第八節 叱ってくれようとするだけで……
チアキはシャワーを浴びて服を着替えると、ハズキの部屋へと向かった。
あれから一度も彼から連絡が来なかった。
おそらく、自分の怒りが伝わったからだと思うのだが……。
それにしても、全く音沙汰がないというのも、彼らしくはなかった。
言い訳はしないだろう。
彼はそういう人だ。
けれど、そんなことはまるでなかったかのような顔をして、チアキの前に現れるのが、ハズキという男でもある。
ハズキの部屋の前に立つと、すぐに操作盤に触れた。
「ハズキ様、チアキです」
チアキは出来るだけ冷静な声でそう呼びかけた。
しばらく、返答はなかったけれど、チアキが立ち去らないのを部屋の中で確認していたのか、観念したように声が返ってきた。
「ミカナギは?」
「大丈夫です。先程、抜糸してきました」
「そう」
ハズキは元気のないような声でそれだけ返すと、すぐに黙り込んだ。
チアキは操作盤に顔を寄せて、小声で言う。
「中に入れて」
すると、それに対してはすぐに返ってきた。
「ヤダ」
「ハーちゃん」
「俺のこと叱るんだろう? 分かりきっていることを言われるのは大嫌いなんだ」
「……全く、子供なんだから……」
「ほっとけ」
拗ねるような言動の数々に、さしものチアキも呆れたように目を細める。
「いいわよー。開くまでここに立ってるからー」
「ふん……」
ハズキは鼻で笑い飛ばすように声を発したが、すぐにドアが開いた。
チアキも驚いて目を見開く。
「入れば?」
デスクで何やらカチカチとコンピュータをいじっているハズキがそう言った。
ゆっくりと中へと入り、静かに彼の背中を見据える。
「折れるの早いね」
「……チアキは言い出したら聞かないだろ」
「まぁ、ね……」
ハズキはコンピュータから手を離し、クルリと椅子を回してこちらを向いた。
口元に傷用テープを貼っており、若干左頬が腫れている。
すぐにチアキはハズキの元に歩いていって、傷の様子を見ようと顔を覗き込むが、ハズキはそれを避けるように顔を動かした。
「大したことない」
「でも……」
「ミカナギの拳骨なら、残しておくほうがいいんだ」
そう言って、クルリと椅子を回し、再びコンピュータに視線を落とすハズキ。
「何してるの?」
「……ツヴァイの修復部分の調査」
「……どうして、あんなことしたの……?」
「何が?」
「ミーくんのものに手を出すなんて」
「さぁね。兄貴が嫌いだから、かな」
ハズキは全くこちらを見ずにそう答えてきた。
チアキはそんなのは嘘でしょうと言おうと思ったが、言ったところで彼がそれを認めるとも思えないので、そのまま言葉を飲み込む。
「叱りに来たんじゃないのかい?」
「叱りに来たわよ」
「……チアキが怒ってもあまり怖くないよね」
「怖くはないけれど、クドクドと……ふわぁぁぁ……」
チアキは欠伸を堪えきれずに、すぐに口を抑えた。
2日も寝ていないのだから当然と言えば当然か……。
その欠伸で一気に眠気が押し寄せてきた。
「寝てけば?」
「一緒に寝てくれるの?」
「……寝惚けてるのかい?」
「そうかもねー」
チアキは眠気に任せてそう言い、そのままハズキのことを後ろから抱き締めた。
ハズキもさすがにそこで手を止める。
「チアキ、俺はくだらない冗談は大嫌いだよ」
「んー……」
自分は何をしに来たんだったっけ? と思いながら、そのまま、ハズキの体に頭をもたせ掛ける。
眠すぎて限界だった。
「チアキ?」
耳元でハズキの声がする。
けれど、自分の意識が段々朦朧としていくので、答えることも出来なかった。
「……全く、どうなっても知らないぞ?」
そう言うと、ハズキはチアキの体を支えて立ち上がり、丁寧にお姫様抱っこをすると、ベッドにチアキの体を下ろした。
そっとブランケットを掛け、チアキの前髪を整えると、静かに額に口づけられた。
そのまま眠りに落ちそうだったチアキの意識が急激に戻ってくる。
「ハーちゃん?」
「……お休み」
照れたように顔を背けながら、ハズキはポンポンとチアキの頭を撫でると、そのまま、デスクへと戻っていった。
第九節 ボクの想いで、君が輝くように。
ミズキがトワの元に向かい、コルトは部屋の隅で仮眠を取っているので、カノウと天羽は実質2人きりで取り残されてしまったも同然だった。
天羽もそのまま部屋にでも戻るかと思ったのだが、戻ることなく、アインスのことを見上げていた。
それはまるで心の中でアインスに話し掛けているかのように見えた。
カノウはアインスの右腕の接合部を丹念に修理しながら、そんな天羽に声を掛ける。
「大丈夫?」
「……う、うん、だいじょぶ」
「そう……」
