第六節 Over the rainbow…… しがらみなんか要らない。 自分は彼女が好きだ。 それだけで構わないのではないかと、あの約束を口にした時、思った。 ……自分の中にある記憶の通りに行動することに、限界を覚え始めている。 直感で、彼女の考えていることはある程度分かる、つもりでいる。 それは、対だからなのだろう。 けれど、彼女の知っている『ミカナギ』とは、少しずつズレが生じてきているのではないかとも、思う。 だからこそ、今の自分で考え付く全てを、彼女に与えたい。 想いは確かにそこにある。 けれど、それは以前の自分とイコールであろうか? イコールでない自分のことを、彼女はどう思うのだろうという不安感が、常に付き纏う。 再会を果たした後、思い出せないことを申し訳なく思った。 接し方に困る自分を不甲斐なく思った。 ……それでも、直感が導くままに行動した。 その直感は、自分の中に眠っている記憶が発揮させるものだ。 けれど……それだけでは動けない。 なぜならば、自分の心の中にある想いは、今の自分だけのものだと思うからだ。 だから、彼女の望みを叶えてやりたい。 そして、その望みを叶えた時、隣にいるのは自分でなくてはいけないのだ。 ……そんなことを思っていると、彼女が知ったら、何と言うだろう? 『ミカナギを返せ』と言うだろうか? 情けないことに、自分は今……『ミカナギ』に嫉妬している。 なぜなら、記憶を失っている自分のことを許容できる彼女の愛は、『ミカナギ』に向けられているからだ。 何よりも近く、大切な対でありながら、……今の自分は、その対という立場から、離れた位置に立っているような……そんな心地がする。 「材料はオレが揃えるよ。貧乏人なんで金は用意できない。自力調達だが……できねーことはないだろ」 ミカナギは真っ直ぐに青髭のおっさん・ボルトを見つめてそう言い切った。 「ふん……ま、材料揃えてくれんなら、こちとら文句はねーな。あとは、上手に飛ぶとこ見て、良しとしてやる」 「……ああ、サンキュ」 「ただし、飛べなかった場合は……」 「あ?」 「あのロボットを寄越せ」 「こら、おっさん」 ミカナギはボルトの言葉に素早く突っ込みを入れた。 すぐに息を吐いて、目を細める。 「ツヴァイは道案内してくれただけなんでな。生憎、オレが造ったわけじゃないし、アイツのご主人様でもない」 「ちっ……本当の貧乏人か」 「言ってんじゃん」 ミカナギは白い歯を見せて苦笑を漏らし、カシカシと頭を掻く。 ボルトはつまらなそうに目を細めて、ミカナギを見据えてくる。 「……いや、まさかな……」 ボソリと呟いて、すぐに黙り込んだ。 ミカナギはその様子に首を傾げる。 「どうしたんだよ」 「いや……なんでもない」 「変なおっさんだな」 「ふん……今時、古風な飛行機造って欲しいなどと抜かすガキに言われたくないわ。あのスモッグのせいで、誰も空などに興味を示さんというのに」 ミカナギはそんなおっさんの言葉にニィッと笑みを返す。 「そんじゃ、変なガキに会ったことが手間賃ってことで」 「……舐めるな。後でしっかり貰うからな、飛行が失敗した時は」 「へいへい」 不遜な態度で言い切るボルトを見て、ミカナギはどこから湧く自信なのかわからないが、自信満々に笑みを返した。 そして、すっくと立ち上がる。 「んじゃ、ありがとな、忙しい時に話聞いてくれて。設計書出来たら、持ってくるから」 「ああ」 ボルトはミカナギの言葉に頷くと、すぐに作業を再開するためにハンマーを持ち上げた。 ミカナギは踵を返して、工房の入り口傍にピンと立っているツヴァイの元へと歩いていく。 トンテンカンテントンテンカンテンと、音が再び刻み出された。 「待たせたな。帰ろうか」 「もう、いいのか?」 「……ああ。聞こえてた?」 ミカナギはドアを開けて、勢いよく外へと出る。 ツヴァイもすぐにそれに続き、しっかりとミカナギを見上げて頷いた。 「ああ」 「そう」 「空に、行きたいのか?」 ミカナギは頭の後ろで指を組んで、視線を向けた。 ツヴァイはペリドット色の目で空を見上げ、逡巡するように立ち止まった。 なので、ミカナギも足を止める。 「空には、何がある? 月か? 前、お前言っていただろう」 「空には……約束がある」 「約束?」 「……ああ……」 ミカナギはそこまで言うと、ニッと笑って、人差し指を唇に当てた。 「秘密」 「……そうか」 ツヴァイはミカナギのその言葉を聞いて、興味なさそうに歩き始める。 ミカナギもすぐに早足でツヴァイの隣に並んだ。 少しばかり、歩く速度が速い。 この街に入ってからはこちらのペースに合わせてくれていたように感じていたのに。 横顔を見ると、ツヴァイはシャラリと音を鳴らすブレスレットを見つめて、そっと睫を伏せた。 