第三節  服はいつでも戦闘用。


 大急ぎで服屋の試着室に駆け込み、ああでもないこうでもないと氷は店員に意見を言いながら、どんどん服を持ってこさせる。
 少し落ち着いた感じのロングスカートと少し袖の余る柔らかいシャツにジャケットを着せて、三つ編みを解き、その代わりに緩くまとめてアップにしてみる。
「顔綺麗だからいけんじゃん。ツヴァイ、どうだ? これ。因みに、オレ様の好みは大人系だ。今のお前の感じだ」
「氷の好みは聞いていないし、とても動きづらい。これでは蹴れない」
 そう言いながら、本当にその場で蹴りを試みようとするので、慌てて伊織がそれを止める。
「わわわ、わかったから蹴っちゃ駄目! 服破いたら弁償なの。パパに迷惑かかる!!」
「ハズキ様に迷惑……。わかった」
 ハズキの名が出るとすぐにツヴァイは大人しくなって、いそいそと服を脱ぎ始める。
 伊織は恥ずかしそうに目を逸らしたが、氷は全く動じずに露になった白い肌に目をやる。
 下着以外は何も纏っていない状態。
 胸はないが、綺麗な肌だ。
 全女性の羨むお手入れの要らないお肌が備え付けなのだから、素晴らしい。
「ロボットなのが勿体ねぇな……。顔だって綺麗なのに。あとは、こんなに馬鹿じゃなきゃなぁ……」
 氷はため息混じりで服を選び、今度はタイトジーンズと可愛らしいシャツを手渡す。
 動きにくいのが全面拒絶なのだとしたら、普段来ているような短めのスカートかパンツスタイルしかない。
「髪は……」
「三つ編み」
「オレの好みじゃねぇ……」
「だから、氷の好みは聞いてない」
「ったく。じゃ、さっさと服着ろ。ちゃっちゃと編みこんで可愛くしてやっから」
「可愛いは要らない。機能性重視だ」
「………………」
「ひょ、氷ちゃん、ツヴァイはロボットなんだから……」
「はいはい。ったく、オレだったら絶対着せ替え人形専用のロボットを造るぜ。戦闘用なのになんでわざわざ女型にしたんだよ。意味わかんねー」
 思い通りにいかないものだから不機嫌そうに目を細めて、氷はそう言い切った。
 伊織が怖々と氷を見上げてくる。
 ツヴァイはジーンズのジッパーを上げて、1回クルリと回った。
「ああ、動きやすいな。これがいい」
 氷はぶすっとふてくされたようにして、その様子を見つめる。
 可愛いのは認めるが……それは服装とかでなく、素材がよかったから、だけの服装。
 つまらない。
 とりあえず、髪をクルクルと、いつもよりも緩めに編んで、2つに結った。
「1つのほうがいい」
「もう時間ないから、これでオッケー。よし、行くぞ」
 ツヴァイがそっと三つ編みに触れて停止している。
 氷は会計を済ませて、バタバタと外へと出て行ってしまったが、未だに動こうとしないツヴァイを見て、伊織は怪訝な表情で見上げた。
「ツヴァイ?」
「1つがいい」
「ご、ごめ……ボクは出来ないから。き、汽車に乗ったら氷ちゃんに直してもらおうよ」
「……マスターは1つが似合うと」
「え?」
 ツヴァイは呟いた後に、ぼーーーっと宙を見つめた。
 伊織は意味が分からずに首を傾げるしかない。
「マスター……? 誰?」
 言った後に不思議そうに自分で自分に問いかけるツヴァイ。
 伊織は困ってしまって、ただその場に立ち尽くすしかない。
 すると、バタバタと足音がして、氷が戻ってきた。
「おい、汽車出るっつーの! お前等オレの足引っ張んな!!」
 機嫌の悪い声に、伊織はびくっと肩を震わせる。
 ツヴァイは全く動じることなく、フラリと一歩を踏み出す。
「ご、ごごごごご、ごめんね。ツヴァイがどうしても三つ編み、1つがいいって聞かないから」
「あ? はぁ……んっなの、あとだあと。おら、走れ」
 氷は伊織を小脇に抱えると再びダッシュで店を出た。
