第六章  届けよ、この想い。そして、オレは歩き出すよ、君の元へ、の章

第一節  姫の恋煩い


「トワ? いるかい?」
 ドア越しに声を掛けようと、ドアの前に立った瞬間、シューンと音を立てて、トワの部屋の自動ドアが開いた。
 ミズキはふぅ……とため息を吐く。
 本当に、トワは女性のくせに、異様に無用心というか、ずぼらというか。
 ロックを掛けておくようにという自分の言葉は、どうもきちんと受け止めてもらえていないらしい。
 姫だから仕方ないのだろうか。
 自分に危害を加える存在など、あろうはずもない。
 彼女なら、そんな風なことを考えていそうだ。
 ゆっくりと足を踏み入れ……次の瞬間、言葉を失った。
 部屋に入った途端、視界一面が真っ青な草原へと姿を変えたのだ。
 ミズキは一歩足を踏み入れた状態で、立ち尽くす。
 トワはこのプラント内のシステムを自由に扱える権限と能力を持っている。
 だから、室内全体をホログラフ化することも、確かに可能なことではある。
 現在、地上には決してないその景色は、きっと人類全ての憧れだ。
 草原はあっても、このように柔らかな日の光など、どこにもないのだから。
 トワが青く光るホログラフボールをふわふわと浮かせながら、花の冠をかぶって、鼻唄を歌い、舞っていた。
 本当に楽しそうに、裸足の足が軽やかにステップを踏む。
 着ている服はシンプルなワンピースなのだけれど、そんなものは関係ないほどに、架空の日の光の下でダンスを踊る彼女は、とても美しかった。
 ミズキはついその姿に見惚れてしまい、声を掛けることを忘れた。
 彼女は……とても大人な部分と、とても子供な部分を併せ持つ、そんな人だ。
 そんなトワに翻弄されている自分がいることを、きっと彼女は知りもしないだろうけれど。
 一曲歌い終わったのか、トワが足を止めて、ゆっくりとホログラフボールに向かって手をかざす。
 ふよふよとトワの胸元へ降りるボール。
 そして、次の瞬間、トワはミズキの存在に気がついた。
 かぁぁぁっと顔が赤らんで、素早く、頭の上の花冠を外す。
「何?」
 第一声がそれ。
 とても、不機嫌そうな声。
「な、何? はいくらなんでも酷いな……。君がロック掛けてなかったんだろう?」
 外はねの髪に少しばかり触れて、ミズキはすぐにそう返した。
 本当に、姫、なのだから。
「ああ、忘れてた」
 なんでもないようにサラリと言い、その次の瞬間、シュンと音を立てて、草原からトワの部屋へと景観が変わる。
 クローゼットから色々と引っ張り出したのか、服がそこかしこに散乱しており、先程の綺麗な草原とは正反対で、彼女の部屋はいつになくとても汚かった。
「用があって来たのでしょう? ごめんなさい、汚くて」
 トワは普段の優しい声に戻って、適当にそのへんの服を摘んでたたみ始める。
 ミズキはすぐに彼女のベッドサイドまで歩いていって、部屋の様子をもう一度見返す。
「いや、僕は乱すのが専門分野だから、この程度で汚いとは思わないけど」
「…………。私、今はミズキの部屋には行きたくないわね」
 にっこりと笑顔を浮かべているけれど、その台詞のなんと厳しいこと。
 ミズキは苦笑を漏らし、その後に様子を窺うように一言。
「乗ったみたいだね?」
「……ええ」
 彼女は分かっているだろうか。
 その時に見せた表情は、とても可愛らしかった。
「嬉しい?」
「嬉しい半分、戸惑い半分」
「記憶がないから?」
「……それもあるけど、私、そういえば、おしゃれする時はいつもミカナギにやってもらってたって、今頃気がついたの」
「…………」
「だって、私、自分にどの色が似合うとか、どんな髪型が似合うとか、全然わからないもの」
 天然の、姫。
 小綺麗にして、いつもワンピースばかり着ているのは、そのせいもあったらしい。
 それでも、小綺麗にしているだけマシなのだろうが。
「それに引き換え、ミカナギはセンス良かったなぁ……。オレは赤が似合うのさって言って、赤いシャツをよく着てたけど。デザインも凝ってたし、ああいうのどこで見つけてくるのかしら」
 トワは薄い紫色の可愛らしいフリルシャツを見つめて困ったように首を傾げる。
