第七節  Just Do It! Eins


 カノウはミズキの横に並んで走っていた。
 はじめこそ速かったものの、疲れたのか、ミズキのスピードは徐々に落ち始めていた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、……はぁはぁ……、だ、い、じょうぶ……」
 大した距離を走ったとは言えないのだが、見るからに体力のなさそうな、ひょろ長い学者を見れば、……まぁ、当然といえば当然だろうか。
 カノウははやる気持ちを抑えながら、なんとか、ミズキに併走する。
 ミズキはそれを察したのか、苦笑混じりで口を開いた。
「先に行っていても、いいよ」
「いえ」
「僕は確かに弱いけれど、このプラント内で、僕に攻撃できる者なんて、そんなにいないからさ。はぁはぁ……心配してくれなくても大丈夫さ」
「そういうのではなくて」
 カノウはミズキを横目でチラリと見て、少しだけ唇を噛んだ後に告げた。
 ウェストバッグの中身がカチャカチャと鳴く。
 タンタンタンと床を蹴る音が、真っ白な空間に響いてゆく。
「……天羽ちゃんもアインスも、あなたに会いたいんです。あなたが先に行かなきゃ、駄目なんです」
 カノウはそう言って、すぐにニコリと笑ってみせる。
 ミズキはそう言われて、走ることでずり落ちてくる眼鏡を直しながら、そっと目を細めた。
 息は上がっているけれど、少しばかり真面目な声になったのがわかった。
「会いたいと……言ってくれて、いたのかい?」
「はい♪ 天羽ちゃんなんて、ミズキミズキって……うるさいくらいでした」
 カノウがそう言うと、ミズキは本当に嬉しそうに、優しい笑みを浮かべた。
「……そう……。あの子がね……」
「アインスも、ミズキ様ミズキ様って。口を開けば、天才だ、偏屈だ、頭だけだ、って」
「はは! アインスらしいなぁ」
「でも、そこに愛情を感じるのが、アインスです。……とっても、不思議なロボットだと思います。……ボクは、プログラムを組めないからよく分からないけど、もっと、作業的というか、業務的というか……。アインスみたいなロボットはちょっと想像できません」
「……ああ、アインスは僕の誇りだからね。誰よりも深く、何よりも広いんだ。造った僕ですら、時々驚かされるくらいさ」
 ミズキはカノウの言葉を聞いて、天羽の時以上に嬉しそうに、言葉を繋げる。
 タタタタッと走りながら、ミズキの様子を窺う。
 ミズキはバテバテのくせに真っ直ぐな目で前を見つめていた。
 なんとなく、悟る。
 この人は後ろを顧みない人だと。
 ミカナギと同じで、前進することしか知らない。
 立ち止まったり、振り返ったりは絶対にしないのだろうと、思う。
「天羽やアインスは、君の目から見たらどうだった?」
「え?」
「いや、あの子たちは、本当に切り取られた程度の狭い世界しか知らない。そんなあの子たちが大海に出て、外の世界の人間に、どう、思われるのか……少々興味深くてね」
「……素敵だと、思いますよ」
 カノウは若干顔を赤らめてそう言った。
 ミズキがその様子を見て、ふわりと笑う。
「……よかった……。あの子たちは、僕の我儘で生まれた命だから……。でも、それでも、生きているから。もっともっと多くの人に、価値を知ってほしかったんだ」
 優しい目。優しい笑顔。優しい声。
 ……ああ、天羽はこの人の、この表情に心を奪われたのかと思えるくらい、とても優しいものだった。
「天羽はとてもとても寂しがり屋なんだ。人のいない空間と狭い場所が本当に駄目でね……。気がつくと僕の部屋に来て、いつも何かやっていたよ。僕の部屋は恐ろしく汚くなるから、自然と掃除の仕方を覚えてしまってねー。情けないパパさ」
「……天羽ちゃんは汚い部屋を見ると小躍りしてましたね」
「…………。うぅん、教育上良くないねぇ」
 ミズキは困ったようにはねた髪をカシカシと掻いて、ふぅぅぅと息を吐き出した。
 カノウはずれてきたウェストバッグの位置を直しながら、首を横に振った。
「……いえ、2人を見ていて、あなたがどんな人なのか、ずっとずっと気になっていましたよ」
