第十二節  『 鍵 』


 天羽はスキップ混じりで廊下を歩き、クルリとターンをして角を曲がった。
 キラリと翼のペンダントが閃く。
 タンタンと足音が響いてゆく。
 まだ夜も明けていない。
 静かなのは当然だろうか。
 トワの部屋の前まで来て、う〜ん……と悩み、先にミカナギの部屋の操作盤を押した。
「……はい?」
 眠そうなミカナギの声。
 天羽はすぐにふふ〜と笑って、きゃろんと言った。
「お兄ちゃん、開〜けて☆」
「ん……天羽?」
「うん♪」
「…………おはよう」
「うん、おはよ〜。ねぇねぇ、開けてよぉぉ」
 駄々をこねるように天羽が言うと、数秒ほどでドアのロックが解除された。
 シューン……とドアが開いて、天羽は軽い足取りで中へと入った。
 ミカナギが眠そうに欠伸をし、ボリボリとよく引き締まった腹を掻いていた。
「ん…………何時だよ……今」
「4時半過ぎ〜」
「……天羽、嫌がらせか何かか?」
「え? なんで?」
 ミカナギの言葉に天羽は不思議そうに首を傾げてみせた。
「はぁぁ……気持ちよく寝てるの妨害された上に、嬢ちゃんの元気なキンキンボイス聞かされりゃな……嫌がらせと思うだろ。可愛いけどな……可愛いのは認めるけどな」
「…………。お兄ちゃん、何かあった?」
「え?」
 天羽はミカナギの傍まで寄って、顔色を窺うように覗き込む。
 コツンとおでこをくっつけて、熱がないかどうかを確認し、特に問題なかったのですぐに離れる。
「なんというか、どこか変」
「…………。うん」
「あたしでよければ、聞きまするぞ〜」
「……お前、何か用があったんじゃないのか?」
「え? あ、うん。アイちゃんが明日復活予定よ〜って言いに来たの」
「お。いよいよかぁぁ。思ったより早かったなぁ」
「うん〜。よかったぁ……ホント、よかった」
 天羽は胸の前で手を合わせて、本当に嬉しそうに顔をほころばせる。
 ミカナギがそんな様子を優しい目で見つめ、しばらくして下を向いた。
 天羽はミカナギの脇に腰掛けて横顔を見つめた。
 ベッドがバフリと音を立てる。
「なぁ、天羽……」
「んん?」
「お前、虹がプラントの目印だって言ったよな?」
「あー、うん、そうね〜」
「それはさ、プラントから空に向かって伸びてるあれのことだろ?」
「うん〜」
「あれって、スモッグの上はどうなってるんだ? 夢で見た時はちゃんと虹が弧を描いてたのに、この前昇ったら何もなかったんだ」
「この前って? 誰と昇ったの?」
「ん……ツヴァイ……」
「あー、じゃぁ、虹は出ないよぉ」
「え?」
 天羽の言葉にミカナギは理解できないような表情をした。
 天羽はゆっくり立ち上がって、目を閉じる。
 弱い風が室内を取り巻き、光を放ってカーラーから翼が出現した。
 羽根が舞う。
 天羽はニッコリと微笑んでミカナギのほうを向く。
「これがないと」
「…………?」
「この翼を持つ者だけが、あの虹を開くことが出来る」
「え?」
「鍵なんだよ。あたしや、お姉ちゃんは」
 天羽はそう言うとすぐに翼をカーラーにしまいこんだ。
「でも、結構疲れるのよぉ……翼出し続けるの。だから、いつもはこうやってしまってるんだ」
「……鍵……」
「うん♪ だから、お兄ちゃんだけじゃ、虹は見られない」
「……あ、そういうことか……」
「疑問解消できたかな??」
「ああ、サンキュ」
「うん♪」
 天羽はミカナギの返事にすぐに顔をほころばせる。
 けれど、表情は少し晴れただけで、まだ冴えはしなかった。
「……他にも、何かあるの?」
「ん? や、いい。それさえ分かればいいんだ……。明日、整備室行くよ。アインスと話すのも、久々だ」
「うん、そうだねぇ。でも、本当に大丈夫? お兄ちゃん、元気ないと、なんだか落ち着かないよぉ」
「ああ、わりわり。眠いからよ」
 天羽に言われて、ようやくミカナギが白い歯を見せてニッカシと笑ってみせる。
 なので、天羽は仕方なく踵を返す。
「うん。ごめんねー。もしかして、遅くまで起きてたとか? それなら、もう少し寝るといいよ〜。あたしもそろそろ寝るから〜」
「お前、夜更かしかよ。悪い子だな」
「えへへ〜。だって、大詰めだったから色々お手伝いしてたんだもん〜」
 ニッコリ笑い、肩越しにミカナギを見て、すぐに部屋を出る。
「じゃ、お休み〜」
「ああ、ご苦労さん」
「はぁい」
 フルフルと手を振って、ドアが閉まった後、天羽はふぅ……と息を吐き出した。
 目の周りが熱い。
 確かに、夜更かしは体に良くないみたいだ。
 ミズキやカノウたちは凄い……と心から思う。
 天羽はゆっくりとトワの部屋の前に行き、操作盤を押した。
「はい」
 こちらは即返事があった。
 天羽はすぐに頬に力を入れて、声を掛ける。
「おはよぉ、お姉ちゃん〜」
「天羽?」
「開けてぇ」
「……ごめん、今は無理」
「ふゅ……? そ、そっか……。ぐ、具合でも悪いのかな? だったら、寝たほうがいいよぉ」
「うん、ありがと」
「あのね、明日、アイちゃん復活デーだから、み、見に来て欲しいんだぁ」
「うん……行く」
「絶対だよ?」
「ええ」
 天羽は精一杯懇願して、トワの部屋の前に立ち尽くす。
 ……なんだか、ミカナギがいなくなった頃の姉のようだ。
 すごく、声に覇気がない。
 周囲を気遣うということを忘れている……そんな状態。
「元気になぁれ」
 天羽はポソリと呟いて、その場を後にした。