「とりあえず、これはツムギからもらったのだけど、ミカナギは『お前はこういうコテコテしたのは似合わないからやめたほうがいい』って」
「ああ、それは分かる気もする」
 彼女には柄物やデザインの凝った服は合わない気がする。
 着こなせはするだろうけど、彼女のイメージとして、違和感を感じる。
「うぅん……どうしよう。どれがいいと思う?」
 結局結論が出ないらしく、ミズキに意見を仰いで来るトワ。
 ミズキは苦笑を漏らすしかない。
「時間はあるんだし、ゆっくり悩みなさい」
「……意地悪」
 年甲斐もなく唇を尖らせるトワ。
「意地悪って……。だって、僕がこれがいいよって言っても、君は聞かないだろう」
「ええ」
「トワ……」
 いくらなんでも即答はなかろうに。
「似合わないって言われたら、君は意地でも着るイメージがあったよ」
「どうして? わざわざ似合わないもの着たって面倒なだけでしょう?」
 彼女はファッションに関して試行錯誤するということを知らないらしい。
 どれだけ恵まれた容姿をしているのか、自覚もないのだろうか……。
「まぁいいけど……。意外とミカナギが勧めてくれなかった服で合うのがあったりするかもね」
「……だから、自分で見ても合ってるのかどうかさっぱりわからないんだってば」
 トワは再び唇を尖らせる。
 ミズキはその表情があまりに可愛らしくて、ふっと噴出してしまった。
「な、何?」
「いや、別に。もしかして、ミカナギにもそう言った?」
「え?」
「それで、ミカナギがアレンジを請け負うようになったとか、そんな感じじゃないの?」
「…………。そういえば、そう……だったかな……?」
 トワはそっと思い出すように目を細めて、持っていた服をきゅっと握り締めた。
 腕の傷に思わず目が行ってしまう。
 治療しても治療しても、彼女の腕の傷はなかなか消えなかった。
 癒えるスピードがとても遅いというのもあるのだろうけれど、完全に痕になってしまっている。
 その時、気がついた。
 今部屋に散乱している服は全て……長袖だ。
 気がついた瞬間、少し、胸が痛くなった……。



第二節  恋時間


 ミカナギはチケットの取れた客室へと入ってすぐにはぁぁとため息を吐いた。
 あまりの別世界ぶりにカノウはすぐに車内散策へと出掛けて行ってしまった。
 天羽も誘っていくということだったので、アインスもそれについていき、図書コーナーがあるという話を聞いて、ニールセンも出て行ってしまったから、現在ミカナギは1人きりで、窓の外を見つめていた。
 車内も外観と同じくスタイリッシュな雰囲気を漂わせており、ウェイター・ウェイトレスの衣装にも異常なほど凝っていることを肌で感じ取ってしまった。
 飲み物おかわり自由。食べ物食べ放題。
 単なる移動手段の一つに過ぎない乗り物が、至れり尽くせりの竜宮城。
 ミカナギは微妙に笑顔が引きつってしまった。
 けれど、天羽もアインスも、車内を見て納得したように頷いただけ。
 『ミズキ』を知る者だけに理解できる……ここまでの凝り様……というところだろうか。
「こういう部分で贅を尽くす余裕があるなら、もっと回せるものあるんじゃねぇの?」
 思わず口をついて出てしまった。
 ミカナギは……この半年でそれなりに色々な場所を見てきたと思う。
 そこには腕や足が不自由で物乞いをして生きることしか出来ない人や、……イリスのように家族を全員事故で亡くしてしまった人だってたくさんいた。
 仕方ないことだと、自分は言う。
 けれど、その言葉と一緒に、心までそうかと言われたら、それは……違うから……。
 ミカナギはそっと目を細めて、流れていく景色を見つめる。
 視界を流れていく荒野。
 聞いた話では、この汽車は奥深い谷を橋で渡っていくのだそうだ。
 人気が全くなく、逃げ場もない。
 そんな空間になる場所が……いくつもできる。
「油断は、できない、な……」
 ミカナギは静かに呟き、窓際に肘を置き、頬杖をついた。
「どうして油断が出来ないのぉ?」
 突然耳元でそんな声がして、ミカナギはビクリと肩を震わせた。
 ゆっくりと振り返ると、すぐそこにイリスの顔があった。
 にっこりと笑い、ゆっくりとミカナギの隣に腰掛ける。
「覗いてみたら、ミカナギ君しかいなかったから」
