第九節  護るべきもの


 ツヴァイは画面の中から彼を見ていた。
 13歳くらいの、まだ少年らしい顔立ちを残すミカナギがそこにいる。
 マスター。
 そう、小さく口を動かす。
 けれど、ミカナギはそんなことになど気がつきもせずにカチカチとマウスをクリックして、ツヴァイの周囲の空間をいじっていく。
 手に持っていた武器が剣になったり、ナックルになったりと変わり、髪型も何パターンか用意されたものに切り替わっていく。
『いいと思うんだけどなー』
 ミカナギは不満そうに目を細めてそんなことを呟いた。
『ハズキは気に食わないんだってさ。こんなに可愛いのにな? 何が不満なんだろうなー?』
『ハズキは、”あなたみたいな”男の人がよかったんじゃないの? ハズキのあなたに対する買い被りは、相当だから』
 部屋の壁にもたれかかって、トワが静かにそう言った。
 ツヴァイは2人のそんなやり取りを画面の中から見つめている。
『お前は相当オレを過小評価してくれるよな?』
『あなたほどではないわ』
『…………』
 その言葉にミカナギの表情が曇った。
 見透かされたのを嫌うように、ふー……とため息を吐く。
『どういう意味?』
『ミカナギほど、自身に価値を見出していない人はいないもの。違う?』
『……んなこたねーよ』
『そう。ならいいわ』
 トワはミカナギの言葉に優しく目を細めて笑むと、そのまま部屋を出て行ってしまった。
『……ったく……』
 不満そうにミカナギが目を細めて舌打ちをする。
 ツヴァイは彼を見上げて呟いた。
 マスター。と。
 けれど、その呼びかけに彼が気付くはずもない。
 ミカナギはカチカチとマウスをいじくりながら、少しばかり不機嫌な顔をしていたが、ツヴァイを見つめると優しい目になった。
 まさか、こちらからも見ているだなんて、わかりもしないだろう。
『やっぱり、女の子は三つ編みだよな?』
 ミカナギはクシシと笑いながら、ツヴァイの髪型を元へと戻した。
 頬杖をつき、まったりと画面を見つめて、穏やかな表情をしているミカナギ。
 その優しい目の色を……忘れることなど、出来なかった。
 たとえ、自身がプログラムで組まれた……小さな存在だとしても。
 こうして、彼を見上げることだけが、生まれてしまった彼女の唯一の楽しみだったのだ。





「かかってこいだぁ? 誰に向かって言ってんの? オレァ、自分からは仕掛けないタチなの。ナンセンスだし、仕掛けるなんてのは弱いやつのすることだぜ」
 ツヴァイは目の前の銀髪の男を見据えたまま、ジリジリと前へにじり出る。
 後ろではハズキがエネルギーの充填を待つように、完了の音に耳を澄ませながら、手に持っているコンソールをカチカチといじり、先ほど開始されたセキュリティロックの修復を阻止している。
 決して、ハズキに攻撃が及ぶことのないように護ること。
 それが、今の最優先事項。
 ツヴァイはブンと槍を振って、一気に前へと飛び出した。
 分析するように氷の体に照準を合わせながら、床を蹴り、柱を蹴る。
 すると、突進するツヴァイに対して、氷が氷の塊をいくつか出現させ、投げつけてきた。
 ピピピピピッと自分の頭の中で音がし、避けるべき角度への指示が出る。
 ツヴァイは素早い動きで、氷の攻撃をかいくぐり、思い切り槍を振り上げた。
 振り上げた瞬間、氷もそれを受け止めるように氷の刃を出現させて、槍と思い切りぶつかり合った。
 柄はなく、彼の右腕そのものが凍りついた状態で伸びる氷の剣。
 ただし、熱を持つツヴァイのビーム上の槍の刃に負けるように、少しずつ体積を小さくして溶けていく。
「結構やるじゃねぇか。ロボットだから、もうちょいとろいと思ったのによ」
「……ロボットは動作の遅いもの、というのは、テクノロジーの遅れていた時代の話」
「はっ。すいませんねー。そのテクノロジーの遅れてた時代の映画が好きなもんで」
「…………」
 なんだ?
