第十節  青痰は漢の勲章?


 ミカナギは起きてすぐに、うぅん……と唸り声を上げた。
 昨日ツヴァイに張られた左頬が、若干腫れているのが分かる。
 ナイフで出来た切り傷は寝ている間に治ってしまったようだったが、金属質の彼女(しかも怪力)に殴られたとあって、治りが遅い。
 ゆっくりと立ち上がって、洗面所へと向かう。
 朝早いこともあって、廊下には誰もいない。
 洗面所の扉を開け、素早く鏡を覗き込んだ。
「うぅん……男前☆」
 ミカナギはふざけてたはっと笑い、青くなっている目の下をさすった。
 あからさまーに、喧嘩しましたと自己主張している怪我。
 バンダナでも隠せない位置。
 これで、もしも、明日には元通りになっていたら、いくらなんでも不自然すぎるのではないだろうか。
「……まいったな……。氷袋借りて寝りゃよかった……」
 ミカナギはため息を吐き、じっと鏡に映る自分の顔を見つめる。
 ……が、どのくらい睨みつけたって、『男前』な顔が元に戻るわけじゃなし。
 ポリポリと首を掻き、仕方がないので洗面所を出た。
 どう言い訳したものか。
 悩みながらも顔を上げると、いつからそこにいたのか、突然イリスが抱きついてきた。
「ミ〜カナ〜ギ君♪ おはよぉ☆」
「い、いいいい、イリス?!」
「ちょうど顔洗って出てきたら、ミカナギ君が洗面所に入っていったのが見えたから待ってたのよ」
 イリスは女性用の洗面所を指で示して、にっこりと笑った。
 ミカナギは顔が近い位置にあることもあって、若干顔を引きながらも笑い返す。
「ああ、なるほど。イリスは起きるの、相変わらず早いんだな」
 顔洗って……なんて程度じゃない。いつでも出掛けられるくらい、綺麗にしている。
 思えば、昨日の朝飯の時間に会った時もそうだった。
 ……それが、自分のためであることを考えると、なんとも酸っぱい気持ちになる。
 どれだけ残酷なことを、自分はしているのだろうと、思う。
 けれど、記憶を取り戻すのに四苦八苦している今の自分には……そこまで深く考えられるほどのキャパシティがない。
「あらぁ……どうしたの? 折角の男前が台無し」
 イリスはすぐにミカナギの目の下に視線を動かし、心配そうに首を傾げる。
「あ、や、その」
「誰か女の子にちょっかいでも出したのかしらぁ? でも、ミカナギ君を拒絶なんて、すごい女の子ねぇ……」
 イリスは冗談っぽくそう言って、ゆっくりとミカナギから離れた。
 あながち間違いでもない。
 ……ただし、ちょっかいを出したというよりかは、出された……が正しくて。
 殴られる必要もない要因を、自ら作り出してしまったのだ。
 自分でも、なぜあの時、ツヴァイの頭を撫でにいったのかがわからなかった。
 サーテルの街が破壊されるに至った原因。だから、自分の中には相応の憤りがあって……。
 けれど、それと同様に、彼女を透かして見た悲しみも思い出した。
 ……また、もうひとつ。
 記憶がぐちゃぐちゃになって、流れ続ける今だからだろうか。
 心の中で、何かが言う。
 ……自分は、あの子を知っている。と。
「昨日の女の子、誰?」
 イリスはゆっくりと振り返って、そう言った。
 先程のは冗談でなく、イリスはあの時のやりとりを見ていたらしい……。
「心配で窓の外見たら、なんだか、緊張感たっぷりだったけど」
「…………」
「ナイフまで持って……。あれは、色恋沙汰、ではないよね」
 ミカナギはポリポリと頭を掻き、誤魔化すようにニッカシと笑う。
「ちょっとな」
「……言えない?」
「ああ、できるだけ」
 ミカナギは真摯な眼差しでイリスを見つめ、そう告げると、静かに俯いた。
 できるだけ巻き込みたくはない。
 事情を知れば、イリスは首を突っ込んでくる。
 そういう人なのを、ミカナギは知っている。
 イリスはそんなミカナギの伏した顔を、とても愛しそうに見つめていたが、何かを思い出したように、ポケットをゴソゴソと漁りだした。
「あ、あの……ミカナギ君、実は……」
 と言いながら、慌てているせいか、意図通りに物を掴めないようで、まだポケットをゴソゴソとやっている。
「お兄ちゃん〜、おはよぉ〜」
「おはようございます、ミカナギ。イリス」
 けれど、イリスが物を取り出すより前に、天羽とアインスが現れて、イリスはすぐに動きを止めてしまった。
「おぅ、おはよ。……イリス、何?」
「あ、え、えと……や、やっぱり、なんでもない」
 イリスは取り繕うように笑うと、すぐに天羽とアインスに笑いかけ、挨拶をした。
 その後、悩ましげに顔を伏せたけれど、その様子は天羽が現れた騒がしさで、ミカナギも気がついてはあげられなかった。