「……ああ」
 イリスの言葉にミカナギはゆっくりと頷いた。
 腰掛けたイリスは足を少しばかりプラプラさせ、考え事をするように目を細めている。
 静かに髪を掻き上げると、長く真っ直ぐな髪がサラリと落ちた。
「アタシ」
「ん?」
「谷に入る前に……汽車を降ります」
「……ああ……そっか」
 イリスが少し硬い表情と硬い口調でそう言ったので、ミカナギも少しばかり戸惑った。
「クラメリアって、結構発展した街だって聞いていたから、本当は見てみたかったんだけど……なんだか、自信喪失しそうだから、今回は見送ることにした」
「服飾技術のこと?」
「……それもあるけど」
「え?」
「ミカナギ君の彼女さんにも、会っちゃうかもしれないから」
「オレの、かの……じょ?」
 ミカナギの問いに、イリスはこくりと頷き、静かにミカナギを見つめてくる。
 その表情を見た瞬間、感じ取った。
 イリスの表情はとても静かで、けれど、決意を秘めた眼差しをしていた。
 その表情は戦地に赴くことを覚悟した、ギルドハンターたちのそれと同じ。
 ミカナギの心臓が跳ねる。
 心が呟いた。
 ……言うな……。と。
 自分は、とても残酷なことを強いている。
 気がついているのに何もせず、彼女が自分に対して気持ちを伝えられないこともなんとなく感じ取って、このポジションを守り続けてきた。
 そうすれば、いつでも笑って会えると思ったから。
 それだけ、心を許した人だから、だ……。
 変わることが、一番怖いのは、こういう……目に入れても痛くないほどになってしまいながらも、そこにある情が恋愛感情ではない場合だと……思う。
 イリスはパーカーのポケットを気にするように触りながら、ゆっくりと口を開いた。
「アタシの恋は……一目惚れから始まった」
 ドクン。
 耳元で、鼓動が鳴った気がした。
 イリスの顔が見る間に真っ赤に染まって、耳まで赤くなった。
 普段のスキンシップのほうが、どれだけ赤面ものかとも思えるのだが、彼女の覚悟が痛いほどわかって、ミカナギはそこまでは考えないようにした。
「顔に惚れて、笑顔に惚れて、立ち居振る舞いに惚れて……あなたの心を、最後には好きになった」
「イリス」
「ミーハーな女だと思うでしょう? でも、間違いじゃないの。アタシの見る目は、間違いじゃなかったの」
 そんなことはない。
 自分は最低な男だ。
 本当の良い男なら、きちんと、その人の想いを断ち、前へと進めるように対処する。
 それを、自分は何一つ出来なかった。
 いや、彼女ならば、ミカナギの態度で、諦めてくれるのではないかと、思っていた部分も大きかったのだと思う。
 けれど、そんなのは、甘え、だ。
「あなたの態度で、アタシに恋愛感情がないのはわかった。それでも、諦められなかった」
 まるで、ミカナギの心の動きを察しているかのような言葉だった。
 ミカナギとイリスは、根本的な性質が似ている。
 だから、なのかもしれない。
「あなたの行動は、最低でもなければ、甘えでもない」
「…………」
「最低で、甘えているのは、アタシのほうなのだから、ミカナギ君は何も悔いる必要はない」
「それは違う」
「違わない」
 首を横に振ったミカナギに対して、イリスは毅然とそう言った。
 ミカナギはその眼差しを見るのが辛くなって目を逸らした。
 イリスはそれでも言葉を続ける。
「好きでいる時間って、とても幸せなの」
「…………」
「ファンタジーの小説を読むでしょう? 子供の頃って、結末なんてどうでもいいから、面白い展開がずっと続けばいいのにって、思ってた。終幕なんてなくていいから、ずっとずっと物語が続いて、冒険が続くの。それを読んでいる自分はとてもわくわくして、幸せな気分になった」
 ミカナギはそっと横目でイリスを見る。
 イリスは楽しそうに両手を口元に寄せて笑い、そのファンタジー小説の内容を思い出したかのように目を輝かせた。
「でも、大人になると、結構結果を急ぎたがってしまうようになって、結末が駄目なら、それまで幸せだった時間も全て嘘だった……みたいに、思うようになった自分がいた」
「…………」
「確かに幸せだったはずなのに、駄目って、結末で評価してしまう。なんだか、とっても物悲しいわよね? だって、それまでは楽しく読んでいたのだもの」
