第九節 Just Do It! Drei ミズキは天井に手を当てて、なんとか床へ下りようと、グググッと腕に力を入れた。 けれど、伊織の力のせいか、下りようとしても下りられない。 伊織とカノウの睨みあいはまだ続いていた。 「まいったなぁ……」 ミズキは今度は引っ繰り返って足で天井を思い切り蹴った。 どうせ、同じように上へと押し戻されると思ってのことだった。 「ほっ!」 まるで無重力空間で遊ぶかのようにミズキは壁を蹴り、天井を蹴る。 何度もそれを繰り返してみる。 すると、手厳しくカノウが突っ込んだ。 「ミズキさん、こんな時に遊ばないでください」 「あ、遊んでいるわけじゃ……」 とも反論しきれない自分のふざけた性格よ……。 カノウが伊織に向けて銃を撃とうとした瞬間、ガクンとミズキの体を吊っていた力が消えた。 急に力を失ったため、ミズキは頭から床へと落ちた。 ドコッと鈍い音が廊下に響く。 「痛ぅぅぅっ」 ポシュ……ンという音がして、ビームは放たれたが、それはカノウの腕が思い切り跳ね上がったせいで、天井に跳ねてそのまま消えた。 カノウはニッコリと笑みを浮かべて、ミズキと自分の腕を見比べた。 「うん、当たりだね」 何もかも分かったようにカノウはそう言うと、ウェストバッグから再びピンポン玉大のボールを5つほど取り出してみせた。 テラが警戒するようにカノウを見据えてくる。 伊織は自分でもよく分からないように床に落ちてしまったミズキに視線を寄越した。 「伊織……」 ミズキは思い切り打った肩を押さえながらも、なんとか体を起こす。 カノウが何を分かったのか知らないけれど、できるだけ伊織が大怪我をするような展開は望ましくない。 カノウは銃をベルトに差し、4つのボールを適当に投げつけた。 床に、壁に、天井に……それぞれ跳ね返り、全てが伊織目掛けて飛んでいく。 伊織はすぐにそれらを力でピタリと止めた……けれど、カノウが持っていた最後のボールを思い切り振りかぶった。 今度はどこにも跳ねさせずに真っ直ぐに伊織を狙い、投げつける。 伊織の表情が困惑の色に染まった。 止まっている4つのボールの壁をすり抜けて、カノウの投げたボールが伊織の頭に簡単にぶつかった。 ボフンと軽い爆発音。 「っは……」 「やっぱり……」 カノウは静かに呟き、腰の銃を抜いて、伊織の傍まで駆け寄る。 首筋にビーム銃を当てがい、静かに言う。 「勝負あり、だよ」 伊織の頭から少しだけ血がにじみ、テラが忌々しそうにカノウのそんな様子を見上げている。 ミズキはゆっくりと立ち上がり、カノウに問うた。 「何が、やっぱりなんだい?」 カノウはそれに対して、すぐに答える。 「視野が狭くて、力を掛ける範囲もとても狭いんです。あなたに掛ければ、ボクには掛けられない。その逆も然りって具合で。時間軸、空間、物体、いずれかに限定されてしまう、のではないかと」 ふぅと息を吐き出し、カノウは伊織をしっかりと見据える。 「それプラス、持続力もない……と見た」 カノウの言葉に、伊織はキッと視線を返す。 けれど、首筋に銃口が当たっているので、おかしな行動にまでは出てこない。 だが、確かによく見てみれば、伊織の顔にはうっすらと汗が浮かんでいる。 「おそらく、よくSFなんかで見るサイコキネシスっていうのが根底にある力だね。けれど、この力には、物理学的見地からどうしても矛盾が発生していると、どこかの本で読んだことがある」 カノウはハキハキと述べる。 「例として挙げるならば、引力の存在する地上で、落下するものが宙を漂い続けるなんてことは、明らかにありえない事例だ。それは、物理学的法則に反している。超能力の存在さえありえないとはボクは言わないけれど、もしも存在するのであれば、それ相応の負担が、周囲または本人自身に掛かることになる。この場合は、おそらくは本人自身に負担が掛かる……だね」 伊織が少しずつ呼吸を速めていく。 命を奪われるかもしれないという緊張状態のせいだろうか。 ミズキから見ると、カノウは伊織が降参さえすれば撃つことはないと思っているが、伊織は子供だ。 そんなところまで、理屈で分かってはいないかもしれない。 何より、極限状態というのは、激しいストレスになりやすい。 「法則に反するからこそ、範囲が限られてるのかもね。1範囲以上にターゲットを広げてしまった場合、自身に掛かる負担が過剰になり、もしかしたら脳を損傷してしまうかもしれない。それが直感的に発動しているリミッターなのか、君自身にそれ以上の力を使う器用さがないからなのかまでは、ボクには分からないけれど」 「カノ君、あまり脅すような真似は」 「甘いよ」 「え……」 「ボクにとって天羽ちゃんが大事なのと一緒なのだと、ミズキさんが言ったんだ。ボクだったら、この命取られたって、最後の最後まで意識を奪われない限りは喰らいつく。それくらいの覚悟が、あるってことだ」 カノウは思い切り銃を振り上げた。 