 違和感がある。
 この男は、まるで、ツヴァイと初めて会ったような口振りではないか?
 元々適当な人間で、人の顔などいちいち認識して生きてなさそうなタイプではあるが、それにしてもおかしいように感じる。
 ツヴァイがギリギリと力で押すと、諦めたように氷は後ろへと飛びずさり、腕に纏わりついていた氷の剣を解いた。
 ツヴァイはすぐさま追いかけようとしたが、それよりも早く、氷の攻撃がツヴァイの足に纏わりついてきた。
 床づたいで氷が張られ、ビキビキとツヴァイの足を凍らせる。
「力も強いのねー。面倒くさいなぁ。もっと、なんつーの? ロボットらしく、愚鈍で愉快なほうがいいぜ?」
 そう言いながら、氷は先ほど受けた衝撃波で痛めたあばらを気にするようにさすった。
 ツヴァイは足の裏のジェット噴射の熱によって、氷が這い上がってくるより前に、それを溶かしてしまう。
 末端部分にはそれほど重要な機関はない。
 多少の水で影響が出るようなことはないはずだ。
 ツヴァイは全て溶かし終えて、瞬時に上へと飛び上がった。
 僅かに浮きながら、氷を見据える。
『仕掛けるぞ。先手必勝。不意打ちバンザイ。どれだけ楽に終えられるか。それが重要だぜ』
 汽車の中で、氷の言った言葉だ。
 面倒くさい作業は楽に手早く終えるのが一番だと、豪語してやまなかった。
 礼儀も主義も要らない。
 必要とされたのは効率だった。
 だが、今目の前にいる男の言動は真逆だ。
 勝負は迎え撃つもの。
 ツヴァイは静かに回路を動かしながら、目の前にいる彼が照合用のデータと一致することを確認した。
 違和を感じても、データは正常と物語っている。
 気にするようなことではないのか?
 槍を構えながら、空いている片方の手を氷に対して向けた。
 ヴ……ンと空間を震わせるような音がして、すぐにツヴァイの掌からエネルギーの塊が解き放たれた。
 それに対して、氷は大きな氷の塊をぶつけてきた。
 ツヴァイの攻撃とぶつかり合って砕け散った氷の欠片が、ツヴァイの体にピシピシと当たって跳ねる。
 氷の欠片はまるで鋭い刃のように、肌を形成している部分が幾分か切り、切れ目からロボット的な部品が見え隠れした。
 氷がヒューと軽く口笛を吹く。
「肌の質感まで完全再現? 最近のテクノロジーってのはすげーんだねぇ」
 そんな軽い物言い。
 けれど、ツヴァイは然して気にも留めずに、ジェット噴射を撒き散らしながら、氷に向かって飛び出した。
 三つ編みの解けている髪がサラサラと流れ、手首のブレスレットがシャラララ……と軽く音を立てた。
 ブンと思い切り槍を振り下ろす。
 氷はツヴァイの動作をしっかりと捉えた状態で、すぐに振り下ろされた槍をかわした。
 振り下ろした槍をそのまま切り返し、跳ね上げるように薙ぎ払う。
 虚を突かれたように氷は素早く腕を盾にして、そのまま衝撃を緩和するために横へ飛んだのがわかった。
 吹っ飛びながらも、すぐさま体勢を立て直す氷。
 ツヴァイは追及の手を緩めない。
 振り切った槍を持ち替えて、刃の出ない柄の後ろ側で思い切り氷の体を叩きつけようとした。
 氷はキッとツヴァイの腕を睨みつけ、その瞬間、ツヴァイの手がビキビキと凍りつく。
 しかし、その状態になっても、ツヴァイは眉1つ動かさずに、自由の利く足で氷を激しく蹴りつけた。
 氷は手早くツヴァイの足を掴み、それを支えに跳び上がって、宙でクルリと宙返りし、そのままツヴァイの頭に踵を打ち下ろしてきた。
 ツヴァイは対応できずに、ガクンと少しばかり視界が揺らいだ。
 ダメージはそれほどない。
 跳ねるようにバックステップとバック宙を織り交ぜて後ずさっていく氷から目を離すことなく、柱を思い切り殴りつけた。
 手を覆っていた氷がパラパラと細かい欠片になって散っていく。
「ったく。とんでもねぇもん、造りやがったな……。こんなん造れるなら、オレたちわざわざ造る必要なくね?」
「余裕ぶっていた割には随分弱気なコメントだね」