 イリスはすっと手を下ろして、膝の上で両拳をきゅっと握った。
「アタシは、家族を失ってから、割と冷めた子として育ってしまって。でも、天性なのか立ち回りだけは上手くって、いつのまにかこんな気質になってた……」
 少しの間沈黙。
 そして、イリスの呼吸。
 ……始まる。
「ごめん、ちょい暗い話でした。要するに、アタシが言いたいことはさ、そんな冷めた心を、恋の魔法でもう一度暖めてくれた王子様がいたと、そういうことを言いたいわけだ」
 イリスはにっこりと笑い、胸元に手を当てる。
 彼女は、いつも気遣いを忘れない。
 少しだけふざけたような口調を用いて、いつでも場を暗くしないように考えているのがわかる。
「まるでファンタジー小説を読んでいるみたいに、次のページ、次のページって……好きでいる時間は、それと同じくらい……ううん、それ以上に楽しくて幸せだった。 ………………だから、言えなかったし、言うつもりもなかった。結末が来なければ、その時間だけは、残ると思ったから」
「……イリス……」
「でも、天羽ちゃんに言われて、少しだけ考えが変わったの」
「天羽に?」
「勿体無いって」
「勿体無い?」
「ええ。あの子、自分のお姉ちゃんが一番大好きなくせに、アタシにそう言ったの。言わなきゃ勿体無いって。可愛い子ね? その分、人に心を傾けすぎてしまうのじゃないかと、心配にもなったけど」
「…………」
 ミカナギはイリスを真っ直ぐに見つめた。
 目を背けるのは失礼だと分かっていながら背けてしまっていた。
 けれど、それはもう出来ない。
 これをきちんと聞いてあげられないのは、漢じゃない。
 困ったことにそれに気付かせてくれたのが、ぽんと出た天羽の話、というのがなんとも癪だけれど。
「気に入った小説は誰かに勧めるでしょう? それと同じで、この気持ちも、誰かに渡さないといけないんだって、天羽ちゃんに言われて思ったの。結末が来たって、幸せだった時間は変わらないって」
「ああ」
 イリスがゆっくりとミカナギに対して、体を向けてきた。
 真っ直ぐな目。
 一瞬だけ、躊躇いの色を見せたが、それでもすぐに言葉と一緒に、真っ直ぐな色を取り戻した。
「大好きです」
 たった一言だった。
 けれど、そこに凝縮されている綺麗な想いを、確かに感じる。
 ミカナギはそう言われて、ようやく気がつく。
 何も、変わりなんてしなかった。何を恐れていたのか、と。
 自分は、彼女のことを馬鹿にしていたのかもしれない。
 そう思うと、少し情けなくなった。
「ありがとう」
 考えなくても、すぐに出た。
 その言葉はすぐに出た。
「こちらこそ♪」
 イリスはにっこりと笑って、ミカナギのぎこちない表情を見つめてきた。
 パーカーのポケットの中を気にするように、指先は動いていたけれど、イリスはそのことについては何も言わぬまま、部屋を出て行ってしまった。
 それを見送ってから、ミカナギはポリポリと頭を掻く。
 これでいいのだろうか。
 これで、全て、断ち切ってあげられたのだろうか……。
「青年よ」
 どっさりと本を持って、ニールセンが戻ってきた。
 すぐにミカナギは視線を上げる。
「この人を好きになってよかったと思わせるのも、男の仕事だぞ」
「聞いてたのかよ?」
「そこでイリスに会ったのだ。なんとなくわかったのだ」
「でも、イリスは……」
「相手の思考にだけ全て委ねてしまうのは無責任だ。これで終わりだなどと思うようでは、まだまだ男として甲斐性クォリティに欠けるな」
 ニールセンは得意満面な表情でそんなことを言った。
 そう言われて、ミカナギは口をへの字にする。
「ぬ? 突っ込みはなしか?」
 その一言で、ミカナギはひくついた笑みを浮かべる。
 こんなおっさんに、真理だと感ぜられることを言われたと思うと、なんだか無性に腹が立ってくる。
「なんだ、最近の青年はつまらんなぁ」
 ニールセンはふぅとため息を吐いて、向かい側のソファに腰掛け、パラパラと持ってきた本に目を通し始めた。




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