第十一節  究極の女難の相所持者


 トワは不機嫌そうにベッドに腰掛け、ホログラフボールを掲げる。
 ミカナギはディスプレイがトワに見えないように立ち、すぐにコンピュータの電源を落とした。
「……今日もポチポチ引きこもり?」
「……人のこと言えないでしょう? 兎環ちゃんも」
 苦笑混じりでからかうように言うミカナギ。
 トワは静かに目を細めて、念じるように唇を噛んだ。
 宙にイリスとミカナギが会話をしている映像が浮かび上がる。
 海で遊んだ時のものだ……。
 あの時、自分はイリスに言った。
 ……自分は、世の理には逆らわないタイプみたいだと……そっと呟いた。
 カノウの諦めない心みたいなものを、そして、壊れたはずの関係を再構築し直してみせた天羽の勇気を、とても尊いように感じたからだった。
 押し付けるのは駄目だ。
 追いかけても手に入らないことを分かっていながら、それを追っても意味がない。
 自分は誰よりも前を歩いていながら、心の奥底から溢れ出して来るその言葉に、気がついていた。
 けれど、ミカナギの目の前で起こったことは奇跡に近いものだった。
 決してカノウの恋が実ったわけではない。
 それでも、確かにそこには光があった。
 ミカナギは目を細めて、あの時のことを思い返していた。
 けれど、そんな感慨に耽っている間など、トワが与えてくれるはずもなく、すぐに現実に引き戻される。
「この人、誰?」
「アインスの記録見たんだろ? オレの命の恩人だよ」
「……恩人ねぇ」
 トワはため息混じりで呟き、次のシーンを映し出す。
 見事にミカナギとイリスの映っているシーンばかりを抽出しているようだった。
 カチリカチリと、2人のやり取りが映し出されていく。
「これ、編集したの?」
「…………」
「ふっ……」
「な、なによ?」
「いや、別に」
 こんな作業に一体どれくらい時間を使ったのか分からないが、その手間を考えるとおかしくなってしまった。
 ミカナギは笑いをかみ殺しながら、トワのことを見つめる。
 トワはミカナギの余裕そうな表情が面白くないのか、ミカナギから視線を逸らして不機嫌そうに髪をいじくる。
「随分余裕じゃない」
「……ん? 余裕っつーか……だって、アインスの残してた映像の部分なら、誤解解けたところも映ってるだろ?」
「……そういう問題じゃないわ」
「ぇ?」
 ミカナギはトワの言わんとしていることが分からずにその場に立ち尽くす。
 すると、次のシーンにカチリと切り替わった。
 汽車の窓からミカナギとイリスが別れの言葉を交わしているのを見ている構図で浮かび上がる。
 ミカナギはそれを見て、初めて血の気が下がっていくのを感じた。
 表情が固まったのを、トワが見逃しはしなかった。
『どんな話をしてるのかな?』
『知りたいですか? それならば、おれの耳で音を拾いますが』
『あ、アイちゃん、今回は駄目だよぉぉぉ……』
『天羽、耳を押さえてもあまり意味はありませんよ?』
『う……と、とにかく、今回は駄目なの。これは、イリスさんだけの大切な大切な思い出なんだから、聞いちゃ駄目なのぉ』
 天羽の手がアインスの目を塞いだのか、突然映像が真っ暗になった。
 けれど、すぐに元に戻り、アインスの目は天羽の度アップを映し出した。
『駄目なのですか?』
 天羽は大きな目をきゅっと細めて、両拳を胸の前でブンブン振る。
『駄目だよぉ……だって、これは、イリスさんの覚悟の形だもん〜。乙女心だもん〜』
『それならば、嬢ちゃんは見なければいい。小生は見るぞ。人の恋路ほどご馳走はないからなぁ』
『に、ニールセンさん……』
 ニールセンの言葉にカノウの呆れたような声が突っ込みを入れる。
 アインスはゆっくりと窓の外に顔を出し、再び見つめ始めたようだった。
『……アインス、結構こういうの好きなの?』
『好きといいますか……』
『なに?』
『いえ。始まりを見たならば、終わりを見るのも、おれの務めなのではないかと』
『…………』
『天羽の言う通り、音は拾いません。ただ、見届けたいだけです』
 やめろ。馬鹿。アインス。
 ミカナギは心の中で必死に叫んだ。
 もう過去のことで、おそらくトワも見てしまった後のことなのは分かっているのだから、そんな言葉を心の中で叫んだとて何にもならないことは分かっているのだが……。
 背中を冷や汗が伝う。
「あ、あの……兎環さん」
「ふふ……よかった。罪悪感くらいある?」
 ミカナギの口元が再びヒクヒク動いた。
 トワはその表情を見て、嬉しそうに笑みを浮かべてみせる。
 ……ああ、この人、鬼なんだ……。
 ミカナギの頭をそんな言葉が過ぎった。
『えぇ?! ……許されるの? 許されるのか……駄目じゃないの? 振ったんじゃないの? え、え、これいいの?』
 カノウが混乱するようにその場で騒いでいる。
 ミカナギがそっとイリスの額に口付けているのが見えた。
 夕日をバックに、2人の影が溶け合うように映る。