 ツヴァイも店を出ると、重い音を立てながらも、氷をすぐに追い抜いていく。
 それはもう人間のスピードじゃなくて、周囲の人が不思議そうに見ていたが、ツヴァイがそんな視線など気にするはずもなかった。
 伊織はそんなツヴァイの背中を見つめて、呆気にとられる。
「速いねー」
「お前抱えてんだから仕方ねーだろ!」
「え? べ、別に氷ちゃんが遅いなんて言ってな……」
「うるせぇ! あー、くそ、むかつく!!」
 生来の負けず嫌い……。
 相手が人間だとかロボットだとか怪物だとか関係なしに、氷は負けるのが大嫌い。
 そんな言葉が心の中を過ぎった伊織。
 怒られそうだから、本人には言わないけれど。



第四節  さようなら。……そして、久しぶり。


 一日経って、谷に差し掛かる寸前の駅がもうじきというところまで来ていた。
 イリスが最後に挨拶に来て、5人は彼女を快く部屋に迎え入れた。
 イリスはカノウに意地悪っぽく言う。
「お姉さんの恋が不毛だといったけれど、君だって、彼女の結論を先延ばしにしたのだから同類には違いないわよ? それでも、リングに上がっただけ、君のほうが、偉いのかもしれないけどね」
 最後は少々悲しげに目を細めて。
 カノウはその言葉を聞いて、少しばかり困ったような目をした。
 天羽がイリスの手をきゅっと握り締めて、ブンブンと振る。
「イリスさんでお友達8人目〜」
「あら? お友達に加えてくれるの?」
「うん♪だって、色々助けてもらっちゃったし」
「それは、お姉さんもそうだから気にしないで?」
「ふぇ? あ、あたし、何かしたかな?」
 不思議そうに首を傾げる天羽に対して、イリスはチラリとミカナギに視線を送ってきた。
 ミカナギは優しい目でその視線に応える。
 すると、イリスも嬉しそうに笑った。
 カノウが何かあったな……と勘繰るような目で2人を見ているが、天羽はそんな様子には全く気が付かない。
 イリスは天羽から手を離して、ゆっくりと全員の手を握ってから、ドアの前に立った。
「じゃ、ここでさようならです。みんなのおかげで楽しい3日間だったわ♪」
「ああ、体には気をつけてな?」
「…………。ええ、ありがとう、ミカナギ君」
 イリスは少しだけ迷いのあるような表情を浮かべた。
 けれど、それは名残惜しさからきた表情なのだろうと思って、ミカナギは特に気にも留めなかった。
「ホームまで見送るよ」
 イリスの気持ちに先回りしたつもりでそう言うと、イリスは驚いたように目を丸くした。
 そして、嬉しいと言う表情よりも、悲しそうな表情をした。
 けれど、言ってしまった手前、引き下がれなくて、ミカナギは立ち上がる。
 ちょうどブレーキを引いたのか、ガクリと軽い衝撃が汽車内を包む。
 車内放送が流れて、イリスは部屋の外に置いておいた荷物をゆっくりと持ち上げた。
 ミカナギがすぐにそれを持ってやる。
「あ、ありがとう」
「いや。いつものことだろ。気にすんな」
 ミカナギは優しく微笑んで、イリスの歩幅に合わせて歩き、ホームに下りた。
 大型の荷物を下ろす都合で、10分ほど停車すると、先程放送で流れていた。
 それほど焦る必要はない。
「あのさ、オレは、ありがとうだけで……よかったんだよな?」
「え?」
「いや、オレ、あんまりこういうこと慣れてないから、あれでよかったのかなって、思ったんだ」
 イリスはミカナギの言葉に首を傾げる。
 ミカナギも一晩考えた。
 でも、答えなんて、自分の中になかったから、いまいちわからなかったのだ。
「別に、間違ってはいなかったと、思う」
「そっか」
 困ったようなイリスの顔。
 ミカナギも吊られて困ったように笑うしかなかった。
 なんだか、ホームまで見送ると言った後から、イリスの表情が精彩を欠いた気がした。
 何か不味いことでも言ってしまっただろうか?
