第三節 胎動セヨ ハズキは静かに腕を組んで、会議の様子を見守っていた。 そっと向かい側の机にいるミズキに視線を動かす。 左腕にギプス。三角巾で吊った状態で、静かに目を閉じていた。 ハズキは目を細め、彼の様子をただ見つめ続ける。 ……こんなはずじゃなかった。 何かがおかしい。 もっと、心地よかったはずなのに。 自分の心には何も残りはしなかった。 ミカナギが殴ってくれて、よかったとさえ思う。 あの男を傷つければ……自分の心も少しは晴れると思っていた。 屈折した自分には、過去持っていた真っ直ぐさに焦がれる自分が確かにいる。 その心根が曲がってしまったのは、……タゴルに預けられてからだった。 そう、思う。 だから、どうしても、何の苦しみもなく、元の場に収まったまま生き続けてきた兄が許せなかった。 環境だけでなく、才能さえも……彼は独り占めにしていた。 にも関わらず、彼は動きを見せなかった。 何も、だ。 そんな兄を、許すことが出来なかった。 両親はミカナギとトワに、全てを託した。 父は……これが最後の手段だとでも言うように、ハズキを手放すことに躊躇しなかった。 タゴルの子の身代わりになど、なりようはずもなかったというのに。 時間が無かったのはよくわかっている。 それでも、もっと違う形で、何か無かったのだろうかと、思ってしまう自分は傲慢なのだろうか? ハズキはそっと唇を噛み締めた。 父はタゴルと意見が真っ向から衝突していたという。 それは、プラントの方針についてだった。 タゴルは……プラントの継続を望んだという。 この環境を維持し続け、世界に均等に技術を届けることで、この地上を統制し、二度と悲劇の起こらない世界を創ると。 父は……それとは全く真逆の意見を持っていた。 それは……このプラントを破壊し、今まで育った技術者を外へと出すこと。 そして、そうすることで、地上を昔と同じように戻していくこと。 擁護派と過激派。 分けるのであれば、その2つの意見は、こうなるであろうか。 父はタゴルよりも人望は厚かったらしい。 けれど、この意見においてだけは……その人望は全く意味を為さなかった。 誰しも、自分に向けて甘い汁があるほうを取るのは当然のことなのであろう。 プラントには……あらゆる学者達が、願って止まないほど恵まれた環境が用意されている。 ミズキがそっと目を開いた。 ハズキの視線に気がついたのか、こちらを真っ直ぐに見つめてくる。 ねぇ、兄さん。 父の遺志は……母の願いは、どうなる? あなたは、根っからの学者肌だから、タゴルの意見の欠片くらいは理解できてしまうのではないか? 伝わるはずもない言葉を心の中で呟いた。 ミズキはハズキの視線に戸惑うように目を細め、それでも、目を逸らすことはなかった。 ミズキの眼差しには……怒りも何もなかった。 疎まれているだろうと、思っていたのに……その目には何もない。 許しなど求めていない。 たとえ、何と言われようとも、自分の心の中には貫くべきものがあるからだ。 護るべきものがあるからだ。 「ところで、ミズキ殿。その腕はどうしましたか?」 「え? あ、やぁ、ドジってしまいましてね。機械いじりの最中に転びまして……」 「聞いた話ではロボットに殴られたと……」 「な、誰ですかぁ? そんなデマを流したのはぁ。僕のアインスはとても優秀です。そんなことがあるはずはないじゃないですか」 ミズキはニコニコと笑って、そんな言葉を一笑に伏そうとした。 しかし、その時、いつも黙っているだけの養父が口を開いた。 「僕の……か。優秀なロボットを全世界に普及するためのサンプルと聞いていたが、随分と思い入れ深いみたいじゃないか」 タゴルは鋭い視線を真っ直ぐにミズキに向けて、嘲笑うようにそう言った。 水色の髪をそっと掻き上げる。 ミズキがその言葉に対して、少々身構える。 「いけませんか? 僕は僕の研究対象に持てる限りの気持ちを託しています」 いつもはタゴルの言葉に対して、それほど言い争うという構えを見せなかったのに、今回はきっぱりとそう言い切った。 