第十三節  天使の住む場所は、虹の彼方。


 夜眠れないのはよくあることだ。
 徹夜が体に染み付いた彼には、夜が本来の活動の場。
 カノウは不案内ながら、用意された部屋から出て、ブラブラとプラント内を散策していた。
 どこを曲がっても、白い壁、白い床。
 このプラントの大半は居住スペースでありながらも、外部で見てきた多くの街とは異なり、どれもこれも同じだ。
 なので、歩いている自分自身が、今どこにいるのか、と疑問さえ浮かぶようになってきた。
「さすがに不味かったかな……。ミカナギの部屋は……?」
 カノウは帽子を外して、ポリポリと頭を掻いた。
 ブラブラして、そのままミカナギの部屋にでも上がりこもうと思っていたのだが、元々ここの住人だったミカナギには、きちんとした部屋があり、カノウやニールセンとは離されてしまったのだった。
 明日は、戦闘になるかもしれない。
 無力な自分は、それでも、天羽を助けたいから……だから、絶対に頭数に入りたかった。
 そう思えば思うほど、気が早って眠れなくなってしまった。
 仕方ないことだと思うのだ。
 今こうしている間にも、彼女は泣いているかもしれないのだから。
 カノウはふと立ち止まる。
 何か、声が聞こえる。
 歌声……?
 そっと、そこにあるドアに耳をくっつけた。
 そんなことをして聞き取れるわけはなかったのだが、そう、したくなった。
 それくらい、綺麗な声だったから。
 ドアの横についている操作盤のようなものから声がした。
「誰かいるの?」
 その声で、その歌声の主が、先程ミカナギに罵声を浴びせた、あのトワという女性だということが分かる。
 カノウは慌てて、周囲を見回す。
 けれど、隠れられる場所などないし、仕方なく、その声に応えた。
「か、カノウ、です……」
「……そう。どうぞ? 今開けるから」
「…………」
 カノウはその場に直立不動で立ち、ドアが開くのを待った。
 シューーーンと音を立ててドアが開き、部屋の中が見える。
 そこは、自分が泊まっている部屋とは全く異なる造りをしていた。
 ガラス張りでドーム型の屋根。
 そこから外の景色が見え、夜だというのに綺麗な虹が、プラントの一番高い塔のような部分から伸びているのが見えた。
 カノウはその光景に思わず目を奪われる。
 七色の光を受け、立ち尽くすように上を見上げていたトワが、優しく笑んでこちらを向いた。
「こんばんわ。眠れないのかしら?」
 一番最初のあの叫びを聞いた時は驚いたけれど、その後の彼女の行動はしとやかで、女性らしい雰囲気を漂わせていた。
 けれど、その優しい声が、どうにも自分を子ども扱いするようなものだということを肌で感じ、少しだけ唇を噛み締めた。
 部屋に入り、トワの顔を見上げる。
「ボク、あなたとそんなに年変わらないと思いますよ」
「え? ……そう、ごめんなさい。いくつ?」
「18です。あなたもミカナギも、同じくらい……でしょう?」
 カノウは首を傾げて尋ねる。
 トワはうぅん……と唸り声を上げ、その後楽しそうに微笑んだ。
「残念。私のほうが大分年上だわ」
「え?」
 トワの笑顔にカノウは目を丸くして不思議そうに首を傾げ直す。
 トワはそっと視線を透明な天井に向け、口を開いた。
「綺麗でしょう?」
 その目には虹の色。
「あ……はい」
 カノウもつられて見上げる。
「私が我儘を言って、数年前にドームにしてもらったの。こうすれば、外に出なくても見られるから」
「ここは……」
「共有スペースよ。好きに使っていいの。ただ、時々私が占領してますけどね」
 トワはそう言うと、ペタペタと素足の音を鳴らして、歩いていく。
「あ、あの……」
「? そろそろ、私は寝ようかと思って。あ、もしかして、ミカナギの部屋でも探してた? 彼の部屋は私の部屋の隣よ。……でも、たぶん、寝てるけどね。あの人、寝付きいいから」
「……知ってます」
 カノウはトワの言葉にふわりと笑い返す。
 なんだか、ここまで漂わせる色が異なると、不思議に思うよりも面白くなってくる。
「ああ、そうだったわね」
 トワは立ち止まり、カノウにもう一度視線を寄越す。
 カノウはふと持っていた疑問を口にする。
「ミカナギとは、どういう関係なんですか?」
 その問いに、トワの表情が分かりやすいほどに曇った。
 そして、困ったように笑い、答えてくる。
「そう……ねぇ。あなたには何と言えば伝わるかしら。……生まれた時からいつも隣にいた、双子の兄妹……とか。幼馴染……とか。どう表現すればいいのか難しいな」