 充填に予想以上に時間が掛かると悟ったのか、ハズキが静かにそう言った。
 氷がその言葉に面白くなさそうに舌打ちをする。
「相手が強いと認められないから、君はミカナギに勝てないんだよ」
「ミカナギ……?」
 ハズキの言葉に氷は不思議そうにオウム返しで呟いた。
 ツヴァイはすぐに柱を蹴り、高速スピードで氷の懐に入った。
 氷は間一髪でツヴァイの攻撃をかわし、次の瞬間右手がぼわーんと淡い光を放つ。
「ツヴァイ、かわしなさい!」
 ハズキの冷静な指示が飛ぶが、対応するよりも早く、ツヴァイの体を厚い氷の膜が覆った。
「弱い強いは関係ないね。氷漬けにすりゃ、それでオレ様の勝利は確定する」
 氷の向こう側で氷が不敵に笑っている。
 ツヴァイは槍を持つ手に力を込めた。
 パシッと肌の部分に亀裂が入る。
 駄目だ。
 無理に動かした瞬間、一気に体が崩れる。
 空いている手にエネルギーを集中させ、ツヴァイは凍りついたまま、待つ。
 熱量で溶かす。
 それしかない。
 ……溶かした後の弊害について、気が付いていないわけではない。
 けれど、そんなことは言っていられない。
 ツヴァイの仕事だ。
 ハズキを護り、虹を破壊すること。
 この世界に形を成して生まれた……その意味を、しっかりと刻まなくてはならない。
「ツヴァイ……」
 ハズキは恐れていた結果を目の当たりにして、グッと唇を噛み締めた。
 その時、ピピピッと充填完了を知らせる音が鳴る。
 その音に反応して、ハズキは氷を警戒しながらも、グッと銃を構えた。
 先ほど威力還元が上手くいかなかったことが過ぎったのか、リミッターを外したのが見えた。
 セーフティーを外し、虹の根元にしっかりと照準を合わせる。
 だが、氷は全く動きを見せなかった。
 それはあの銃では虹を破壊できないという余裕からなのか、他に何か理由があるからなのか……。
 ツヴァイは徐々に発されていく熱で、氷が少しずつ溶けていくのを確認する。
 けれど、まだ身動きが取れるほどではない。
 ツヴァイは視線だけハズキに向ける。
 その瞬間、先ほど氷の腕に揺らめいた淡い光に似た輝きが、ハズキの持つ銃を覆うのが見えた気がした。
 だが、ハズキはそんなものの存在には気がついていないように、何度か呼吸を繰り返して、冷静に銃を握り直している。
 ツヴァイの回路が異常なスピードで回り始めた。
 人間で言うのなら、嫌な予感と言うのだが、ツヴァイはそんなものはわからない。
 ただ、異様に上がりだした回路のスピードに戸惑うように、思考が止まった。
 氷がハズキを見据えた状態で、おかしそうに笑みを浮かべる。
 その横顔を見た瞬間、ツヴァイは溶かすことを優先するのをやめた。
 バキバキ……と氷と自分の体が、激しい音を立てる。
 凍り付いていた一部の肌が引き剥がされていく。
 けれど、ツヴァイは構うことなく、ハズキに向かって飛び出した。
 ブレスレットがシャララ……と音を奏でる。
「ハズキ様、撃ってはいけません!!」
 ツヴァイの声がフロアに響き渡る。
 しかし、まさに引き金を引こうとしていた瞬間だったために、その声は虚しく響いただけだった。
 ハズキの腕の中で、エネルギーの解き放たれようとする音が徐々に大きくなっていく。
 ツヴァイは持っていた槍を思い切り投げつけて、ハズキの手から銃を弾いた。
「邪魔すんなよ……」
 舌打ち混じりで氷がそんなことを呟き、次の瞬間、ツヴァイの体を後ろから氷の刃が数本貫いていった。
 バシバチッという、体の中で何かが弾ける音がした。
 けれど、ツヴァイは構わずにハズキを庇おうと、思い切りハズキを壁に押しやって立ちはだかった。
 引き金を引かれた銃が数瞬遅れて、エネルギーを解き放つ。
 ……が、そのエネルギーは外部に解き放たれることなく、暴発するように爆発を起こした。
 ツヴァイの肌と髪が僅かに焦げる臭い。
 ハズキが爆風に押されて、壁に思い切りぶつかった音がした。
 銃口に氷を生成したのか……。
 暴発させてハズキごと消そうと?
