第八節 漢
急ブレーキの衝撃で、ニールセンが重ねて置いておいた本が崩れ、その本にミカナギは頭をぶつけた。
ニールセンは全く動じることもなく、本を貪るように読み続けており、ミカナギが鋭い目で睨みつけていることにも気がつかない様子でいた。
崩れた本を積み直し、現状を告げる車内放送を流して聞いていた。
部屋にいる自分達はいいとして、カノウたちは怪我をしていないだろうか。
そんなことを考えていた時、部屋のドアが音を立てて開いた。
「おぅ、大丈夫だったか? すっげー揺れたけど」
ミカナギは確認もせずにそう声を掛ける。
けれど、返事はなかった。
ズルズル……と足を引きずるような音に、ようやくミカナギはそちらを向く。
真っ青な顔で、カノウが苦しそうに腹を抱えたまま棒立ちしていた。
「どうした?」
すぐにミカナギは真面目な表情でそう尋ね、カノウの体を支える。
カノウはそう言われた瞬間、ポタポタ……と涙を零して泣き始めた。
「ボクに、力があれば……」
「え?」
「ミカナギ、ごめん……。天羽ちゃん、連れてかれた……」
嗚咽混じりで、カノウはそう呟き、何度も何度も涙を拭う。
「バカな。アインスは?」
「アインスも、ボクたちを庇って、捕まっちゃって……」
「…………」
「敵が、多すぎ、たんだ……。3人も、いて……。不意も、突かれたから……」
カノウは手で自分の顔を覆って、悔しそうに唇を噛み締める。
「なんで……。なんで、ボクは男なのに、護れないんだよ。好きな人の1人も護れないなんて……」
「…………」
ミカナギは拳を握り締め、ギリリと奥歯を噛み締める。
車内ならば大丈夫だとこちらが思っていることを、見事に読んできたというわけだ。
場所なんてお構いなし、ということか。
ミカナギはカノウを慰めるように、ポンポンと優しく頭を撫でてやる。
「過ぎたもんはしょうがねぇ」
「仕方なくなんてない!」
「……しょうがねぇんだよ」
ミカナギは静かに呟く。
カノウが悔しそうにミカナギを睨みつけてくる。
「仕方なくなんてない! ボクは、今、この時に、力が欲しいんだ!! 仕方ないなんて言葉要らない!! 甘い慰めなんか要らない、これから頑張ればいいなんて言葉要らない!!!」
それは、カノウがアインスに言った言葉なのに。
彼は、悔しさの余り、それさえも否定してしまった。
「だったら、罵ればいいのか?!」
ミカナギはカノウの襟首を掴み、そう叫んだ。
カノウが泣きながらミカナギを睨みつける。
「殴ってよ! 自分の不甲斐なさに反吐が出るんだ……。慰められたって、気持ち悪いだけだよ」
ボロボロと涙が零れていく。
ミカナギは思い切り表情を歪めて、次の瞬間、思い切りカノウの顔を殴りつけた。
小柄なものだから、簡単に吹き飛び、ニールセンに体がぶつかった。
ミカナギは殴った拳を見つめて、唇を噛み締める。
こんなことしたくないのに。
自分の誤算に対しての憤りまで、カノウにぶつかってしまった気がして、気分が悪い。
目の前の馬鹿は、本当に……。
その時、ファンファンファン……とけたたましく、トランシーバーが鳴り出した。
けれど、今は出られる時じゃない。
ミカナギはトランシーバーの音を無視して、カノウを睨み続ける。
しばらく室内にトランシーバーの音が響いていたが、持ち主が応えないことが分かったのか、突然それは静かになった。
ニールセンが本を閉じて、2人に視線を寄越す。
「少年よ」
ニールセンはカノウの体をそっと起こしてやり、そう呼びかけた。
グシグシと涙を拭っているカノウにニールセンは言う。
「ない物はないのだ。それはどうしようもないし、そんなことを悔やんでいたところで、それは時間の無駄でしかない」
「…………」
「それを変えていけるのが人間だ。少年はそんなことはわかっているだろう? 投げやりになってはいかん」
ニールセンはサラリと言ってのけて、ミカナギに視線を向けてくる。
ミカナギは真っ直ぐにその視線に答えた。
「青年の”しょうがねぇ”は取られたものは仕方ない。取り返せばいい。そういう”しょうがねぇ”だ。勘違いするな」
「……ミカナギ?」
カノウはその言葉に思い切り目を見開く。
ミカナギは頭をカシカシと掻いて、カノウに視線を動かす。
「おっさんに代弁されっとはね」
「ふふん。小生は青年のファンだからな」
「あ?」
「冗談だ」
ニールセンはすぐに言葉を切って、本に再び視線を落とす。
ミカナギはこの真面目なんだかふざけているんだかわからないいでたちのおっさんを見つめて、もう一度頭を掻く。
カノウがゆっくりと立ち上がる。
「終わりなんかねぇだろ。取られて終わりなんてねぇ。プラントにいるだろうことは予測できんだ。やることは決まってる。今回の仕方ないは、お前の嫌いな諦めの言葉のつもりで言ってねぇよ」
ミカナギはカノウに歩み寄り、ドンとカノウの薄い胸を拳で叩いた。
「無力を悔やむなら、根性見せろ。男が簡単に泣いてんじゃねぇよ」
「……ミカナギ」
「泣いて何になるってんだ。しっかりしろ」
ミカナギは自分らしくない言葉に少しばかり照れを覚えながらも、しっかりと言い切った。
カノウがミカナギを見上げて、必死に涙を堪えるように唇を噛み締めた。
「ねぇ、ミカナギ」
「あ?」
「イリスさんの気持ち、分かった気がするよ」
「は?」
「ミカナギ、漢だ。すごい。ボク、頑張らないと」
ミカナギはその言葉に訝しげに表情を歪ませる。
先程まで大切な人が攫われたと泣きじゃくっていた男が、目の前で頬を紅潮させて自分を見つめている。