撃つのではなく、思い切り伊織の首の裏をガシンと叩く。 伊織の声が微かに漏れて、ドシャリと床に伊織の体が突っ伏す。 テラが次の瞬間、カノウに向かって飛び掛った。 シャッと爪が空を切る。 一撃目はかわしたものの、すぐにテラが切り返して飛び掛ってきた時、何かに足を掴まれて態勢を崩した。 ガリッとカノウの頬を深く切りつけるテラの爪。 「っ……!」 カノウはツ……とこぼれる血をすぐに手で押さえ、視線を足元に向けた。 確実に急所を突いたはずなのに、意識があるのかと……思ったのだが、伊織の目には、完全に何も映っていなかった。 手だけがカノウの足を掴んで離さない。 カノウはブンブンと足を振るった。 けれど、伊織はその力を緩めなかった。 ミズキはヨロヨロと歩み寄って、優しく伊織の手をカノウの足から除ける。 「……この子には、本当にハズキしかいないんだ。覚悟のレベルが、違うんだよ……」 当然のようにそう言い、伊織の顔を舐め始めたテラの頭を少しばかり撫でる。 「さぁ……行こうか。時間がない」 伊織の体を抱き上げて、壁にそっともたれかからせると、ミズキはもう割り切ったようにそう言った。 あれほど、闘うことを避けたがっていたくせに、恐ろしいくらいに切り替えが早い。 自分でもそういう部分には苦笑が漏れるくらいだ。 トワにもよく言われる。 きっと、この少年も同じように感じているかもしれない。 ……ミズキという人間は、恐ろしいほどに執着がない、と。 いや、単にいい加減な人間だと思われるだけだろうか。 執着のない人間には見えないと、過去誰かに言われたことがあった。 カノウの頬の傷を見て、ゴソゴソとポケットを漁り、傷薬を取り出して、カノウへと放った。 「幼馴染の女の子が作ってくれたものさ。とってもよく効くから、塗っておくといい」 カノウもパシンと受け取り、蓋を開けてピッと薬を塗った。 カノウもポケットに入れていた眼鏡をそっとこちらに手渡してきた。 「あ、ああ、ありがとう」 すぐにカチャリと眼鏡を掛け、くっきりとした視界に安堵する。 カノウはウェストバッグの中に入っているナイフの鞘を取り出して、床に転がっていたナイフを納め、そのへんに散らばったボールも拾い集める。 ジーッと口を閉めて、最後に伊織の手からロッドを奪い取った。 そして、ミズキに尋ねてきた。 「もしかして、伊達ですか?」 「え?」 「きちんと、見えているように思えました」 「ああ……ちょーっと近眼なのさ。その程度かな」 「…………」 「眼鏡だと、賢そうに見えるだろう? だから、してるんだ。このプラント内で若造が出しゃばるのには、少々の威厳が必要でね」 ふっと笑みを浮かべてミズキはそう言い、すぐに踵を返した。 カノウもすぐにそれに続く。 「さってと……どの部屋にいるのか。誰に先に会えるのか……。まぁ、望ましいのはハズキなんだけどね」 真面目な声。 カノウが横に並んで、ミズキを見上げてくる。 それに対して、ミズキはまたもや笑顔に戻る。 「全く、他人に突然怒鳴りつけられるのなんてそんなにないよ。僕はこれでも、坊ちゃん育ちなんでねー。コルトくらいか。やれやれ。エンジニアっていうのは、なんというか、その辺への配慮が薄いのかねぇ」 飄々とそう言い、それでも、そういう態度の人間は嫌いじゃないなぁと内心思って、クスリと笑う。 カノウがミズキの言葉に慌てたように頭を下げてきた。 「ご、ごめんなさい! だって、あまりに中途半端なものだから……」 「ああ、済まないね。大人っていうのは、中途半端なものなのさ。1つのことだけ大切と、言えない時があるんだ」 ミズキは髪をガシガシ掻いて笑い、けれど、次の瞬間、ガシャリ……と音がしたのに、視線を動かした。 目の前に、右腕を失った状態のアインスが現れ、こちらを静かに見つめている。 ミズキは驚いて目を見開く。 ああ……ほんの1カ月という時がこれほど長く感じるとは思いもしなかった。 当然のように傍にいた者が、2人もいなかった。 ……どれだけ辛かったか。 それを察すのは、お前だけでいい。 熱くなる目頭を必死に押さえ、ミズキは涙を振り払う。 「アイン……」 ミズキはすぐに駆け寄ろうとしたが、それをカノウが腕を掴んで制止した。 意味が分からずに、ミズキはカノウを見る。 「様子がおかしい」 「な……」 カノウの言葉に、ミズキは心を落ち着かせて、しっかりとアインスを見つめる。 何も変わりなどしない。 あの、別れた時と同じに、ミズキには見える。 けれど、カノウはそう言った。 シューーンとドアが開いて、ハズキがアインスの脇に並ぶ。 「感動の再会……ってところ、かな」 ハズキはミズキを見据えて、見透かすことの出来ない笑みを浮かべてみせた。 その言葉に対して、アインスが静かに答えた。 「そうですね、ハズキ様」 と。 |
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