第十節  ハズキ構想録


 プラントはどこもかしこも真っ白だ。
 その中に潜む色々な色を正当化するかのように、どこもかしこも白い。
 年に2回行われる定例会。
 その時だけ使用される、広い広い会議室。
 他と同じく白い壁、白い床。
 ここまで1色に保たれると、捻くれたハズキの心で言わせるとこうなる。
「吐き気がする」
 少し離れてはいるが、隣に座る養父のことなど気にもしないように、ハズキはボソリと呟いた。
 あれは3年前のことだったか。
 定例会で挙げられた議題は、しばしの間空席だった副所長の座に、兄であるミズキを推薦するというものだった。
 タゴルがこれ見よがしに眉をひそませたのを覚えている。
 そんなに嫌か、と思うと、込み上げる笑いを堪えるので必死だった。
 タゴルは父を憎んでいる。
 副所長でありながら、自分の意に真っ向から反対し続けた父が大嫌いだったようだ。
 ……気持ちは痛いほどわかる。
 父は、タゴルより才に恵まれ、人望も厚かった……。
 まるで、自分から見る兄と同じようにだ。
 ただし、その際の推薦は、明らかに人望だの才能だのを無視したものに見えたのは、自分が余りに捻くれてしまったからだったのだろうか。
 ミズキは寝耳に水な議題だったのか、明らかに困ったように目を見開いて、推薦した博士とそれに賛同した者達の顔をキョロキョロと見回していた。
 そして、すぐに立ち上がる。
「申し訳ありません。辞退します。……僕には務まりません」
 その言葉に、会議室全体がざわつく。
 タゴルはミズキを睨むように見据え、ハズキは兄のその言葉にぐっと唇を噛み締めた。
 兄はいつもこうだ。
 権力というものに及び腰で、……無欲だ。
 そして、自身の興味のままにだけ研究をする。
 あれでも、昔はもっと外ヅラはよかった。
 マリークの街の浄化装置を造ったのは、兄が17の時だ。
 今の自分と同い年の時、少しだけ出歩いた世界で、気になったものがそれだけだっただけのかもしれない。
 環境についても興味を持っていると、兄は周囲の学者達にもてはやされた。
 しかし、それは結局兄の興味という視界に入っただけのことで、その裏でどのように考えられるのかなど、きっと考えているようで考えていなかっただろう。
「僕は自分の気が赴くままにだけ研究をしています。全体のことを考えるような地位は向きません」
 ミズキはカチャリと眼鏡を掛け直し、しっかりとタゴルを見据えてそう言った。
 ……そんなのは兄だけではない。
 ここにいる養父のほうが、更に酷いではないか。
 けれど、そう思うのと同時に湧き上がってくる気持ちがあった。
 ……父の遺志を継ぐのではなかったのか。
 兄は、父の遺志を継ぎ、このプラントの内情を変えてくれるものとばかり、自分は思っていた。
 捻くれた自分自身……。
 けれど、信じていたものがあるのだと、……自身の研究以外に興味のない兄は、それにさえ気がつかない。
 ハズキはそっと目を伏せる。
『困った時はオレを呼べ。ミカナギさんは、いつでも、ハズキのために飛んでいく』
 結局、自分のことを気に掛けてくれる家族など、1人しか思い浮かべることが出来ない。
 その人も、5年前から行方不明だ。
 ……自分の道は、自分で切り拓くしかない。
 しかし、所長である養父は、見事に嫌われている。
 その養子であるハズキが、副所長またはそれ以上の座を手にすることなど、遠すぎる未来だろう。
 兄は、機会を逸した。
 面倒くさがりの兄は……研究の妨げになる副所長という座を、軽々と蹴ってみせた。
 ハズキは思う。
 兄は本当にバカなのだ。
 父の遺志も何も無視をして、彼は好きなことを研究することだけに没頭したいのだ。
 ……才能と能力は、必ずしもイコールではない。
 世に貢献しない才能は、能力とは呼べない。
 そのくせ、ミズキはその時の定例会で、今後の自分の研究対象について、大々的に話をした。
 人型ロボットの開発。
 学習機能を背負わせたプロトタイプを現在構築中で、数年データを取った後、研究結果次第では全世界へと、このロボットを普及していきたいと述べた。
 ハズキはそれを聞いて、くっと笑いを漏らした。
 人間のお手伝いロボット……。
 しかも、完全なる人型。
 全くもって兄らしい。





