第八節  Just Do It! Zwei


 カノウは伊織とミズキのやり取りを見ながら、素早く仕掛けた。
 ロッドをクルクルと回し、遠心力で変形スピードが上がるように調整しながら、伊織へと投げつける。
 けれど、ブーメランが変形して伊織に向かって飛んでいく前に、伊織はそれを一睨みした。
 その瞬間、変形完了したブーメランが力を失ってカランカランと床を跳ね、ロッドへと形を戻した。
 カノウはそれを見て唇を噛み締める。
 伊織は、汽車の中で最後に立ち塞がった少年だ。
 曖昧な記憶の中、このシルエットだけは覚えている。
 あの時、何かが自分の頭を捉えて倒れ、気を失ってしまった。
 一体あれはなんだったのか。
 それを考えていたが、結局分からなかった。
 けれど、今のでなんとなく察する。
 この少年も変わった力を持っているらしい。
「カノ君、できるだけこの子に荒っぽいことは……」
「そんなの知りませんよ」
「…………」
「子供とか大人とか関係ない。誰かに言われたからとか関係ない。この子が天羽ちゃんを連れ去った。闘う理由はそれだけで十分です!」
 カノウはそう言い切り、素早くウェストバッグからピンポン玉大のボールを取り出す。
 指先で軽く弄ぶように2つのボールをヒョイヒョイと動かし、次の瞬間、1つずつ、両側の壁に投げつけた。
 カコンカコンと軽い音を立てて、その2つがそれぞれ廊下を跳ねる。
 その動きの速いボールたちに伊織は動揺したように、目を動かしている。
 カノウはその隙を突いて、床に落ちているロッドを拾い上げ、すぐに伊織に向かって振りかざした。
 空気がピリリと動く。
 パリパリッと音がして、一瞬廊下を照らしていたライトが暗くなった。
 そして、次の瞬間撃ち下ろされるいかづち。
 伊織はそれを直感的に感じ取ったのか、素早く後ろへと退がってかわした。
 ニャーとテラの声。
 カノウは真っ直ぐに伊織を睨みつける。
 ミズキがカノウの持っているロッドの仕掛けが、どんなものなのか分かって動揺したように声を上げる。
「ちょ……カノ君、無茶しないでね。プラントはブレーカーでも落ちようものなら悲惨なものなんだよ。ハイテクの限りを尽くしているから、電気がなければ只の城なんだ」
「落ちたらごめんなさい」
 カノウは悪びれることなく後ろにいるミズキにそう返す。
 その言葉にミズキはハァァとため息を吐き、次の瞬間、ピーーーと何かをしごくような音を立てた。
「……しょうがないなぁ」
 ミズキはそう呟くと、腕をしならせ、何かを伊織へと投げつけた。
 カノウの脇をすり抜けて、その何かが伊織の腕を捉えた。
 不意を突かれたのか、伊織は抵抗もせずに右腕を引っ張られる。
 それを見て何をしたのかようやくわかった。
 透明な、紐か何かを放り投げたのだと。
 カチャリと眼鏡を掛け直す音。
「……カノ君はあれだね。ガキってやつだね。まぁ、それも嫌いではないけれどね。伊織、降参してくれないか。おじちゃんはお前を傷つけたくはないんだ」
「が……いえ、……最近は納得しているのでいいです。図星さされて怒ったほうがガキですしね」
 カノウは少しだけ上がりかけた血の気をすぐに抑える。
 そう。自分の精神年齢が低いことなど、よく分かっているじゃないか。
 この1ヶ月で実感させられたではないか。
 フラフラと足だけ進んで、伊織がカノウのすぐ目の前まで来る。
 あどけない顔が困ったように目を細めている。
「パパに、何もしない?」
「……事情によっては、何かするかもしれない」
 誤魔化せばいいのに、ミズキは真っ直ぐにそう返した。
 子供に対してだからこそなのだろうか。
 ミズキは嘘をつこうとはしなかった。
「それじゃ……」
 伊織の小さな声。
 プツリとカノウの耳元で、糸の切れる音が微かにした。
「無理!!」
 伊織がそう叫んで、右手をブンと横に振った。
 今の今まで自由が利かなかったはずの腕が簡単に動いた。
 先程した音が一体何の音だったのか、それで気がつく。
 伊織は、不思議な力で紐を切ったのだ。
 その考えに至った瞬間、カノウの体がふわりと浮いた。
 まるで誰かに抱き上げられるように、軽々と宙を舞う小柄な体。
 すぐに床に背中から着地して、その上を滑った。