第十一節  Transgenics-Mensch 001は、誰よりも丈夫な子。


 ミカナギがカノウを引き連れて、ギルドで金を稼ぎに出て行った後、天羽はイリスの部屋に行き、聞ける限りのことを聞いた。
 相変わらず、アインスは壁際に立ち、2人のやり取りを見つめているだけ。
 一通り話を聞いた後、天羽はうぅんと唸り声を上げた。
 確かに、ミカナギの言う通り、あまり手がかりになるようなことはなかった。
 けれど、問題はミカナギが行き倒れていた期間がどのくらいなのかということだ。
 Transgenics-Mensch 001であるミカナギならば、10年くらい放っておいても、死にはしないと思う。
 ミカナギは、耐久力といおうか、身体的なレベルを出来うる限り特化させたTransgenics-Menschだ。
 だから、長期間、そこに倒れていた、と聞いても納得できる。
 ミカナギと連絡がつかなくなったのが、8年前。
 それから、イリスに発見される1年半前まで、そこに倒れていたとしたら……。
 けれど、理由は?
 先程も言ったが、ミカナギの体はあらゆる面で特化した体だ。
 それは免疫力もそうだし、自己治癒能力もそう。
 だから、怪我や病気……なんてありえない。
 そのうえ、食糧が尽きた……という話でもなかったらしいことは、イリスが一番最初に確認したミカナギの荷物の中に、食糧も水もあったことから、条件としては除外される。
 仮に8年前から倒れていたとして、ミカナギは、どんな理由で、それだけの期間、意識を失っていたのか。
「そういえば、アインス君と天羽ちゃんってどういう関係なの? 普通、女の子は別室にしてあげるものなのに、アインス君が当然のように選ばれているのって、すごく興味深いんだけど」
「……おれは、この旅では天羽の護衛、が最大の任ですので」
「護衛?」
「はい」
 真面目に答えるアインスを見て、イリスは不思議そうに首を傾げる。
「天羽ちゃんって、お嬢様か何か?」
「ん〜? お嬢様……というか、天使?」
「ミズキ様の趣味専用」
 イリスの問いに2人はそれぞれ、インプットされているままに答える。
 イリスがそれを聞いて困ったように眉をひそめた。
 さすがに、冗談でそう言われれば笑えたのだが、2人が冗談でそう言っているように見えなかったからだ。
「まぁ、あれですよ。あたしのパパのミズキって人が、とっても心配性で、アイちゃんはその人のために、あたしの護衛をしてくれている、と」
「……なんだか、知れば知るほど、あなたたちパーティーってミステリアスよね」
「ふぇ? そう?」
「ええ。あなたたちはそれで当然なんだろうけど、部外者のお姉さんにはさっぱり分からない部分がたくさん」
 イリスは少しばかり悲しそうに目を細めてそう言った。
 天羽はそれは当然だなぁと感じて、すぐにきゃろんと笑いかけた。
 ミカナギ自身、自分が人間ではないことを知らない。彼がTransgenics-Mensch 001であることを分かっているのは、天羽とアインスだけだ。
 このパーティーには、人間ではない者が3人もいる。
 そして、それを知らずして、理解できる間柄ではないのが……この3人の関係性でもある。
 だから、そこを知らないイリスのその言葉は当然なのだ。
「……まぁ、いっか。深入りするほど、厚かましくもない……つもりだし」
「イリスさんはさ」
「ん?」
「お兄ちゃんをどうして好きになったの?」
 天羽の突然の問いに、イリスは驚いたように目を見開いた。
 けれど、すぐに当然のように答える。
「どうしてっていうか、直感で好きになった」
「直感?」
 天羽の頭に、カノウのサーテルの街で聞いた『インスピレーション』という言葉が過ぎった。
「恋って、感覚でするものでしょう? 理屈で考えても、その人のこと、本当に好きなのかなって思い始めるだけ。下手したら嫌いになっちゃうこともあって。だから、アタシは直感で好きになった。感覚で……。きっと、好きになった場面ってどこかにあるのだと思うけど、……残念ながら、アタシにはそれはわからない」
「……そうかもね」
「でしょ? 理由なんて問うだけ無駄。好きなものは好きなんだから、しょうがないじゃない」
 イリスは困ったように目を細めて笑い、その後に照れ隠しなのか、うぅんと手を合わせてゆっくりと伸びをした。
 天羽はそれに対して、少しだけ躊躇われたけれど、静かに口を開いた。
「お兄ちゃんには、……大事な人がいるって言っても、変わらない?」
「…………」
 イリスはその言葉を聞いて、まるで知っていたかのように、……当然のように笑った。
「ええ、変わらない」
 その言葉を聞いて、自分の胸がズキリと痛んだ。
 本当は少しばかり語弊があった。
 それは、トワにとってミカナギがかけがえのない大事な人であることは分かっていて、天羽も2人の幸せを願っている。
 それが天羽の知りうる情報であって、ミカナギの気持ちまではわからないのだ。
 分からないからこそ、イリスの登場によって、自分は激しく憤りを覚えた。
 大好きなお姉ちゃんの大好きな人。
 だから……他に仲のいい女の人がいるなんて、認められなかった。
「片想いしかできないことを分かっていて、アタシは彼を好きになったの。それだけのことだから、何も変わらないわ」
 けれど、目の前の……その人は、これほどまでに切ないことを言う。
 トワが大好きなはずなのに、自分の心はとてもイリスに同情している。
「イリスさん」
「なに?」
「言ったら?」
「え?」
「言わないよりは……言ったほうがいいんじゃないかな。なんだか、勿体無いよ……」
「天羽ちゃんは”お姉ちゃん”の味方じゃなかった?」
 そう言われて、天羽の頭にトワの優しい笑顔が浮かんだ。
 けれど、それでも……なんだか、こんなに綺麗な想いが、外に出ずに終わるのは勿体無い気がした。
 天羽が困ったように目を細めると、イリスは優しく天羽の頭を撫で、優しく微笑んだ。
 その笑い方は……トワに似ていた。
「ありがとう。気持ちは嬉しい」
 イリスはそれだけ言って、ゆっくりと目を閉じた。




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