第十六節 生者と死者の狭間で 「そう言うなよ。大体、どこにいるのか見当もつかねぇんだ。しらみつぶししかねぇだろ?」 「全く……。だから、もう少し考えてから出て行けばよかったのに。ねぇ、1回くらい帰ってきなさいよ。バイクに積んであるでしょう? テレポート装置」 「これは緊急用だろうが。そんな勿体無いことできません」 「…………」 「拗ねないの」 「拗ねてないわよ」 「あーそう?」 「あなたのドケチぶりに呆れてただけ」 「さよですか」 男の子は相変わらずの女の子の無遠慮な物言いに、ぷっと吹き出しながら答える。 女の子はトランシーバーの向こう側で黙り込み、男の子が何か言葉を発するのを待っているようだった。 「天羽はどうよ? 元気?」 「ええ。可愛いわよ。昔の私を思い出すわ」 「……それはないな」 「ミカナギぃ……?」 「天羽は素直。絶対素直。あんな高飛車お姫様じゃない。つか、今も昔も、お前さんそんなに変わってないからね。気がついたら、天羽のほうが大人な考え方の持ち主になっている可能性も高いな」 「…………」 「拗ねないの」 「拗ねてない」 「じゃあ何?」 「目の前にいたら、殺してると思っただけ」 「……拗ねてんじゃん」 「拗ねてない。ご立腹と言うのよ、この場合」 「だから、それを拗ねてると言うんだなぁ」 「言いたきゃ言えば?」 「うん言う」 そんなバカみたいなやり取りを繰り返して、充電が切れそうになり、切る。 彼女から連絡があった時は、いつもそんな調子だった。 進行はどうか? ケイルは見つかりそうか? 一応、最初はそういった話から入るが、結局話は逸れて、アホなやり取り。 無駄に時間だけが過ぎて、どうでもいいような会話。 けれど、それでもいいかと思える相手。 トランシーバーをシャカシャカ振り、充電しながら、ふー……と息を吐き出す。 結局、真面目な話を掘り出すことは出来ず、何もなかったようにしているだけだった。 彼女にとって、あの出来事が重たいままそこにあるのか、それとも、それなりにやり過ごしてしまっているのかが分からないから、切り出しづらい部分が大きかった。 男の子の中ではそれなりに重たいままそこにあって。 彼女に対しての申し訳なさが、日を追うごとに重さを増していった。 それに、離れてみて気付いた感情もあって……。 けれど、そんなこと何ひとつ、口に出来るような身分じゃないことを、自分自身、よく分かっていた。 大切な人に、一緒に死のうか? と言われたら、どれだけの痛みが走るだろう。 そんなの、想像もしたくない。 どうして、あの時はあれほどサラリと言えたのか。 そして、その後も、それが普通のものだと思って生きていた自分自身に恐怖が走る。 タゴルの言う通り、自分は……やはり人間として何かが足りないのかもしれない。 タゴルの言葉は、確実にミカナギの意識を蝕んでいた。 ケイルを探しながら旅をする先で、色々なものを見、色々な人に出会ったはずなのに、それ全てが色褪せて、どうでもいいもののようにさえ思えた。 ママの言っていた世界がそこにあるのに、ミカナギは何ひとつ楽しいとなど思いもせずに、使命感だけで求めていた。 繰り返すように記憶を辿り、自分は男の子の傍に寄り添う。 探しながら、想いは狭間を揺れ動いていた。 このままケイルを見つけることが出来ずにさまよい歩くのもいいのではないかと、旅をしながら考えていた。 第一、成長してしまったケイルを見つけ出すことなど、出来はしないことを、自分も分かっていたのだ。 だから、旅をしている間、少しだけ、肩が軽かった。 絶対に見つからないと分かりきっているものを探すのだ。 それは……とても楽なことだ。 男の子は目を伏せる。 彼女に会いたい……でも、自分にはそれが許されないような気がする。 どの面下げて、好きだと言う? そして、好きだと言った後、どう出来る? 約束を果たさないという選択肢を……取ることが出来るのだろうか? 天秤は揺れ動く。 世界と彼女ではなく。 ママと彼女を、それぞれの杯に乗せて。 ――……苦しい。 ――苦しいんだ。 ――誰か助けて。 ――助けて。 ――こんな選択、したくなかった。するんじゃなかった。 ――何かを得るために、何かを犠牲にする……。 ――そんな理屈はわかる。 ――分かってる。 ――世界が理不尽の塊で、思った以上に薄っぺらいことなんて分かってる。 ――……だけど、あんまりにも理不尽じゃないか。 ――オレ達には、得られるものがないんだもの。 ――……傷付いて、もがいて、考えて考えて……その先にある答えがそれしかないなんて、悲しすぎる。 ――オレは、ただ、みんなに笑っていて欲しいだけなのに。 ――愛するあの人に与えられた愛を全て、感謝として渡したいだけなのに。 ――……彼女に笑っていて欲しいだけなのに……。 ――オレが消えるのは構わないよ。 ――…………でも、お願いだから、彼女だけは助けてよ。 ――あの勝手気ままで、高飛車で、お姫様であることが当然な、あの子だけは、助けてよ。 ――それを望むことさえ叶わないなら……そんな世界なら、オレは……。 声にならない叫びが頭の中で渦巻き続ける。 自分の心にひびが入る。 世界を……ママの願いを選ぼうとした自分を苛む。 そして、気が付いた。 自分が立ち止まれば、何も、進みはしないんだってことに。 気が付いて、笑みを浮かべ、そのまま、暗い森の中で倒れこむ。 どんなに丈夫な自分でも、いつかは朽ちることが出来るはずだと。 ミカナギはその様子を見つめて、目を背けた。 どこまでも、自分はダメな奴だ。 トワのことなど、何も考えていない。 結局、自分のためだ。 自分の苦しみだけを解放しようとしただけだった。 けれど……そんな自分に運が味方するはずなんてなく。 それから8年の歳月が流れた後、イリスに発見されることとなった。 面白いことに、記憶をすっぽり失くした状態で。 ……どこまで逃げ続けようとしているのか……。 今の自分からなら、そうはっきりと言える。 逃げられる問題などないのだ。 進むしかないのだ。 自分だけが苦しいなんて、そう思ったら最後だ。 自分だけが悲劇のヒーロー気取りだった中で、不幸な境遇のイリスに見つけ出されたこと。 それはとても皮肉な話だ。 皮肉だけれど、だからこそ、自分は今、プラントに戻って来られたのかも知れない。 旅を続けて、相棒と仲間を見つけて、少しばかり世界を垣間見て。 ママの言った世界は、とても綺麗なのだということを知って…………。 世界が突然暗転した。 セピアな世界はどこにもなくて、ただ、目の前には柔らかく微笑む、幼い頃の自分がいた。 『兎環ちゃんを護って』 静かに彼は言った。 彼の隣に幼い頃のトワが現れる。 彼女は何も言わずに、彼の手を取って、じっとこちらを見上げてくる。 そっと、そんな彼女の肩に手が乗った。 ふと視線を上げると、そこにはママとツムギが立っている。 ミカナギは静かに尋ねた。 「ねぇ、好きな人と世界、どっちも選ぶことって、できるのかな?」 その言葉に、ママは優しく微笑んだ。 『きっと、ミカちゃんなら、出来るよぉ』 懐かしい柔らかい声と物腰で、ほんわりのほんと彼女は言った。 それはとっても難しいことのはずなのに、当然のように出来ると。 『頑張れ、男の子!』 トワが言ったあの言葉は、ママが励ます時にいつも言ってくれた言葉。 ミカナギはそれを受けて、眉を八の字にする。 ママはツムギを見て、それから言い辛そうに言った。 『あと……タゴル様も……助けてあげて』 「え?」 『……あの人は、憎いだけなの……憎んでるだけなの……人間の愚かな部分が、憎いだけなの』 「…………」 『でも、……でも、憎いからって、彼までも、その愚かしさに染まるなんて間違っている』 「ごめん、ママ。オレ、その頼みだけは聞けない」 『…………。ごめんなさい。きっと、わたしは今とても間違ったことを言っているのだと思う』 ママはミカナギの言葉にしょげた風に俯いた。 『ソルなら……ううん、ミカちゃんなら……なんでもしてくれるって、思っちゃうわたしが、いけないのよね』 「なんでも出来るわけじゃないよ。オレには、何の力もないんだから」 『ううん。