第四節  可愛い鈴の音 猫風味


「やっと着いたか……」
 ミカナギはくたびれたような声でそう呟くと、気を取り直すようにう〜んと思い切り伸びをした。
 ツヴァイは静かに街を見上げている。
 この世界で唯一、プラントに許された職人の街。
 クラメリアにはおしゃれな建物が多い。
 チョコレート色の壁。とんがり帽子のような屋根。凝った形の窓。
 どこもかしこもそんな形だ。
 街の周囲は高い壁で覆われている。
 荒野に囲まれた街だからこそ、だろうか。
「ツヴァイ、この街で一番腕のいい……」
「…………」
「ツヴァイ?」
 ツヴァイは街の様子を見つめたまま立ち尽くしていた。
 ミカナギがツヴァイの顔を覗き込むようにして見つめてくる。
 そこでツヴァイは我に返ったようにミカナギに視線を動かした。
『やっぱり、女の子は三つ編みだろ』
 誰かの声が薄ぼんやりと遠くでした。
 ミカナギが目を細めて困ったようにツヴァイのことを見ている。
「何だ?」
「ん……ああ、この街で一番腕のいい職人知らないかと思って」
「……わからない」
「そうだよな。んじゃ、聞き込み開始だな」
「聞き込み?」
「おぅ」
 ミカナギは慣れたようにそう言って頼もしい笑顔で頷くと、すぐに道行く人々に声を掛けて、尋ね始めた。
 ツヴァイはその場で棒立ちのまま、ミカナギの背中を見つめていた。
「マスター……? …………誰?」
 ツヴァイは回路が熱くなるのを感じて、胸に手を当てる。
 けれど、答えなど出なかった。
 ミカナギは黒髪で褐色の肌の女性が指差した方向を見つめて、何度も何度も頷いている。
 そして、ようやく終わったのか、ペコリと頭を下げた後に、その女性に手を振って、こちらへと駆け戻ってきた。
「おし、行こう」
「もう、わかったのか?」
「ふっふ。人の情報を侮るなかれ」
 ミカナギは得意そうに人差し指を立ててそう言うと、ニッと笑みを浮かべ、ツヴァイを誘導するように手を動かした。
 ツヴァイはそれに従い、歩き出す。
「こんなところに何の用なんだ?」
「ん?」
「技術者ならば、プラントには腐るほどいるだろ」
「まぁな。それはそうなんだけどさ」
「そうなんだけど?」
「へへ」
「…………」
 ツヴァイは意味もなく笑うミカナギの意図が読めずに、彼の横顔を見つめた。
 ミカナギは袖の下に隠れていた赤いバングルをそっと見、決意するような眼差しをした。
「まぁ……色々とな」
「そうか」
「ここでのことは誰にも言わないでくれな?」
「? 誰にも聞かれなければ、ワタシは誰にも言わない」
「……そうか」
 ツヴァイの言葉にミカナギは優しく目を細める。
 角を曲がり、露店の並ぶ路地をスタスタと歩いてゆく。
「この路地の突き当たりを……」
「そこのお兄さん」
「ん?」
 ミカナギが呼び止められて、ツヴァイもキュィィィンとそちらを向く。
 サングラスとバンダナ姿の露店商がそこに立っていた。
「何?」
「いやー、その三つ編みの可愛い子ちゃんは彼女か何かかい?」
「あ? いや、彼女ではないが……」
 ミカナギが眉をひそめてそう返答する。
 ツヴァイは店の並んでいるアクセサリ類に視線を動かした。
 ミカナギがしていたようなバングルもズラリと並んでいる。
 フラリとツヴァイは歩いていき、そっとバングルを手に取って見つめる。
「ツヴァイ?」
「…………」
「欲しいのか?」
「いや」
 自分でもよく分からない。
 気がついたら、バングルに手が行っていた。
 ミカナギがツヴァイの様子を窺うように見ていたが、並んでいるアクセサリに視線を動かし、少し考えるように目を細める。
「女の子なら……そういうごついのより、こういうののほうが合うんじゃないか?」
 ミカナギはそう言うと、細身のブレスレットを手に取る。
 青い石の装飾が施されているシンプルなデザイン。
 ツヴァイの手を取って、手首にそっとあてがう。
「うん、合うな」
「…………」
「兄ちゃん、これくれ。あ、あと……」
 ミカナギは2、3見繕うようにアクセサリを選び、それも一緒に購入していた。
 薔薇をモチーフにした白のイヤリングと、翼をモチーフにした可愛らしいペンダント。
 ツヴァイはそれを見て、そっと目を細める。
「土産か?」
「……そうなるかな」
 ミカナギはイヤリングとペンダントの入った包みをポケットに突っ込むと、ツヴァイの手を取り、ブレスレットを丁寧に着けてくれた。
「案内してくれた礼な? 気に入らなかったら捨ててもいいから」
「…………」
「さて、行くか」
 ミカナギは白い歯を見せて笑うと、ポケットを満足そうにポンポンと叩いて歩き出した。
 ツヴァイも合わせるように一歩を踏み出す。
 突き当りを曲がると、すぐに工房が見えてきた。
 トンテンカンテン……ハンマーで金属を叩くような音が響いている。
 トンテンカンテン、トンテンカンテン。
 その音は不思議なリズムだった。
 プラントではこんなに不思議なリズムはない。
 ミカナギは躊躇うことなく、工房の中へと入っていく。
「すんませ〜ん!」
 工房の音に負けないように声を張る。
 すると、すぐに男の怒声が返って来た。
「うるっせ〜! こちとら、納期迫ってんだ!! 誰だか知らねーが、黙れ!!!」
 工房の音も何のその、ミカナギがあまりのやかましさに耳を塞いだ。
「あ、いやー、その……頼みがあって来たんすけど」
 ツヴァイはミカナギの隣まで歩いていき、工房の中を覗き込む。
 すると、ツヴァイを見た男がピタリと動きを止めた。
 短い青い髪に髭面。年の頃は40前。
 背はさほど高くなく、長袖にオーバーオール姿だった。
「……お前、ロボットか?」
 男はゆっくりと歩いてきて、ツヴァイの顔を見つめてくる。
 クンクンと臭いを嗅ぎ、納得したように頷く。
「だよな……ロボットだ」
「見た目でわかるのか?」
「ああ」
「どのへんで?」
「わかんのはおれぐらいだよ」
 男は嬉しそうにツヴァイを見つめ、次にミカナギに視線を動かした。
「プラントから来たのか?」
「あ、ああ」
「コルトの知り合いか?」
「え、あ、いや、違うけど」
「……ふん」
 ミカナギの返答につまらなそうに男は目を細める。
「あ、あの、アンタ、この街で一番腕がいいって聞いてきたんだけど」
「一番じゃねぇよ」
「え?」
「一人娘に才能で劣ったぼんくら親父だ」
 腕を組んでそう言うと、ふー……と息を吐き出した。
 ミカナギはその言葉に困ったように唇を尖らせたが、すぐに気を取り直したように口を開いた。
「あのよ……」
「なんだ?」
「アンタ、飛行機造れるかな? 小型で……シンプルなものでいいんだけど」
「……造れるには造れるが、飛行力学にはとんと疎いから、それなりに計算された設計図がないと無理だな」
「ああ、設計図はちゃんと用意する」
「それだったら、おれに造れんものはない」
 男は不遜な態度でそう言うと、工房の奥へと入ってゆく。
 なので、ミカナギはそれを追うように中へと入っていった。
 ツヴァイは工房に入って、ドアを閉めると、その場で待機するように立った。
 埃っぽい、あまり綺麗とは言えない雑然とした工房。
 広くはないが、1人で作業するには十分すぎるほどの場所だ。
 服の袖に引っ掛かっていたブレスレットが、ストンと手首まで落ちてきて、シャラリ……とブレスレットが可愛い音を鳴らした。
 その音を聞いて、ツヴァイはそっとブレスレットを見つめる。
 回路の回転が上がった。
 ……また、アイツのせいで、おかしくなる……。



