10年前。 ミズキは父と母が生きていた頃に撮った、家族写真のホログラフを見据えていた。 寂しげな眼差しで、時折それを小一時間見つめている。 まるで、何かを忘れて、幸せだった時に埋もれるかのようにだった。 いつも、まどろみの一歩手前のような状態で、それを見つめ、泣きたくなった。 過去は戻りなどしない。 失われた人は戻りなどしない。 それを分かっているのに、ホログラフを見つめることをやめることは出来なかった。 『……パパ……?』 『ん? おや、天羽……お姉ちゃんと一緒じゃないのかい?』 『う、うん……ぬけだしてきた』 『そう……1人は危ないよ』 もっと気の利いた一言が言えればいいのに。 そう思いながらも、ミズキの口はそれ以上動かなかった。 『パパ』 『なんだい?』 『さびしそー』 『…………何を言ってるんだい、天羽は。そんなことないさ』 ミズキはちんまい天羽を見つめて、笑顔を向けた。 天羽がそれを見透かすように真っ直ぐな眼差しで見つめてくる。 嘘なんて、何も通じなそうな、澄んだ無垢な眼差しだった。 ミズキはゆっくりと立ち上がって、天羽の傍まで歩み寄ると、膝を折って笑いかける。 『僕は、天羽がいるから寂しいことなんてないんだよ』 頑張った。僕頑張った。 顔から火が出そうになりながら言った言葉に、ミズキは自画自賛した。 けれど、天羽は真っ直ぐにミズキの目を見つめて、小さな手でミズキの頬に触れてきた。 ミズキは目をパチクリさせる。 天羽は何がしたいのか、ピトリとミズキの頬に触れたまま動かない。 ただ、一生懸命に何かを考えるような表情をしていた。 『あ、天羽……?』 『おとになるよ』 『え?』 『パパのきもち、おとになるの……さびしそーなの、わかるの』 『音?』 『あもにだけきこえるの。みんなはわからないの』 『へぇ、そうなんだ。すごいなぁ、天羽は』 『すごいの?』 『うん、だって、人にはわからないものが聞こえるんだもの。すごいよ』 ミズキは今度こそはちゃんとした笑顔でそう言った。 この子と話していると、いつの間にか心が暖まっている。 罪深き行いで手に入れた、人間の紛い物は……いつの間にかミズキの天使になっていた。 だから、恥じらいもなく、ミズキはこう呼ぶ。 第十一節 マイスウィートエンジェル あーでもないこーでもないと、コルトとカノウと頭を突きあわせて意見の交換をするのはとても楽しかった。 部屋に戻って、まずミズキが思ったのはそれだった。 コルトは元々自分の意見をはっきり言ってくれるタイプの子だし、カノウもそのタイプのようだから、こちらとしてはとても動きやすい。 アインスの言った通り、カノウはミズキの『お好きな少年』というものにドンピシャだった。 初めて会った時は、頼りない少年という印象しかなくて、心配していたのだが、蓋を開けてみればどうだ。 確かに考え方は子供っぽいが、それはそれで良い点もあったわけだ。 子供っぽい偏屈さから来る真っ直ぐさというものは、ミズキなどはもう既に失ってしまったかけがえのないもののように思える。 「ふっ……」 「? どうしたの、ミズキ?」 ミズキは三角巾を外して、シャツを脱ごうと胸元に手を当てた状態で思い出すように笑っていた。 天羽が不思議そうにそれを見上げてくる。 そして、気がついたようにシャツのボタンに手を伸ばしてきた。 「ボタン外してあげるよぉ」 「あ、うん。ありがとう、天羽」 「んーん」 天羽は少しだけはにかむような顔をし、ミズキと視線を合わせないようにして、ボタンを外し始めた。 自分は器用だから、そういった面での手助けは要らなかったのだけれど、こういう時くらい甘えてもいいのかな、と思った。 「天羽」 「なぁに?」 「不思議な少年を連れてきたねー」 「カンちゃんのこと?」 「ああ。ほら、僕って結構偉い人だから、あんまり人に怒られないでしょう?」 「んー、そうだねぇ」 「だからねー、コルトやアインスの存在ってとても稀少だなぁと思ってたんだ」 「……ミズキは、怒られたいの?」 「ん? や、そういうわけじゃないんだけどねー。なんだろう。それは違うだろうって、こうキッパリ言ってくれちゃう子がいるのは、嬉しいなぁと思うわけですよ」 ミズキはニッコリと笑って、天羽にそう言うと、カチャリと眼鏡を掛け直した。 天羽はボタンを外し終えて、すぐにクローゼットへと歩いてゆく。 なので、ミズキはゆっくりと服をずらして、なんとか脱ぎ、ベッドの上に放り投げた。 替えのシャツを持ってきて、天羽がミズキの背中にパサリと掛けてくる。 「ああ、ありがとう。あとは自分で着るから大丈夫だよ」 「うん♪」 天羽はすぐにベッドの上の脱ぎ捨てられたシャツを拾い上げ、少しだけ真面目な顔になってピッとミズキのことを指差した。 「なんでもかんでも、ポイポイその辺に投げないの! だから、片付かないのよぉ」 「ああ、ごめんごめん」 ミズキは慣れたようにその言葉を軽くあしらって笑う。 天羽はその辺に無造作に落ちている靴下やズボンまで拾い上げる。 「ミズキぃ……」 「ごめんごめん。ほら、あのね、余裕がなかったからさ、今朝」 「…………。まぁ、今に始まったことじゃないですけどね……」 「うん。だから、許して。僕が僕たる所以ってヤツさ」 ミズキは悪びれることなく、天羽にそう返した。 天羽はミズキを見つめて、まるで奥さんのように物言いを言う。 