第六節  会いたい気持ち


 トワは慌てて通信を切ったトランシーバーを見つめて、しまったという表情で唇を噛み締めた。
 さっと額に手を当て、ため息を吐く。
「き、切ってどうする……。私、切ってどうする……」
 静かに呟き、目が回ったように椅子にもたれかかる。
「わ、私から掛けるなんて無理。できない、できないできない」
 わたわたと周囲を見回して、1人ファッションショーの最中だったことをようやく思い出して、少しだけ落ち着きを取り戻す。
 結局ミズキはからかうようなことを二言三言言っただけで、部屋を出て行ってしまった。
 だから、似合うのかどうかもわからないまま着るだけ着てみたのだが、最終的に似合うかどうかがやっぱりわからなかった。
「……まぁ、ショールでも肩から掛けとくのが無難かな……」
 腕の傷さえ目立たないように出来れば、トワはそれほど外見は気にしないらしい。
 けれど、彼女も1つだけ外見で気にしていることがある。
 清潔感重視。
 トワは立ち上がって、クローゼットから淡い桜色のショールを取り出した。
 ふわりと肩から掛け、鏡の前でクルリと回る。
 似合っているかは分からないが、一番シンプルだし、着慣れたワンピースでいられるのもいい。
「……さて、掃除しようかな。なんだか、我に返ったら、鳥肌が……」
 自分の部屋のみ潔癖症。
 落ちている服を拾い上げて、どんどんハンガーに掛けていく。
 さすがに、生きていれば服も溜まる。
 そのほとんどが、トワの場合はワンピースなのだけれど、ツムギとママが生きていた頃は、シャツやジャケットなんかも贈られたことがある。
 なんだか勿体無くて着られないというのも、理由のひとつ……。
 トワはクローゼットにたくさんの服を収納しながら、そっと目を細めた。
 静かに呟く。
「明日の朝には着く……。どう、声を掛けよう……」
 なんだか、先程交わした会話は、普段のミカナギのままのような気にさせられた。
 それで、気がついたらいつも通りに……悪態をついていたのだけど。
 いざ顔を合わせて、こんな風に途中で切るなんてことが出来なくなったら、絶対に彼の記憶喪失……というものを、まざまざと肌で感じさせられるに違いないのだ。
 トワは唇を噛み締めて、そっと長い髪を掻き上げる。
 その時だった。
 突然、緊急連絡用メールの着信音が室内に響き渡ったのは。
 トワはすぐに振り返り、さっと指で指し示す。
 すると、ホログラフとなってメールが宙に浮かび上がった。
 文面を読んだ瞬間、トワの表情が少しばかり曇る。
「……事故? 数十名怪我人……。スピードを上げ、到着を今晩に繰り上げます。クラメリアに医療班を配備しておいてください?」
 ぼぅっと呟く。
 ミカナギたちの乗っている汽車だった。
 少しの間、理解が出来ないように立ち尽くしていたが、トランシーバーに手を伸ばした。
 リダイヤルボタンを押す。
 けれど、いつまで経っても、『通話中』という表示に切り替わってくれない。
 メールによると、死者は出ていないらしい。
 けれど、……ほんの1時間前には会話が出来た人が、どうして出ない?
 ……何か、あった?