「兄妹と幼馴染じゃ、全然違いますよね」
「……そう、ね」
 トワはカノウの言葉に、更に困ったように肩を縮こまらせた。
 カノウはトワが困っているのが分かって、そこで言葉を切る。
 自分の理屈でなんでも区切ると、時に人を追い詰めてしまうこともある。
 それを、カノウだって多少は学んできた。
 だから、あまり深入りはしないほうがいいのかもしれないと、肌で感じ取る。
「ごめんなさい。別に他意はなくて。単に、ミカナギはどういう人たちに囲まれて育ったのかなって、好奇心があっただけなんです。……だって、アイツ、単細胞で熱血かと思えば、なんでもかんでもヒョイヒョイと受け入れてしまうから。そういう優しさ、みたいなものは、どこから生まれるのかなって……そう、思って」
「彼は、誰よりも世界を貴んでいるから」
「え?」
 トワの答えに、カノウはすぐに視線を上げた。
 トワは虹を見上げ、ふわりと笑む。
「彼の優しさがどこから生まれるのか。答えは簡単。それは……感謝から」
 トワの表情は優しかったが、声はどこか切なげに響いた。
 綺麗な顔が虹色に染まっている。
 カノウはその表情に思わず見惚れた。
 もしも、聖母というものが存在するのなら、このように優しい顔をするのではないかと思えるくらいに優しかったからだ。
「疑問には答えられたかしら?」
「……あ、はい」
「じゃ、お休みなさい。明日は忙しくなる。寝ないと体が持たないわよ?」
「絶対に、取り返しましょうね」
「…………。勿論」
 カノウが真っ直ぐな目でそう言い切ると、トワは驚いたように目を見開いた。
 そして、ニッコリと笑い、踵を返し、その場から立ち去っていった。
 カノウは静かに虹を見上げる。
 サーテルの街での、彼女の言葉を思い出す。
『カンちゃん』
『ん?』
『あたしのおうち』
『うん』
『虹の、向こうにあるの』
『え?』
『だからね……虹を、探してほしいんだ』
『虹……。天羽ちゃんは、いつも、抽象的で、素敵なことを言うんだね』
『 ? 』
『天使の住む場所は、虹の彼方?』
 今思い出しても、なんて恥ずかしいことを言ってしまったのだろうと思うが、天羽はその言葉を聞いて、困ったようなそれでも、少し嬉しそうな顔をしたのを思い出す。
 辿り着いた。
 天使の住む場所に、辿り着いた。
 彼女を、絶対に帰してあげると、そう約束した場所。
 だけど……天羽がいない。
 約束の相手がいない。
 彼女が帰りたかった場所は、このプラントという空間じゃないのだ。
 彼女の帰りたかった場所。それは……。
 カノウはそっと目を瞑る。
 数回言葉を交わしたミズキという人は、おちゃらけたタイプの人だけれど、それでも、どこか人を気遣うような空気を見せる人だった。
 要するに、大人、なわけだ。
 自分の周囲には、そういう人が多すぎる。
 自分がどれだけ子供なのかを、ヒシヒシと感じざるを得なくなる。
 カノウは腕をさすり、ゆっくりと息を吐き出す。
 分かっていたじゃないか。
 負け戦覚悟で、自分は想いを告げた。
 だから、精一杯、できることをやるしかないのだ。
「武器の調整しなくちゃ」
 カノウは静かに呟くと、もう一度虹を見上げてから、その場を後にした。



第十四節  噛み合わない、噛み合えない。


 早朝、ミカナギはぼーっとトワの部屋の前に立ち、カシカシと頭を掻いた。
 眠っているみたいだから、声を掛けて連れてきてくれと、ミズキから連絡を受けたのだ。
 そう言われても……。
 ミカナギはため息を吐くしかない。
 確かに、自分と彼女は親しい間柄なのだろう。少なくとも、記憶のある本当のミカナギとは。
 今の自分は、それに満たない。
 昨日、ようやく、彼女の顔の記憶を取り戻した。
 けれど、その次の瞬間には拒絶の言葉を浴びせられ、しかし、その後は何事もなかったように、彼女は親しげに話しかけてきた。
 その様子が、夢での態度と不一致で、戸惑いを覚えてしまっている自分がいる。
 要するに、らしくもなく、尻込みしているわけだ。
「ええい、儘よ」
 ミカナギは自分に言い聞かせるようにそう呟き、ゆっくりとドアの前に立った。
 そして、操作盤に手を触れて、声を掛けようとしたのだが、次の瞬間、ドアがシューーーンと音を立てて開いた。
 ミカナギはまずそれに驚いた。
 昨日、ミズキに元の自分の部屋に案内された時に、恐ろしいほど釘を刺されたのが部屋の戸締りについてだったからだ。
 男の自分ならいざ知らず、あんなに美人の女が、部屋の鍵もかけずに眠っている?