「少しは直そうっていう努力も必要よぉ」 「はは」 「なぁに?」 「天羽に怒られるのなんて初めてだねぇ」 「ほぇ?」 「いつもはいつの間にか片付いていたからなー。ありがとうを言う隙もないんだ」 「…………」 「天羽はたくさんのものをくれるのに、人からは受け取りたがらなかったからなー」 「そ、それはだって……」 「うん、わかってるよ」 天羽がすぐに理由を述べようとしたが、ミズキはそれを目を閉じて優しい声で制した。 分かっている。 それはだって、天羽はみんなのものだから。 自分が15の時、彼女に告げた精一杯の、涙を止めるための言葉。 今思えば、それはとても酷な言葉だったように思う。 けれど、あの頃の自分では言えなかったのだ。 照れくささもあったし、他人を気遣えるような優しさなんて持ち合わせてはいやしなかったから。 だから、いつも自分が胸に打ち込んで生きていた……その覚悟を口にしてしまった。 自分はみんなの期待を背負っているのだから、自分の興味だけで研究してはいけない。 もっと、人の役に立つためのものを作らなくてはいけない。 そんなプレッシャーに追い詰められていた時期が、自分自身にあったのだ。 「天羽は……僕のものさ」 「え?」 「僕の天使なんだ」 ミズキはそこで再び目を開けた。 天羽がミズキのその言葉に、時が止まったかのように動きを止めていた。 「天羽?」 すぐに天羽の手がミズキの額へと伸びてくる。 少しばかり踵が浮いている。 ミズキの額にあたたかい天羽の手が触れる。 「……ね、熱ないよねぇ……」 「なんだい、急に」 「だだだだって……、カンちゃんよりすごいこと言ったよ、今」 「なんだって? カノ君なんかに負けないぞぉ、僕は」 「あ、う、うん……コルトにはたくさん何か言ってるよね」 「あの子が自分の魅力にあまりに気がついていないからさ〜♪」 ミズキはルンルン気分でそう答える。 魅力に気が付いていない子にはたくさん言って、無理矢理自覚させるのが一番。 暗示に掛ければ、こちらのものだ。 ……別に深い意味はないけれど。 「……ミズキは心臓に悪いんだ」 「あはは、天羽に言われたらおしまいだねぇ」 「え?」 「見捨てないでおくれよ」 「み、見捨ててないよ……」 天羽はカァッと顔を赤らめてすぐに否定する。 そういえば……当人に向かって、僕の天使なんてことを言ったのは、これが初めてだったかもしれない。 たくさんの人に、触れ回ってはいるのに……。 なんだか、自分は大切な人のことになると、とても不器用なのかなぁ……と心の中で呟く。 今回のアインスの件も、天羽の件も…………も。 全部、何かが中途半端だった気がする。 けれど、踏ん切りはついたから。 ミカナギが帰ってきたことによって、カノウが現れたことによって、アインスを修理することになって、全てに踏ん切りはついたから。 「ねぇ、ミズキ」 「ん?」 「あたしは……天使?」 「ああ」 「……ミズキの、天使?」 「うん……」 ミズキの笑顔を見て、天羽も少しばかり顔を赤らめながらもふわりと笑った。 そして、ミズキはふと思い出したことを尋ねた。 「ねぇ、天羽」 「ん〜?」 「音は、まだ聞こえるのかな?」 「ふぇ?」 「僕の音」 ミズキは胸にそっと手をやって、微笑んだ。 はじめ、天羽はパチクリと目を動かしたけれど、ミズキの眼差しを受けて思い出したように頷いた。 ミズキの頬に触れて、真剣な顔をする天羽。 可愛らしい大きな目の中に、自分がいる。 「……ミズキはたくさんの音を持ってる」 「うん」 「それはたくさんありすぎて、あたしには理解できない音もあるけど」 「うん」 「今のミズキが奏でてる音は、とても優しいよ」 「うん……」 ミズキはそんな天羽の言葉を聞いて、満足げに笑った。 たくさんの優しい人たちに包まれて、そして、その価値を自分自身がきちんと分かっているから、今は優しい音なんだと思う。 全ての価値を知らない自分は、一体どんな不協和音を奏でていたのだろう。 「あ、そういえば、天羽」 「なぁに?」 「翼も直さないといけなかったね。カーラー、置いていってね。明日には渡すから」 「……ミズキ」 「なんだい?」 「寝ないと駄目よぉ。骨繋がらないよ、そんなんじゃぁ」 「どのみち全治三ヶ月だもの。寝ても寝なくても変わらないさぁ」 「…………置いてかなぁい」 「え? え? どうしてさ」 「寝てく〜ださぁい」 天羽はンベッと舌を出してそう言うと、洗い物だけ持ってタタタタッと部屋を駆け出していってしまった。 ミズキはポリポリと顎を掻く。 「なんだか、奥さん度に磨きが掛かったなぁ……」 以前はミズキの狂ったような生活サイクルについてそんなに口を出しはしなかったように思うのだけれど。 ……彼女なりの気遣いならば、受けないわけにはいかないか……。 そういえば、今日はクルクルと感情の糸を動かし捲って、結構疲れている気がする。 怒ったり泣いたり……まるで、幼子のように情緒不安定だった。 けれど……結局直すことに落ち着いて、自分の心はとても晴れやかだ。 ミズキはすっと目を閉じ、静かに微笑む。 微かに聞こえる機械の音。 天羽に聞こえるのはどんな音だろう。 自分が、天羽に感じているような暖かなものであればいいな……。 ミズキは、ふとそんなことを思った。 |
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