第五節 アインスフォルダ 「ふーーーん、これはこれは。お姉ちゃんも気付きませんでしたねー」 トワは天羽が持ってきたアインスのメモリディスクの内容を見つめて、楽しげに笑みを浮かべてみせた。 その笑顔を受けて、天羽がもじもじと恥ずかしそうに体を動かす。 その様子を見て、トワはすぐに天羽の体を抱き寄せて、ふわふわの髪に頬ずりした。 天羽がくすぐったそうに目を閉じる。 天羽の背中をさすって、トワは優しい声で囁いた。 「大丈夫よ。好きって感情は、罪じゃないから。ね?」 「……うん……」 天羽の気持ちはよく分かる。 ミカナギも、自分も、この子のことを言えないほどの想いを、ずっとずっと抱えてきた。 ミカナギはママを、トワは……ミカナギを……。 だから、天羽を咎めるようなことは言わないし、その想いを罪と呼ぶような者がいれば、トワはその者の存在を決して許しはしない。 なぜなら、そんなことは当事者である本人が一番分かっていることだからだ。 だから、どんな言葉を言われれば、天羽の心が落ち着くのか、少しでも不安じゃなくなるのかを、わかっているつもりだ。 トワは天羽から体を離して、少しばかり巻き戻し、場面を再生しながら尋ねる。 天羽がミズキのことについて話しているシーン。 可愛らしい声が室内に響き、天羽は恥ずかしそうに身をよじらせる。 「で、この部分だけ、なんとか誤魔化して欲しいっていうことで、いいのかしら?」 「……できる?」 「さぁ、どうかなぁ?」 「えぇぇぇ、でき、ないのぉ?」 「私の力も万能じゃないからねー」 本当に困ったように目を潤ませる天羽を見て、つい悪戯心に火が点いてしまう。 けれど、天羽が本当に困っていることもわかるから、すぐにその言葉は取り下げた。 「冗談冗談♪ 任せなさい」 にっこりと微笑んで、天羽にそう言うと、ポンポンと天羽の頭を優しく撫でて、すぐに画面を見上げる。 とりあえず、このディスクのバックアップを取ってからどうするか考えるしかないだろう。 ……ミズキもバックアップを取っていたら終わりだけど……。 そんな考えが過ぎったけれど、昨日起こったことを考えるに、彼にそれだけの心の余裕があったかと言えば、明らかになかっただろうということが想像できる。 ミズキにとって、アインスの存在は特別だ。 天羽とは別な意味で特別なのだ。 それは決して侵してはいけない領域の、常人ではわかることもできない、そんな存在なのだと思う。 「天羽」 「何?」 「私がこれやってる間、ミカナギの相手しててくれる?」 「ふぇ?」 「あの人のことだから、ほっといたら、医務室抜け出すから」 「ああ、そうだねぇ」 「見張ってて」 トワがしっかりとした眼差しでそう言うと、天羽はすぐにコクンと頷いて、シュビッと敬礼の真似事をしてみせる。 「ヨーソロー☆」 愛らしい表情でそう言い、座っていた椅子からポンと飛び降りると、軽い足取りでふわふわと駆けていく。 「お願いね?」 「うん♪」 天羽は明るい笑顔で頷いて、パタパタと部屋を出て行った。 トワはそっと視線を上げて、すぐにバックアップを開始する。 データの量が半端じゃない。 超速に設定しても、データを移すだけでおそらく、一時間ほどかかる。 「……ハードに移したデータに細工して、それから上書き……ね……。部分だけ変えたいのは山々だけど、ミズキに小細工は通用しないだろうし。このディスクに関連づいてる状態じゃ編集も出来ないからなー……ここは、万事を尽くすとしますか」 トワはあれこれと悩みながら、データを移し終えたら、すぐにその部分に差し込むことが出来るように、換えのデータについて、すぐに思考を向ける。 天羽の正体や気持ちを吐露した場面は、そんなには長くない。 一時間ほどならば、なんとか誤魔化すことができるはずだ。 「一番誤魔化しが利くのは夜かな……。起きてるのアインスだけのはずだから……その部分を上手く切り取って繋げて、時間分の補充は可能のはず」 人差し指を軽く噛んでブツブツと呟くトワ。 アインスがあのようにマメな性質のロボットとして造られていたのがせめてもの救いとも言える。 一日毎にフォルダに分けられているので、編集自体は20分ほど待てば開始できるだろう。 あとは編集している間に、バックアップが終了して、また編集している間に上書きを開始すれば、一番最短の時間で作業を終えることが可能だろう。 