タゴルが忌々しそうにミズキを見据えている。 「そうか。では、あの天羽とかいうTG-Mもそうなのか?」 「……天羽は研究対象ではありません。くだらないことを言うのは止めて頂けませんか?」 「ほぅ……研究対象ではないのに、生み出したと?」 「…………」 「お前は父親に似て、恐ろしい男だ」 「父の話はこの場ではやめてください」 ハズキはタゴルの横顔を盗み見た。 ジッとミズキを睨みつけている。 「天羽を研究対象として、こちらに寄越せと言ったら、お前はどうするのかな?」 「…………」 ミズキはその言葉に動揺するように目を泳がせた。 会議室全体がドヨリと騒がしくなる。 けれど、タゴルの視線1つですぐに静まり返った。 「トワだけでは気が済まないのですか?」 「……あれは役に立たん。私の欲しい結果を出さない」 「そんな言葉、もしも、彼女に言ったら許しませんよ」 「ふっ……」 「何がおかしい?!」 ミズキが激昂するようにタゴルの嘲笑に対して声を荒げ、立ち上がった。 トワの受けている仕打ちを考えれば、タゴルの発言は許せるものではなかった。 ハズキも、さすがに今回の養父の態度にはカチンと来た。 「ミズキ殿」 ミズキの隣に座っていた、昔からツムギ派だった学者がたしなめるように声を掛けた。 ミズキがその声に、唇を噛み締めて、仕方なさそうに椅子に腰掛ける。 「ツムギもお前も、リスクを負いながら、生み出したものを研究対象ではないと言う。笑うなというほうが無理だ」 「研究対象などではない……」 「家族だと?」 「っ……」 「馬鹿馬鹿しい」 タゴルは冷めた目でそう言い切り、静かに腕を組み替えた。 ハズキはそっとタゴルの横顔を見、静かにため息を吐く。 そして、この会議で初めて声を発した。 「このような場で言うことではないのではないですか? 所長」 ハズキのその言葉に、再びザワリと騒ぐ。 「ハズキ」 「あなたには、家族など必要ないのでしょうが、ミズキ殿には家族が必要なのでしょう。それだけのことです」 「ふん……兄を庇うか?」 「俺は、一般論を述べているだけですよ。仕事に私情は挟みませんので。それよりも、所長のほうがどうしたのですか?」 「何?」 「……そのようなことをわざわざ公衆の面前で。何か嫌なことでもありましたか? 嫌な人物の顔でも見たとか」 ハズキは見透かすようにそう言った。 タゴルはその言葉に動揺を見せることなく、そっと目を閉じる。 「兄弟揃って、お人形遊びと来ている」 そして、今までのやり取りなどなかったかのように口を開いた。 私情を挟んでいるのは、全くどちらやら。 「そのロボット達が原因で、街が1つ消えたこと……この私が把握していないとでも思っているのか?」 その言葉で、会議室は今までで一番のざわめきを呼んだ。 ミズキがその言葉に眉根を寄せる。 ハズキもその言葉には何も言い返せなかった。 「破壊しろと命令することは容易い。だが、それを見逃してやっているということを、お前達は自覚しておけ」 タゴルはそこでガタリと音を立てて椅子を下げ、立ち上がった。 スタスタと軽い足音で出口へと向かう。 それを見て、いつもタゴルの周囲にいる学者たちも立ち上がった。 「実験を行う」 タゴルの声が響く。 ミズキがやりきれないような目でその声を聞いていた。 タゴルの声に反応するように、いつも実験を見守っている学者達が立ち上がり、タゴルに従うように会議室を出て行った。 ハズキは腕を組んだ状態で、椅子に腰掛けたまま、兄の様子を窺う。 ミズキが実験に参加したことは一度だけだった。 その信じられない光景を見て、すぐに耐えられずに部屋を出て行ったと、人伝に聞いた。 当然だ。 学者達にとって、トワがたとえモルモットだったとしても、2人にとって、彼女は大切な姉だ。 どんなにしたたかなように見えても、感情を持っていることを知っている。 「兄さん」 ハズキは誰もいなくなってから、ミズキに声を掛けた。 