第十節  わたしにできること


 チアキは恐る恐るテラを抱き上げて、落ち着かない心を必死になだめる。
 とにかく、指示通りにミズキのところにテラを連れて行かなくては。
 行けば、きっと答えが分かる。
 ハズキが自分にテラ(?)を預けていたということは、そういうことだ。
 ゆっくりと立ち上がって覚悟を決めたように部屋を出る。
 部屋を出たところで氷とバッタリ会い、チアキは足を止めたが、言葉を口にする余裕がなく、脇をすり抜けた。
 相当ひどい表情をしていたんだろう。氷が珍しく心配そうな声を発した。
「どうした?」
「…………」
 けれど、チアキは答える余裕がなく、タタタタッと廊下を駆け出した。
 医務室はプラントの中心に位置するように設置されている。
 だから、移動が一番楽な位置にあるとも言えた。
 エレベーターに乗って、1階のボタンを押した。
 シューンと少しばかりの重力の動きの後に、ポーンと軽い音がし、ドアが開く。
 ドアが開いた瞬間、何やらざわざわと騒がしかった。
 なんだろう……?
 チアキは嫌な予感を覚えながら、エレベーターを降りた。
 普段は点在している程度にしか認識できない警備兵達が廊下を右往左往していた。
 チアキは不安で息苦しくなった。
 抱いていたテラを更にぎゅっと抱き締めて、唇を噛み締める。
 そして、傍を通った警備兵を捕まえて、何事か尋ねた。
「どう、したんですか……?」
 年若い警備兵はチアキに呼び止められて、すぐに言葉を選ぶように目を泳がせてから答えた。
「塔に……侵入者が入りまして」
「侵入者?」
 塔というのは、プラントのほぼ中央に聳え立つ、あの虹の塔のことだ。
 しかし、あんな場所に登る者など、チアキが知る限りではいない。
 登ったところで何になるのか。
 その価値すらわからない。
「塔内の警備システムがだいぶ破損しておりまして……その、その中に、ハズキ様が……倒れていたということで、ちょっと事態の把握に今努めている最中です。ハズキ様のロボットの暴走ではないかと、ぼくは、思っているんですが……監視用のカメラの映像を、今確認してもらっているところで……」
 困ったように警備兵は言い繕うように口を動かす。
 彼も相当動揺しているのだろう。
 若さも手伝って、本来ならば話してはいけないのではないかというところまで言葉になっていく。
 ハズキという単語を耳にした途端、チアキの視界がグラリと揺らいだ。
「ハズキ様に限って……あるわけないんです。ぼくは、あの方を尊敬しているので、そうであってはほしくないんですが…………塔の破壊を目論んでいたのではないかと、仰る方もいて……」
「ハーちゃんは……?」
「え?」
「ハズキ様は?!」
 チアキは必死な形相で警備兵を見上げ、高い声で叫んだ。
 その声に驚いたように警備兵は目を丸くする。
「あ、あの……今……」
 困ったように塔のほうに視線を向ける。
 チアキも人だかりが出来ている塔のほうを見た。
 警備兵たちが、塔の入り口となる場所を閉鎖するように立っており、その中から担架を持った人が出てきた。
 その担架には、頭に包帯を巻かれたハズキの姿が見える。
 チアキはすぐに駆け出した。
「あ……チアキ先生、今は……!」
 後ろで慌てたような警備兵の声がした。
 けれど、そんなこと構っていられない。
 担架の横にはミカナギがいて、ハズキを心配するように見つめている。
「ハズキ? ハズキ、しっかりしろ!」
 そんな叫びが廊下に響き渡る。
 頭に巻かれた包帯は、どんどん出てくる血を押さえられないように赤く染まっていく。
 チアキは怖くなって、立ち止まった。
 呼吸が速くなる。
 気が動転してしまって、思考が動かなかった。
 あ、そうだ。
 わたし、医者なんだった。
 ハーちゃん、直してあげなくちゃ。
 わたしが、直してあげなくちゃ……。
 心の中で呟いて、震える足で一歩一歩前に出る。
 けれど、チアキがようやくハズキの乗った担架に追いついた時、警備兵の中でも年かさが上のほうの男が立ちはだかった。
 ミカナギもチアキも怪訝な表情で彼を見つめる。
 男は弱っている人間に言うのは憚られるのか、少々眉をひそめた後に、静かに言った。
「施設内テロの容疑が、ハズキ殿に掛かっております。申し訳ありませんが、身柄はこちらで拘束させていただきます」
「なっ?! 馬鹿言うな! それどころじゃねぇだろうが!!」
「治療は、こちらで行います。誰も治療を施さないとは言っておりません」
 眉間に皺を寄せて叫んだミカナギに対し、男は厳かな声でそう返してきた。
 ミカナギが悔しそうに奥歯を噛み締める。
「なんで……こんなことに……」
「……わたしに」
 チアキは震える手を押さえて声を搾り出した。
「わたしに治療させてください!!」
 自分で自分に驚くくらい、気丈な声が出た。
 ミカナギがそれを悲しそうな目で見つめてくる。
「チアキ……」
「わたしが直します! この人は、わたしが直します!!」
「…………。許可を取ります」
「っ……この怪我で、そんな暇ないわ!!」
「…………。お気持ちはお察しします。しかし、今、この瞬間から、ハズキ殿は重要参考人となります。独断での判断は、もしも、容疑が本物であった時、同罪となることを……了承ください」
「重要参考人だろうとなんだろうと、怪我人は怪我人です! そんなの関係ない!! 同罪にしたければしてください。甘んじて受けます」
 チアキは必死に食い下がった。
 けれど、その声で意識が戻りかけたのか、ハズキが静かに呟いた。
「チアキ……やめなさい……」
 それ以降、言葉はなかった。
 おそらく、チアキの声が聞こえて、条件反射的に漏れた声。
 それを聞いて、チアキはぐっと唇を噛み締める。
 ポロポロと涙が溢れた。
「何よ……こんなの……。何にもしないって、言ったじゃない……。嘘つき……嘘つきぃ……」
 その言葉と一緒に膝から床に崩れ落ちるチアキ。
 もう、周囲のことを気にしての外輪的接し方など微塵もなかった。
 それどころじゃない。
 そんなに青い顔をしているくせに、人を気遣っているような状況じゃないくせに。
 どうして、あなたはそんなに……。
 チアキは肩を震わせて、ひっくひっくと嗚咽を漏らして泣いた。
 ミカナギがそれを気遣うようにしゃがみこんで、チアキの頭を撫でてくれる。
 昔、泣いていたチアキに、こうしてくれたことがあった……。
 でも、それはとても幼かったからで、今の年齢でもこのように優しく撫でられるだなんて思ってもいなかった。
「大丈夫だ、チアキ。大丈夫だよ……取り戻すから……」
 ミカナギはチアキにだけ聞こえるように小声でそう囁いた。



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