第十三節  アイちゃん復活デー


 そこには感情などなかった。
 ただ、そこには世界があった。
 世界だけがあった。
 自分はその世界を見つめる傍観者だった。
 常に贔屓のない判断をすること。
 それが、自分に元から含まれていた性質だった。
 何も望まず、主の望みを我が誇りとすること。
 それだけが自分のこなすべき使命であった。
 けれど、自身で犯した過ちにより、興味が生まれた。
 どうすれば、罪を犯さずに済むのか、どうすれば、主の誇りを護ることができるのか。
 そのためには成長が必要だと知った。
 成長は……主の役に立てたろうか。


 アインスはそっと目を開けた。
 消えたはずの意識が、今、ここにあることに驚きを隠せず、目を開けた状態で停止する。
「……あれ? し、失敗かな……」
 ミズキが不安そうにアインスの顔を覗き込んでくる。
 アインスはミズキの心配そうな表情を見て、すぐに口を開いた。
「おはようございます、ミズキ様」
 ミズキがその声を聞いた瞬間、嬉しそうに目を輝かせた。
「おはよう、アインス」
 眼鏡を掛け直して、ふぅ……とため息を吐くミズキ。
 左腕に巻かれたギプスが痛々しかったが、アインスは何も言わずにそれを見つめるだけだった。
 すぐに天羽がアインスに抱きついてきた。
 ブランブランとアインスの首からぶら下がって嬉しそうにすりすりしてくる。
「天羽」
「よかったぁぁ……アイちゃんだぁぁぁ」
「大丈夫でしたか?」
「え? うん……大丈夫だよ。あたしはなんともないよ。みんなが頑張ったの」
 天羽はまくし立てるようにそう言って、ポンッと着地する。
 アインスはすぐにそんな天羽の頭を撫でた。
 天羽がくすぐったそうに目を閉じる。
「よかった。あなたに何かあったら、おれはミズキ様にどう詫びればいいかと」
「詫びる必要ないよぉ。なんともないんだから」
「はい。天羽がそう言うのならば、そうします」
 アインスは目を細めてそう言うと、ゆっくりと目線を上げた。
 そこにはコルト、カノウ、ミカナギ、トワ、ニールセンが立っている。
 コルトが優しく目を細めてこちらを見上げているので、声を掛ける。
「直してくださったのは、コルトさんですか?」
「……みんなだよ」
「いやー、みんな頑張ったけど、一番の功労者はコルトだよ、アインス。さすが、アインス専用エンジニアだ」
 コルトが照れるように視線を逸らしたけれど、ミズキがすかさずコルトの横に行って、ポンポンとコルトの肩を叩きながら言った。
 けれど、そう言われた当の本人は、すぐにミズキの手を弾いて、そっぽを向く。
「やめろよ、気色悪いから」
「傷つくなぁ……」
「コルトさん、ありがとうございます」
「うん。何度でも直してやる。……でも、できれば、壊れるようなことはすんな」
「気をつけます」
 抑揚のない声でそう応え、カノウに視線を動かす。
 ミズキはその視線に合わせるように今度はカノウの脇へ移動した。
 カノウが帽子を外して、胸元に当てる。
「……アインス」
「カノ君もたくさん働いてくれたんだよ? いやぁ、アインス、お前は見る目があるねぇ。本当に、僕のお好きな少年だったよ。最初の印象はあんまりよろしくなかったんだけどねぇ」
「そうですか。では、これからはカノウさんと呼ばなくてはいけないですね」
「や、やめてよ。ボクたち、友達じゃないか」
「トモダチ……?」
「う、うん。あのさ、前に言ったこと、全部……全部撤回させて」
「前に言ったこと?」
「もう、絶対、アインスのこと、罵ったりしないよ」
「…………。ああ」
「ボク、アインスのこと、大好きなんだ」
「……それは、とても光栄です」
「うん」
 カノウは嬉しそうにニッコリと笑った。
 アインスもそれにつられるように、ふわりと口元を緩める。
「なんだか、妬けるなぁ。アインスは僕のものだよ、カノ君」
 ミズキがそんなことを呟くので、カノウは慌てたように顔を赤らめる。
「な、なんですか、ミズキさん」
「だってさぁ」
「ミズキ様」
「ん? 冗談だよ、冗談」
 ミズキが楽しそうに笑顔を浮かべ、次はミカナギとトワの間に移動した。