 頭をその言葉が過ぎった瞬間、彼女は気がついたらいつもは履きもしないブーツを取り出して履き、駆け出していた。
 いつもは裸足の彼女の足音が、今は、カツンカツンと固いかかとの音をさせて、過ぎていった。
 ミカナギが怒るから出ない。
 そう言っていたトワが、衝動を抑えられないようにプラント内の廊下を駆ける。
 ……ごめんなさい。
 先程ミカナギのの声を聞いたせいか、居ても立ってもいられなくなった……。
 待っているだけは怖い。
 これ以上、連絡を待っているだけは……耐えられない。
 外部に続くドア。
 通常はロックを掛けられているが、トワがすっと手を横一文字に動かすと、容易くそれは開いた。
 トワは20年ぶりに出る、外の世界へと飛び出す。
 空調で快適なプラントとは違い、外は夕暮れに染まりながらも、まだ熱気を帯びた状態だった。
 クラメリアまでは走って20分。
 一番クラメリアに近い出口から出たから、そんなにはかからないはず。
「暑……」
 トワはそう言いながらも、なんとか走る。
「こふ……」
 すぐに喉に違和感を覚えた。
 穢れ。
 しまった……以前より、進行が早い……。
 走りながらトワの顔がぼぅっと赤くなってくる。
 街まであと少しというところまで来た時、トワは胸を押さえて、その場に倒れこんでしまった。
「……う……」
 トワはなんとか意識を繋ごうとしたが、穢れの進行が早すぎて、そのまま意識を失った。
 意識を失う前、耳元で、ネコの鳴き声がした。



第七節  誘拐大作戦


「今日は後部車両を探検しよう? もう、見るところ見るところ、そそるんだよねぇぇぇ」
 カノウは嬉しそうに目を輝かせてそう言った。
 天羽はその様子を見て苦笑したけれど、特に何も言わずにカノウの後をついて歩いていた。
 アインスが少しばかり距離を置きながらも、天羽の身を護れるように後ろをついてきていた。
「カンちゃん、変なの好きだよねぇ」
「変? 変じゃないよ。もう至るところにある凝った細工。機械もそうだけど、すごいよ。本当に!」
「ああ、おそらく、そのへんの細工はコルトさんですね。ミズキ様は1つ目を造った後に、飽きたと放り投げたそうですから」
 抑揚のない声ですぐに捕捉してくれるアインス。
 カノウはすぐに振り返った。
「コルト?」
「13歳で、おれのハードを組み立てたエンジニアです。……けれど、カノウのほうがスピードや発想力は上かもしれませんね」
「……でも、技術力はこの人のほうが上だよ。すごいもの。こんなに繊細な細工を鉄に入れるなんて」
「ミズキ様も、力はあるのですけど、面倒くさがりなものだから……」
「ミズキは真の天才肌だから仕方ないない〜」
 天羽はにっこり笑って、体を揺らした。
 嬉しそうにミズキの名を呼ぶ天羽を見て、カノウは少しばかり切なげに目を細めた。
 色々と会話を交わしながら、どんどん後ろの車両を抜けていき、最後尾のVIP専用車両まで来た時だった。
 アインスが警戒するように飛び出してきて、天羽をカノウのほうに寄せた。
 ビキビキビキ……と音を立てて、床が見る間に凍り、アインスの足まで凍りついた。
 すぐにアインスは力ずくでその氷を蹴り割ろうとしたが、それよりも早く、天羽とカノウに向かって、捕獲用の網のようなものが飛んできた。
 カノウが素早く反応して天羽を庇うように前に出た。
 が、それではカノウがその網に捕まってしまうだけなので、アインスは凍結部分を自分の体から切り離して、膝に搭載してあった緊急用推進機の力で横に飛んだ。
 腕を斧へと変形させてそれを切り払おうとしたが、その網は細かい鎖で編まれていたため、切ることが出来なかった。
「く……」
 アインスの体が網に包まれ、そのまま、ごろりと倒れこむ。
「アイちゃん?!」
「逃げなさい、天羽」
「で、でも……」
「カノウ、天羽を連れて、早く。おれが、ここはなんとかします」
 捕獲されながらも、アインスは静かにそう言った。
 カノウはその言葉を聞いて迷うように目を細めた。
「迷っている暇なんてない!」
 アインスは静かに、けれど、まるで感情の色があるように叫んだ。
「……へぇ? どうするって? もう、網の中で、大事なあんよもあの通りみたいだけど? それで、オレたち相手に何が出来るのかな?」
 クククと笑いながら、氷が姿を現した。
 銀の髪を撫で、楽しそうに舌なめずりをした。
 カノウはすぐに天羽を庇いながら後ずさる。
 氷がツカツカと歩み寄ってくる。
 そして、アインスの頭を踏みつけた。
「車内なら襲われないと思ったか? 油断したな」
「キサマ、何者だ?」
「何者でもいんじゃない?」
