第十節  パパの弟


 よく整頓された部屋。
 壁も家具も白を基調としたものが多く、プラント育ちの天羽は、プラントの一室なのだということがすぐに分かった。
 同じプラント内でも……自分を思ってくれる人と、自分を狙う人がいるという現実。
 この場所に閉じ込められることになって、ようやくそれを自覚する。
「ごめんね? 外からロック掛けるけど、別に縛らなくていいってパパが言ってたから」
 ベッドに腰を下ろした状態で、呆然と床を見つめている天羽に対して、伊織はそう言うと、ツヴァイと一緒に外へと出ていった。
 天羽はドアが閉まった音が耳に入っても、微動だにしなかった。
 いつもくるくると動く子が、動く気力もないようにじっとしている。
 膝にポタタ……と涙が落ちた。
 天羽はそれに驚いて慌てて拭う。
 駄目だ。泣いたら駄目だ……。
 天羽を護ろうとしてパーツを破壊されたアインス。
 天羽のために、弱いのに、気を失うまで逃げることを諦めなかったカノウ。
 泣いたら、2人に、とっても失礼だ。
 ……けれど、自分の心はとても折れやすい……。
 必死に前向きな考え方で誤魔化してきた10年間。
 自分の抱えてきた想いを吐露したあの日。
 あの時の自分が、本当の自分だ……。
 天羽は、自分の弱さをよく知っている。
 唇を噛み締めて、涙を堪える。
 弱さを知っているからこそ、必死だった。
 そんな自分の行動は愚かしくも思えるけれど、……それでも、弱さをひた隠すような自分のことを、好きだと言ってくれた人がいる。
 別にいいんじゃない? と、受け入れてくれた人がいる。
「帰りたい……よぉ……」
 あと少しだった。
 あと少しで、自分は大好きな人の元に戻ることが出来たはずだった。
 そして、それからゆっくりと考えていくつもりだった。
 本当の自分と、自分の気持ちと、……彼に返す答えについて。
 それなのに、今自分は……。
 天羽がぼーっと考えていると、突然ドアが開いて、誰かが静かに入ってきた。
 天羽はすぐに視線をそちらへと動かす。
「君が天羽……か。データではよく見ていたけれど、本物は本当に似ているんだね」
 その声は……天羽の大好きな人の声に、とても似ていた。
 けれど、染められた茶色の髪は短く、ノーネクタイで白衣姿のその人は、天羽の大好きな人とは全く違う印象を与えた。
 それでも……目を見た瞬間、天羽はついこぼしてしまった。
「……ミズ……キ?」
 そんな天羽の声を聞いた瞬間、心なしか、青年の表情に怒りのような色が過ぎった。
 顔は笑っているのだけれど、頬のあたりに怒りマークが見えるような、そんなイメージ。
「よく教育されているようで」
 青年は厭味でも言うかのようにそう言い放ち、すぐに歩み寄ってきた。
 手には赤い首輪のような形をした装置を持っている。
 素早く首の後ろにそれを回され、喉のあたりで固定される。
「 ? 」
「特殊な電波ボイスだけ、封じさせてもらうよ? この部屋を壊して逃亡することも、可能だろうからね」
「そ、そんなこと、しない……」
「そう。……賢明な判断だ。もし、逃げたら、あのお人形さんを壊すよ」
「……アイちゃんは、無事?」
「無事も何も、核の回路さえ壊れなければ、死にはしないよ」
「腕……とか、痛かったと思うから」
「…………。おかしなことを言うね。ロボットに痛みがあると思うのかい」
「ミズキは言うもの」
「…………」
「生を受けた時点で、それは大切な命だって」
「……相変わらず、甘ちゃんだな……」
 青年はそっと目を細めて、静かに言った。
 天羽はゆっくりと立ち上がる。
 背も、ミズキと同じくらい。
 少し考えてから尋ねる。
「ハズキさん?」
 ミズキがよく眺めていた家族写真。
 ミカナギに抱き上げられ、トワの服を握り締めている男の子が、ハズキという名前だと、ミズキに教えられたのだ。
「…………」
「ミズキの、弟さん……」
「俺は俺だ」
 天羽の言葉にハズキはすぐにそう言い切り、そっと目を閉じた。
 少しの間何かを考えるように動かなかったが、次に目を開けると、ハズキはクルリと踵を返した。
