第六節  海は色々ありますよぉ。


「よしゃ! 泳ぐぞー!! 者ども続け〜!!」
「よーそろー」
 イリスから借りた赤いシャツとハーフパンツを脱ぎ捨て、砂を蹴って駆け出すミカナギ。
 浜辺には思ったよりは人がいなく、海まで真っ直ぐ駆けていけるくらいだった。
 アインスだけがミカナギの言葉に、抑揚なく返したが、彼はロボットなので、シャツを脱いだだけで、あとは借りてきたパラソルを突き刺し、休憩場所の確保を始めた。
 カノウはまだ眠そうにぼーっとしているし、ニールセンはラフなシャツを身に纏ってはいるものの、結局本を小脇に抱えてきている。
 どこまでノリの悪いパーティーか。
 ミカナギは構わずに準備運動をして、すぐにザバザバと水を蹴りながら、深いところを目指してゆく。
「お兄ちゃん、張り切ってるなぁ……」
「ん〜、爽やかでいいわ〜。やっぱり、男は時に少年でなくちゃ」
 イリスは楽しそうにミカナギの背を見つめて、ゆっくりと上に羽織っていたシャツを脱いだ。
 よく整ったプロポーションが露になり、紫色のセクシービキニが映えた。
 周囲の海水浴客たちの視線が、その瞬間、明らかに釘付けになった。
 ニールセンもそれを見て、にぃと笑う。
「ふむ……目の保養だ」
 カノウも眠そうにしていたにも関わらず、それを見た瞬間、顔が真っ赤になって、大慌てで俯いた。
 免疫がないにも程がある。
 アインスはミカナギに膨らましてもらって持ってきた浮き輪を、ポイポイと天羽とカノウに手渡す。
「 ? 」
「ぷかぷか浮いてきてください。ミズキ様の話では、浮いているだけでも楽しいのだそうです」
「へぇ……」
 天羽は感心したように、イルカ型の浮き輪を見つめる。
 カノウは輪っかの浮き輪を見つめて、困ったように天羽を見た。
 天羽もその視線に気がついていながら、わざわざ気付かないフリをした。
「じゃ、じゃあ、あたし、行ってこようかな〜」
「天羽ちゃん? お姉さんと一緒に行く?」
「イリスさん、泳げるの?」
「さぁ? わからないわ〜。泳いだことないし♪」
「ふぇぇぇ? 浮き輪とかなくて平気?」
「平気平気♪ ミカナギ君いるし」
 そう言って、イリスはザバザバと泳ぎまくっているミカナギの金色の頭を探し、にっこりと幸せそうに笑った。
 天羽はそれを見上げて、なんともいたたまれなくなる。
 彼女の切ない気持ちはわかるのだ。
 けれど、天羽はトワの気持ちが一番大切だから、本当は……そういう視線で、ミカナギを見つめている人が他にもいるのは……複雑な心境だ。
「ま、それはいいとして。早く脱ぐ脱ぐ〜♪ 天羽ちゃんの水着、とっておきなんだから♪」
 イリスは素早く、天羽のシャツの裾に手を掛けて、あっという間に脱がせてしまった。
 いつもはピンクを基調としているセーラー服もどきを着ているが、水着は鮮やかな青色を基調とし、翼をモチーフとした柄がところどころに散ったワンピースだ。
 カノウが見惚れるようにそれを見つめて、何か口を開きかけたけれど、天羽は逃げるように小走りで海へと向かった。
 それをイリスが同じように小走りで追いかけてくる。
「こらこら、お嬢ちゃん、ギクシャク卒業せんのかね?」
 イリスがおちゃらけた口調でそう言う。
 天羽はイルカ型の浮き輪を抱き締めて、くるりと振り返る。
「だ、だだだ、だって……イリスさん、スタイル良すぎだよぉ……」
「…………。ちょっと意外」
「え?」
「なんとも思っていないけど、お友達として仲良しだからやりづらいって話だと思っていたのだけど、実は違うのかしら?」
 不思議そうにイリスは小首を傾げて、クルリとカノウの様子を見て、再び天羽へと向き直る。
 天羽はイリスの言わんとしていることがよく分からなくて、同じように小首を傾げた。
「意識してなかったら、別にスタイルなんて気にしないんじゃないかなぁぁ? 天羽ちゃん、可愛いし。それに小振りだけど、いい形してるし」
