第三節  誤解だ。本当に誤解だ……。


 ミカナギは荷物を置いて部屋を出た。
 とにかく、アインスがついてくれているとはいえ、早く天羽と合流してしまわないと。
 誤解も解かないと気まずいし……。誤解されたままだと、なぜか知らないが、命の危険を感じる。
 それなのに、部屋を出ると、そこにはイリスが笑顔で立っていた。
 サラリと髪を掻き上げ、ふわりと一歩踏み出してくる。
「ミカナギ君♪ 街に出るなら、一緒に行きましょう?」
 開口一番そう言う。
 ミカナギはカシカシと頭を掻いた。
 イリスには本当に世話になった。
 けれど、特にやましい関係でもなく、……先程行われたやり取りが、彼女の素だということを、自分が分かっているから、少々気を許しすぎてしまったのはある。
 まさか、天羽があんなに怒るとも思わなかった。
「イリス、あのな……」
「いいじゃない、少しくらい。ちょっとね、欲しいものがあるの。荷物持ってくれない?」
「……いや、でも」
「さっきの子のこと?」
「誤解は解かないと」
「少なくとも、アタシについては誤解ではないわ」
「…………」
「な〜んちゃって。黙らないでよ。本当にミカナギ君は、お調子者のクセにこういう時だけ、ひどいんだ」
「すまん」
「な〜んちゃって……って言う前に謝らないでよぉ」
 イリスは眉を八の字にして、苦笑をする。
 ミカナギはそう言われて、ポリポリと頬を掻く。
 イリスはふんわりと笑みを浮かべて、ポンポンとミカナギの頭を撫でた。
「日除けのバンダナ、使ってくれてて嬉しい」
「すげー役に立ってるよ」
「ふふ……」
「そういえば、イリスはなんでこんな所にいるんだよ」
「買い出し」
「買い出し?」
「服の生地をね。それと……せっかくだし、色んな風土の服装も見てみたくて」
 イリスは服飾のデザインについて勉強をしている女性だ。
 許される専門職の少ない中で、許されている専門知識のひとつ。
 ミカナギはそれを聞いて、思わず口から出た。
「付き合うよ。……ただ、天羽探しながら、でいいか?」
「さっきの女の子? ええ、別に構わないわ。ちょ〜っとからかいすぎちゃったし。アタシからきちんと説明してあげる」
「……なら、助かる」
 イリスの優しい笑みに、ミカナギは胸を撫で下ろして、すぐに1階へ降り、外へと出た。
 すると、イリスが嬉しそうにミカナギの脇について歩き、そっと腕を組んできた。
「お、おい……」
「はぐれるはぐれる♪」
 イリスはニッコリ笑ってそう言うと、そっとミカナギの肩に頭を預けてきた。
 ミカナギも無下に振り払えずにそのまま歩く。
「デートみたいねぇ」
「言ってろ」
「ええ」
 ミカナギのそっけない物言いにも、イリスはふんわりと頷いた。
 どうにも、イリスの持つ空気感が優しすぎて、怒るに怒れない自分がいる。
 毅然とした態度を取らないから、天羽が怒ったのだということはわかるけれど……。
「旅は……どこまで行くんだ?」
「さぁ? 一人旅だから、あんまり急いでないし。とりあえず、列車の切符だけは取ってみちゃった」
「……そっか」
「一応ね、クラメリアまで買ったんだけど、適当に途中下車すると思う」
「クラメリア? じゃ、オレたちと一緒だな」
「本当? 嬉しい〜。じゃ、下車するまで一緒にいていい?」
「う、あ、ああ、まぁ、別にいいよ。誤解さえ解けりゃ……」
 ミカナギはため息混じりにそう答えた。
 あまりに困った表情のミカナギを見て、イリスは興味深そうに笑う。
「あの子、ミカナギ君の何?」
「え……な、仲間だけど」
「にしては、動揺しすぎじゃない?」
「うーん……かね?」
「ええ。ま、アタシも意地悪しちゃったけど」
「そうだよ。なんだよ、さっきのあれ」
「夜を共にしたのは嘘じゃないわ」
「看病でね」
「ええ」
 イリスの悪戯っぽい笑顔。
 ミカナギはため息を吐くしかない。
 街は人で溢れていて、確かに、手でも繋いでいないとはぐれてしまいそうな、そんな賑わしさがあった。
 ミカナギはキョロキョロと視線を動かす。
 さすがに、あの天羽なら、こんな人だかりに逃げたりはしないと思う。
 生地屋を見つけて、イリスがくぃっとミカナギの腕を引っ張った。
 リードされるままに足を動かすミカナギ。
「でも、よかった」
「え?」
「ミカナギ君、記憶喪失なクセに、突然いなくなるから……すごく心配したのよ」
 真面目な声と真面目な顔で、イリスはそう言った。
 ミカナギはその言葉に目を細める。
 店のドアをミカナギが開けて、先にイリスを通してやる。
 イリスはすぐに店内の生地を見渡して、気に入った色を見つけて歩いてゆく。
「悪い」
「どこかでまたのたれてるんじゃないかと」
「大丈夫だったよ。旅の仕方だけは、体が覚えてた」
「……そう。まだ、思い出せないのね?」
「少しだけ」
「え?」
「少しだけ、思い出してきたんだ。天羽は……記憶のあるほうのオレを知っている子で、オレは今、自分の住んでた場所目指して旅してるんだよ」
 生地を手に取った状態で、ミカナギに視線を寄越し、自分のことのように嬉しそうに笑う。