 グリグリとアインスの頭を踏み、ゆっくりとカノウに視線を寄越す。
「おや。オレの大嫌いな髪の色をした奴がいる」
「あ、ああああ、アインスから離れろ!!」
 カノウの鼓動がドクドク言っている。
 氷の目は、ミカナギと同じ色をしているけれど、……彼の目の中にある感情の色は、ミカナギのように穏やかで優しいものじゃなかった。
 ぞくりとするほど冷たく、人を人とも思わないような目。
「足が震えてるぜ、坊や」
 氷は楽しげにそう言って、アインスから足を離し、こちらへと近づいてこようとした。
 アインスが完全に網の中に入っていなかった腕で氷の足を掴む。
「やめろ。2人には指一本触れさせない……」
「へぇ? 自爆でもするか? こんなところでドンパチやったら、この汽車、谷底に真っ逆さまかもな?」
 そう言って、アインスの腕を踏みつける。それでも、アインスは氷の足を離さなかった。
「不覚だった……。……あれが、楽しい、という……ものだったのか」
「ロボットが感情について語るかよ?」
 氷は一度足を上げて、アインスの腕を凍らせてから、思い切り踏みつけた。
 バキリと音を立てて、アインスの腕が簡単に砕け散る。
 動力を失ってもまだ足に吸い付いている手を、氷は摘み上げてポイと捨てた。
「ツヴァイ、コイツさっさと引っ込めて? うるさい」
 アインスはなんとか脱出しようともがいていたが、ズルズルと車両の奥へと引きずりこまれてゆく。
 そして、そこでようやくツヴァイが姿を現した。
 三つ編みは相変わらずだったが、服装はずいぶんと大人しめのものに変わっていた。
「氷、天羽様を」
「わぁってるわぁってる」
 氷はすぐにツヴァイの言葉に答えて、スタスタとカノウの目の前まで歩いてきた。
 ガシリとカノウの髪を掴み、冷たく言い放つ。
「邪魔」
 けれど、カノウも決死の思いで、ポケットから機械いじり用のナイフを取り出した。
 ブンとナイフを振ったけれど、氷とのリーチに差がありすぎて、その攻撃は全然届かなかった。
「あ、天羽ちゃん、逃げて。ミカナギ呼んできて!」
「で、でも……」
「天羽ちゃんが狙われてるんだよ?! 分かってるだろ?!!」
「わ、わか……」
「うるせぇ、チビだ」
 氷はカノウの髪を掴んだままで、思い切り膝蹴りをカノウの懐にぶち込んだ。
 ドスンと鉛でもぶつかったような痛みを覚えて、カノウは胃液が逆流するのを感じた。
「う、ぉえ……」
 その場に倒れこんで、すぐにビチャビチャ……と床に黄色い液体を吐き出す。
「カンちゃん!!」
「早く、逃げて……」
 カノウは倒れながらもゴソゴソとポケットを探って、取り出した丸いボールを、思い切り床に投げつけた。
 ボンと音を立てて、大きな衝撃が車内に走る。
 それによって、汽車が急ブレーキを踏んだのか、ものすごい勢いで氷がたたらを踏んだ。
 天羽も衝撃でびたんと尻餅をつく。
 けれど、すぐに立ち上がって、逃げようと踵を返そうとした、その時。
「逃げたら、コイツ殺すよ?」
 氷の冷たい声。
 天羽は、すぐに足を止めた……。
「あも……ちゃん、早く、逃げ……」
 氷がガシッとカノウの襟首を掴んで、軽々と持ち上げる。
「こんなチビなら、心臓貫いて終わりだ。脅しじゃない。マジでやるぞ? わかんだろ? それと、変な声使いやがったらその瞬間、あのロボットも壊すからな」
 氷の目に狂気が宿る。
 天羽はその目を見て、カタカタ……と震えた。
 自分には、そんな価値なんてない。
 皆を犠牲にしてまで、逃げるなんて、出来ない……。
 ぽろりと、天羽の頬を涙が伝った。
「い、行くから……離して……」
「ん〜? 聞こえないね」
「カンちゃん……離してぇ……!」
 グシッと涙を拭って、天羽はそう叫んだ。
 カノウはまだ抵抗しようと、ポケットからもう1つボールを取り出して、氷に投げつけた。
 今度は爆発はせずに、ただ、氷の頭にぶつかっただけ。
 けれど、それでも効果があったのか、氷の力が緩んだ瞬間、カノウはもがいて、氷から離れた。
 着地してすぐに天羽の手を取り、駆け出そうとした……けれど、2人の前に、伊織が立ちふさがった。
 床に転がっていた丸いボールが、ふわりと浮かんで、カノウの後頭部にぶつかって跳ねた。
 バタリとカノウは意識を失ったように倒れこみ、天羽は今度こそへたりとへたりこんだ。
 伊織がそっと天羽に手を差し伸べてくる。
 伊織はニコリと笑って言った。
「ごめんね?」
 と。




*** 第六章 第五節 第六章 第八節・第九節 ***
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