「痛って……」
 カノウは低くうめき、少し悶えたが、なんとか呼吸を整えて立ち上がる。
「大丈夫かい?」
 数メートルは吹っ飛んだらしく、横にはミズキがいた。
 心配そうにこちらを見ているが、それよりもカノウはこう言わざるを得なかった。
「嘘でもいいから、しないって言ってよ!!」
 ガキと言われても敬語で通していたのに、今回ばかりは我慢できなかった。
 気がつくとそう叫んでいた。
 普段は飄々としているくせに、先程の言葉はなんだというのだ。
「子供に嘘をつくのはいけない大人のすることさ。僕は嫌だよ」
 ミズキは唇を尖らせて静かにそう言った。
 カノウは心の中で呟く。
 前言撤回。
 この人は……大人なんかじゃない。
「傷つけたくないって言ったのは、アンタだろ?! 些細な嘘は、人を傷つけないために必要なんだよ。そんなのもわかんないのか、アンタは!!」
「伊織が大人だったらね」
 ミズキはカノウの言葉にそう答えた。
 カノウは眉をひそめる。
「些細かどうかは本人が決めることさ。それに、これは些細なものではないんだ。僕にとっても、伊織にとっても。だから、でまかせなんて言える訳がない」
 ミズキはそう言うと、すぐに伊織に目を向ける。
 伊織は先程までのしどろもどろな態度など、どこかに吹っ飛んでしまったように、険しい形相でこちらを見ている。
「君にとって天羽が大事なように。伊織にとって、ハズキはかけがえのない命の源なのさ」
 2人を助けることが、最優先事項だろ?
 カノウの心がざわめく。
 何よりも2人を大事に思っているはずの人が、なぜ、他のことまで気に掛けるのだ。
 カノウは意味が分からずに、ミズキを見上げることしか出来なかった。
 ミズキはまっすぐに伊織を見下ろし、ゆっくりと腕を上げる。
 ピンと音を鳴らして、またもや紐を放り投げたようだった。
 ニャーとテラが鳴いて、伊織の前に飛び出してくる。
 透明な紐の位置が分かっているように、シャッと細い腕を振り下ろした。
 ミズキの腕が紐で何も捉えられなかったために、カクンと不自然なくらいのスピードで跳ねる。
「パパに何かするのは、だめ。絶対許さない」
「……伊織」
 テラが軽くジャンプして伊織の肩を蹴り、トンと壁を蹴り、天井と壁の間の僅かな隙間へと上がっていく。
 次の瞬間、先程カノウが投げたボールがふわりと浮き上がり、伊織の周囲をふよふよと漂った。
 それを見て、カノウは問答無用でロッドを振り下ろした。
 このロッドは振り下ろすスピードで、いかづちの落ちる位置をある程度調節できる。
 近くに落としたければ速く、遠くに落としたければ少し遅めに。
 ゆっくり振り下ろされたロッドに従うように、廊下が一瞬暗くなり、ピカリと光っていかづちが落ちる。
「……どこかのデータ消えてるよ、絶対。トワ、バックアップ、どこかに保管してるかな……」
 こんな事態でもミズキはその辺を気に掛けるようにため息を吐いた。
 カノウの落としたいかづちが伊織を捉えていなかったから言える言葉だった。
「くそ」
「当たらないよ。……わかるんだ。テラが教えてくれるから」
 伊織はいけしゃーしゃーとそう答え、登場した時のしどろもどろ加減など見る影もなくなっていた。
 ふよふよと伊織の周囲を漂っていたボールをカノウめがけて飛ばしてきた。
 カノウは慌ててロッドを振り、1つを弾いたが、もう1つは弾くことができずにスコーンと額に当たった。
 元々攻撃用のものではなかったので、大したダメージではなかったのだが、一瞬目の前に星が散った。
 次の瞬間、伊織がカノウの胸元まで詰め寄ってきて、ふわりと指を動かした。
 すると、まだミズキが回収していなかったのか、透明な紐がカノウの体にグルグルグルと巻き付いてきた。
 カノウは慌ててもがいたが、それよりも早く、体が締め付けられてしまった。
「く……」
 伊織はカノウの手にあるロッドを奪い取ると、にこぉと笑った。
「だめだよ、こんな危ないもの」
 その笑顔に、カノウの背筋が凍った。
 この少年は、戦闘になると性格が変わるのだろうか。
 戦闘前の態度から考えると、絶対にこんな態度は想像できない。
「伊織、君は……」
