第十九節 その真実には、決してあなたは触れないで 『明日は用事があるから、部屋にはいないの』 ドーム室からの帰り、トワはそう言って微笑んだ。 前にもそんなことを言われたので、それは一体どんな用事なのかと尋ねたが、彼女はただ笑うだけで何も答えてはくれなかった。 ミカナギは唇にそっと触れて、目を細める。 あの瞬間の感触が蘇って、少しばかり血の気が増す。 「くはっ……駄目だ」 ミカナギはブンブンと頭を振り、何度も誤魔化すように地団駄を踏む。 最近自分でも実感している。 色惚けてきた。 トワという導が、こういう形で自分を引っ張ってくれるとは思っていなかった。 彼女に会ったら、すぐに自分の記憶が戻って、すんなりトントン拍子に元の生活に戻るのではないかと思っていた。 それもいくらなんでも短絡的思考だと、自分でも分かってはいるのだが、それくらいの力を持っていそうな存在感が、彼女にはあったのだ。 けれど、結局のところ、自分は彼女の魅力に惹きつけられてしまっただけだ。 いや、それ自体には全く後悔などないけれど。 彼女の嬉しそうな微笑を思い返して、すぐに口元がにやける。 「駄目だ……オレ、最近駄目だ……。いや、これは健全なる男の証、仕方ねー。……とか言ってる辺り、馬鹿くせーな……」 自分自身にブツブツと突っ込みを入れながら、ふと思い出して立ち上がる。 「そうだ。材料揃えに行かねーとな! おっさんがまだ布やらなんやらが足りねーとか言ってたよな……確か」 ミカナギは目を細めて、布かぁと考え込む。 こればかりは森に切りに行くとか、プラント内のガラクタを掻っ攫うという手法ではどうにもなりそうにない。 ふーーーむ……と顎を撫で、結局行き着いた結論を取り出し、久々にバトルジャケットをクローゼットから取り出す。 日除けの装備とゴーグルを手に取り、サーベルを腰に差す。 「こんな時のためのギルドちゃん♪」 ミカナギはニィヤと唇を吊り上げ、クルリと踵を返した。 部屋を出て、タタタタッと廊下をかなりのスピードで駆け抜けていく。 時々すれ違う学者らしき格好をした男がそんなミカナギをわざわざ振り返ってまで見る。 ……が、特にそんなことなど気にも留めずにミカナギは正面の門から出るための道を辿っていく。 バイクの駐車場所も門近くに変更したから、このまま出ればすぐに飛び乗れる。 ミカナギは全くスピードを緩めずに、廊下の角を曲がろうとしたが、白衣を着た男達に囲まれたトワの姿が目に入って、無理矢理急ブレーキを掛けた。 なんとなく、雰囲気に呑まれて、引き返し膝をついて壁に隠れる。 トワは全く気が付いていないようで、ただ憂鬱そうに床を見つめているだけだ。 「……何やってんだ? 用事って……」 ミカナギはボソリと呟く。 一段と背が高い水色の髪の男が目に留まって、ミカナギは何かを思い出しそうになった。 けれど、全く記憶は流れずに、意味の分からない憤りだけがミカナギの身体を支配した。 学者達は廊下を歩いていくが、特にミカナギには気にも留めないように真っ直ぐ歩いていく。 トワは集団の中にいたこともあり、気が付きもしなかったようだった。 ただ1人、水色の髪の男だけが、ミカナギに視線を寄越し、憎々しげに目を細め、眉間に皺を寄せたのがわかった。 ミカナギもそれに対して、睨みを返す。 心が言う。 コイツにだけは負けるなと。 だから、憤りのままに睨みつけた。 男はミカナギを見下していたが、通り過ぎるとすぐに視線を前へと戻してしまった。 その集団はわらわらと大口のドアから部屋へと入っていく。 ミカナギは好奇心に促され、集団が全て部屋に入ってから、部屋の前へと駆け寄った。 このプラントで一番困るのは、部屋の使用目的などが全くわからないというところであろうか。 個人の部屋のように小さなドアでないから、公的な施設が中にはあるのだろうが、外からでは全くそれがわからない。 目を細め、周囲を見回し、ドアの前に足を下ろす。 けれど、ロックが掛かっているのか、反応はなかった。 ミカナギはチッと舌打ちをして、頭を掻く。 仕方がない。学者達が出てきてから確かめるしかなさそうだ。 トワが出てくれば、尋ねれば教えてもらえそうだし。 ギルドなどはいつでも行ける。こちらの確認のほうが最優先だ。 何より気に掛かる。 ミカナギは少し部屋から離れた位置に立ち、誰かを待つような素振りで壁にもたれかかった。 コンコンと床を軽く蹴り、ぼーっと壁を見つめる。 本当に、この空間はどこまでも白い。 きっと、こんな世界に1人きりだったら気が狂ってしまうだろう。 そんなことを考えながら、1時間経ち、2時間経ち、3時間経った。 「長ぇな……」 ミカナギもさすがに待ちくたびれて、うぅん……と伸びをした。 今更ながら、何もここで待たなくても後で彼女に問うことも出来たのに、どうして待つことを選択したのだろうと思い始めていた。 その時、ドアが開き、学者達がわらわらと出てきた。 口々に何かを言っている。 「今日のは失敗だな……」 「どう考えてもな」 「大体、こんなことを続けて一体何になるのやら」 「馬鹿。あの娘は鍵なんだぞ」 「……とはいえ、そろそろ、あの苦しそうな顔見てるのも耐えられないというか……」 「俺、結構、あの子好みなんですよねぇ……人間だったらなぁ……」 「馬鹿者。