「僕?」
「……はい」
 ミズキの目をしっかりと見つめて、カノウはそう答えた。
 聞く度に覚える、どうしようもない敗北感。
 なんとかならないかと湧き出る焦燥感。
 まだまだ子供でしかない、カノウの精神は、伸びることを切に願い、けれど、その願いはなかなか報われはしない。
 成長のスピードには限界がある。
 願えば、それだけで進むなんてことは、絶対にない。
 だからこそ、敵を知り、己を知ること。
 それが一番大事だと、今、カノウは思う。
 人間として、カノウ自身は、ミズキを嫌いとは思わない。
 むしろ、見れば見るほど、ミズキは好きな部類の人間だと思ってしまう。
 敵が、必ず悪であってくれることはない。
 恋愛では当然のことだけれど、それを思うと、自分ばかりが敵とみなして、分析しているのが恥ずかしくなってくる。
 ……それでも、カノウは真っ直ぐに見つめる。
 我武者羅にやると決めた。
 ならば、これは大事なことだ。
「ボクは……天羽ちゃんが好きですから」
 カノウのその言葉で、ミズキの足が止まった。
 カノウもそれに合わせてピタリと止まる。
 ミズキは静かに目を伏せ、その後に静かに顔を上げて笑った。
「……そうか。でも、あの子はやらないよ」
 という言葉と共に。
「天羽はみんなのものさ。だから、駄目なんだよ」
「……それは、1つの束縛だ」
「え?」
「あの子に、『みんなのもの』なんて、似合わない。幼子であれば、何もせずとも『みんなのもの』になれるけど、天羽ちゃんは、もう物事を考えられるんです。……そんなの、重荷でしかない!」
「……あの子が、そう、言っていたのかい?」
 ミズキはカノウの言葉を聞いて悲しげに、眉をひそめてみせた。
 カノウはすぐにフルフルと首を横に振った。
 静かに目を閉じ、答える。
「想像してみたんです」
 微かにモーターの音とオイルの臭いのある空間。
 『みんなのもの』。
 その言葉の意味は……重い。
 たとえ、言った本人には背負わせるつもりなどなくても、それを真摯に受け止めてしまうのが、天羽という人物なのだ。
 ミズキが……大切だから。
「ああ、重い、よね……」
 ミズキの声がして、カノウは目を開けた。
 ミズキは眼鏡をそっと外し、目を細めて悔やむように唇を噛む。
「あんなに幼い頃の言葉を……あの子は覚えていたのか……」
 静かにそう呟き、すぐに気を取り直したように息を吸い込む。
「ならば、僕はあの子に伝えなくちゃいけないことが山のようにある……。早く、天羽とアインスを連れて帰ろう」
 ミズキがそう言って、素早く駆け出した。
 先程のペースの落ち込みようなど忘れるように、彼の足は軽さを思い出している。
 なので、カノウも慌ててミズキを追った。
 タンタンタンと廊下に足音が響く。
 しばらく走っていると、小さな少年が立っているのが見えた。
 少年は壁にもたれかかったまま、白猫を抱き締めて、ぼーっとしている。
 赤い髪の毛は恐竜のトサカを思わせる形のモヒカン。
 大きな瞳にはターコイズの青を湛え、あどけない顔立ち。
 青のラグランTシャツに黄色の袖なしジャケットを羽織り、下は六分丈パンツとスニーカー。
「伊織……」
 ミズキは目を細めて悲しそうに声を発した。
 その声に反応するように、伊織がこちらを向く。
「ミズキおじちゃん、こ、この先は……だ、だめ、なの。パパが、だめ、言ってたよ」
 しどろもどろにそう言い、伊織はテラを足元へ置き、手をいっぱいに広げてみせた。
 どうやら、とおせんぼ、ということらしい。
 カノウはすぐにロッドを握り締める。
 左手でクルクルと回す。
「……お前に言ったのかい? 足止めをしなさいと」
 ミズキは優しい声でそう尋ね、カチャリと眼鏡を掛け直す。
 その声に、伊織はビクリと体を跳ねさせ、それでも、その場を退こうとはしない。
「パパ、お願いって言ったの。だ、だから、ぼく、頑張るの……」
 伊織は真っ直ぐにミズキを見つめてそう言いきった。




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