ミズキが驚いたようにこちらを見る。 「らしくないですね。言い返すなんて」 「……お前もね」 「え?」 「口を挟むなんて」 「……別に」 ハズキの言葉にミズキがふっと笑みを浮かべた。 「アインスは……今修理中だよ」 「そうですか」 「ああ。……天羽も、元気になった」 「そう」 「……諦めないことにしようと思う」 「え?」 「僕は……タゴル伯父に従っていれば、トワもミカナギも救うことが出来ると思っていた」 「…………」 「けれど、僕の望みは、平等な世界なんだ……」 「兄さん……」 「諦めてはいけないと、アインスが教えてくれた。僕は、伝えることも、欲しいものを手に入れることも、……心のどこかで諦めていた」 「何故、俺に?」 「僕が、諦めたものの1つだからさ」 「っ…………」 ミズキは優しい声でそう言い、ハズキを見据えてくる。 ミズキはギプスを巻いた左腕に触れて、静かに吐き出す。 「怪我は大したことないから、気にしなくていい」 「……別に、気にしてないよ」 ハズキは素っ気無くそう答える。 本当は気にしていたのに、言葉は裏を選ぶ。 ミズキがその言葉に悲しそうに目を細めた。 「……それじゃ、僕は戻るよ。トワの治療をする準備をしないと」 「チアキに頼めばいい」 「え?」 「……もう、トワがいることはばれてるんだ。彼女に頼んだほうがいい」 ハズキは静かにそう言って、ポケットから白い小型トランシーバーを取り出す。 ピッと音が響く。 チアキの姿がすぐにその場に浮かんだ。 『なぁに? ハーちゃん……』 眠そうな声。 「夜勤明け?」 『うん……』 「そう。じゃ、いい」 『な、なに? そういうのは気になるからやめてよ。……この前だって、結局、私、何しに行ったんだかわからなかったし』 「トワの治療を頼みたい」 チアキが余計なことを言う前に、ハズキはそう言って、言葉を遮った。 『姉さん?』 「ああ」 『うん……わかった。準備して、姉さんの部屋に行けばいい?』 「ああ」 『ふふ』 「何?」 『なぁんでもなぁい』 チアキがそう言うので、ハズキは少しばかり唇を噛み締める。 だが、ミズキがいることもあって、簡単に話を切って、通信を中断した。 「ってことだから、チアキがそっちに行くよ」 「あ、ああ、ありがとう」 ミズキは困ったようにハズキを見て、クシャクシャと頭を掻く。 まともに話したのは一体何年ぶりやら。 しかも、見捨てられたものとばかり思っていた人に、言われた言葉が響く。 『僕が、諦めたものの1つだからさ』 全く、調子が狂う。 いきなりそんなことを言われたって、反応に困る。 自分が酷く子供に見えるだけだ。 ミズキは眼鏡をカチャリと掛け直す素振りをすると、すぐに出口へと歩いていく。 ハズキはその背中を見送るだけ。 ふと、ミズキが立ち止まってこちらを向いた。 「天羽のことで、割って入ってくれてありがとう」 「何のことですか?」 「ん……独り言」 「そう」 「ああ」 「トワのこと、役立たず呼ばわりされて黙ってられないので」 「え?」 「こちらも、独り言ですよ」 ハズキは静かにそう付け加えると、そっと目を閉じた。 ミズキがまだ何か待つように、その場に立ち尽くしていたようだったけれど、ハズキが何も言ってこないのがわかったのか、最後にこう言って出て行った。 「それじゃ、これも独り言だけど。きっと、お姫様は、その言葉を聞いたら喜ぶだろうね」 ドアが閉まる音がして、ハズキはゆっくりと目を開ける。 誰もいない会議室で、1人だけ椅子にもたれる。 …………。 ミカナギが帰って来た。 たったそれだけのことなのに、プラント内が変わり始めた。 そう感じるのは、自分がミカナギを慕っているからか? あのタゴルさえも、ミカナギの存在を煙たがる。 ……確かに、動くのなら、今しかないのかもしれない。 ハズキは静かに目を細めて、拳を握り締めた。 |
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