「大人しくしていれば、しばらくは何もしない」
「…………」
「せいぜい、いい子にしていることだ」
 首だけ振り返り、見下すような言葉。
 天羽はハズキが出ていくのを見送り、唇を噛み締めた。
 ロックの掛かる音。
 天羽はため息を吐くしかなく、その息は、小さく室内を揺らし、すぐに消えた。



第十一節  お姫様はお姫様だからお姫様なのです。


 ミカナギたちはクラメリアの駅に降り立った。
 待機していた医療班がすぐに車内へと入って行き、どんどん怪我人の運び出しを始める。
 駅から見える街には、他の街でよく見るのと同じような建物がずらりと並んでいた。
 ただ、変わっていることといえば、トンテンカンテンと至るところから鉄を打つような音が響いてくることだろうか。
 しっかりとバンダナを巻き、その上にゴーグルを装着する。
 車とバイクの受け取りもあるから、このまま行くという訳にもいかない。
 全く、時が惜しい。
 ただでさえ、これからプラントを探さなくてはならないのだから、余計だ。
 カノウがそわそわするように周囲を見回す。
 天羽を手に入れた時点で、氷たちが汽車から離脱したことはわかっているものの、それでもどこかにいるのではないかと、そんな気持ちがあるのだろう。
 ニールセンがうぅんと伸びをして周囲を見回し、ため息を吐く。
「人の多い……」
 それは事故処理のために多くの機関が駆けつけているのだから当然のことなのに、嫌そうに呟く。
「車とバイクが下りたら、すぐに出発しよう。アインスの話じゃそんなに遠くないってことだったから、その辺の奴等に聞き込みして……」
「ミカナギ!!」
 車の受け取り場所へと向かおうとした時、青年の声に呼び止められて、ミカナギは立ち止まった。
 タタタッとくたびれたスーツ姿の青年が駆け寄ってきて、ゼェゼェと肩で息をし、膝に手をついた。
「ひぃ……たくさん走ったから気持ち悪い……」
 そう言いながら、ずり落ちる眼鏡を直し、ゆっくりと体を起こして、ミカナギを見上げてくる。
 カノウは警戒するように青年を見上げ、ミカナギは聞き覚えのある声にそっと目を細める。
「ミズキ……か?」
「あ、ああ、そうだよ。記憶喪失なんて、やりづらいねぇ……」
 まだ呼吸が荒いが、それでもミズキはおかしそうにそう言って笑った。
 この男も、あまり深く考えない性格なのかもしれない。
 カノウが名前を耳にした途端、少しばかり眉をひそめるのがわかった。
 フラフラと視線を動かし、不思議そうに首を傾げるミズキ。
「あの……天羽とアインスは?」
「…………。悪い、攫われた」
「え?!」
「申し訳ない」
「攫われたって、あの攫われた? かどわかし? 皿が割れたとかじゃないよね?」
 パニックにでも陥ったようにミズキは頭を抱えて、ブツブツと独り言を始める。
 ミカナギは目を細めてすぐに注意した。
「……落ち着け」
「あ、ああ、す、すまない」
 ミズキはすぐにはっと我に返って、必死に呼吸を整える。
「さ、攫われたって、誰に? そ、そりゃ、天羽は自慢の子で、可愛いけど……だ、だだだ、だって、アインスも君もついてたんだろう? 僕からしてみたら、アインスとミカナギなんて最強タッグなのに……」
「車内散策してる時に不意打ちされたらしい。アインスはコイツと天羽を護ろうとして、最初に捕まったらしい」
 ミカナギはカノウの肩をポンと叩き、そう言う。
 カノウがいたたまれないような表情でミズキを見上げ、すぐに俯く。
「すいません……」
 ミズキはカノウを見つめて、何かを感じたように黙っていたけれど、誰も口を開かないことを察してか、ようやく口を開いた。
「アインスが言っていたのは君かな?」
「え?」
「……だったら、なんとなく察しはつく。あの子は、大切な人を護るように出来ている。……それで捕まったのなら、仕方ないさ」
 ミズキはカチャリと眼鏡を掛け直し、ふぅとため息を吐いた。
「……心配ではあるが……、少し落ち着いたよ」
 彼は人を責めるということが出来るような人間ではないらしい。