第五節  彼女のプライド


 あの約束の夜から、彼の様子はすっかり変わった。
 自分に対する引け目のようなものを全く見せなくなった気がする。
 それは、素直に好意と受け取れるほど、真っ直ぐなものだった。
 けれど、自分はそんな彼の態度に戸惑ってしまう。
 なぜなら、それは以前の彼ならば、絶対に自分に対して向けては来ないものだったからだ。
 以前も仲は良かった。
 対なのだから当然だろうか。
 見透かすように、彼はいつでも、トワの心を先読みして動いた。
 怖がっているのかなと気がつけば、自分が先に怖いねと言う。
 素直に謝れない人なのが分かっているから、いつでも折れたのは彼のほうだった。
 彼のそういう態度は、身内であるからこそできる何気無さがあったのだ。
 けれど……今の彼は、少し違うように思う。
 戸惑うのは、別にそんな彼が嫌だからという訳ではない。
 自分の中に、対処法がないからなのではないかと、思う。
 以前の彼ですら、自分は見透かせなかったというのに、今の彼は更に分からない部分が多い。
 だが、分からない部分が多いことが嫌という感情もない。
 多少の苛立ちは覚えても、それでも、知っていくということを、初めて知った気がするのだ。
 いつでも、当然のようにそこにあった。
 トワにとって、彼は何よりも近いもので、大切な対で、通じ合っていながら、分からない部分もあった。
 知りたいと思いながらも、自分はいつも彼の優しさに甘んじるしかなかった。
 それは甘えと呼べばいいのか、彼にそのように導かれていたと言えばよいのか。
 ……認めたくはないが、導かれていたのだろう。
 だからこそ、今の……彼のことを知ろうとする時間は、とても尊く感じる。
 いつも、目と心が追っていた。
 彼が想う人は別の人なのだということを分かっていながら。
 自覚した想いは、消えるどころか大きくなった。

 ……自分は、彼が本当に好きな人が誰なのかを知っている……。
 それなのに、それを口にしないことを、彼はどう思うだろうか。
 知らせなくていいことだから。
 知ったところで、もうこの世にいない人だから。
 もしも、思い出せないのならば、思い出さないまま、そのままでいいと思う自分は、嫌な女だろうか?