声を掛けるとすぐに天羽は条件反射するようにこちらを向いて、にゃっぱりと笑った。
カノウは手を止め、顔を上げると、真っ直ぐに天羽を見上げた。
「護れなくて、ごめんね」
「え……?」
「君に、言いたかったんだ。ここに帰してあげるって言ったのに、ボクの手で、ここまで連れてきてあげられなかった」
「…………。う、ううん」
天羽はカノウの言葉にかぶりを振って答えてきた。すぐに言葉が続く。
「むしろ、巻き込んでしまってごめんなさい……」
しゅんとした表情でそう言い、唇を噛み締める天羽。
カノウはその表情を見て、慌てて立ち上がった。
「な、なんで、天羽ちゃんが謝るの? どのみち、目的地なんて同じだったんだもん。関係ないよ!」
「でも、痛い思いしなくてすんだよ……。アイちゃんだって、あたしがいなかったら壊れる必要なかったもん……」
「……天羽ちゃん……」
カノウは、天羽が気にしているであろうことは察していた。
この子はそういう子だから。
自分の価値を何よりも低く見て、周囲に迷惑が掛かることをとても気にする……。
「あたし、……どうして、こんなに役に立たないんだろ……。カンちゃん傷つけないように頭を回すことも、アイちゃん直してあげることも、パパの心を救ってあげることも出来ない……。いっつも……いっつもあたしはみそっかすで、遠くから見てることしか出来ない……。いたっていなくたって、おんなじだよ……」
カノウはその言葉を聞いて、思わずむっとしてしまった。
天羽がどういう子なのかは分かっている。
分かっているけれど、そんなことを言ってしまっては駄目だ。
自分が好きになったのは、そんな子じゃない。
カノウは軽く天羽の脳天にチョップを入れた。
そんなに痛みはない。からかいにも似た弱い攻撃だった。
天羽が驚いたようにキョトンとした表情で、ゆっくりと顔を上げる。
「あ、アインスだったらきっとこう言うよ」
「ふぇ?」
「あなたはいるだけで、ミズキ様の支えになっている。それはとても尊く、何者も真似することのできない素晴らしいことなのです。だからこそ、おれが天羽を護る為に体を張るのは、ミズキ様のお心を守ることにも繋がるんです。って」
「………………」
「ボクもそう思うよ。だって、ミズキさん、君の顔見たら、すごく迷うような顔したんだ。どうしたら、この子の心を傷つけずに伝えられるんだろうって、そう思ったんじゃないかな」
「で、でも……あたしは、キゼンとカンちゃんやコルトみたいに、ミズキに意見すべきだったんじゃないのかな……。アイちゃんのことを思うのなら、もっともっとちゃんと言うべきだったんじゃないのかな……それなのに、あたし、何も言えなかったよ。ミズキが痛いの分かるから、なんにも言えなかった……」
「それは、天羽ちゃんの優しさでしょう?」
「……え?」
「天羽ちゃんって、人に意見押し付けるっていうよりかは、その人の心が追いついてくるのを待ってあげるタイプなんだよね」
「………………」
「砂時計の町では、色々あってぶちきれちゃったけどさ、いつもはそうでしょう?」
天羽はその言葉を聞いて、そっと目を細める。
「わかりにくいけど、そうだと思うんだよね」
「頭悪いから……意見言えないだけ……だよ」
「天羽ちゃんは頭良いよ。きっと、ボクなんかより数倍良いと思う」
カノウは優しく笑ってそう言うと、静かにニット帽を外した。
天羽が困ったように小首を傾げる。
「でも……さ、あたしはもっと実感のある……目に見えるような形で、役に……立ちたい……な」
「天羽ちゃん」
カノウは思い返すように目を閉じて、静かに言葉を紡いだ。
「天使の住む場所は、虹の彼方」
「それ……」
カノウはゆっくりと目を開き、ぎこちない仕種で天羽の頭に手を乗せた。
ふわふわの髪を数回撫で、照れくさくなって手を引っ込める。
「天羽ちゃんに出会えなかったら、アインスには出会えなかった。天羽ちゃんに出会えなかったら、プラントには辿り着けなかったかもしれない。天羽ちゃんに出会えなかったら、……ボクは、偏屈で我儘な、子供みたいな性格のままだったと思う」
「…………」
「まだまだ、他人と比べたら、子供でしかないと思うけれど……、それでもね」
天羽の紫色の目と目が合う。
カノウは目を細めて笑みを浮かべ、真っ直ぐに見据えて言葉を続けた。
「ボクは、少しずつ、確かに成長できているって、最近は特にそう感じるんだよ。ボクの人生はたぶん、君との出会いで、ガラッと変わったんじゃないかって思う」
天羽がそれを聞いて、恥ずかしそうに視線を床に落とす。
「ねぇ、それは、天羽ちゃんの存在の価値を示すものには、なれないのかな?」
カノウは俯く天羽を見つめて、それでも言葉に迷うことなく、続ける。