「ねぇ、何か言うことない? ミカナギ」
「あ、あの……その、これは、最後の……」
「え? 何? ああ、大丈夫よ。あなたの言いたいことなんてわかってるから」
「い?!」
 ミカナギの言葉など掻き消し、トワは1人で納得したように頷いて、すっと右手を横に薙いだ。
 すると、ブ……ンと音が響いて、宙にあった映像が消える。
 トワが素早く立ち上がり、スカートがふわりとなびいた。
 アメジストのような瞳が閃き、ミカナギに向く。
「死んで償いたいんでしょう?」
 トワは笑顔でその言葉を躊躇いもなく言った。
 澄んだ声が耳に響く。
 トワの手が素早く動き、ホログラフボールがそれに反応するように明滅を繰り返す。
「兎環、待て、ちょっと待て……これは誤解だ。あれには他意はない。感謝の……」
 ミカナギはすぐに前に出てトワの身体に触れようとしたけれど、足元に光線が落ちて、思わず足を止めた。
 次々に光線が連射され、ミカナギは慌てて身体を動かして、落ちてくる光線をかわす。
 ミカナギは必死にかわして、部屋の外へ逃げようとしたが、トワが勝手に制御しているのか、ドアのロックが解除されなかった。
 ドアを背にして、ミカナギは表情を歪める。
 ……本当に、死ぬかも……。
 心の中でそんな言葉が過ぎった。
 トワはミカナギの跳ねる様子を楽しそうに見つめていた。
 ミカナギは足を動かして、光線をかわし、どんどん照準が上に向いてきていることを察して、横へと少しずつ移動していく。
 部屋の隅に追いやられて、逃げ場が無くなり、ミカナギは懇願するように叫んだ。
「やめろって、マジやめろ。洒落になってねぇよ!!」
「洒落じゃないもの」
 ミカナギの叫びに対して真顔のトワ。
 ……そうでした。あなたのやることはいつでも本気でした……。
 トワの返答を聞いて、ミカナギは心の中で地面にひれ伏すようにしてそんなことを呟いた。
 監視銃が、明らかに自分の心臓を狙っている。
 ダクダクと汗が吹き出てきて止まらなかった。
 極度の緊張で、心臓の鼓動も一気に上がる。
 これは、ちょっと……さすがに正気の沙汰じゃない。
 寝ずに看病してくれたであろう、あの健気さは何処に行った?
「こ、こんなことして、何になるんだよぉぉぉ」
「……少なくとも、こうすれば、浮気しないわ」
「も、元からしねぇよ。する気もないよ。する訳ねぇよ!!」
「…………」
 ミカナギの叫びに切なそうに目を細めるトワ。
 ようやく、攻撃の手を止めて、抱えていたホログラフボールをふわりと消し去った。
 ミカナギは一気に緊張が解けて、その場にズルズルとしゃがみこむ。
 怖すぎる……。
 こんなことしたら、普通の男なら裸足で逃げ出す。
 お前は何様だと、言われるに決まっている。
 トワがヒタヒタと足音をさせて、こちらへと近づいてくる。
「他意がないとか、そういうのは全く意味がないの」
「っ……じゃ、な、何が不満なんだよ」
「他意があろうとなかろうと……」
 トワの眼差しに、ミカナギは居竦んだ。
「…………」
「私以外の人間に……」
 トワがゆっくりとミカナギに近づき、目線を合わせるように足をそろえてしゃがみこんだ。
「兎環?」
「人間の女に」
 唇を噛んで、上目遣いで気丈そうな目がこちらを捉える。
「……っ……優しくするのは許さない」
 一瞬躊躇ったようだったが、それでも、トワはそう言って照れるように俯いた。
 髪が肩からこぼれるようにサラサラと落ちる。
「兎環……」
「そんなことが起こるくらいなら、いっそ殺すわ」
 すっとトワの手がミカナギの頬に触れた。
 くすぐったくて目を細めるミカナギ。
 触れられた部分が熱くて、ミカナギは思わず呼吸を止めた。
「…………」
「…………」
 イリスに対して、彼女が嫉妬した。
 当然か。
 彼女は……対であるミカナギのことが好きなのだから。
「私」
「…………」
「私、あなたのこと……」
 トワの声が、耳元でする。
 トワは苦しそうに何度も眉根を寄せ、息を飲み込む。
 その後の言葉が続かないようだった。
 どう言えばいいのかがわからないのか、言うことを躊躇っているのかはわからないが。
 しばらく、二人の間に沈黙が流れる。
 プラント内特有のモーター音だけが部屋に響いている。
 あまりにも沈黙が続くので、ミカナギが勇気を出して口を開いた。
「なぁ、兎環」
「っ?」
「こんなことされても、オレは、お前のこと好きなんだけど、どうしようか?」
「…………」
 言った後、顔が熱くなった。
 何を余裕ぶって言っているんだ。
 どうしようか、じゃない……。
 ミカナギは自分の言葉に心の中で突っ込みを入れる。
 ミカナギの言葉にトワの手がそっと離れた。
 まるで、その言葉をミカナギが言ってはいけないかのようだった。
 迷うように目を細め、けれど、ミカナギの傍からは離れない。
 彼女は……何を迷っているのだろう?
