声だけ、漏らした。
 こういう時、きちんとした言葉も言えずに、相手に言わせるだけ言わせてしまうと、とても、申し訳ない気がする。
 でも、なんて答えればよかっただろう?
 もしも、自分がもう少し大人だったら、何か言葉が言えたろうか?
 ごめんなさいでも、ありがとうでも、何か……何か言えたのではないだろうか。
 でも、それが言えなかった。
 簡単なのに。気持ちに応えられないのは分かっているのだから、今言うべきだった言葉は……。
「……あれ?」
 天羽は少しばかり、首を傾げる。
 言うべきだった言葉はなんだろう?
 何を迷うのか、自分の中に、答えが浮上してこない。
 天羽は唇を噛み締める。
「あたしって、もしかして、……相当、馬鹿なのかな……」
 ぽつりと、そうこぼして、再び、小屋へと歩を進めた。
 ザザザザ……と、風が木々を鳴らした。




*** 第四章 第十九節・第二十節 第四章 第二十二節・第二十三節 ***
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