 少しばかり逡巡するが、覚えはなかった。
 イリスは少しの間下を向いていたけれど、ゆっくりとミカナギに視線を向けた。
 ジーンズのポケットから、白い板のようなものを取り出してきた。
「謝らないと、いけないことがあるの」
「え?」
「ミカナギ君の持ち物なのに、アタシ、返さなかったの。今も、本当は返さないで別れようとしてた。あなたが、見送るって言わなかったら……このまま返さずに」
 そっとミカナギの手を取って、イリスはそっとミカナギの手にメタリック製のそれを握らせる。
 赤い洒落た文字で『M』と彫り込まれている。
「これは?」
「ミカナギ君の、連絡手段……。唯一の命綱。もしかしたら、これさえあれば、あなたはこんなにあちこち回るなんて苦労をせずに済んだかもしれない代物」
「…………」
「ごめんなさい」
 ミカナギは手の中にある小型トランシーバーを見つめて、すぐに顔を上げた。
 すると、イリスが悔やむように涙を零していた。
「怖くって……。はじめは、渡しそびれたっていうのが的確な表現だったの……。でも、少しずつ時が経つにつけて、アタシの心の中で独占欲が湧いてきて……。どんどん渡したくなくなってきて……。でも、それじゃ駄目だって思って、渡そうと思っても、今度はなんで今頃? って思われるのが怖くなってしまって……。だって、アタシ、全然いい女じゃない。こんなの、陰険な部類でしょう? ……せっかく会えたなら、このまま気持ちよく、別れたかった。あなたの中で、少しでも綺麗な思い出として、残りたかったから」
 ミカナギはゆっくりと首を横に振った。
「別に。怒りもしないし、嫌いにもならないから、泣くな」
「どうして?」
「この程度で変わらないからさ。だって、お前の本質、ちゃんと知ってるつもりだもん」
「……ミカナギ君……」
「道理で、オレの名前知ってたはずだ」
 ミカナギは慣れた調子で、トランシーバーのキーを操作した。
 体が覚えている、といった感じだ。
 軽く履歴に目を通して、すぐに電源を切る。
「サンキュ」
「え、お礼言われることじゃ……」
「本当に陰険な奴は、こんなに後生大事に持ち歩かないよ」
 ミカナギはにぃっと笑って、ポンポンと優しくイリスの髪を撫でた。
 それでも泣き止まないイリスに対して、ミカナギは眉根を寄せる。
 しばし、逡巡したが、そのままイリスの頭を引き寄せて、額に軽く口づけた。
 イリスが驚いたように、すっと体を引く。
 顔が見て分かるくらい真っ赤に染まって、口をパクパクさせている。
「餞別」
 ミカナギも少々顔を赤らめながらも、ニッカシ笑ってそう言った。
 昨晩色々考えた。その結果、何か餞別を渡せたら、と思った。
 でも、持っているものなんて何もなかったから、……これくらいしか思いつかなかった。
 イリスが涙を拭って、すぐにミカナギの胸をポカと叩いた。
「もう……天然たらし! 女難の相が見える……よぉ?」
「天然たらし?! ちょ、なんだ、その称号!」
「大体、振った相手にやることじゃないじゃない! 忘れられなくするつもり?!」
「忘れなくてもいいから、オレよりいい男見つけな。ゴロゴロいらぁ、そのへんに」
「……なんっか、ずれてる。この人絶対にずれてる……!」
 イリスは先程まで泣いていたのが嘘のように、頭を抱えて、この世で一番の悲劇に出会ったかのような表情をした。
 ミカナギは精一杯考えた行動を散々罵られて、一気に自信を失ったように肩を落とす。
 そして、その時、出発一分前の警笛が周囲に鳴り響いた。
 それまで勢いよく口を動かしていたイリスの表情が寂しげに揺れた。
 ミカナギは念のため、デッキに乗り込んでから振り返る。
 そして、目を細め、思いついた質問をそのまま口にしてみた。
「あのさ」
「なに?」
「もし、好きな人と世界、どちらかしか選べなかったら……イリスはどうする?」
 なぜ、そんな問いが口をついて出たのかはいまいち分からない。
 時々、自分の知らないところで流れる記憶が、こういう風な言葉を口にさせるのだ。