「い、いいい、イリスさん!?」
「あはは〜、ごめんなさい。お姉さんの悪いクセね」
 胸を見つめられて、天羽は真っ赤になって、更に浮き輪を強く抱き締めて隠そうとする。
 けれど、透明な浮き輪なのでほとんど意味がなかった。
 舌をちろりと出して、自分の頭をわざとらしくコツンと叩くイリス。
 この人は……性質的にはミカナギに似ているのかもしれない。
 大事なことを茶化して口にする。
「まぁ……なんというか、甘酸っぱくって楽しいから、もう少し葛藤していただいても、構いませんわよ。ミカナギ君は嫌がりそうだけど〜」
「う……も、もう! あたしで遊ばないでください!!」
 天羽はさすがにむっとして、たたたっと駆け出した。
 イリスはクスクスと笑って、天羽のそんな様子を楽しそうに見つめる。
「可愛らしいなぁ……」
 そう漏らして、すぐにミカナギに視線を動かす。
 ちょうど、ざっぱと立ち上がり、ぷっはぁぁと息を吐き出したところ。
 泳いだことなんてないだろうに、彼はサクサクと泳ぐ。
 ……本当に何でもできる人だ。
 風でなびいた髪をふわりと掻き上げて、唇を噛み締めるイリス。
「トワ……さん、か……」
 姿形を知らない分、とても大きな存在に思えてならない。


 あの日……。
 ミカナギが倒れているのを見つけた日……傍に落ちていたあの小型トランシーバーも一緒に持ち帰った後、突然けたたましく音が鳴った時は驚いた。
 出方が分からなくて、ただ見つめていることしか出来ずに、わたわたとしていたら、綺麗な声がした……。
『ミカナギ? トランシーバー自体は壊れていないみたいだから、メッセージだけは入れておくわ。あなたの無事は、言わずもがな信じているから。連絡がないことが、今は元気でやっているって意味だと、思うことにしている。……いつまで待たせる気? どうせ、あなたが帰ってきたところで、私はあの約束について、首を縦に振るつもりもないけれど、それでも、頑固な私を説得するための手段を、あなただってあれやこれや考えているんでしょう? それ全て一蹴してあげるから、さっさと帰ってきなさい。私、そろそろ待ちくたびれたわ』
 それから、少しの沈黙。
 そして、微かな声がした。
『……お願いだから……私を独りにしないで……』
 と。
 その声を聞いた時、イリスは慌てた。
 なんとか、通信に出て、事情を説明しようとしたのだ。
 けれど、あの頃は操作方法が分からず、わたわたといじっていたら、そのメッセージを……消去してしまい……。
 彼が半年経って目覚めた時、そのことを伝えようとも思っていたけれど、記憶喪失でそれどころじゃなかったために、言いそびれてしまった。
 そのうえ……自分にも欲が出てきてしまって、結局、彼が通常の生活を送れるほどに回復しても、そのトランシーバーの存在を、教えはしなかった。
 教えなかったら、ずっと傍に……いてくれるんじゃないかという、淡い気持ちと、黒い独占欲がそこにあったことを否定はしない。


「わっとっと……」
 天羽が乗っていた浮き輪がくるりと引っ繰り返って、天羽は海水に体を投げ出されたので、イリスは我に返った。
 慌てたようにカノウが駆けてきて、海にザブザブと入っていったけど、それよりも早く、ミカナギが天羽の体を支えて、浮き輪も素早く確保して笑った。
 カノウがそれを見て、寂しそうに体を揺らしたのがわかった。
 そして、気がついたらアインスが隣にいた。
「参りました」
「え?」
「おれには恐怖はないと思いましたが、水だけは、駄目なようです。反応が遅れました」
「あ、アインス君?」
「……失礼。なんでもありません」
 抑揚のない声でそう言うと、アインスはパラソルへと戻っていく。
 天羽がミカナギに手を取ってもらって、バタ足の練習を開始した。
