第七節  異常者。


「私は絶っっっ対に嫌!!」
 泣きに泣いて、ようやく元気になったトワが、ミカナギの言葉を聞いて、開口一番そう叫んだ。
 ツムギが亡くなってから、一週間か二週間経った頃のことだったろう。
 ツムギが遺した『約束』について話し合っている時に、彼女は全てを拒絶した。
 彼女は、全て受け入れたくないと、言ったのだ。
 タゴルの研究に、トワが協力すること。
 ミカナギが、行方不明になったタゴルの子供を捜しに行くこと。
 そして、3つめの約束も。
 ツムギが死ぬ間際の時は、仕方なく首を縦に振ったようだったが、やはり嫌だと、全て一蹴した。
 ミカナギは片目を閉じて、やっぱりなぁとでも言いたげなため息を吐いた。
 トワが複雑そうに眉をひそめて、ミカナギを睨みつける。
「ミカナギは、なんでもかんでも、ママ中心に物事を考える。そりゃ、私だって、ママは大好きだけど……でも、こんなの、違う。あんな約束、守りたくない……!」
 トワはにわかに頬を膨らませて、そっと自分の腕をさする。
 彼女の腕には鳥肌が立っていた。
「嫌よ……」
「トワ、でもさ……世界を護れるかも知れないんだぜ? ママの願い、オレたちなら、叶えられるん……」
「知らない! 世界なんて知らない!!」
 トワはまるで駄々をこねる子供のように、嫌々と首を振る。
 確かに、彼女の性質は我儘ではあるのだが、今回はそれに輪をかけて譲る気はないらしい。
 ミカナギは困ったように、唇を噛んだ。
 ……彼女の拒絶は当然で、仕方がないことだとも思う。
 むしろ、自分が異常なのだ。
「オレは……ママがいなくちゃ、生きてる意味、ねーんだ」
 ミカナギは静かにそう言った。
 それを聞いたトワが、怪訝な表情をした後に、すっとミカナギから視線を外した。
「……酷い……。そんなこと言われたら、対の私の立場はどうなるの?」
「お前がメイン。オレは、只のおまけじゃねーか」
 その言葉に、トワは持っていたホログラフボールを動かした。
 ぼぅっと光を発し、その後に、ミカナギの足元に警備システムの監視ビーム銃の光線が落ちる。
 ミカナギは驚いたように後ろへと飛び退く。
「な、ななな、何すんだよ?!」
「…………」
 トワは無言でミカナギを睨みつけ、くるりと踵を返す。
 そして、静かに言った。
「おまけだったら、あなたに太陽を象る名前なんて、付けないわよ」
 ヒタヒタと、裸足の足音が周囲に響く。
 トワの肩が微かに震えた。
「しまった……泣かせた」
 ミカナギはそっと額に触れて、反省するように目を閉じた。
 自分が異常なのだ。
 基礎遺伝子の持ち主に異常なほど固執して、自分の命など価値がないと言い切れてしまう……自分が異常なのだ。
 トワは何も悪くない。
 トワが恐れるのは当然のことだ。
「ミカナギ」
 言ってしまった言葉を悔やむように表情を歪めていると、トワが立ち止まって、ミカナギを呼んだ。
 ミカナギはすぐに目を開ける。
 すっと……振り返るトワ。
 何度か拭って誤魔化したつもりだったろうが、彼女の頬を涙が伝った。
「2つ目までは……受け入れてもいい」
 頻りに腕の鳥肌をなだめるようにさすりながら、彼女はそう言って、再び歩いていった。
 ミカナギは、呆然とその背中を見送るだけ。
 3つ目は、やっぱり嫌なのか……。
 でも、当然か……。
 ミカナギは髪をクシャリと掻き上げて、はぁぁとため息を吐いた。