 そして、たぶん……この人にしか、問えない質問だと、思った自分がどこかにいた。
 それもあったのだと思う。
 イリスは困ったように笑う。
「こんな時間のない時に、ずいぶんディープな質問ね」
「ああ、すまん。浮かばなかったら別に……」
「いえ、そんなことないわ。アタシには簡単」
「え?」
 イリスは一呼吸置いて、ニコリと笑う。
「ミカナギ君を要らないと言う世界があったら、そんなものはクソ喰らえだわ」
 その言葉に、なぜか目頭が熱くなった。
 どうしてかはわからない。
 けれど、別れの時だから、必死にそれは堪えた。
「そっか……サンキュ」
「うん♪それじゃ、元気で」
「ああ、元気で。記憶が戻ったら、遊びに行ってもいいか?」
「ええ、トワさんも連れてきてね? アタシ、それまでにいい男見つけておくから♪」
「……ああ」
 ミカナギがふわりと笑った瞬間、シューンと音を立てて、汽車の扉が閉まった。
 イリスの口が静かに動く。
 さようなら、と動く。
 ゆっくりと汽車が動き出して……イリスはただその場に立ち尽くして、笑顔で汽車を見送っていた。
 ミカナギはズルズル……とその場に座り込む。
 髪をクシャリと撫で、込み上げてきた涙をグシッと拭った。
 トワの背中がちらつく。
 もし、好きな人と世界、どちらかしか選べなかったら……。
 彼女も、言い方は悪かったけれど、イリスと同じ事を言いたかったのかもしれない。
『世界なんて知らない!』
 感情的だったあの時の彼女の叫びが頭の中に響く。
 それに対して、自分と言ったら…………。
 そこまで考えた時、ズキリと右目が疼いて、ミカナギの思考は簡単に中断させられてしまった。
 痛みでトランシーバーを握っていた手の力が緩み、床にコトンと音を立てて落ちた。
 拾い上げて、ミカナギは電源を点ける。
 変わりなく、ぼんやりと光を投影させる白い塊。
 ミカナギはリダイヤルボタンを押してみた。
 このトランシーバーは適当に持ち歩いていれば、振動で勝手に充電をしてくれるという優れものだった。
 シャカシャカ振れば振るほど、電気は貯まる。
 『リダイヤル:トワ』の文字をずっと見つめていると、『通話中』という文字に切り替わった。
 向こう側で驚いたような慌てたような声がする。
「え、あの……誰?」
「……ミカナギ」
「…………」
「もしもぉし」
「あなた、持ってたの?!」
「いや、今返してもらいました」
「え? ……?」
 明らかに急襲だったせいか、向こうは困ったように言葉に詰まっている。
「兎環さん」
「なによ、他人行儀で気持ち悪……あ、記憶ないんだった……ね」
「兎にわっかで兎環で合ってる?」
「……ええ、合ってる」
 突然優しい声になった。
 こちらが記憶がないということを思い出してから突然だ。
 ミカナギはふっと笑みを浮かべてしまった。
「ネコかぶらなくてもいいよ。我儘で気が強いの知ってるから」
「なんだか引っ掛かる言い方」
「オレっぽいでしょう?」
「……生意気な口」
「はは」
「記憶戻ったの?」
「中途半端に」
「そう。無理に思い出さなくてもいいから」
「優しいと、なんだか気持ち悪いんだけど……」
「あなた、どこをどのように思い出してるわけ?」
「あなたを中途半端に」
「…………。そう。それで?」
「え?」
「こき使われるから帰りたくない〜……とか、思い始めてる?」
 ミカナギはその問いにクッと喉を鳴らした。
 こういうひねくれた言い方、懐かしい、と……心が言ったのだ。
「早く会ってみたいなと」
「…………」
「もしもし?」
「……あ、ごめん、ちょっと音が遠くなった」
「早くあ」
「あ、ごめん、ちょっとシステムエラー発生したから、またそのうち掛ける」
 一方的にプツッと切られてしまい、ミカナギは目を細めて、トランシーバーを見つめた。
 頭をカシカシと掻いて、肩で笑う。
「照れてやんの」
 さも当然のように、そんな言葉が出てきた。




*** 第六章 第一節・第二節 第六章 第五節 ***
トップページへ


inserted by FC2 system