タゴル所長の耳に触れてみろ。どうなるかわからんのか」 ミカナギの前をスタスタと歩いてゆく学者達。 だが、その中にはトワも、先程の水色の髪の男も含まれてはいなかった。 ミカナギは学者達が特にこちらを気に留めていないことを確認して、タタタッとドアに駆け寄る。 今度はロックが掛かっておらず、簡単に中に滑り込めた。 先程まで人が多くいたこともあってか、微妙な熱気にミカナギは不快感を覚えて立ち止まる。 不思議な構成の部屋だった。 大型のコンソールが壁際についており、反対側はガラスのような素材のもので壁が構築されていた。 中に入るためのドアも取っ手以外はガラスで、よく見ないとそこにドアがあると察することも出来ない。 ミカナギはそのドアに歩み寄る。 プラントで、手動のドアを見るのは初めてのことだ。 だから、余計に新鮮さを覚える。 取っ手を手に取り、ガラスの向こう側に視線をやると、そこには更に広い部屋が広がっていた。 電流か何かを通すためのプラグやケーブルが床にいくつも根を張っており、部屋の中心には白い椅子があった。 「兎環は……?」 ミカナギはカチャリとドアを開け、中へと入る。 コンソールのあった部屋からは若干死角になる部分があった。 それは左側の部屋の角で……、ミカナギはそこに視線をやって、すぐにザワリと肌が粟立った。 白い肌。 細い指先。 洗練された、身体。 けれど、その身体に似つかわしくない無数の傷が腕から背中にかけてついている。 ミカナギはそんな傷の存在など全く知らなかったうえに、急に彼女の肢体を目にしたことで気が動転して、鼓動の脈打つスピードが一気に上がった。 呼吸も早くなり、頭に血が上る。 頭の中をグルグルとかき回されたような感覚に支配される。 白い肢体を露にして、床に座り込んでいるトワ。 水色の髪の男が、トワの顔を両手で挟み込み、何かをボソボソと囁きかけている。 トワの目から、ポロポロ……と涙が零れた。 泣きながらも気丈な眼差しだけは変えないトワ。 ミカナギは自分の胸の中がザワザワと騒ぐのを感じた。 この感覚、覚えがある……。 どこで? 神の町で。そう、神の町で。 いや、もっと前だ。それよりももっと前にもあった。あった。いつだ? ミカナギの中でそんな問答が繰り返される。 トワが男の手を強引に振り払い、立ち上がろうとするが、足に力が入らないのか、ヨロリとすぐに床に倒れこむ。 男がそれを見下すように目を細め、すぐにトワに近づき、後ろからそっと彼女の背中に触れ、もう片方の手を腹のほうに滑り込ませる。 カタカタとトワの身体が震える。 「肉体的に冒すのが、一番早いようだな……。これだけ恥辱責めにしても、小僧1人戻ってきたくらいで、はじめに戻ってしまうのでは」 トワの背中がその言葉に反応するように光を発する。 「データがあと少し必要なんだ……サラの遺伝子を持つのなら、少しは役立て」 男はそっとトワのうなじに吐息をかけ、そのまま舌を這わせた。 ビクリとトワの身体が反応する。 すると、翼が肌を突き破って、姿を現した。 徐々に大きくなり、周囲に羽根が舞い散る。 「……それでいい。十分な感度じゃないか」 男はわざとらしくトワにそう言い、胸ポケットからペンのような形の何かを取り出し、トワの首筋に当てた。 ピピピッと音を発し、青い光を発する。 それが終わると、すぐに男は再び胸ポケットにそれをしまう。 「はじめから、こうしておけばよかったな」 トワは男の言葉が相当堪えたように悔しそうに唇を噛み締める。 「反抗的な目だ。二度と、そんな目ができないようにしてやってもいいんだぞ? ……もう、お前に用はないからな」 男の手がトワの腹部を撫で、更に下に向かおうとする。 「ャッ……め、て!」 「やめてください、だろう?」 男が鬼畜にもそんな言葉を呟き、トワの狼狽する様子がおかしかったのか、ククッと喉を鳴らした。 ミカナギの頭の中でグルグルと誰かの声が回る。 低い……声。 これは、自分の声? 『テメェ、何してんだよ。邪魔なんだよ!』 『は、早くしないと兎環が!』 『うるせぇ……お前らが頭の中で騒ぐから動けねーんだろ!?』 『オレに任しときゃいいんだよ! 今度こそ、あのおっさんぶち殺してやる』 『駄目だ。兎環の前でまたそんなことすんな!!』 『お前らの手なんかいらねーよ! オレがぶん殴る。この身体はオレのもんだ!!』 『記憶ない間の仮の人格がうるせーよ』 『……兎環! 兎環ぁぁぁ!!』 『やかましいんだよ!』 「う…………うわぁぁぁぁぁっっっはぁぁ、ぁあああああああああ!!」 ミカナギは右目を押さえて、狂ったように叫び声を上げた。 ジンジンと右目が疼く。 ゴトリと右目の奥が動く音がした。 「み、ミカナギ?!」 その声に、男もトワもこちらを向く。 トワは慌てたように自分の体を隠そうと、ミカナギに背中を向けた。 ミカナギはただ男を見据え、タンッと床を蹴った。 一瞬で2人の傍まで寄り、男の顎を思い切り蹴りつける。 簡単に男の体が吹き飛び、壁にゴツンと身体を叩きつけた。 「キ……ッサマ……!」 憎々しげに男が吐き捨て、ブルッと頭を振るった。 |
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