『オレは……何よりも、世界を選ぶ』


『……へぇぇ。本当に、 ソ   レ デ   イ  イ   ノ カ  イ   ? 』



 闇の中で、2つの声がした。


 ミカナギは右目が激しく熱を帯びていることを感じ取り、素早く眠りから覚めた。
 ゼェゼェと、ただ眠っていただけのはずなのに、息が上がった。
 右目がジンジンと痛み出す。
 夢が終わって、見えていたはずのトワの顔は、再び霧の向こうへと押し込められてしまった。
 ミカナギは奥歯をギリッと噛み締める。
「なんなんだよ……クソ!!」
 意味も分からず出てくる記憶への憤り。
 そして、意味が分からないのに受け入れている自分への憤り、だった。
 ニールセンのいびきと、カノウの穏やかな寝息が聞こえてくる。
 呼吸を落ち着かせながら、ミカナギはギュッと胸元を掴む。
 そして、ミカナギはフラリと立ち上がった。
 フラフラと部屋を出て、静かに宿を出る。
 すると、綺麗な歌声が聞こえてきた。
 その唄に聞き覚えがあって、ミカナギはすぐに立ち止まる。
 声は違うけれど……。
 天羽が宿の前のベンチに腰掛けて、静かに唄を歌っていた。
「天羽……?」
 ミカナギが声を掛けると、天羽は歌うのをやめて、こちらを見上げてきた。
 にゃっぱりと笑って、ミカナギに座ってと隣を示す。
 なので、ミカナギは腰掛けてから尋ねた。
「何やってんだよ。お前は一人になるなって言ったろ?」
「あはは〜。眠れなくって。それにだいじょぶ。アイちゃん、あそこで見張ってるから」
 天羽は自分の泊まっている部屋を指差して、その後にアインスに向けて手を振った。
 アインスもヒラヒラと振り返してくる。
「……まぁ、狙われてるんだから、大人しくしてくれよな?」
「うん〜」
「今の唄さ」
「お姉ちゃんの唄だよ」
 ミカナギが尋ねるよりも早く、天羽はきっぱりとそう返してきた。
 ミカナギは目を細めて、納得したように頷く。
 天羽は静かにスモッグだらけの夜空を見上げる。
 ドーム越しに見上げる夜空は、いつもよりは多少綺麗に見えた。
「お姉ちゃんは、あたしの憧れ……。でも、あんな風にはきっとなれないなぁ。ずっと、あたしは落ち着きのないままなんだ、きっと」
「……アイツもそんなに落ち着いてるほうじゃねーけどな」
 ミカナギはククッと笑いながらそう言った。
 その言葉に天羽が驚いたようにミカナギを見つめる。
「あ……や、口が勝手に」
 ミカナギが困ったように眉を歪めて、口を抑える。
 天羽は静かに何か考えるようにして、ミカナギを見つめていたけれど、ふと、疑問を口にした。
「お兄ちゃんって、なんで、記憶なくしたんだろうね」
「さぁ……な」
 ミカナギはそれしか答えられずに、首を掻く。
 なってしまったものは仕方ないし、みたいな……楽観的な物の見方をしやすいらしく、あまり気にしていなかった。
「イリスさんに聞いてみよっか?」
「イリスは何も知らないよ」
「……でも、お兄ちゃんが倒れていた時の状況を、知っている人、なんだよね?」
「まぁ……な」
「明日、あたし、聞いてみよ〜っと」
 天羽は楽しそうにそう言って、コテンとミカナギの肩に寄りかかってきた。
「この街、ドームのおかげで気温が快適でいいよねぇ……。夜、外で凍えないの、初めて」
「そう……だな」
「空気も他より綺麗。ここなら、お姉ちゃんも暮らせそう……」
「え?」
 ミカナギはその言葉には不思議そうに首を傾げた。
 天羽がおかしそうに笑いをこぼす。
「記憶、ぐちゃぐちゃみたいだねぇ」
「……ああ……」
 ミカナギは天羽の言葉にすぐに頷いた。
 そういえば、以前見た夢であったような気もする。
 彼女は……外の穢れに弱い……ということを言っていた記憶が、どこかにあった。
「そろそろ寝ようかなぁ……」
「そっか?」
「うん。お兄ちゃんと話したら、少し落ち着いた」
「ああ、お休み」
「うん♪ お兄ちゃんも、寝ないと……あ」
 天羽はすっくと立ち上がって、ミカナギに言い聞かせるように口を開いたが、宿からイリスが出てきたのが見えて、天羽は口を塞いだ。
 イリスは迷わずこちらへと歩いてくる。
「こんばんは、天羽ちゃん」
「こんばんはぁ」
「眠れなくて窓の外を見たら、2人が見えたから」
「あ、あたしは今から戻るんだ。……えっと……」
「そっか、じゃ、お姉さんも戻る」
「え?」
 ミカナギはその言葉に首を傾げた。
 天羽も困ったように目を細める。
「2人きりになるのは、天羽ちゃん的にNGでしょう?」
 イリスはニッコリと笑ってそう言う。
「ミカナギ君の顔も見れたし、別にいいわ♪」
「そこまで遠慮しなくたって……」
「ミカナギ君」
「ん?」
 イリスは悲しそうに目を細めて、そっとミカナギの頬に触れた。
「あまり、顔色がよくない。きちんと寝てね?」
「……ああ……」
 ミカナギはイリスの言葉に頷いて、そっと俯いた。
 天羽が歩き出すと、イリスもそれについてゆくように宿へと向かう。
 ミカナギはそれを横目で見送り、ゆっくりと空を見上げた。