「それならよかったわ♪ 少し前進じゃない」
「ああ」
 ミカナギはニッコリと優しく笑い返した。
 すぐにミカナギの胸元に服の生地を当てるイリス。
「? 買うのか?」
「いいえ、やっぱり、ミカナギ君は赤が似合うと思って」
「オレに合う色買っても仕方ねーだろ」
「……そうでもないかな、アタシにとっては」
「え?」
 イリスが少しばかり切ない目でこちらを見るので、ミカナギも言葉に詰まる。
 ゴクリと喉が鳴った。
 きゅぅと胸が痛くなる。……それと同時に、なぜか命の危険を感じた。
 イリスはすぐに目を逸らして、次々に気に入った生地を手に取り、買うと決めたものをミカナギに手渡してくる。
 ミカナギはそれを受け止めながら、イリスの横顔を見つめた。
 彼女は……天涯孤独の身の上だ。
 だから、ミカナギが来てからの生活は、とても楽しいと、いつだったか、眠る前にそう言われた気がする。
 会計を済ませて、ミカナギが生地の入った袋をすぐに持ってやる。
 店を出ると、もう夕方になっていて、観光目的の人間はもう食事メインのストリートに行ったのか、店に入る前の人だかりは無くなっていた。
「あー、やっぱり、都会は違うわ。いい生地が多い」
「そうなのか?」
「ええ、ごめんね、たくさん持ってもらっちゃって」
「いや、別にいいけど」
「ふふ、だから、ミカナギ君、好きよ」
「はいはい」
 ミカナギは軽くその言葉をかわして、視線を動かした。
 天羽はそろそろ宿に戻ったろうか?
 それとも、まだアインスを引き連れて、どこかでいじけてるだろうか?
 探しに出ようとしていたわけだから、探さずに帰るのも問題だし。
 ……だが。
「戻ってからだな、探すのは」
 ミカナギは荷物を抱え直し、ふぅ……と息を吐く。
 イリスがにっこりと笑った。
「ごめんね。完全にアタシの用事だけで」
「いや……まぁ、誤解さえ解いてくれりゃ、いいんだけど」
 ミカナギが困ったようにそう言うと、その横顔を見ていたイリスが突然ミカナギに抱きついてきた。
 ミカナギは荷物のバランスを保とうと、必死に腕を動かす。
「あー、もう。困った顔可愛い〜。ミカナギ君、困ると口元ひくひくするの。可愛い〜」
「困らせてるのはイリスだろ……」
「楽しそうだね、お兄ちゃん」
「へ?」
 宿屋へ繋がる道とのT字路で、アインスを引き連れた天羽とばったり会った。
 アインスは静かにこちらを見つめ、ミカナギに言う。
「なんとか、説得したのですけど。説得の必要はなかったですか? とても、もてもて、なようです」
 抑揚のない声でそう言う。
 ミカナギは慌てて首をブンブンと振った。
「ちがっ! こ、これは……イリスにとっては普通なんだよ。だから、違うんだって!」
「お兄ちゃんに相談したいことあったのに、それどころじゃないみたい」
 天羽がぷくーと頬を膨らませてそう言う。
 イリスがようやくミカナギから離れて、天羽の元まで歩いてゆく。
「あのね、天羽ちゃん」
「はい?」
「ミカナギ君には何にもやましいところないのよ」
 誤解を解いてくれるのだと思って、ミカナギはようやく胸を撫で下ろした。
 自分がいくら言っても、聞いてはくれそうになかったから、イリスだけが頼みの綱なのだ。
「アタシが、勝手に一目惚れして、家に連れ込んだだけなの」
「?!」
 その言葉に、その場にいた全員の動きが止まった。
 イリスには全く悪気がないようだった。
 先程のように意地悪のつもりで言ったわけではないらしい。
 ……確かに、倒れているミカナギを家まで連れ帰った……という言葉は、そうも表現できるのかもしれないけれど……。
 ミカナギは頭を抱える。
 今のは、天然だ。
 イリスはこういう人だ。
 だから、逆に弁解が難しい立場に追い込まれた。
「ミカナギ、合意の上ですか」
 アインスが静かにそう言った。
 その言葉で、ようやく天羽も今までのイリスの発言と総合されて、何が起こっているのか、勝手に想像したらしい。
 天羽は顔を真っ赤にして、唇を噛み締める。
「か、帰る。あたし、帰る! お兄ちゃん、あたしの部屋に入ってこないで!! 本当にサイテー!!!」
「ちょ、誤解! 今のは完全に、意味が違う!!」
 けれど、タタタッと天羽が駆けていってしまうので、その言葉はアインスだけが受け止める。
「言っておきます。誤解だと。明日にでも、……きちんとした説明をしにきてください」
 そう言うと、天羽を追ってアインスが走っていった。
 イリスが頬を掻いて困ったように笑った。
「表現まずかったかしら?」
「勘弁してよ、イリス……」
 ミカナギはもう泣きたくなってきて、それだけこぼして俯いた。
「……でも、一目惚れしたのは本当なのよ……。ごめんね、明日はちゃんと説明するから」
「ああ……信じてるよ」
 ミカナギが静かにそう言うと、オレンジ色に染まるイリスの顔が、少しばかり儚く揺れた。




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