第五節  才持つ鳥はとっても寂しがりで……


 バサバサと音を立てて、フタリの子供が夜空に飛び立っていった。
 ミカナギはそれを眩しくもないのに眩しそうに見上げて、やるせないような感情に囚われる。
 これから起こることを自分は知っている。
 けれど、自分は何も出来ない。
 ここでは、自分はただ『視て』いるだけの人間だ。
 思い出して取り戻して、自分として、世界に戻るために。
 しばらくそこに立ち尽くしていると、スモッグの雲から地面に向かって落ちてゆく影が見えた。
 それが自分と彼女なのだということは分かっていた。
 外の空気と翼を使ったことによって意識を失った彼女を抱えて、自分は幼い体で虹から飛び降りた。
 どうにかなる。
 どうしてかそう思ったのだ。
 いや、どうにかならなくても、彼女が無事ならばそれでいいと思ったかもしれない。
 もう、大人になってしまった今では、その我武者羅さなど、上手く思い出せもしないけれど、それでも、彼女のことしか考えていなかった。
 あの瞬間、確かに自分は彼女のことしか頭になかったのだ。
 だって、彼女が具合を悪くすることなど予想できていたのだから。
 それなのに、止めもしなかったのは自分だ。
 それで、自分の身を可愛がるような、そんな男にはなりたくなかった。
 ……ああ、少しずつ視界が開けてくる。
 そう。
 自分は彼女の好きなようにさせながら、それでも掌で転がすように様子を見ていた。
 だから、見ている分だけ、彼女を護らなくてはいけなかったのだ。
 護ることが自分に課せられたことだったから。
 ゴキリと嫌な音が響いて、地面に強く打ち付けられる自分の体。
 ゴロゴロと転がって、岩にぶつかってピタリと止まった。
 自分でも惚れ惚れする。
 彼女には傷1つ負わせていない。
「は、……早く、ツムギに……」
 そんな言葉と一緒に、男の子は女の子の腕を肩に掛けて立ち上がる。
 頭から血がコポリとこぼれる。
 けれど、そんなことなど何も気になんてしていないようだった。
 ズリズリと重そうに体を動かして、男の子はミカナギの脇をすり抜けてプラントの中へと入っていった。
 彼女を護る者。
 自分は、彼女を護る者だ。
 彼女を決して死なせない。
 そのための、存在だ。







 処置はとても正確で適切で、何の心配もする必要なく、2人は生まれたばかりのミズキを間に挟んで、それぞれのベッドに横たわっていた。
 最初に目を覚ましたのは女の子のほうで、ゆっくりと身体を起こすと、眠っている赤ちゃんを見て動きを止めた。
 最初は不思議そうにしていたけれど、すぐに分かったのか、珍しく彼女は笑顔を浮かべた。
 ツムギとママとミカナギ以外要らないと言っていた女の子とは思えなかった。
 とても気丈そうな目が優しく緩んで、そっとベッドから下りると、ポッドの中の赤ちゃんを覗き込む。
 ガラスにピトリとおでこをくっつけて、まるで宝物でも見るように恐る恐る。
 赤ちゃんは眠っているせいか、そんなのには全く反応も示しはしないが、女の子はすこぶる嬉しそうだった。
 ……彼女も、女の子ではあったらしい。
「ん……」
 男の子が苦しそうに声を発して、そこで女の子はピクリと肩を震わせ、そちらを向いた。
 包帯を頭にぐるぐる巻いて、腕や足に傷テープだらけの男の子がベッドで眠っている。
「ミカナギ……?」
 ようやく、そこで状況を把握したように、ゆっくりと男の子のベッドに歩み寄り、赤ちゃんにしたように恐る恐る男の子の顔を覗き込む。
 ミカナギはその様子を見て、正直苦笑が漏れた。
 本当に、彼女は、普段は強がっているけれど、ひどく怖がりで、とても寂しんぼだ。
 能力は大人顔負けでも、どこまでも子供なのだ。
 それを分かっていながら、甘やかしていたのだから、子供のまま育ってしまったとて、誰がそれを責められようか。
 女の子は返答がないことに不安を覚えたのか、そっと男の子の青い顔に触れた。
 一瞬ピクリと動いたので、それで安心したように目を細める。
「私の、せい……」
 安心したかと思えば、すぐにそんなことを口にする。
 視線を落として、落ち込んだように唇を噛み締めた。
 サラサラと髪が肩から零れ落ちて、ふぅ……と息が吐き出される。
 そっと男の子の手を握り締め、女の子はただその場に立ち尽くす。
 まるで、早く目覚めなさいとでも言わんばかりに。

 彼女の素振りの何が好きかと言うと、甘え下手なところだ。
 本当に、昔から……そして今も。とても下手だ。
 下手どころではなく、彼女の場合は感情の表現と察しづらい行いも数々あるし。
 銃で撃ったり、ミサイルの盾にしたり、足蹴にしたり、殴ったり。
 ああ、でもそんなところ含めて好きなのだ。
 そればかりはしょうがない。
「ああ、そうか。ガーディアンだから、オレはきっとMなんだな」
 ふっと笑いをこぼしてそんなことを漏らす。
 彼女がいたらそんな発言は決してしないけれど。
 彼女は主導権を欲しがるのだ。それは昔からそうだ。
 ミカナギが主導権を表立って持っていると気に食わないのだ。
 そういう人だ。
 だから、自分もこう育ったし、彼女もああ育った。