 そんな3人のやりとりを、ペリドットの宝石を思わせる、澄んだグリーンの瞳が見つめていた。
 宿の屋根の上。
 伊織を抱き締めた状態で、ツヴァイはミカナギの背中を見つめる。
「い、痛い……ツヴァイ、痛いよ」
「え?」
「離して」
「はい」
 言われるままにツヴァイは伊織を離す。
 急に支えを失った伊織は、屋根の上でしりもちをつく。
 涙目になって、お尻をさすり、ツヴァイを見上げた。
「ひどいよぉ、もっと考えてくれたって……」
 けれど、ツヴァイはそんな言葉など聞いちゃいない。
 ミカナギの背中をどんどんズームにして、視線で捉える。
 2人がいなくなって、ミカナギがカシカシと頭を掻き、うぅん……と唸っているのが聞こえた。
「今日は……あの子、ネコ耳じゃなかったな……」
 伊織が隣でそんなことを呟いたけれど、ツヴァイはそんな言葉には全く反応を示さない。
「ツヴァイ?」
「なんでしょう」
「え?」
「なんだか、とても、回路が熱く……」
 静かに呟いて、胸にそっと触れた。
 伊織が意味が分からないようにツヴァイを見上げる。
「あれも、壊さないと……。邪魔な者は、徹底排除……」
「ツヴァイ?」
 ツヴァイは伊織の存在など全く無視をするように、ふわりと宙に浮き上がった。
「え?! ちょっと、ツヴァイ!!」
 伊織の制止の声など聞かずに、ミカナギの元へ向かって下りていってしまった。



第八節  女なうえにロボットだぜ?


「まぁったく、人がダーク入ってんだから、そういうのやめにしない?」
 ミカナギは背後に降り立ったツヴァイに対して、そう言い放った。
 ツヴァイはナイフを持つ手を止めて、静かにミカナギを見つめる。
「なぜ、わかった?」
「敏感な性質でね」
 ミカナギがゆっくりと立ち上がって、こちらへと振り返る。
「それに、このオイルの臭いは、独特だ」
 紅玉のような彼の目と、目が合う。
 ミカナギは人を食うように笑みを湛え、ツヴァイを見下ろしてくる。
「……天羽狙い?」
「…………」
「次から次へと、忙しいねぇ」
 茶化すようにそう言って、何かを心配するように宿を見上げる。
 ツヴァイはその視線の意図がわからずに、後ろを見た。
 その隙を見逃さないように、ミカナギが素早く、ツヴァイの腕をガシリと掴んで捻ったけれど、その瞬間、ツヴァイはミカナギを投げ飛ばす。
 ミカナギは片手をついて、なんとか持ちこたえ、しっかりと受身を取った。
 すぐに立ち上がる。
「あー、くっそ。このシャツ借り物なんだから勘弁してくれよ!」
 ミカナギはシャツについた土をポンポンと払いながら、茶化すようにそんなことを言う。
 この男のこの余裕はなんなのだ?
 サーテルの街でもそうだった。
 思いのほか、動揺、というものがなかった。
 この男の心臓は、場面とは異なり、早鐘を打たない。
「あー、やりづらいなぁ。女なうえにロボット……」
 ミカナギはそうごちると、再び飛び出してきた。
 武器だって持っていないのに、どうして向かってこれるのか?
 以前の闘い、武器があったとて、ツヴァイの優位だった。
 武器がなかったら、勝負なんて目に見えている。
 ツヴァイはナイフを握り締め、ミカナギへと向けた。
 走りながら体をターンさせて、それをかわし、ミカナギの拳がツヴァイの懐に入った。
 特に痛みなどない。
 なので、すぐにツヴァイは蹴りを放つ……が、瞬時に見切ったように、ミカナギの体は素早く後ろへと下がった。
「お前さ、マジ笑えないから帰れ」
「なに?」
「オレは……お前のこと、一生許せないだろう」
 ミカナギはようやく真剣な目をして、そう言った。
 ツヴァイはその言葉に、回路が熱を発するのが分かった。
 出掛けに、ハズキに言われたことを思い出す。
『ミカナギには、あまり関わるな』
 と言われた。
『アイツは、人を見透かして、人を吸い込む』
 そんなことを、言っていたような気がする。
 でも、もう遅い。
 ハズキの言葉が真実ならば、サーテルの街での、あの一件。
 あの時点で、自分はミカナギに吸い込まれていた。
 そうなのだと思う。
 そうでなければ、自分が任務を無視して、こんなところに立っているわけがない。