なんとも、立ち直りの早い……。
「変なこと……されてないといいな……」
けれど、やはり不安は不安らしく、すぐにそんな言葉を口にした。
ミカナギはとりあえず、場が落ち着いたことを確認してから、トランシーバーをポケットから取り出し、リダイヤルボタンを押した。
けれど、今度は……先程呼び出し音を鳴らしたその相手が、応えなかった。
第九節 ネコの気まぐれ
テラがトワの耳元で鳴いている。
白いシーツに包まれて、桜色の髪の少女が眠っている。
トワの腕に丁寧に点滴を刺して、ふぅっとチアキは息を吐き出した。
「生きてた」
そっと目を細めて笑うと、チアキはチチチチと舌を鳴らして、テラを招き寄せる。
テラは警戒するようにチアキを見つめて、トワにすりすりとすり寄った。
「……傷つくなぁ……私、結構お世話してるのに」
完全に見下されているのだろう。
動物の順位付けは、本当に的確だ。
伊織はお友達。ハズキは徹底的に媚びるべき人。チアキは……餌をくれる人。といったところか。
汽車の事故の連絡後、チアキも他の医療班メンバーと一緒に、クラメリアの街に向かったのだけれど、ハズキから押し付けられていたテラが、突然車を飛び出していってしまったので、それを追いかけたら、テラが走って向かった先には、トワが真っ青な顔で倒れていたのだ。
チアキはすぐに街に走って車を出してもらい、プラントの医務室へと運び込んだ。
本当はミズキに連絡すべきところだったが、生憎連絡がつかなかったため、仕方なかった。
10年前、トワとミカナギは行方不明になったと、チアキは聞かされていた。
だから、10年前と変わらぬ姿で、トワが倒れていたのを見て、とても驚いたのだ。
生きていたこと……それだけでよかった。
今トワに刺した点滴は、父が昔、トワ用に作った特殊な浄化用の薬だ。
父はチアキと同じく、医療班に在籍していた。
仲の良かったツムギに頼まれて、父はトワ用に色々な薬を作った。
このプラント内以外では生きることが出来ないほど、トワの免疫力が異常に低かったからだ。
調合データ全て、父から譲り受けていてよかった。
「姉さん……」
すっと……トワが息を吸い込む音がした。
ゆっくりと開かれる目……。
アメジストのような紫の目が、テラを捉えた。
「……くすぐったい……」
テラが静かにトワから離れ、ポンと床に飛び降りる。
意識を取り戻したのならいい、といったところか。
「姉さん? 気分は?」
「チアキ?」
「ええ」
チアキは懐かしい声に呼ばれて、嬉しくなって、頬を赤らめて笑った。
トワはゆっくり天井に視線を動かして、そっと呟く。
「気分は……最悪」
「だろうね」
「頭の中グルグル。吐きそう」
「ツムギおじ様が生きてたら怒られてたね」
「…………?」
トワは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに思い出したように目を細めた。
「兄さんはともかく、姉さんは外では生きられない。……ずっと、プラント内にいたのね?」
「……ええ」
「事情は……聞かないけれど。外に出るなんて無茶にも程があります。毒気抜くの、結構コツが要って大変なんだから」
「…………ミカナギは?」
具合の悪さが抜けないためか、トワの言葉には若干抑揚がない。
「え?」
「事故が起こった汽車に、ミカナギが乗ってたの……。あなた、医療班でしょう? 見なかった?」
トワは気だるげにそう言うと、少しだけ上がった息を整える。
チアキは髪を掻き上げて、すぐに答えた。
「ごめん、出動の最中に、テラが姉さんを見つけて。私は現場には行ってないの」
「……そう」
「もし無事なら、ミーくんのところに行ってるかもよ? 行く?」
「でも、勤務中じゃ?」
「今日は全員出払ってるの。だから、本当は医務室は空っぽってことになってるから大丈夫」
「そう」
トワはすっと目を閉じて、苦しそうに眉を歪めた。
どうやら、視界がグルグル回ったらしい。
「ハーちゃんには会っていかない?」
「ハズキ?」
「うん」
トワは静かに目を開いて、チアキの優しい表情を見つめる。
少し考えるように唇を噛んだけど、フルフルと横に首を振った。
それを見て、チアキは悲しげに目を細めた。
「どうして、皆、ハーちゃんを避けるの?」
「…………」
「確かに、昔みたいに素直ないい子って訳ではないけど、……でも、それは仕方ないじゃない」
チアキはハズキの身を案じて、そう言った。
トワがそれに対して、すぐに口を開く。
「ええ、護れなかった私たちに責任がある。ツムギが言ったからって、従った私たちが悪い」
「……避けるのは、負い目?」
「……かもね」
トワは優しく目を細めて、紫色の目にチアキを映した。
起き上がろうと、ぐぐぐっと腕に力を入れるが、すぐに枕に頭が埋もれてしまう。
チアキはそれを見て、はっとする。
「ミーくんのところに行く?」
「ええ、できれば」
「じゃ、じゃあ、私がこのままベッドを押していくよ」
「……ありがとう」
チアキは車輪止めを外して、手すりの部分を握り、押し始めた。
トワは点滴をしていない左手で前髪を掻き上げて、静かに息を吐き出した。
自動ドアがシューーーンと音を立てて開き、開いた拍子にテラがタタタッと駆け出していった。
それを見送ってから、チアキもベッドと一緒に外へと出、ミズキのいる区画目指して歩き始めた。
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