第十八節  人類はそんなに偉いのかって話。


「ハーちゃん……いるんでしょう? テラ、今日は預かれない日なの」
 チアキは朝早くからハズキの部屋の前で操作盤に向かってそう囁きかけた。
 ハズキの声がすぐに返ってくる。
「……ああ、ごめん。なんとかしてくれるかな」
「そ、そんなの……」
「ふー……どうせ、チアキが当番の日に来る患者なんてそんなにいないだろう?」
「…………」
 チアキは珍しく彼がそんなことを言ったことに動揺を隠せずに黙り込んだ。
 彼は嫌味や冗談でそう言うことはあるが、今回はそのどちらでもないことを長い付き合いだからこそ分かった。
「開けてちょうだい」
「どうして?」
「嫌な子になってるでしょ?」
「…………。元からこうだよ」
 チアキは斜に構えたハズキの態度にむぅっと頬を膨らませる。
 そして、開かないのが分かっていながら、力強くドアを叩いた。
「開けて」
「忙しいんだ」
「顔見たら、1発はたいて帰ります。入れてくれないならここでずっと妨害してやります」
「ふっ……お好きにどうぞ」
「……みんなの前でも内輪呼称で呼んでやるんだからぁ!」
「…………やれやれ」
 チアキが子供のような言い草でごねた途端、ハズキも仕方なさそうにドアを開錠したようだった。
 シューーーンと音を立てて、ドアが開く。
 綺麗な部屋の中に、ツヴァイの姿をしたものが6体ほど立っていた。
「ひっ……!」
 それを見て、チアキはビクリと肩を震わせ、思わず声を上げてしまった。
 ロボットなのは知っていたが、こんなに多くハードが存在していたのかと思うと、薄ら寒さを覚える。
 それは人間にそっくりだからこそ、余計だった。
 部屋の奥にいたハズキがクルリと椅子を回し、こちらを向いた。
 何日も寝ていないような、病人に近いような眼差しをしている。
 チアキに視線を寄越し、首をグルリと回すと、スラリと立ち上がった。
「テラは……預かっていてくれるかい。部屋に置いておくだけでもいいから」
「そ、それだったら、私が預かる必要性が今までだってなかったことになるじゃない」
「……預かっていて」
「伊織ちゃんだっているんだし。なんで、私が」
「預かっていて」
 ハズキは少しずつ近づいてきて、段々語気を強めた。
 何度も繰り返される言葉に、チアキはグッと息を呑む。
「……何を、するつもりなの?」
「何も」
 チアキは真っ直ぐにハズキを見上げて問いかけたが、ハズキはゆっくりと横に首を振っただけだった。
 けれど、その部屋の異常さを見てしまったチアキには、何もする気がないなんて思えなかった。
 ツヴァイはどれもこれも動かずに直立不動で立っているだけ。
「……ねぇ、チアキ」
「何?」
「人間は、傲慢な生き物だよね」
「え?」
「歴史を見返すと、俺はいつも吐き気がして眠れなくなるよ」
「…………」
「その歴史の1つに、自分も1つ傷を落としてしまったと思うと……本当に馬鹿で、愚かで、最悪な人間は自分自身だと思ってしまいそうになる」
「ハーちゃん……」
 不安そうに自分自身を抱きこんだハズキを見つめて、チアキはハズキの頬に触れようとそっと手を伸ばした。
 けれど、ハズキはそれを眼差しで制す。
 視線が合った瞬間に察した。
 彼の目は優しかったが、触れるなと暗に示していた。
「世界を管理しようなんて、愚かな話だ」
「…………」
「結局管理できていないことに、当の本人は気がつきもしない」
「え……?」
「世界は人間の掌で転がってくれるほど、そんなに単純じゃない。人間というのは、大地に生かされているんだから」
「ハーちゃん? どうしたの?」
「ん? 少し、センチメンタルに語ってみただけだよ」
「…………」
 少しだけ怖かった声が、やんわりと優しいものに変わった。
 チアキはなんとも形容のし難い不安感に掻き立てられる。
「……寝てないから、調子がおかしいんだろう。気にしないでくれ」
「しょうが湯を作って持ってくるわ。それを飲んだら、眠ってちょうだい」
「ジンジャーミルクティーにしてもらえるかい?」
「…………はいはい」
「うん」
 呆れたようにチアキが返事をすると、ハズキは満足そうに頷いて、クルリと踵を返し、椅子に再び腰掛けた。
 チアキは6体のツヴァイをそれぞれ覗き込み、無表情で無機質な感じに寒気を覚えた。
 ハズキはカチカチとコンソールを弄りながら、次々とディスプレイに映し出されていく映像を見つめている。
「ホントに、なんにも、しないんだよね?」
「ああ」
「ホントに、ホントだよね?」
「……うん、しないよ」
「信じて、いいのね?」
「俺が、チアキに嘘ついたことあった?」
「山ほど」
「ああ、そう」
 チアキの言葉にハズキは苦笑にも似た笑い声を上げた。
 チアキはハズキの背中を見つめ、唇を噛み締める。
「テラは、預かっててね」
「もう。わかったわよ……」
「あと…………いや、なんでもない」
「何?」
「なんでもないよ」
 ハズキはこちらに視線も寄越さずに、首だけ横に振っている。
 思えば、彼の心に踏み入れたことがあったろうか。
 いつでも、気が付くのは事が起こってからだ。
 ……もしかして、初めて事が起こる前にそれに遭遇できたのかもしれないのに、今度は踏み入り方がわからないと来ている。
 チアキはカチャリと眼鏡を掛け直す。
「そういえば、もうすぐ、チアキの誕生日だったね」
「え?」
「そろそろ、プレゼントを考えないとな」
「……今まで、くれたことなかったじゃない」
「そんなことないさ。子供の頃は……手渡してたろう?」
「…………。ここ10年ほどはもらった覚えないけれど?」
「照れくさくて渡せなかったんだよ」
「ねぇ、知ってる?」
「なんだい?」
「男の人って、やましいことあると優しくなるのよ?」
「それが何か?」
「…………」
「やましいことなんてないよ?」
「……そう。じゃ、楽しみにしてるわ」
「ああ」
 ハズキは今度はこちらを向いて優しく笑ってみせた。
 チアキは自分自身に馬鹿と心の中で呟く。
 彼の中に踏み込めない。
 すぐそこにいるのに。
「……じゃ、ジンジャーミルクティー作ってくる」
「ああ、それまではロックは掛けないでおくよ」
 ハズキの言葉を受けて、チアキはクルリと踵を返す。
 彼は何かを話してくれようとしたんだろうか?
 それとも、牽制するためにそんなことを言ったのだろうか?
 ……言った通り、眠いから言動がおかしかっただけであって欲しいと、チアキは心から願った。




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