「ハズキ様、ご指示を」
「叩き潰せ」
「了解しました」
 アインスはハズキの言葉で、キュイィィィンという音がするかのようなロボット的な動きでこちらを向いた。
 カノウがミズキの腕を掴んで、一時退却しようと伝えるように引っ張ってみせたが、ミズキはそんなのには全く反応しない。
「アインス、冗談だろ?」
 そう言って、苦笑してみせる。
 わかっている。
 アインスは不思議なロボットだけれど、冗談が言えるほどフランクには育てていない。
 アインスのスカイブルーの目に、ミズキだけが映る。
 裏切ることは決してない。
 あの複雑怪奇なプログラムをいじられることさえなければ。
 ……自分しか分からないように独自の言語を用いたというのに、ハズキは軽々と解析してみせたというのか。
 アインスが左腕を振りかざし、ミズキの体を軽々と横に薙いでみせた。
 ポキリと、簡単にミズキの左腕が鳴いた。
「っぁ……」
 ミズキは声にならずに、そのままその場にへたり込み、左腕を押さえる。
 呼吸が出来ない……。
「アインス、やめろよ! どうしたっていうんだよ!!」
 逃げようと算段していたカノウもミズキの腕が折れたのが分かって、慌てて前へと飛び出した。
 まさか、ミズキに攻撃をするとまでは思っていなかったのだろう。
 それはそうだ。
 ミズキ自身が驚いているのだから。
 ……ミズキだけのアインス。
 僕だけのロボット……。
「カノウ、どいてください。おれに課されたのは、その男を潰すことだけです」
「何言ってるんだよ! 君のご主人様だろ!? 君の大好きなミズキ様だろう?!!」
 カノウが必死に声を絞り出して叫ぶ。
 ミズキは痛みを堪えながら、少しだけ視線を上げた。
 カノウの足が、震えているのが分かった……。
 アインスがその言葉に対して静かに答える。
「はい、造り出したのはその男です。……けれど、おれには狭い世界しか与えてくれなかった」
 ミズキはその言葉に目を見開く。
 それはアインス自身の言葉か、それともハズキの教えた言葉か。
 そんなことを考える自分さえ、嫌になる。
 ミズキはゆらりと立ち上がり、アインスの肩越しにハズキを見据えた。
 ハズキも同じようにこちらを見据えてくる。
「もしも、彼のシステムを盗まれるようなことがあれば、悪用の可能性もある。……だから、兄さんは彼を外に出したがらなかった」
「……そうだ」
「でも、それなら、何のための学習機能搭載型ロボットなんだい? 経験しなくては、何も覚えないだろう」
「それは……」
「兄さんは、研究に私情を挟みすぎる。生粋の研究者なんだろうけれど、それではこのプラントという環境には異常なまでにそぐわない」
「…………」
「兄さん」
「なんだ?」
「父の言葉を覚えている?」
「父の言葉?」
「タゴル養父の意志を止めることさ。あれは、ミカナギやトワにだけ課されたものじゃない。俺たちにだってしなくてはいけないことがある」
「…………」
「それなのに、あなたは簡単に副所長推薦の話を蹴ってみせた」
 ハズキはふぅ……と息を吐き出し、短い髪をそっと掻き上げ、すぐにミズキに視線を戻した。
「それは、まだ早いと思ったからだ」
「じゃ、父の言葉は忘れていないんだね? けれど、まだ早いだって? どれだけ兄さんは自信過剰なんだろうね。あの養父が、二度目を許すと思っているのかい? もう二度と、あんな画策はさせはしないよ。どんなに兄さんが人望に恵まれても、あなたを推薦する人はもうどこにもいない」
「……時が来たら立つつもりでいた」
「立候補? ……本当に腹立たしい限りだよ。あの時、受けておいたほうが手っ取り早いじゃないか。どのみち、立候補したって同じことさ。養父は蹴る。あの人は、あなただけは絶対に副所長にはしない。そんな空気も読めないのかい」
 ミズキは何も言い返せなかった。
 ズキリと痛む左腕と、同じように心が疼く。
 アインスの冷たい眼差しがミズキを捉えている。
 その眼差しは、いつもの彼と全く異なる。
「アインス……」
「カノウ、すいません」
 アインスはカノウの腕を取り、軽々と放り投げた。
 カノウの小柄な体がふわりと宙に浮き、ミズキの頭の上を抜けていく。
 ミズキは慌てて振り返る。
 けれど、そこにはトワが立っており、ミカナギがカノウの体を受け止めて、倒れていた。
 すぐに起き上がり、カノウの体を除けるミカナギ。
「ってて……何のつもりだよ、アインス」
 状況を分かっていないミカナギはいつも通り馴れ馴れしくアインスに声を掛ける。
 カノウがすぐにミカナギに伝える。
「アインスの様子がおかしいんだ。ミズキさんをいきなり殴りつけて……」
「なんだと?」
 ミカナギはカノウの言葉にすぐに反応し、素早く立ち上がる。
「大丈夫か?」
「ああ……ちょっと、油断しただけさ。アインスが悪いんじゃないよ」
「…………」
 ミズキの言葉にミカナギが顔をしかめた。
 ミズキの横をすり抜けて、アインスを見上げるミカナギ。
 次の瞬間、ガシリとアインスの胸倉を掴んだ。
「あんなに会いたがってたくせに、何やってんだ、バカヤロウ!!」
 ミカナギの叫びが、廊下一面にこだました。




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