 女の子がくぃっと男の子の腕を引っ張る。
 男の子は応えない。
 女の子は困ったようにもう一度引っ張る。
 男の子は応えない。
 それを何度も何度も繰り返して、男の子の身体が少しずつずれて、ベッドからドサリと落ちた。
 驚いたように女の子はそれを見つめる。
 引っ張れば落ちることくらい予測できたろうに、できていなかったらしい。
「ミカナギ……」
 女の子はしゃがみこんでペチペチと男の子の頬を叩くが、どのみち同じことだった。
 困ったように顔を歪めたかと思うと、ブワリと大きな目から涙が溢れ出す。
 ミカナギはそれを見て驚きを隠せなかった。
 思わず、彼女の横にしゃがみこんで様子を窺ってしまったほどだ。
 声が聞こえないことも分かっていたけれど、ポソ、と言う。
「大丈夫だよ。そのうち、目ぇ覚ますから。勿体無いから泣くな」
 そう言って、慣れたように女の子の頭を撫でようとしたが、触れられるわけはなく、その手はすり抜けて宙を掴んだ。
 ミカナギは困ったように目を細めてその手を見つめる。
「っ……っく……えっ……」
 女の子は腕で自分の涙をグシグシ拭いながらも泣き続ける。
『物事には必ず義務が発生する。天羽が持たなくちゃいけない義務は、護られることを当然と思うこと』
 トワが天羽に言った言葉がふと過ぎった。
 彼女は、この不安の中にいつもいたのだ。
 己を律し、護られるという重圧を耐えていた。
 誰にも見えないところで泣きながら。
 ミカナギはその様子をただ見つめている。
 何もしてあげられない。
 昔のことだから。
「早く目覚めろ、クソ坊主」
 そんなことを呟くことしかできない。
「ミカ……ナギ、に、見せてあげ、たかった、だけ、なのに……」
 女の子はしゃくり上げながら、そんなことを言い出した。
「一緒に、月、見ようと、思っただけ、なのに」
 その言葉に、不謹慎にも笑みが漏れてしまう自分。
 ……ああ、やばい。にやける……。
 この人は、本当に……。
 ミカナギは口元を押さえて、真っ赤な顔を片手で覆うように包む。
 うん、冷却が必要だ。
 どういう想いからそれを言っているかは別として、この言葉は純粋に嬉しい。
「参ったな……」
 ミカナギの、そんな言葉がその空間に残った。