「マジかよ……」
 ゆっくりと部屋へと足を踏み入れる。
 部屋はしっかりと整理整頓されていた。
 ミズキの部屋にあったように多くのモニターが片側の壁を支配しており、その反対側にベッドが置かれていた。
 奥には備え付けの大型のクローゼット。
 それ以外は飾り気のない、殺風景な部屋。
 そして、ふよふよと浮かんでいる青色のホログラフボール。
「兎環…………さん」
 呼び捨てにするのが躊躇われて、自分はまたもや、彼女の名に『さん』を付けてしまった。
 白いシーツには人一人が眠っているということが分かるくらいの山が出来ており、ミカナギの声に反応するように、少しばかりもぞもぞと動いた。
 けれど、それで起きるという気配はなかった。
 仕方なく、ミカナギはどんどん部屋の中へと入っていく。
 少しばかり気が引ける。
「朝だぞ、起きろよ」
 ベッドの脇まで来てそう言った。
 トワはシーツに身を包み、気持ち良さそうにすやすやと寝息を立てていた。
 綺麗な顔立ちがあどけなさを漂わせる。
 一度寝返り、もう一度寝返り。
「ん……」
 気持ち良さそうな声。
「おい」
 ミカナギはヒクヒクと口元を引きつらせる。
 なんというか、天羽ならば、ここで布団を剥ぐなり、顔を覗き込むなりして起こすのだけれど、それをトワにするとなると、ミカナギにはそんな度胸はなかった。
 なぜなら、ミカナギとて男だからだ。
 自制心という言葉は良く知っているけれど、それを実行できるかといえば、そんなのはわからない。
 だって、目の前に……スタイルが良くて、綺麗な女が寝ているのだ……。
 堪えろというほうが、毒だと思う。
「兎環、さん。起きろよ。作戦会議だって」
 恐る恐るトワの体に触れ、軽く揺する。
「……ぅぅん……」
 トワはその揺さぶりに少し不快そうに眉をしかめ、寝返りを打って、こちらに背中を向けてきた。
 シーツが足りずに、服とシーツの間から、少々背中の肌が覗く。
 ミカナギは生唾を飲み込んだ。
「……誘ってんのか、コイツ」
 断じてそうではないことをわかっていながらも、そう呟かざるを得なかった。
 大体にして、このシチュエーションが普通と逆なのだ。
 (どこと比べて普通と言うかは謎だが)女の子が男を起こしに来るのが、普通ではないのか。こういう場合。
「起きろよ! おい。もう時間だぞ」
 起きないとどうなっても知らないぞという言葉が出そうになるが、さすがにそこは堪える。
 ミカナギは覚悟を決めて、トワの肩を掴むようにして、今度は強く揺すった。
 揺すった瞬間、トワが不機嫌そうな声を上げる。
「何よぉ……!」
 その声が響いた瞬間、バシュンという音が足元でした。
 ミカナギは驚いて、足元に目をやる。
 ミカナギの足から数センチ逸れた場所が、少々溶解している。
 それを見て、自分の背中を冷や汗が伝ったのを感じた。
 ふと目を上げると、監視用のビームがミカナギに照準を合わせて向いていた。
 各部屋に1台備え付けになっているとミズキが言っていたが、まさか、こういう時のために使われるものなのか?
 いや、断じて違うと思う。
「……マジ、かよ」
 そういえば、先程の連絡の際、ミズキがくれぐれも気をつけてと付け足していたような気がする。
 ……こういう、意味か……。
 ミカナギがトワに触れるのを躊躇って迷っていると、ようやく、トワがムクリと体を起こした。
「寒い……」
 そう呟いて、シーツに包まりながら、ベッドの上に膝を抱えて座り直す。
 そして、そこでようやくミカナギの存在に気が付いたようだった。
 トワは驚いたように目を見開き、次の瞬間、素早く立ち上がった。
 女にしては長身のトワがベッドの上で立ち上がると、ミカナギよりも目線が上になる。
 トワはすぐに叫んだ。
「なによ、なんでここにいるのよ? 出てって! 昔でも、こんなことしたことない!!」
「ちょ、待てよ。起こしてこいってオレは頼まれただけで! それに、お前が鍵かけてなかったのが悪いんだろ?!」
「だ、そ、そんなの関係ない! もう、早く出てってよ!! 着替えるんだから!!」
「……お、オレは、何もしてねーからな……」
 ミカナギはトワの言葉に唇を尖らせてそれだけ返すと、素早く踵を返す。
 何もしてないが、頭の中では描いた。
 そんな自分が、情けなくなる。
 ミカナギは頭を抱えながら、タタタッとトワの部屋を駆け出した。
 顔が熱い。
 夢で見る記憶の流れのように出来ない。
 けれど、あの場面でどのように茶化す?
 茶化せば茶化すほど、彼女の逆鱗じゃないか。
「オレは、どうしたいんだよ……クソ!」
 ミカナギは心の底から、そう吐き出した。
 その声が、早朝の廊下に響き渡った。




*** 第六章 第十二節 第六章 第十五節 ***
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