『そんな風に言われて作られたんだとしたら、お前さんを、可哀想に思うよ』


 あの時の、あの言葉が離れない。
 自分は存在意義にも何にも、疑問など抱いていない。
 それなのに、あの言葉が……今のツヴァイを支配している。
 人を見透かすようにある、真っ直ぐな眼差しが……捉えて離さない。
 何を?
 ツヴァイを、だ。
「邪魔者は排除」
「……ああ、やりたきゃやればいい。でも、街中はやめてくんない?」
「…………」
「お前相手だと、アインスじゃねぇと対抗できない。……だが、アインスが立てば、こんな街なんて簡単に消えるだろ」
 ミカナギは悲しそうに目を細めて、ツヴァイを見据えてくる。
 ツヴァイは何も言えずに、ミカナギを見つめ返すことしか出来ない。
 加減をしろとは、ハズキにも言われた。
 修理が大変だからだそうだ。
 以前の戦い、自分の体は核である回路と、その周辺部分しか残らなかった。
 本当に、間一髪だったのだ。
「天羽欲しさに、街2つ……なんてことになりゃ、さすがのオレも、お前の回路がぶっ壊れるまで手を出すしかなくなる」
「やればいい。違うか?」
「できるかよ」
 ミカナギは奥歯を噛み締めて、片目をゆっくりと閉じる。
「お前は、親の言いつけを後生大事に守ってるだけの子供と一緒だ。プログラムってのは忠実で、アインスみたいなロボットは例外だ」
「…………」
「悪いのは、造った奴だ。お前が悪いんじゃない」
 ミカナギは静かにそう言い、目を細めてドーム越しに夜空を見上げる。
「……せっかく、生まれてきたんだ」
「 ? 」
「何が駄目で、何が駄目じゃないのか。それだけでも知れよ、お嬢ちゃん」
 ミカナギはゆっくりと歩み寄ってくる。
 ツヴァイはナイフをブンと振って、それをけん制した。
 ミカナギの頬に、軽く赤い筋が入る。
 けれど、ミカナギは躊躇いなく、ツヴァイの持つナイフを弾き、ポンポンと頭を撫でた。
 ツヴァイはすぐにミカナギの頬を叩き、その後に鳩尾に蹴りをぶち込んだ。
 街中での武器の使用について、もう少し加減をしろとハズキに言われたのもある。
 だが、それとは別に、なぜか、ツヴァイの回路がそれを選択しない。
 さすがのミカナギもまともに鳩尾に入ったのか、ズルズルとその場にへたり込み、うずくまった。
「っつ……」
「お前、バカ、だ」
「……そうかい……?」
「造った者が悪いのではない。そのようにしか動けない、ワタシ自身が愚かなのだ」
「愚かなんかじゃない」
 ツヴァイの胸が熱くなる。
 この男と話していると、回路がおかしくなる。
 攻撃の手が、止まる。
「本当に愚かなのは、愚かという言葉が、自分には適用されないと思ってる奴のことさ」
 ミカナギはゆっくりと立ち上がる。
 そして、くるりと踵を返した。
 ツヴァイの攻撃が相当効いたのか、足がふらついている。
「どこへ行く?」
「寝るんだよ」
「な?!」
「……いい夢を見な。この街は、潮騒が耳に優しい。お嬢ちゃんにも、なんか教えてくれるかもしんねーぜ?」
「…………」
 ミカナギがゆっくりと振り返る。
「月って、見たことあるか?」
「月?」
「あれはいい。まさしく夜の女王。それだけの存在感がある。……っても、オレも、夢でしか見てないんだがなぁ」
 ミカナギはおかしそうにそう言って笑い、宿へと入っていってしまった。
 ツヴァイはそのまま呆然と立ち尽くす。
 キュイーーーン。
 音を立てて、回路が急激に冷却されていく。
 まともな判断能力が発揮されなかったのは、回路が熱を持ちすぎたからか。
「つ、ツヴァイ?」
 伊織が自分の念動力でふわふわと浮きながら、こちらまで飛んできた。
「……不可解」
「え?」
「ますます、わからなくなった」
 ツヴァイはぽつりと呟いて、すぐにふわりと浮き上がった。




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