 それをしばらく見つめていたが、カノウが踵を返し、悔しそうに目を細めて、浜辺へと戻ってきた。
 イリスはそれを見つめて、笑いかける。
 すると、カノウは困ったように首を掻いた。
「だから嫌なんだよね、こういう場所。……ボクじゃ、なんにもできない」
「そんなことはないわ」
「え?」
「泳げないのに駆け出した。その勇気を、お姉さんは見届けたわ、カノ君♪」
「…………」
 カノウはイリスを見上げて、少々不機嫌そうに目を細める。
「結局、誤解っていうのはわかったけど、あなたは満更でもないんでしょう?」
「ええ」
「どうして、言わなかったんですか? 記憶のないミカナギなら、可能性もあったでしょ?」
「…………」
「なんだか、今の2人の関係、ボクはすごく不毛に感じるんだけど。ミカナギも許容してて、イリスさんはそれで満足してるって……感じに見えて気分が悪い」
「叶わない想いを告げられるほど、お姉さんは強くないのです」
「え?」
「……ごめんなさい、カノ君。あなた、可愛い顔してるけど、お姉さんは嫌いだわ」
「な……」
「若すぎる言動は……アタシには辛い」
 イリスは悲しげに目を細めて、さっと髪を掻き上げる。
 何も知らないくせに、きっぱりと無遠慮にそんなことを言う。
 正論なのだろう。
 けれど……好きな人に気持ちを押し付けただけの子供に、言われたくない……。
 ああ、そんなことを考えてしまう自分さえ、嫌いになりそう。
 ゆっくりとイリスはミカナギに視線を動かす。
 ちょうど、ミカナギが天羽を連れて、こちらへと戻ってきた。
「カン」
 ミカナギが真面目な顔でカノウを見つめる。
 なので、カノウも踵を返して、ミカナギを見返した。
 天羽が浮き輪を抱き締めて、なんとかその場に立っている。
「ちゃんと話せ」
「……話すつもりはあったよ。でも、天羽ちゃんが逃げるんだ」
「お前が先に逃げたんだろ」
「うん、あれは反省してる。振られる覚悟も無いのに、言っちゃいけなかった」
 カノウは目を細めて、そう言うと、ゆっくりと天羽に視線を動かす。
 そっと頭を下げる。
「ごめんなさい、天羽ちゃん。困らせたくって言ったんじゃなかったんだ。……ただ、知って欲しくって……。そう思ったら、苦しくて、我慢できなくなっちゃったんだ……」
 その言葉に、天羽がフルフルと首を横に振る。
「あ、あたしが鈍感なのがいけなかったの。折角の告白なのに、変な問いばっかり返しちゃったし……」
「うん……そうだね」
 カノウはその言葉を聞いて思い出したようにクスクスと笑った。
 天羽は濡れた髪をゆっくりと掻き上げて、静かに息を吐き出す。
 イリスは、その場を見守っていいものなのか迷ったが、動くに動けず、立ち尽くしてミカナギに視線を送る。
 ミカナギも居辛そうに眉をひそめていた。
「あ、あの……まだ、よくわからないの」
「え?」
「なんで、あたしなんか? って部分もそうだけど……。あたしの中でミズキが一番なのは揺らぐことの無い事実で……」
「天羽ちゃんは、とても素敵な子だと、思う」
「あ、その、あ、ありがと……え、えと」
「あ、話遮ってごめん、続けて」
「うん……。お姉ちゃんがダイダイダイ好きで、お兄ちゃんもカンちゃんもダイダイ好きで……」
 天羽は悩むように口元に小さな手を寄せる。
 彼女なりに、一生懸命考えているのだろう。
 見たところ、天羽という女の子は、感情において、線引きをするのがとても下手な部分があるように、イリスも感じていた。
 だから、悩むのは分かる。
 天羽は泣きそうになって、手で目を覆った。
「カンちゃんって、あたし、初めて会った外部の人間さんだから……。それに、身内の人以外で、ダイダイ好きなんて……思ったのも初めてで……」
 天羽の頬を涙が伝った。
「カンちゃんの位置が……すごく、あたしの中で、まだ……フカクテイみたいなの」
 カノウがその言葉を聞いて、納得したように頷く。
「うん」