 年相応……大人ということか。
「何か手がかりは? 一度プラントに戻ったら、すぐに策を考えよう」
「ツヴァイっていうロボット。アインスが、プラント関係者かもしれないと言っていました」
 カノウはすぐにミズキの問いに答えた。
 ミズキはそれを聞いて、怪訝な表情をする。
 なので、ミカナギはすぐに尋ねた。
「何か、知ってるのか?」
「……ああ、まぁ、道々ね……。……そんな馬鹿な……」
 ミズキは信じられないように小声で呟き、ニールセンにも視線を動かす。
「この人は?」
「あ、ああ、あのな、コイツも」
「ニールセン・ドン・ガルシオーネ二世。プラントにある歴史文献に用がある」
「…………。了解」
 ミズキはミカナギの困ったような顔を見て、もう一度ニールセンを見ると、そう答えた。
 アインスが許可を出したのならば仕方ないと思ったらしい。
 それからミカナギたちは車とバイクを受け取り、ミズキの乗ってきた大きな車にそれを積んで、乗り込んだ。
 運転席には以前ミカナギと戦闘になったハウデルがいて、仰々しくこちらに頭を下げてきた。
「ミカナギ様、ご無事で何よりです」
「……あ、ああ」
「この前は失礼いたしました」
「いいよ、別に」
 ミカナギはニッカシ笑ってそう答える。
 ハウデルはそれを聞いて、ニコリと嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ミズキ様、出てよろしいですか?」
「ああ、急いでくれ」
「承知しました」
 車内ではミズキがミカナギを気遣うように色々な話を振ってくれたけれど、どうしても思い出話に話が動いてしまい、ミズキはミカナギにはわからないことを察してか、何度も何度も話題を変えていたのが印象的だった。
 プラントに到着して、どこまでも白い建物が乱立しているということに驚いた。
 ミカナギはそれを車の中から見上げ、カノウもそのあまりの大きさに呆気に取られていた。
 プラントの中へと入り、ハウデルが先頭を歩いてゆく。
 やはり、プラント内にも白を基調とした壁と床が広がり、いたる所にある機械や近未来的なものたちに目を奪われる。
 カノウはそれを見て、ずっと暗かった表情が少しばかり明るくなった。
 本当に……機械バカなのだから。
 ニールセンも感心したように周囲を見回しながら歩いていく。
 廊下を歩いている間に、ミカナギは段々懐かしさを覚えてきていた。
「とりあえず、僕の部屋に行こう。……あ、それよりも、トワに会いたいかい? それなら案内するけれど」
「……それなんだけど、オレ、これで連絡取ろうとしたんだが、応答が……」
 トランシーバーを示して、そう答えようとした時、十字路になっていた廊下の右側からガラガラという音がして、点滴を吊るした棒のついたベッドが飛び出してきた。
 ハウデルが慌てて、それを受け止め、ベッドを押していた女性も慌てて立ち止まった。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか? ハウデルさん」
「ああ、大丈夫。チアキさんじゃないか。どうした? そんなに慌てて…………トワ様?」
「あ、ちょっと、外で倒れているのを見つけたので、治療して、こちらにお連れしました」
 チアキは慌てたようにそう言い、眠っているトワに声を掛けた。
 ゆっくりと、目が開く。
 ミカナギの心臓がどくんと跳ねた。
 彼女が……トワ?
 霧に包まれていた顔が克明に、今目の前にある。
 顔色は悪いが、とても綺麗な顔だった。
 噛み締めるように、彼女の腕に視線を動かそうとした瞬間、トワが目を覚まして、ミカナギの顔が目に入ったのか、素早くシーツを引き寄せて、体を隠すように自分を覆った。
 顔が、真っ赤に染まる。
「嫌! 見ないで!!」
 それが、彼女が放った再会第一声だった。




*** 第六章 第八節・第九節 第六章 第十二節 ***
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