「パパに危害を加える人は許さない。ぼくが、全部排除する」
 キッとミズキを見据え、伊織はブンとロッドを振るった。
 ミズキはおっとと声を上げて、後ろに下がり、壁に背をぶつける。
 ミズキが下がった分、カノウもたたらを踏んで、どしゃりと倒れこんだ。
 伊織はロッドを見つめて不思議そうに首を傾げた。
 カノウはそれを見上げてすぐに言う。
「それの扱いはとっても難しいんだ。君じゃ無理だよ」
 伊織はその言葉に、むぅっと頬を膨らませる。
 ミズキが急いでカノウの体から紐を解こうと屈みこんだが、それを伊織が許すはずもなく、ミズキの体がふわりと浮かんだ。
「わっとっと……」
 ミズキが支えのない宙ぶらりんな状態で浮かんでいる。
 カノウの体も引っ張られるように上へと持ち上がりそうになったが、その瞬間、プツンと重みで紐が切れた音がした。
 切れても絡みついた紐は解けなかった。
 縛られたうえに、倒れたままで、器用にウェストバッグの口を開け、何か使えるものはないかともぞもぞと体を動かす。
 指先が攣りそうだったが、そんなことは言っていられない。
 確か、機械いじり用のナイフも、念のために入れていたはず。
 ゴソゴソと漁る中、ナイフの柄の触感を見つける。
 何とか取り出そうと、ゴソゴソと指先で少しずつ引っ張り出す。
 ミズキはふわふわと浮き上がりながら、腰に差していたビーム銃を取り出した。
「エネルギーは最弱にして……」
 ミズキが何かブツブツ言いながら、銃をいじくっている。
 ……もう少しで、ナイフを掴める位置まで取り出せる。
 カノウは心の中で焦りながらも、できるだけ冷静さを欠かないように必死に呼吸を繰り返す。
 指先がナイフの柄をしっかりと捉える。
 よし!
 心の中でそう叫んで、すぐにナイフの柄を握り締めた。
 ゴロリと床の上で転がり、ウェストバッグを潰すように体の下敷きにする。
 そして、勢いよくナイフを抜いた。
 すぐにプツリと紐を切り、すぐに立ち上がり、ミズキへと視線を上げる。
 すると、テラがミズキに飛び掛って、銃をパシンと弾くのが見えた。
「え? とっと……し、しま……」
 ミズキは慌てて落ちていく銃を掴もうとしたけれど、更に高度を上げられて天井に頭をゴツンとぶつけてしまった。
「いたたた……」
 頭をぶつけた勢いで眼鏡もポロリと外れた。
 伊織が落ちてくる銃に手を伸ばすが、それよりも速くカノウは跳んだ。
 自分にある能力は、分析力と発想力と瞬発力。
 パシンと銃を受け止め、ミズキの眼鏡も床に落ちるギリギリで拾った。
 カノウはスチャッと伊織に向けて銃を構えた。
 伊織がそれを見て動揺するように眉根を寄せる。
「君の弱点が分かった。ボクらの勝ちだ。降参したほうがいい」
 カノウは決して戦闘タイプではない。
 ならば、どのように闘えば勝てるのか。
 いや、勝てなくてもいい。
 相手を黙らせるには、どのようにすればいいのか。
 それを考える。
 運がよかったのは、伊織には、氷のような絶対的身体能力が備わっていなかったことだろうか。
 基礎的な能力が上の相手だったら、カノウには勝ち目がほとんどなかっただろう。
 氷の激しい膝蹴りを思い出す。
 あの攻撃力は半端じゃない。
 カノウではどう足掻いても処理できない。
 けれど、今目の前にいるのは伊織だ。
 おそらく、9歳か10歳か。
 そんな子供ならば、どんなにすごい力があったって、倒せる。
 テラが壁を蹴ってカノウに飛び掛ってくるが、カノウはそれをなんとかかわし、すぐに伊織に向けてぶっ放した。
 シューーーンと音がして、ビームが伊織の頬を掠める。
 銃は使い慣れていない。
 なかなかに扱いが難しい。
「…………」
 伊織は熱で微かに焼けた頬に手を触れる。
 テラが気遣うように伊織の足元に擦り寄った。
 カノウは伊織を睨みつけて、しっかりとした口調で言い切った。
「ボクはガキだから、子供とか動物だとか、そういうので加減はしないよ」
 伊織の青い目がカノウを捉える。
 カノウも同じように見据える。
 テラが逆毛を立てて、シャーーと威嚇するように鳴いた。




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