 ミカナギとトワはどうにも居づらそうに少々離れて立っている。
 ミズキがそれを無理矢理引き寄せて、アインスに声を掛けてくる。
「この2人は何にもしなかったよー。君が壊れている間、ずっといちゃついてるんだもん」
「い、いちゃついてねぇよ、別に。た、ただ、やることが多かったっつーか、怪我して寝てる間もあったし……。手伝いが必要なら、呼んでくれりゃよかったんだ」
「だって、馬に蹴られて死んじゃうじゃないか。あ、この場合、光線に撃たれて……か」
 ミズキがハキハキとそんなことを言うけれど、トワは全くそんなのは相手にもしないように目を細めてぼーっとしている。
 元々、トワはアインスに興味を持っていなかったから、こういう反応でも、特になんとも思わないけれど。
「……ミカナギ。トワの反応がなくてつまらないよ。罵ってもらわないと僕死んじゃうよ」
「お前はマゾか」
「いやぁ、僕はどっちかというとサドかなぁ」
「ああ、そう」
「…………」
 そんなやり取りが横で繰り広げられていても、トワは全く反応を示さない。
 ミズキがそれを見て心配そうに目を細めた。
 ミカナギの肩に腕を乗せてコソコソと話しかける。
「ミカナギ、何やったの? こんなトワ、久しぶりなんだけど」
「……い、いや、別に……」
「まさか、押し倒したのかい? 駄目だよ、そんなの。駄目さ駄目駄目」
「…………。お前、楽しんでるだろ?」
「え? 当然じゃないか」
 ミカナギの呆れたような眼差しに、ミズキが楽しそうに笑う。
「……私、具合悪いから戻るわ」
「え? と、トワ?」
「兎環」
「……アインス、無事再起動おめでとう。大変だったのよ、あなたが壊れてから。このミズキがワンワン泣いたんだから」
 ミカナギが注意するように声を掛けると、踵を返しかけていたトワが立ち止まってクルリと振り返りそう言った。
 それに対して、ミズキが困ったように口をパクパクさせる。
「ちょ、トワ、それは言わない約束じゃないか」
「……お返し」
「っ……。ミカナギィ、トワがいじめるよ」
「慰めんぞ」
「天羽に慰めてもらうよ、後で」
 そんなやり取りをしている間にもトワはペタペタと整備室を出て行ってしまった。
 天羽がそんなトワの背中を見つめて、切なそうに目を細める。
「……泣いたんだ……ミズキ……。お姉ちゃんの前では」
「天羽?」
「ふぇ? あ、なんでもないよぉ。アイちゃん、気にしないで」
 アインスが天羽を気遣うように声を掛けると、天羽は慌てたようにブンブンと首を横に振った。
 そして、すぐにニールセンのほうに駆けて行く。
「ニルどんはねぇ、久々に出てきたのよぉ。ずっと資料室☆」
「そうですか。何か、参考になるような資料はあったでしょうか?」
「……ああ。整頓されておらぬから文献を探すのが非常に大変だが、興味深いことを多く知ることが出来た」
「そうですか。それでは、その内お聞かせください」
「……ふむ。では、話しやすいようにあとできちんとまとめておこう」
「はい」
 アインスの素直な態度にニールセンは嬉しそうに笑顔を作った。
「小生の話を聞こうなどと言うのは青年2くらいだからな」
「おれは知識を広げるためならば、どんなことでも伺います」
「うむ」
 満足げにニールセンは目を細め、ミカナギに視線を動かした。
「青年よ、青年2を見習え」
「オレに振るか」
「ふん、あんな美人と毎日毎日」
「おっさん……それは僻みかなにかか」
「…………。嫉妬よ」
「…………」
「青年を取られてつまらぬのぅ」
「お前等、なんでかオレを弄り対象にしようとしてないか?」
 ミカナギは眉をひそめて口元をヒクヒクと動かし、ミズキとニールセンを見比べる。
 すると、2人はほぼ同時にふんと笑った。
「だって、ミカナギは打てば響くんだもの」
「青年ほど楽しい反応をするものはおらんではないか」
「ああ、そう……」
 ミカナギは災難にでも遭ったようにはぁぁ……とため息を吐いた。
 それを見て、みんなおかしそうに笑う。
 アインスもそれを目を細めて見つめていた。




*** 第九章 第十一節 第九章 第十四節 ***
トップページへ


inserted by FC2 system