第二節  過ちという名の光


 ミカナギは目を細めて、困ったように床に視線を落として歩いている。
 返したジャケットは小脇に抱えた状態。
 頭には日除けのバンダナとゴーグル。
 腰にはビームサーベル。
 トワはミカナギの装備を見て、静かに話しかける。
「どこかに出かけるところだったの?」
「え? あ、ああ。ちょっと、な」
「そう」
 どこか心ここに在らずな反応を示すミカナギにトワは少しだけ不思議に思いながらも静かに頷く。
 トワは右手を軽く握って開く。
 横目で見ても、ミカナギの腕にはジャケットがあるから、すぐに目を細めて、指先でスカートのラインをなぞるだけ。
「いいの?」
「え? な、何が?」
「用があったんじゃないの?」
「あ、ああ、そのことか」
「? 他に何があるの?」
「え、あ、いや……別に」
 ミカナギは慌てたように髪をクシャッといじると、その後に誤魔化すように白い歯を見せてニッカシと笑った。
「用事は、いつでもできることだから」
「……そう」
 おかしなミカナギをいぶかしみつつ、特に何も言えることがないので、ただ首を傾げるだけのトワ。
 ミカナギは落ち着かないように前髪をいじり、首を掻く。
 トワはその様子を横目で見つつ、少し疲れて歩くペースを落とした。
 それにすぐに気が付いて、ミカナギが立ち止まり振り返る。
「大丈夫か?」
 優しい眼差し。
 本当に心配しているのが伝わってくる。
 3時間に及ぶ実験の上、翼も全面解放と来ている……疲れていないほうがおかしかった。
 それでも、トワはその眼差しに頷きを返した。
「ええ、大丈夫」
 小走りでミカナギに駆け寄り、並んで歩こうとしたが、歩き出さずにミカナギはトワの顔を覗き込んできた。
「な、なに?」
「おんぶる? だっこる?」
「はぁ?」
 つい呆れたような声を発してしまうトワ。
 どこの子供だ、と、言いそうになる。
 ……が、目の動きだけで察したのか、ミカナギは苦笑を漏らす。
「はいはい。兎環さんは子供じゃないですもんね。じゃ……ほい」
 ジャケットを持つ手を替えて、ミカナギはシャツに掌の汗を擦り付けた後、トワに差し出してきた。
 それに驚いて目を見開くと、ミカナギは様子を窺うようにトワのことを見つめてくる。
「これも子供扱いに入るか?」
 全く動じることなく手を取れた子供の頃を思い出す。
 いつでも、彼はなんでもないように手を差し出してくれた。
 椅子から下りる。ただそれだけの動作の時でさえ、彼の手は優しかったのを思い出す。
 その優しさは、対だからこそで。そこには当然のように、親愛の感情しかなかっただろうと、トワは思う。……思っていた。
 だから、今この時、こうして手を取ることは、とても意味のあることのように感じられるのだ。
 素直に乗った手を見つめて、ミカナギがニッと笑う。
 その表情はあまりに嬉しそうで、こちらが恥ずかしくなるほどだった。
 ミカナギは何も言わずに、力強くトワの手を握り締めると、ゆっくりと歩き出す。
 半歩遅れて歩くトワ。
 並び辛い。
 きっと……今、自分の顔は真っ赤だ。
 こんなの、想像もしていなかった。
 自分は望んでいなかったから。
 叶うと思っていなかったから。
 隣にいられればそれでいいと思っていたから。
 手を繋ぐという行為自体は、何でもない。
 問題なのは……トワの把握しているミカナギの感情の問題だ……。
 自分へ向かうベクトルがあるのとないのとで、胸のドキドキは、全然違ってくる。
 だって、彼が旅に出る前、ドキドキしながらも、自分の感情がこれほど全面に出るようなことは一度もなかった……はずだから。
 だから、……全て、夢なのじゃないかと、どこかで思う。
 嬉しさが大きく。けれど、その隣には確かな不安が小さいながらも消えずに在る。
 そんなことなど考えずに、今この幸せを感じればいいのだろう。
 自分もそのつもりだ。そうするべきなのも分かっている。そうしようと思っている。そう、心に決めたのだから。
 けれど、それは簡単なようで、とても難しい。
 ……好きだから、難しい。