 それから2日ほど経って、男の子は目を覚まし、丁度朝だったからか女の子も目を覚ました。
 男の子が声を掛けると、女の子は驚いたように目を丸くして、けれど、すぐにツンと言った。
「やっと目を覚ましたの? ホント、鈍くさいんだから」
 と。
 そして、2人の間に置いてあるポッドの中の赤ちゃんに視線を動かして、ふわりと笑みを浮かべた。
 ミカナギはその時ようやく気が付いた。
 あの時の笑顔は赤ちゃんに向けられたものではなかったのだということに。
 女の子はほんのり顔を赤らめて、本当に安心したように笑っていた。
「この子が、ツムギとママの赤ちゃん?」
「ええ、そうよ」
「名前は?」
「ミズキよ」
「へぇ……」
「私がつけたの」
「え?」
「満月が綺麗だったから」
「……あのぅ」
「なに?」
「ママもツムギも、いくつか考えていたりしたんじゃないの?」
「それがなに?」
「え、だって、2人の赤ちゃんなのに……」
「2人の赤ちゃんだったら、私にも権利はあるでしょう?」
「えぇぇ……むちゃくちゃだよぉ」
「2人とも、何も言わなかったけれど?」
「……ああそう。うん、それじゃ別にいい」
 男の子は女の子の言葉に、むちゃくちゃ棒読みでそう返した。
 ゆっくりと起き上がってベッドから下り、ポッドを覗き込む。
 すると、女の子も同じようにして、ポッドを覗き込んだ。
「ちっさいねぇ」
「そうね」
「男の子?」
「ええ」
「へー。弟かぁ」
「弟?」
「だって、兄妹でしょう、ぼくらも」
「兄妹? どっちが上? もちろん、私よね? まさか、あなた、自分が兄だと思ってないでしょうね?」
「え、あの、なんでそっちに話が逸れるのぉ。で、でも、ナンバーはぼくのほうが上だから、ぼくがお兄ちゃんなんじゃないのかなぁ」
「……そんなバカな」
 女の子は男の子の言葉に真剣に悩むように顎を撫でる。
「まぁいいわ。私のほうが有能だし」
 しばらく考えていたようだったが、そんなことを考えるのも馬鹿らしくなったのか、得意そうにそう言う女の子。
 それを聞いて男の子の表情がぎこちなーく動いた。
 けれど、それを見られまいとしたのか、すぐににぱっと男の子は笑う。
「う……うん、そう、だね。兎環ちゃんはなんでもできるから」
「ふふ」
 男の子のその言葉に、女の子は嬉しそうに笑みを浮かべる。
 しばらく、赤ちゃんミズキのことで話をしていると、ツムギが様子を見に部屋へと入ってきた。
 男の子が立っているのを確認すると、男の子に歩み寄っていく。
「あ、ツムギ。処置してくれたの、ツムギ?」
 男の子は嬉しそうににぱっと笑って尋ねるが、その質問に答える前にツムギはゴツンと思い切り男の子の頭を拳骨で殴りつけ、もう1発立て続けに殴った。
 一番驚いたのは男の子というより女の子で、慌てたように2人の間に割って入った。
「ツムギ、何するの!」
 男の子は叩かれた頭をさすりながらしゃがみこむ。
 頭を怪我しているというのに、頭をぶん殴る馬鹿が、こんなところにいた。
「何度も言ったじゃない! 私の我儘だからミカナギは怒らないでねって!」
「お前はトワを護るために造ったんだ。その役目を果たせないなら要らないんだぞ!」
「っ! つ、ツムギ、何言ってるか分かってるの?!」
 女の子は、ツムギの発言に激しい怒りを示した。
 ダンッと強く床を蹴り、ツムギを睨みつける。
「……おまけってこと……?」
 男の子は悲しそうに目を細めてそう呟いた。
 その言葉に、ようやくツムギの怒りの熱も冷めたのか、しまったというような表情をした。
 女の子はすぐに床に膝をついて、男の子に言う。
「おまけなんかじゃないわ。あなたは私の対でしょう。変なこと言わないで」
「兎環ちゃん……」
 女の子が余りに真っ直ぐな目でそう言うので、男の子はただ彼女の名を呟く。
 その瞬間、シューン……とドアが開いた。
 ママが部屋のなんとも言えない雰囲気に目を丸くして、その場に立ち尽くしている。
 すると、シューンとドアが閉まり、また開いた。
「あらぁ、部屋を間違えたのかと思ったけれど、ここよねぇ」
 のほ〜んとした口調が、緊張した空気を一気にたる〜んとしたものに変える。
「どうしたの、一体?」
「あ、いや、その、これは……」
「ツムギがミカナギ殴った」
「と、兎環ちゃん」
「だって、ホントだもん」
 いつもはツムギ派の女の子も、この時ばかりは当たり前のように裏切った。
 ツムギが困ったように目を細めて、弁解するように首を振る。
「いやだって」
「いやもだってもない! ツムギの馬鹿!」
「あらあらあら。トワちゃんがミカちゃんのことで怒ってるー」
 ママはそんなことを言いながら、男の子の元に歩いてきて、そっと手を差し出し、立たせてくれた。
「男の子だもんねー、大丈夫よねぇ?」
「う、うん」
 ママの言葉に男の子はすぐに頷く。
「殴られたのは顔? だったら冷やさないと。ミカちゃんは男前になるんだから」
「頭」
「頭?! もぉぅ、むぎむぎ、お馬鹿さんなんだから!!」
 さすがのママも慌てたようにそう叫んで、さすさすと男の子の頭を優しく撫でてくれた。
 ぎゅぅぅぅと愛しそうに男の子を抱き締める。
 ママの目が怖くなり、その視線がツムギを捉えた。
 女の子はそれに気が付いて、ビクッと身体を震わせる。
 ツムギも一歩後ずさる。
「こってりしぼるって話はどこにいったのかしらー? 手を上げるなんて、わたし、聞いてないなぁぁぁぁ」
「や、約束だったんだよ。トワを危険な目に遭わせることは絶対にしないことって」
「約束ぅ? 感情的に殴りつけといて、その言葉を聞くととても白々しいなぁ」
 ママはのほ〜んとした口調のまま、にっこぉりと笑った。
 あの時は抱き締められていて見えなかったが……。
「こわっ」
 ミカナギはついそう発してしまった。
 その笑顔は、まさに、トワが怒って嫌味を言う時の笑顔にそっくりだった。
 ツムギは困ったように言葉を飲み込み、ボリボリと頭を掻く。
「大人気なかったです、ごめんなさい」
「あなたが大人だなんて思ってませんけど、それでも、やっぱり、こんな小さな子を殴るなんて頂けないことです」
 ママはいつもの口調ではなく、物静かに穏やかな声でそう言うと、男の子から身体を離し、なでなでと頭を撫でた。
「ミカちゃんはトワちゃんを護ったんだもの。むしろ、誉められるべきなのにねぇ……。偉い偉い」
「偉いの?」
「ええ」
「おまけじゃない?」
「おまけ? 何言ってるの? ミカちゃんはママの大切な子供でしょうに」
 ママが不思議そうに首を傾げて、当然のようにそう言うと、男の子は嬉しそうににっこぉぉと笑った。
 その笑顔を見て、女の子は少しばかり面白くなさそうに目を細めたのだった。




*** 第十章 第四節 第十章 第六節・第七節 ***
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