 天羽はそっと涙を拭う。
「フカクテイのまま、まだ、決まらないの……。でも、それに気がつくきっかけになったのは、この前の……言葉だから、あたしは、別に怒ってるとか、そういうので避けていたわけではなくて……」
 天羽はようやく真っ直ぐな目でカノウを見つめる。
「そういう目で見られてるって思ったら恥ずかしくて……。……この数日間のあたしの態度は、一生懸命考えようとした結果だということだけは、わかってほしいです」
 カノウはそれを聞いて、ようやく笑顔になった。
 天羽がそれを見てきょとんとなる。
「よかった。嫌われたんじゃなければいいんだ」
 カノウはほっと胸を撫で下ろしたように、息を吐き出す。
「そんな……」
「ボク、チビだし、童顔だし、とろいし、中身もガキだから……。言わないと何も変わらないような気がして」
「カンちゃんは、とてもあったかい人だと、思います」
「……不確定ってことは、まだわからないよね?」
「え?」
「一番になることもできるかもしれないんだ」
「…………」
「超ダークホース! そう思ったら、燃えてきた」
 カノウはニッコリと笑ってそう言うと、ゆっくりと天羽に歩み寄る。
「ねぇ? チャンス頂戴」
「え?」
「恥ずかしくて逃げるんじゃなくって、ボクに、チャンスをください」
 天羽はその言葉に困ったように首を傾げる。
 ミカナギが呆れたようにカノウに声を掛ける。
「お前なぁ……」
「だって、気持ちなんて、天候のように変わりやすいんだよ? 何が起こるかは、まだわからないじゃない」
「やっぱ、お前図太いわ……」
 ミカナギはハァ……とため息を吐いて、ポンポンと天羽の頭を撫でる。
 天羽はまだ状況がわからないように目を泳がせている。
 なので、イリスは分かりやすいようにおちゃらけて言った。
「惚れさせてやるって言いたい訳ね? カノ君、自信過剰〜」
「え、そ、そこまでは言ってないよ!」
 カノウがイリスの言葉に困ったように目を細め、顔を赤らめる。
 なので、天羽も顔を赤らめた。
「ふ、深い意味は無くって……。純粋に、もっとボクを知って欲しいって、そういう……ことだから」
「……うん」
「え?」
「わかった」
 天羽は、静かにそう返事をして、ようやくにっこりと笑顔を作った。
 カノウもそれを見て嬉しそうに笑顔になる。
「それじゃ、これからはいつも通りねぇ?」
「え、あ、うん? いつも通りは、個人的には前進じゃないけど……まぁ、いっか……」
 カノウは苦笑混じりでそう呟くと、天羽の手をそっと取った。
「カキ氷っていうのがあるらしいよ。一緒に食べよう?」
 そう言って、天羽を連れて行く。
 天羽はまだどうにもぎこちない動きだけれど、元々仲が良かったのなら、話しているうちに元に戻ることだろう。
 ミカナギが不思議なものでも見るように、そんな2人の背中を見送っている。
 なので、イリスはそっとミカナギの脇に寄り添う。
「どうしました? お兄さん」
「……いや、オレの中では……ありえない展開だったもんだから」
「そう?」
「オレ、世の理には……反さない性質、みたいだから」
「 ? 」
 イリスが不思議に思って首を傾げると、ミカナギははっと我に返ったようにぴくりと動いた。
「今のナシ! さってと、またひと泳ぎしてくらぁ♪」
 いつも通りニッカシ笑って、ミカナギはザブザブと海へと入っていく。
 イリスはそんな彼の背中を見つめて、うぅん……と唸る。
「そんなことは……無いと思うけどなぁ。単に、ミカナギ君は心が広すぎるだけ、なんじゃないかなぁぁ」
 と呟いて、ゆっくりと伸びをし、アインスたちが座っているパラソルの下へと戻った。
 なんだか、目の前で余りにすごいものを見てしまって、あてられてしまったようだ……。




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