「トワ?」
「え?」
 ミカナギがヒラヒラとトワの目の前で手を振っている。
 しまった。ぼーっとしていた。
「なに?」
「いや、着いた……ぞ?」
「あ、そっか。うん……ありがと」
 トワは自分の部屋の前だということに気がついて、慌ててミカナギの手を離した。
 ミカナギはぱっと離された手を見て、少しだけつまらなそうに目を細めるが、特に何も言わずにトワの髪を撫で、その後、当然のように額に口付けてきた。
 ビクッと、トワは肩を震わせ、上目遣いで目の前にある顎を見つめる。
 すると、ちょうど顔を離したミカナギと視線が合った。
 トワはすぐに目を伏せ、ポソリと囁く。
「少し、話す?」
 操作盤に手を触れ、ロックを解除すると、ミカナギの返事も聞かずにトワは室内へと入る。
 ゆっくりと振り返り、部屋の前に立ち尽くしているミカナギに視線を動かす。
「いいのか?」
「? ええ」
 ミカナギの言葉に、トワは首を傾げながらも頷き返した。
 ミカナギは周りを気にするように見回し、それから中へと入ってきた。
 ロックの設定がオートになっていることを確認するように視線を動かし、こちらへと歩み寄ってくる。
 トワはすぐにベッドに腰を下ろして、いつものように髪を掻き上げる。
 ミカナギもバトルジャケットを椅子に掛けると、トワの隣に少し距離を空けて腰掛ける。
「少しずつ」
「ん?」
「話さないといけないことがある」
「…………」
「まだ、勇気が足らないけど、少しずつあなたに教えるわ。昔のこと」
「……………………」
「それで思い出すかどうかは別に……」
 トワが視線を上げて続けようとしたが、顔を上げるとすぐそこにミカナギの顔があって、言葉を止めた。
 視線が合ったので、ミカナギは少し躊躇うように動きを止めたが、そっとトワの肩に触れて、ベッドに押し倒される。
 長い髪がベッドの上に花のように広がる。
「ぇ……?」
「……思い出さなくていい」
「ミカナギ?」
「思い出さなくていいんだ」
 その声は耳元でして、そのまま首筋に唇が触れた。
 不意打ちに、ビクリと体が反応する。
 けれど、ミカナギは止まらなかった。
 自分がいっぱいいっぱいで気がついていなかったが、ミカナギの呼吸が驚くほど速い。
 そっと首をミカナギの鼻が掠めて、そのまま鎖骨の辺りに再び口付けられたのを感じて、くすぐったさで身をよじらせる。
 脈が上がっていく。
 口付けられた部分が異様に熱いように感じる。
 嫌なら、拒めばいいだけだけれど……。
 トワの思考も十分に働いているとは言いにくい。
 ミカナギの胸に手を当てて押し上げようとしたけれど、ミカナギはビクともしなかった。
「嫌?」
 ミカナギが様子を探るようにそんな問いを口にする。
 その目には少しばかり不安の色があって、トワは拒めずに手の力を抜いてしまった。
 卑怯だ……。
 その目は、卑怯。
 ミカナギの手がカーディガンに伸びて、そっとトワの腕を抜き、脇に除けると、パサリと音を立ててカーディガンがベッドから床へ落ちた。
 ドク。
 ドク。
 ドク。
 耳元で、心臓の音が大きくなっていく。
「あんまり、見ないで……。見られたくない」
 傷跡の範囲は広すぎて隠しようもないけれど、シーツを引き寄せて、少しだけその中に身を埋める。
 けれど、ミカナギは愛しそうに腕の傷跡に口付けた。
「痛い?」
「別に。跡になっているだけだから」
「そう……」
 トワの腕を包むように大きな手でさするミカナギ。
 彼の手は温かくて、ツムギのことを思い出してしまう。
 その温度は、ツムギのことを思い出させるから触れないでと言ったこともあった。
 けれど、今となっては、彼の手の温度はとても貴重で、忘れないために必要なものだと、思う。
 何度も何度もトワの腕をさすりながら、ミカナギは目を細める。
 手が止まって、トワの手を取り、指に口付けてきた。
「……っ……」
 ピクンと体が反応して、ミカナギと目が合う。
 察したような目をして、優しく手をさする。
 トワは顔を赤らめて、ゆっくりと体を起こした。
「じ、自分で脱ぐわ」
「脱がすの……別に嫌いじゃないけど?」
「バカ……」
 トワはミカナギのふざけたような言葉にすぐに切り返し、立ち上がる。
「そういう、余裕そうな言動、直しなさいって何度か言ったのに。記憶がなくてもそのままなのね」
「…………。別に、余裕ではない」
 チャックを下ろし、ワンピースを脱ぐと、ライトを消して下着を外した。
 ディスプレイのライトだけがやんわりと室内を映し出す。
 トワはそっとミカナギの頬に触れると、目を細めて笑う。
「余裕じゃないの?」
「……余裕なんてあったら、こんなことしない……」
「そう……」
 トワはそのまま親指をミカナギの顎に当て、もう片方の手も添えた。
 顔を傾け、しっかりと口付ける。
 すると、ビクリとミカナギが動揺したように揺れた。
「……っ……ト……」
 少しだけ周囲に湿った音が響く。
 口付けたままベッドに膝をついて、ミカナギを倒す。
 もう、歯止めは効かない。
 これは禁忌の恋だ。
 そして、この行為は……罪深き行為。
 それでも、欲しい。もう遅い。あなたが先に手を出した。
 長いキスの後、ぽーっとした目をしたミカナギを見下ろし、その上に跨る。
「やられた分は、やり返していいのよね?」
 そんな言葉を口にして、トワはそっとミカナギの腹筋のラインをシャツ越しになぞった。
 ミカナギがくすぐったそうに身をよじらせながら、困ったように口元をヒクヒクさせる。
 トワはその様子を見下ろして、少し高飛車に笑ってみせた。
 こういう形で不安を消すのは、最低かもしれない。
 ミカナギの本当の感情すら、全てなし崩し的に壊してしまう行為かもしれない。
 けれど、手を出してきたのは彼のほうで、それを自分が拒めるはずなどないのだ。
 ママ、ごめんなさい。
 この人は、私のものです。
 トワは心の中でそう呟いて、そのままミカナギの体を指先で撫で、鎖骨をなぞり、そっと目を細めた。
「ミカナギ。あなたは、私のものよ。わかってるわね?」
 彼に刻み込むように。
 静かに。
 そっと。
 トワはそう囁きかけた。




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