二時間で終わらせる。 トワはきっと視線を上げて、画面を見つめる。 このディスクにはプラントを出発した日からのメモリが記録されている。 だから、すぐにミカナギとアインスが会った場面のファイルがコピーされた。 トワはそっと目を細める。 あれが8年ぶりの会話だった。 感極まって自分は涙を堪えることができなかったけれど、あの時、彼が記憶喪失なのだということを知った。 アインスのメモリには克明に多くのものが記録されていた。 一番多いのは当然のように天羽だったが、それ以外にも砂漠の景色や、スモッグに覆われた空、遠くに見える山……など、なかなか見られない景色を多く残し、そして、あのカノウという少年やニールセン、そして、ミカナギについても、残せる限りの記録を残していた。 それはもう、データとして残すためではなく、アインスというロボットの”好奇心”が望んだのではないかと思えるほど多くのものだった。 ところどころ、彼は夜だけメモリに残すのをやめている部分もあったが、例の天羽に誤魔化して欲しいと言われた日の晩は、アインスはそれをしていなかった。 そして、きちんと残っている夜の記録については、彼のまとめのようなものがいつも差し挟まれていた。 無言で過ぎる時もあれば、とても雄弁に言葉を残している部分もあった。 それは彼自身のためなのか、それとも主に届けるためのものなのか、それは分からない。 ようやく、問題の部分までデータがコピーされ、トワはすぐに周辺の夜データを開きながら、使えそうな部分を切り取る。 アインスが無言で過ごしている間のデータを切り貼りして挿入するためだ。 「あ……ここ使えそ……」 『やめろぉぉぉぉ、うぅん……ち、治療だけは勘弁してくれぇぇぇ……』 「……バカミカナギ」 使えるはずの部分がミカナギの苦しそうかつアホな声で、使えない部分に変わった。 ただでさえ、面倒な作業だというのに、彼のその緊張感のないような寝言に思わず口元がひくついた。 『……や、やめて、マジ、勘弁……。け、怪我なんてすぐ治るから、構わないでくれぇぇ……んが……』 「どういう夢見てんのよ、コイツ……」 トワは目を細めて、ふぅぅ……とため息を吐く。 そして、さすがに真面目にそのままのデータを使うのも負担が大きいので、音声除去で解決することにした。 少し巻き戻して、ミカナギの声だけ音声除去。 切り取った分のデータで新しくファイルを作り、それを何度も何度も繰り返す。 出来るだけ同じデータを重複させるようなことはせず、アインスが言葉を残している合間に差し挟めるような短いデータをどんどん作っているのだ。 出来たデータを差し挟み、何度も何度も上書きを繰り返す。 「……まぁ、なんとかなるかな……」 トワは少しばかり首を回して、疲れをほぐすようにうーんと伸びをした。 その後、ぼんやりと画面を見ていると、アインスが室内を見回して、言葉を紡ぎ出した。 それは、アインスの心の声。 『ミカナギはここ最近心ここに在らずといった様子。どうやら、トワについて気に掛かる部分があるらしい。夢でうなされていることがよくあるが、おそらくはその関連ではないかと思う。カノウはカノウで、思い詰めている部分があるように見える。天羽の言葉を聞いて、それでも笑顔を返した彼の優しさは、想いの強さを感じさせる部分ではないかと思う。想いというのは不思議で、必ずしも通うということはない。天羽の想いが叶えば、カノウの想いは叶わない。……人間とは難しい』 トワはアインスの残した言葉にそっと耳を傾け、すっと目を閉じた。 難しい。 人を想うことは、とても難しい。 それでも、難しいから素晴らしいのだろう。 ……アインスもそれを分かっているから、こんなにもたくさん、彼らのデータを残しているのかもしれない。 メモリのデータ量の多さが、彼の興味の大きさを示すのだとしたら……アインスは、とてもとても、この世界が好きだったに違いない。 それを思うと、あまりアインスに心を砕く気がなかったトワの胸に、早くアインスが復活すればいいのに……という思いが過ぎった。 トワは誰よりも冷たい自分の心を知っている。 おそらく、今の状況を、誰よりも冷静に見ているのは……自分自身なのだということを自覚していた。 |
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