 言おうとしたことは、こういうことではなかったのだろうか?
 ……ああ、そうか……。
 記憶のない自分に言われても、きっと彼女は嬉しくないのだ。
 そう思った途端、自分の心が脱力する。
 何を期待していたんだ。
 彼女がイリスのことで嫉妬を露にした。
 それは、彼女が対であるミカナギを慕っているのだから当然だ。
 求められているのは……今の自分じゃない。
 分かりきっていたことじゃないか。
 そう思って、ミカナギは俯いた。
 沈黙に包まれる2人。
 今度は決意したようにトワが胸元に手を当て、床に膝をつき、ミカナギにそっと身体を預けてきた。
 ミカナギの呼吸が止まる。
 彼女の気持ちが見透かせない。
 見透かせないけれど、もうこれ以上、我慢をしろというほうが無理だ……。
 甘い香りが鼻腔いっぱいに広がる。
 ミカナギはゴクリと唾を飲み込んで、ゆっくりとトワの肩に手を置いた。
 そっと頬に口付ける。
 その瞬間、トワの頬が真っ赤に染まった。
 ミカナギはそれを見逃さずに、続けざまでキスをしようとそっとトワの手を取った。
 顔が近づいて、もう少しで唇が触れると思った瞬間、トワがそっとミカナギの唇を塞いで、真剣な声で言った。
「選んで」
「え?」
「世界か私か……どちらか選んで」
「兎環?」
 ミカナギはトワの言葉に目を細める。
 別れ際、イリスに尋ねた言葉が、頭を掠めた。
『もし、好きな人と世界、どちらかしか選べなかったら……イリスはどうする?』
『ミカナギ君を要らないと言う世界があったら、そんなものはクソ喰らえだわ』
 イリスの言葉がリフレインする。
 あの時、何故、彼女にあんな問いをしたのだろうと。
 自分はずっと不思議に思っていた。
 そして、今、トワさえも、同じ問いを口にした。
 イリスは即答してみせた。
 自分だって、同じように即答してみせようと、息を吸い込む。
 けれど……、どういう訳か、自分の体が……自分の心が……答えようとすることを拒絶するように、動いてくれなかった。
 トワはミカナギが答えられないのがわかったのか、そっとミカナギの胸に手を当てて、軽く押しのける。
「……やっぱり、無理よね……」
「ち、違う……。オレは……」
 ミカナギは好きに動かない体を必死に震わせて首を振る。
 けれど、トワはふわりと微笑んで、ミカナギのことを見つめてくる。
「……ミカナギ。私は、あなたしかいらない。でも、あなたが、私以外にも欲しいものがあると言うのなら……私とあなたは……永遠に結ばれることはないの」
「兎環……」
「そう……。ないのよ……」
 悲しそうに目を細めて、トワはドアのロックを解除して、立ち上がって踵を返し、出て行ってしまった。
 ドアが閉まって、すぐにミカナギは壁を思い切り殴りつける。
 拳からツ……と血が伝って上腕部のあたりから垂れた。
「意味……わかんねーよ……」
 ミカナギは低い声で、それだけ搾り出した。




*** 第九章 第十節 第九章 第十二節・第十三節 ***
トップページへ


inserted by FC2 system