「自信、持って欲しいんだ。君はとっても素敵で、輝くほどの魅力に溢れてる。それはボクが保証するし、みんなだって、そう思ってるよ。それに、さっき、ミズキさんにも言ったけど……想われる価値って、すごく尊いんだよ。でも、想う価値だって、それ以上に尊いと思うんだ。天羽ちゃんが、どんなにミズキさんのことを心配しているかなんて、言葉にする必要が無いくらい、ミズキさんは分かってるんじゃないのかな?」
「……そうだったら、いいな……」
「そうなの!」
「どうして、カンちゃん、そんなに自信満々なの?」
「? だって、天羽ちゃんだもん。見ていて、こっちのほうが暖かい気持ちになる子なのに、それが伝わらないなんて、嘘だよ」
「……カンちゃんって、すごいね」
目の前の好きな人が、とっても綺麗な顔でふわりと笑った。
「え?」
「さっき、ミズキに言った言葉もそうだけど……なんか、カッコいいなぁ……。前は、もっと、なんというか、元々暖かいものを持ってるんだけど、懐が小さいというか……あ、えと、その……な、なんでもない……」
天羽は不味いことを言ってしまったといわんばかりに大慌てで言葉を取り消した。
けれど、カノウはカッコいいと言われたところで、カァッと顔が熱くなってしまって、なんにも耳に入ってはいなかった。
カッコいいなんて、言われる日が来るなんて思いもしなかった。
自分は自分なりに、思うままの言葉をぶつけただけだったのだから。
それがたとえその場の言葉でも、カノウの心を熱っぽくさせるには十分で、ドクンドクンと体中の血が逆流するような感覚だった。
「ぼ、ボクもコンプレックスの塊だから、天羽ちゃんの言いたいことは、なんとなく分かるような気がして。だから、だから、えっと……」
目が回るような思いのまま言葉を吐き出すものだから、もう何が何やら分からなくなってきた。
その時、紙コップの潰れたものが飛んできて、スコーンとカノウの頭に当たった。
「うるっさい!! アタシ、仮眠取ってんだから、黙れ! それか、他でやれ他で!! 夢に出たらどうすんだよ、馬鹿!!!」
部屋の隅で毛布に包まっていたコルトが、ツリ目を更に尖らせて、こちらを睨みつけていた。
天羽が心配そうにカノウの顔を覗き込み、だいじょうぶ? と尋ねてきたが、元々当たったのが紙コップなので、カノウは特に動じることなく、笑って応える。
もう、そんな痛みなんてどうでもいいくらい、今のカノウは幸せなのだ。
自分って、こんなに単純な人間だったろうかと思いながらも、気持ちが弾んで仕方ない。
本当は天羽を元気付けるはずだったのに、明らかに主旨違いになってしまった気がする。
不機嫌そうにコルトがブツクサ言いながら立ち上がった時、ドアが開いて、ミズキが駆け込んできた。
表情はすっきりしており、すぐに朗らかに声を張る。
「コルト! アインスを一から全部組み直す!! 設計書も引き直すから、手を貸してくれ!!」
「……ミズキ、さん?」
コルトが驚いたように目を開けて、入り口に視線をやる。
カノウと天羽も同じようにミズキのことを見つめた。
ミズキはゼェゼェと肩で息をし、アインスの傍まで来ると、肩をポンポンと叩き、吹っ切れたように清々しい表情で、アインスを見上げて笑った。
「……カノ君も手を貸してくれるかい? 使えるパーツは、元のハードからそのまま借りたいんだ。カノ君は再利用が得意だと、アインスのメモリで見たからね」
「あ、は、はい……」
カノウはその勢いに気圧されるように返事をし、コルトはノートPCを持って、嬉しそうにこちらに駆けてきた。
天羽は元気になったミズキを見上げて、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「ミズキ」
「天羽、心配かけてすまなかったね。もう大丈夫だから」
「……うん♪」
「それでね、天羽にも手伝って欲しいんだ」
「え? あたしが? あたしに出来ることなんてあるの?」
「勿論さー。僕はこの通り、左腕が使えないからね。色々と頼まれて欲しいことがあるんだ」
天羽はその言葉を聞いて、本当に嬉しそうに顔を赤らめた。
すぐにブンブンと両手を胸の前で振る。
「何? なんでもやるよぉぉ。なんでもやるぅぅぅ」
「おっ、頼もしいなぁ」
ミズキも天羽の様子を見て、優しく目を細めて笑った。
カノウはそんな2人のやり取りを見つめて、胸がきゅぅと痛くなったけれど、それ以上に、天羽が嬉しそうに笑っているのが見られてよかった、と思える自分がいることに驚いた。
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