 ツヴァイの思考回路が一気に回りだす。
 満足に動かない体を引きずりながら、氷のほうへと向き直る。
 ハズキは壁に寄りかかるようにして、ズルズルと腰を落とした。
 頭から血が出ている……。
 早く、治療しなくては。
「た、おす……おま、え、だけ、は……」
 ツヴァイの声がいつもの澄んだものではない、雑音混じりの音声に切り替わる。
「なんだよ……しつこい……」
「ツヴァイ、もういい……やめろ……」
 ハズキは朦朧としながらも、そう言葉を口にした。
 ツヴァイはその言葉に従うことなく前へと出て行く。
 もう飛べない。
 満足に腕も動かせない。
 それでも、……それでも……。
 まだ……ミサイルなら……撃て、る……。
 ガシン、ガシンと重い足音。
 パカリとツヴァイの胸が開く。
 だが、その瞬間、氷も氷の刃を形成して、先ほど後ろからツヴァイに攻撃したように前からも貫いた。
 容赦なく、幾重にもなった刃がツヴァイの体に突き刺さっていく。
「……ツヴァイ、ツヴァイーーーーー!!」
 ハズキはよろつきながらも立ち上がって、ツヴァイの元へと駆けてこようとする。
 けれど、ツヴァイはそれを手で制した。
 ハズキの足音が止まる。
「……だ、い、じょうぶ……ワタシ、は、あなたの……味方、です……」
 ツヴァイの声は微かにノイズが混ざっていたが、しっかりと空間を震わせた。
 悔やまなくていい。
 たとえ、どのような結果になっても、あなたは悔やむな。
 あなたは、ただ、愛する者たちを護るための戦いをした。
 その戦いは、ワタシにとっても同様だった。
 ツヴァイは必死に、短い言葉にその想いを託す。
 ハズキの志は、ツヴァイの使命。
 ハズキの心は、ツヴァイの心……。
 誰かが階段を駆け上がってくる音がする。
 ツヴァイは、フラフラと体をよろつかせながらも、必死に氷に照準を合わせようとしていた。
 しかし、撃てと何度指示を出しても、ミサイルが宙を切り裂くことはなかった。
 視界から氷が姿を消す。
 おそらく、エレベーターに乗って……下へと降りていったのか、彼の気配が無くなった。
 目標を失ったツヴァイは動きを止めた。
 ペリドット色の目から輝きが失われていく。
「マ、スター…………」
 バチバチッと回路が衝撃に耐えられずに弾ける音がした。
 ツヴァイは、その言葉を最期に、完全に動きを停止した。
 ブレスレットが……シャラリと音を立てて、床へと落ちた。





 タゴルの元に連れられてきてから数ヶ月間、ハズキはずっとぐずって泣いていた。
 与えられた一室の中で、ぐずぐずと。
 けれど、それをなだめてくれる人の存在などなくて、ある日ハズキはミカナギからもらったディスクを引っ張り出してきて、再生した。
 画面にはやや童顔だが美人めの少女の顔が浮かび上がった。
 彼女は優しく笑みを浮かべて、ハズキにこう言った。
『大丈夫。何があっても、ワタシはあなたの味方ですよ』
 と。
 その言葉は、彼が教えてくれた言葉。
 マスターが、教えてくれた……一番大切な言葉だった。



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