「ツヴァイ?」 「……飛んで帰ろう」 「は?」 意味が分からずにミカナギは間抜けな声を上げたが、ツヴァイはそんなことなどお構いなしにミカナギの手をしっかりと握った。 トワと同じくらい頼りない細い手をしているのに、握られた瞬間、ふわりと自分の体が浮いた。 夕闇に紛れて、2つの人影が宙に浮き上がる。 荒野の砂避けのための高い壁さえも越えて、ツヴァイは上へ上へと上がってゆく。 風がぶわりと吹いて、ミカナギの着ていたジャケットが膨らみ、体が揺れる。 「ちょ……いきなりなんだよ! こ、怖ぇって!!」 空の上で自分の命を繋いでいるものが、1本の腕だけなのだ。 しかも、のどかな空中散歩とは行かない。 荒い風ばかりが吹き荒れる地の上空では、不安にもなる。 ツヴァイはギャーギャー騒ぐミカナギを見て、すぐに空いているほうの手で体を支えてきた。 繋いでいた手を離して、背中に回し、抱き締めるような形で飛ぶ。 「……ちょ……これも、困る」 とても近い位置で、ツヴァイは眉1つ動かさずにミカナギの顔を見つめてくる。 その視線を感じて、ミカナギは口元を覆い、顔が赤らむのを誤魔化した。 さすがに……この体勢は恥ずかしい。 シューーンと音を立て、暗くなって濃くなり始めたスモッグスレスレの高さを飛行していく。 「なんで、いきなり……? どうしたんだよ」 「わからない」 ツヴァイの回路が忙しく回転する音が聞こえた。 胸元に熱さを感じる。それは回路の熱気だろうか。 「……お前は、一体何者なんだ……」 ツヴァイは目を細めてそう言う。 ミカナギはその言葉には何も返せずに黙り込むだけ。 昼間、暑い空気の中、ヒィコラ言って歩いた荒野があっという間に通り過ぎてゆく。 少し首を動かして、自分の体からすると後方に位置する進行方向の先を見た。 もう、白い建物はすぐそこだった。 無計画に増築されていったような、白い建物たちの連なりがよく見える。 門はあるが、クラメリアのように建物全体を囲む壁はどこにもなかった。 そして、一番高い建物のてっぺんから虹が空に向かって伸びている。 「……ツヴァイ」 「なんだ?」 「あの虹に沿って、スモッグの上に上がってくれないか?」 ミカナギは静かにそう言った。 確か、夢の中でトワはあの虹に沿うようにしてスモッグの上へと向かった。 それは、穢れた空気に弱い彼女が取った手段なのだから、絶対的に意味のあることだと思う。 ツヴァイはミカナギの言葉通りに、プラントの上空まで来ると、虹に沿って急激に上昇を開始した。 地面に対して垂直の状態で、ただ上を目指すだけのような飛び方。 こんな高さから落下して、頭を打ったというのに……自分は生きていたのか。 ミカナギは心の中でそんなことを思った。 ズキリと右目の奥が疼き、ミカナギは表情を歪めた。 「どうした?」 「いや、なんでも……」 スモッグを抜け、ツヴァイは徐々にスピードを落として、中空で停滞した。 彼女の目に、銀色の月が映る。 「あれが、月か?」 「ツヴァイ……この体勢だと、見えない」 「ああ……そうか」 ツヴァイは突然手を離した。 ガクンとミカナギの体が落ちかけ、鳥肌が立つ。 が、すぐにツヴァイの手がミカナギの手を握って、引き上げてくれた。 「これなら、見えるか? あれが……月か? 夜の女王か?」 ミカナギが以前言った言葉を無感情な声で言い、月を見上げている。 ミカナギも銀の輝きを放つ月を見て、懐かしさに目を細めた。 夜空に浮かんだ月は、スモッグの雲海を照らし、誰の目にも映ることのない美しさを、これでもかと放っていた。 「……ああ、夜の女王だ……。たった1人で……それでも、気高い」 自分で口にして、今の言葉はないな……と思った。 けれど、聞いていたのはツヴァイだけだったから、何も言わずにただ食い入るように月を見ているだけだった。 けれど、ある違和感を覚えて、ミカナギは視線を落とした。 「どうした?」 ツヴァイもそれに気がついてすぐにそう言う。 足元には……スモッグの雲海……。 確かにここまで昇ってくる間虹はあったのに……。 「どういうことだ……」 虹と月が、まるで寄り添うようにあった、夢の中の光景は、どこにもなかった。 虹は、どこにも見えなかった。 虹の橋に腰掛けて、幼い頃の彼女が微笑む。 幼い頃の自分が微笑む。 彼女の翼が可愛く動いて嬉しそうに月を見上げる。 自分は彼女のそんな横顔を見つめて、ほのかに心を揺らしたのを覚えている。 けれど……。 「どうしたんだ?」 右目がズキリと疼く。 空には、約束がある……。 それは、虹の約束だ。 けれど、虹は……どこにも……。 どこにも、見えなかった……。 |
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