第二十二節  消えてしまえ。


 タゴルは受信したメールを見て、ふっと笑みを浮かべた。
「まだ……生きていたか」
 くだらないものでも見るように、異端の町のトールから届いたメールに目を通す。
 世界をこんな状態にした集団の生き残りが、ずいぶんな言い様で、こちらへ乞い縋っている。
 それを思うと、なんともおかしくて、くくっと笑いがこぼれた。
「養父さん」
 突然、耳元で声がして、タゴルははっと我に返る。
 ハズキが何やら書類を抱えて、そこに立っていた。
 タゴルは眼鏡を外して、クルリと椅子を回す。
「なんだ?」
「重要データに目は通しておいたから、あとは養父さんから各部署に送ってもらうだけなんだ。置いていくよ」
 MOディスクを見せて、すぐにタゴルのデスクに置くハズキ。
「ああ、そうか。ご苦労」
「ああ」
 ハズキは頷いた後に、思い出したように付け加える。
「そうそう。氷を借りたいんだけど」
「ん?」
「しばらく、こちらの直下に置きたいんだけど」
「好きにしろ」
「わかった」
 興味なさげに目を細めるタゴルに、ハズキはニコリと笑んで応える。
 そして、すぐに部屋を出て行ってしまった。
 タゴルはしばらく口元に手を当てて考えていたが、ゆっくりと、キーボードの傍にある赤いボタンに手を伸ばした。
 思えば、サラはうるさかった。
 何をそんなに執着するのかわからないが、この町を救ってあげようと、何度も言っていた。
 救う必要性など、どこにあるのか、タゴルには全くわからない。
 あのような地獄を作り出した集団の生き残りなど、人権も何も、ありはしない。
 青い目に、冷ややかな色が宿る。
 いつでも彼は冷淡で、どうでもいいように、何もかもを冷たく突き放す。
 カチリと、赤いボタンを押す。
 すると、画面に、『Warnungs Raketenabschuβ(警告 ミサイル発射)』と文字が出る。
 くっと、タゴルは笑う。
「消えてしまえ、お前達など……」
 そう呟いて、タゴルは画面を注視し続けた。
 しかし、それが強制的に解除されて、画面に青い文字が出る。
 『Absage Raketenabschuβ(中止 ミサイル発射)』と。
 タゴルはその文字を見つめて、そっと目を細めた。
「あの小娘……」
 ギリリと奥歯を噛み、静かにタゴルは画面を睨みつける。
 自分の好きなようにシステムも動かせない。
 弟も、とんでもないものを残して死んだものだ。


 トワはポォッと青い光を発するホログラフボールを両手で抱き締めるように持ち、ゼェゼェと息を切らした。
「久しぶりなのに、いい子。ちゃんと言うこと聞いてくれた……」
 そう優しい声で言い、ふわりとその場に浮かせる。
 トワが昼頃まで眠っていたら、突然、ホログラフボールがけたたましく音を立てて、普段なら決して発しない赤色をしていたから、相当度肝を抜かれてしまった。
 すぐに引き寄せて、どこに異常があるのか覗いてみると、タゴルが、どこかにミサイルを飛ばそうとしていた。
 トワは強引にシステムに入り込んで、それを強制的に取り止めさせたのだ。
 タゴルの行動にぞっとする。
 何があったか知らないが、簡単にボタンを押してしまえる彼の精神構造が理解できない。
 トワはミサイルが飛ばされようとしていた地点を調査するために、タゴルのネットワークに入り込もうとしたが、強烈なセキュリティに阻まれて、それは叶わなかった。
 仕方ない。
 今回は、彼の行動を阻めただけで、よしとしよう。
 トワはくたりとベッドに倒れこむ。
 なんだか、体の調子がおかしい。
 ミカナギが昨日無茶をしたからだろうか?
 その反動が、自分に来ている……。
 そんな感じだ。
 その分、彼はピンピンとしているのだろうけれど……。
 トワは、目を細めて、すぐに再び眠りについた。