ミカちゃんはたくさんのものを持ってる。たくさんの光を持ってるのよ。分からない? ミカちゃんの周りに集まった人たちは、ミカちゃんの光に引き寄せられたのよ?』 「……そんなわけ……」 『太陽は、たくさんのものを照らす。青い空に浮かぶ太陽は、確かな希望を呼ぶ。……ねぇ、ミカちゃん。わたし、昔こう言われたことがあるわ。光がなければ、青い空もないのです、って。青い空は光そのものなのよ』 ママは嬉しそうに笑った。 そして、また続ける。 『照らしだしてください、あなたが。皆の未来を。わたしに出来なかった……幾千年分の想いを叶えてください』 「ママ……?」 その言葉の意味が分からずに、ミカナギは首を傾げる。 けれど、それ以上は何も言うことなく、目の前から4人は消えていった。 そして、入れ替わるようにそこに自分が現れた。 まるで、鏡の前にいるかのように、そっくりそのまま自分自身。 『彼』は白い歯を見せて、ニッカシ笑った。 大きな手を差し出して、口を開く。 「ようやく、1つに戻れるな」 ミカナギは眉根を寄せて、『彼』を睨みつけた。 それを受けて、『彼』は困ったように頬をポリポリと掻いた。 「……拒否かぃ」 「……兎環はオレのもんだぞ」 ミカナギは譲らないように思い切り口を真一文字にして、腕組みをしてみせた。 『彼』がその言葉に目をきょとんとさせる。 「何を言ってるんだ。オレがアイツのもんなんだよ」 「…………」 「そんな言葉言ったら、兎環ちゃん膨れるぜ?」 「なんか、むかつく」 「へ?」 「オレは、オレであって、お前じゃない。兎環と両想いになったのはオレだぜ。お前じゃない。お前なんか消えちまえ。この根性なし」 ミカナギは頑として譲らないようにそう言い切った。 言い切られた『ミカナギ』のほうは、口元をヒクヒクさせて、苦笑を漏らした。 ああ困ってる困ってる……。 そんな言葉が過ぎった。 「根性ねーのは認めるよ……けど、20年間、アイツを護ってきたのはオレだ。傷つけたのも、オレ、だ。見届ける義務がある」 「ッ……さっき、頭の中でギャーギャー騒いでたの、お前か?」 さっきとは、タゴルの手からトワを助け出した時のことだ。 自分の他に騒いでいる声が2つあった。 「ああ、1人はそうだな」 「もう1つは?」 「さぁ? ……昔からいるんだよ。それしか知らん」 「…………」 ミカナギはその言葉に多少の不安を覚えつつも、とりあえず、目の前の『彼』をどうにかしなくてはならないので、頭を切り替えた。 「あくまで、メインはオレだぞ」 「んっなのわかってるよ。強いほうに吸収されるのは当然のことだ。そんかわし、兎環のこと護れなかったら承知しねーかんな」 「んっなのわかってるよ」 ミカナギが同じように言い返すと、『彼』は楽しそうに笑った。 「きっと大丈夫だな」 「あ?」 「大丈夫だと、信じるよ」 そう言って、ミカナギの肩にポンと触れて、次の瞬間光を放ち、消えていった。 ゆっくりと、目を覚ます。 体を起こし、フルフル……と頭を振った。 一体どのくらい眠っていたのだろう? 隣にいるはずの彼女の姿はなくて、ミカナギはぼーっと室内を見回す。 彼女は椅子に腰掛けて、コンソールをカタカタといじくっていた。 衣擦れの音で、ミカナギが起きたことに気が付いたのか、彼女は静かに言う。 「おそよう、ねぼすけ」 「あ、ああ……はよ」 ミカナギはポリポリと頭を掻いて、すぐに立ち上がり、シャツに袖を通した。 「なぁ、兎環……」 「何?」 「ママとツムギの、墓参りに行こうか」 「……思い出したの?」 「ああ」 「……そう……。じゃ、行きましょうか」 彼女はそっと立ち上がって、静かにこちらを向いた。 少し表情に覇気がない。 だが、昨日は実験もあったし……疲れが溜まっているのだろうと、思った。 ミカナギはゆっくりと彼女に歩み寄って、額に口付ける。 「なに?」 「ん、なんとなく……」 「そう」 どこかつれない。 ミカナギは首を捻りながら、彼女と部屋を出た。 |
*** 第十章 第十五節 | 第十一章 第一節・第二節 *** |
トップページへ |