 今日は用事がある、と言ったら、彼はつまらなそうに唇を尖らせた。
 その表情は、まるで、あの人が彼の相手を出来ないと言った時の表情そのものだった。
 それが、自分に対して向けられるということ。
 その喜びを、ついぞ噛み締めてしまう自分は、嫌な女だろうか?

 別に、勝ったなんて思わない。
 勝てないのだ。
 あの人には勝てない。
 一生かかっても、永遠という時がもしもあって、その永き時を彼と過ごしたとて、決して、自分はあの人に勝つことはない。
 ……『死』とは、そういうものだ。
 永遠に取り戻すことができない。
 そして、取り戻すことが出来ないものは、何よりも尊く……、まるで、トランプのJokerのように、最強を示す……。


 トワはゆっくり目を開ける。
 アメジストを思わせる輝きを放つ瞳が、ガラスの壁の向こうにいるタゴルを映す。
 裸体を晒し、管に繋がれ椅子に腰掛けた状態で、彼女は気丈にタゴルを見据えた。
 バチンバチンと背中が音を立て、ピシピシと腕に傷口が出来る。
 ジンジンとせりあがってくるような痛みを堪えるために唇をきゅっと噛み締める。
 トワの白い背中から、翼の先端がゆっくりと姿を現した……が、そこで止まってしまう。
 前回は翼の半分辺りまで出すことが出来たというのに、今回、それは今までで一番最低の結果と言えた。
 トワはきゅっと体を抱き締める腕に力を込め、肩甲骨の辺りの筋肉を伸ばすようにした。
 終わらせるには、出来るだけ結果を伸ばすこと。
 それをよく理解しているからこその行動だった。
 けれど、特に進展はなく、そのままの状態で、長々とこう着状態が続く。
 トワは目をギュッと閉じ、苦しさで湧き上がってくる声を必死に堪えた。
「っ…………」
 しばらく、そうして身悶える。
 痛みを長い間堪えていると、体全体が痺れてくるような、そんな感覚に包まれる。
 額に冷や汗が浮かび、ストンと血の気が下へと下がっていく。
 目の前が暗くなったり、明るくなったりを繰り返し、耳に雑音が混じり始めた。
 これほどの状態になったのは……何年ぶりだろう?
 吐き気が込み上げてきて、思わず口を覆った。
 絶対に吐くものかと、必死に堪える。
 これ以上の恥辱など、もってのほかだ。
 絶対に嫌だ。
 そう意地を張っても、子供の頃、自分は堪えられずに戻してしまったことがあった。
 あの時は実験が終わり、シャワーを浴びながら、あまりの悔しさに涙が止まらなかった。
 しばらくして、ツムギが迎えに来た時、すぐにトワはツムギの体にすがるようにして泣いた。
『絶対嫌ッ! もう、絶対こんなのヤダァッ……!!』
 嗚咽交じりの幼い声に、ツムギは目を細めて、トワの髪を撫でてくれた。
 そして、それから、彼が亡くなるまで、タゴルの実験は無くなったのだった。
 口の中に酸っぱい味が溜まる。
 けれど、トワは奥歯をギリリと噛み締めて、タゴルを睨みつけた。
 絶対に折れない心があるとしたら、それは……女としてのプライドだろうか。
 きっと、タゴルのような人間には絶対に分からないものだ。
 モルモットに、そのような誇りがあるとなど、きっとこの男は考えてもいない。
 背中をウゴウゴと何かが蠢く。
 けれど、決して外に顔を出しはしなかった。
 もう……この翼は、自分の意志ではどうにもならない。
 自分の体の中にありながら、自分の体の一部でありながら、もう、この翼は、異物でしかなかった。
 目の前が黒くなり、しばし経って白くなる。
 タゴルがスピーカーのスイッチを押したのか、ポツッと反響音が響き、すぐにタゴルの声がした。
『どうした? この前はだいぶ反応がよかったというのに』
 トワはグルグル回る視界を必死に保とうと目を細めた。
 けれど、特に効果はなく、プツンと何かの糸が切れるように、椅子の背もたれに倒れこんだ。
 腕から力が抜け、ストンと落ちる。
 ピクンピクン……と体が痙攣を起こす。
 目の前が段々暗くなってゆく。
 ……これが、限界か……。
 心の中でそんなことを冷静に呟く自分がいた。
『やはり……天羽を使うしかないか』
 そんな声が意識の消えるギリギリのところで聞こえた。
 それを耳にした瞬間、トワの背中の蠢きが弱まった。
 ゆっくりと、翼が這い出てゆくような感覚を覚えたが、落ちてゆく意識には逆らえず、トワは、そのまま意識を失った。




*** 第九章 第三節 第九章 第六節 ***
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