第二十三節  氷の好きなタイプ、嫌いなタイプ。


 氷の治療を終えて、黒髪の女性がはぁぁ……とため息を吐いた。
 血で汚れた手を水で洗い、タオルで水気を取った後に、スタイリッシュな形に赤い縁の眼鏡を掛け直す。
 トワほどではないが、背の高いその女性は、控えめそうな眼差しをしていて、とても穏やかな雰囲気を漂わせている。
 年は22か23か……そのくらい。
 新しい白衣を手に取り、汚れた白衣を洗濯用の籠に投げ入れる。
 ノースリーブの白いワイシャツに、光沢のあるスカート。
 すぐに、清潔な白衣に身を包み、結い上げていた長い髪を下ろした。
「チアキちゃん、サンキュー」
「……全く、どうすれば、こんな怪我を……」
「喧嘩」
「そう。元気なのはいいけど、あまり無茶しないでね」
「おぅ」
 氷はにぃっと笑みを浮かべて、すぐに体を起こす。
 慌ててチアキがそれを止める。
「ちょ、氷君、無茶しないで」
「大丈夫だよ」
 氷は軽く言って、すぐに立ち上がる。
「そういう風に出来てんだから」
 上半身裸のままで、氷は医務室をさっさと出て行く。
 氷が唯一と言っていいほど懐いている女性。
 懐く理由は簡単だ。
 プラントの女にしては、可愛らしく、控えめだから。
 女は、綺麗で賢いか、控えめで可愛いのがいい。
 そう、氷は思うわけだ。
 だが、氷もチアキに手は出していない。
 それには理由があって、自分は、他人のものに手を出す、という面倒なことはしない主義だから。
 無理やりも楽しそうだけど、なんだか、萎えるからだ。
 1つ付け加えておくと、トワは、自分のものになる予定だから、面倒だのそういった理由は該当しない。
 部屋を出ると、そこにはハズキが立っていた。
 氷は眉をひそめて、それを睨みつける。
「チアキちゃんに用かよ?」
「それもあるけど。大丈夫かと思って」
 ハズキはニッコリと笑ってそう言った。
 コイツ。
 氷はクッと笑いがこぼれそうになるのを堪えて、パンパンとよく引き締まった体を叩いてみせた。
 横一文字に、体には筋が入っている。
「この通りだよ。2日もありゃ完治する」
 思い切り斬り払われたのに、氷の傷は、そんなことは想像させないほどのスピードで癒えていく。
 運びこまれた時は、出血が多くて真っ青だったのに、もうなんでもないかのような表情だ。
「そっか。便利な体だね」
「……お前、何のつもりで、オレに任務寄越した?」
「何のつもりって?」
「オレはお前の言うことなんて聞かねー。わかってんだろ、そのくらい」
「ああ、うん、そうだね」
「だったら」
「だからじゃない?」
「あ?」
「言うこと、聞く気になるかと思って」
「なんだと?」
「ズタボロにやられて、その意味のない自信が打ち砕かれれば、さ」
 ハズキはニッコリと笑った。
 氷の額に青筋が浮かぶ。
 ミカナギに言わせれば、カッチーーーンってところか。
 本当に、伊織には絶対に見せないであろう、このクソ生意気な表情と言動。
 氷は憤りを覚えながらも、口元を歪ませて静かに言う。
「おい、ガキ。オレはお前を簡単に殺せるんだ。言葉には気をつけろ」
「ああ、うん、そうだね」
 別段怖くも無い、といった表情。
 いつの間にか、氷の喉元に、突きつけられた刃があった。
 氷もさすがにそこで動きを止める。
 背後に、ツヴァイがいた。
 ……気配なんて感じなかった。
「父の下で好き勝手遊んでたって退屈だろ? 女には困らなくても、今回みたいな喧嘩はなかなかできない」
「…………何が言いたい?」
「話が早くていいな。だから、好きだよ、氷」
 ハズキはにっこりと笑い、容易に氷に背中を見せ、少し歩いてから振り返る。
 その間、氷は動けもしない。
 ツヴァイは加減もせずに、自分の喉元を切るだろう。
 正直、頚動脈を切られて助かる自信は、さすがの氷にもない。
「俺の配下に入れ。父の許可は一応取った。……興味なんてなさそうだったけどね」
「配下だ?」
「技術力なら、俺は父より上だ」
「…………」
「今回、負けた相手に、勝つことも出来るかもしれないよ? 悪い条件じゃないんじゃない?」
「お前……」
 一瞬で薙ぎ払われたあの瞬間を思い出す。
 自分はやられるという自覚をする前に、地面に突っ伏したのだ。
 屈辱だった。
 伊織に待ったを掛けられたこと自体、屈辱だったが、伊織が止めに入らなかったら、自分は更に屈辱的な状態になっていたことだろう。
 あの男を、地に這わせてやりたい。今度こそは。
「少し、時間をくれ」
「ああ、いいよ。でも、高いプライドだけじゃ、得られないものはたくさんある。それを忘れないでくれよ」
 ハズキはにっこりと笑い、ツヴァイの持っていたナイフを優しく奪い取って、持っていた鞘に納める。
 その時、医務室のドアがシューーーンと開いた。
 振り返ると、チアキが氷の代わりの服を持って立っていた。
「あ、こ、これはハズキ様」
「やぁ、チアキ。すまないね、夜中に治療なんて頼んでしまって」
「いえ、構いません。それが私の仕事ですし。このプラントでは、医療担当は、暇を持て余していますから」
 チアキは柔らかく笑って、そう答えると、すぐに氷の傍に歩み寄ってくる。
「何?」
「医務室に予備で置いておいた服。何も着ないで部屋まで行く気だったの?」
 その間にも、氷の傷は少しずつ回復している。
 チアキはそれを特殊なこととも思わないようにして、服を差し出してきた。
 氷は横目でハズキを見て、人懐っこくチアキに笑いかける。
「着せて」
「は?」
「着せて、チアキちゃん」
 氷はでかい図体で、両手を高々と上げてみせた。
 チアキは困ったように首を傾げたけど、すぐに、シャツを氷の腕に通してやる。
「氷君、あなた、確か、私より年上よね?」
「ああ」
 見た目は18くらいだけれど、彼はこう見えても、今年で28になる。
 彼も天羽と同じTransgenics-Menschだ。
 TG-M003。
 屈託なく笑う氷に、チアキは更に困ったように目を細める。
「……まぁ、いいけど」
 仕方なさそうにそう呟いて、ポンポンと氷の頭を、おまけに撫でてくれた。
「コホン」
 ハズキがその様子を見守っていたけれど、間を見計らったように咳払いをした。
 チアキははっと我に返って、すぐにハズキに視線を移す。
「そ、そういえば、ハズキ様、何か御用ですか?」
「ああ、ちょっと、睡眠導入剤が欲しくてね」
「眠れませんか?」
「ああ……しばらく、重要データに目を通していたら、眠れなくなってしまって」
「お食事は? 導入剤は少し強い薬なので、できれば、胃はできるだけ……」
 本当に心配そうにハズキの顔を覗き込むチアキ。
 氷はそのやり取りを見比べて、クッと笑いを漏らす。
「じゃ、オレは」
 氷はスタスタと歩き出す。
 すると、ハズキが念を押すように言ってきた。
「いい返事を待っているよ」
 と。




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