第十一節 プラントの構図、完成 トワは落ち着いて状況を把握するために一度深く息を吐き出し、吸い直した。 ホログラフボールが呼び出してくる、現在飛び交っている情報を総合した結果、どうなってしまったのかが余裕で理解できてしまった。 1つ舌打ちする。 「悪いなんてもんじゃないわ。……最悪……」 目を細め、髪を掻き上げる。 とりあえず、ハズキのコンピュータに格納されている情報を全て消去してからここを出るしかない。 情報操作。状況のかく乱。 大丈夫。 得意分野だ。 少しの時間でも、相手に有利な情報を与えないこと。 それだけで、どれだけこちらが動きやすくなるか。 コンソールをカチカチといじると、すぐに画面上いっぱいに『DELETE』の文字が表示されていく。 次にホログラフボールを使って、ハズキの部屋の今日の入室データを全て削除し、近辺の監視カメラの情報も操作する。 「さて……私も戻るか……。あ、ツヴァイを起こさないと」 極秘扱いになっていたデータを完全に消去しきった後、トワは思い出したように振り向いた。 すると、開いたままの状態の入り口からこちらを覗き見ている者がいた。 トワは一瞬警戒するが、その者が子供だと分かると、すぐに微笑みかけた。 その笑顔に顔を赤らめて、ササッと隠れてしまう伊織。 けれど、ニャーと猫の鳴き声がして、慌てたようにわたわたと伊織は体を動かし、赤い髪がチラチラと覗いた。 トワは優しく声を掛ける。 「入ってらっしゃい」 その声に、伊織はおずおずと姿を見せる。 胸元にはよくチアキと一緒にいた猫の姿があった。 怯えたような眼差しでこちらを見、搾り出すような声で尋ねてくる。 「……お姉ちゃん……誰……?」 「私は、トワ」 「トワ……?」 「あなたのパパの、お姉さんよ」 「ぱ、パパに……お姉さんはいないはずだよ……み、ミズキおじちゃんしか知らないよ、ぼく」 「……じゃ、こう言えばいいかしら? 私はTG-M002」 「?!」 「004には会ったことがあるでしょう?」 「……あの子と同じ髪と目だ……」 「ええ、そうよ」 トワはゆっくりと歩いて、立ち尽くしているツヴァイの横まで行った。 首を傾げて、伊織を見下ろす。 長い髪がサラサラと肩から滑り落ちる。 赤い髪に、空みたいに澄んだ青い目。 モヒカンのような髪型を見て、思わずトワはクスリと笑ってしまった。 ニワトリみたい。 そんな言葉が頭に浮かんだからだった。 「あなた、早起きは得意?」 「え……?」 「あ、やっぱり、なんでもないわ」 つい、言ってしまった言葉を慌てて取り消し、すぐに真面目な表情に戻る。 「ちょっとお姉さんについてきてくれないかしら?」 「え? あ、あの……んっと……パパは?」 「あー……えっとね?」 トワはどう言ったらいいものか少しばかり頭をひねった。 ストレートに事態を話してしまうと、こういう子の場合、確実に収拾がつかなくなる。 そんなことをしている間に、調査員と出くわしたら、状況は悪化する一方だ。 そのうえ、ハズキの造りだした、ツヴァイと伊織というのは、確実に兵器としての使用に用いるのに有用な設定になっている。 どのような嫌疑で、伊織自体も回収されるかわからないのだ。 このタイミングで現れてくれてよかったのかもしれない。 そうでなかったら、他人に興味のないトワではその存在を思い出さなかったろう。 「えっと……ハズ……パパはね、今ミズキのところにいるのよ。それで……あなたを連れてきてって私に頼んだの」 「……トランシーバーあるのに?」 「う……」 こういう時、恨めしいのは科学の発達ぶりだ……。 そんな言葉が、テクノロジーの粋を集めて造られた姫君の頭に浮かぶ。 便利はいいが、こういう時厄介だ。 単にトワの口車が上手とは言えないだけなのだと思うが、そんなことを彼女が自覚するはずもない。 この子も元から警戒心が強いタイプなのか、どうにもトワに対する疑いを解いていないように見える。 「……それに、ツヴァイ、どうして動かないの?」 「え、あ……これは……」 10歳の子供に押されてる……。 ああ、もう面倒くさい。 これがミカナギみたいな子供だったら、四の五の言わずについてきなさい、の一言で済むのに。 済むのに。 済むのに。 ……むしろ、言えばいいのか? 「あのね、伊織」 「 ? 」 「ツヴァイはちょっと休止状態になっているだけだから、すぐに元に戻すわね」 そう言って笑いかけ、すぐにホログラフボールに手をかざし、引き寄せて小声で起動の言葉を囁きかける。 すると、ツヴァイの目にペリドットのような輝きが戻った。 トワは静かにツヴァイに語りかける。 「しばしの間、あなたの権限は私に移ります。私の指示を聞きなさい」 「了解しました、トワ様」 「え?」 伊織がその淡白なやり取りを見て目を丸くする。 トワは指示通りに動く駒を手に入れたのが嬉しくて、少しばかり心が躍った。 支配というのは、なんとも言えない恍惚感を与えてくれる。 とはいえ、この状況でそんなものを楽しんでいる余裕なんてないわけだけど。 「ツヴァイ、伊織を捕獲後、ミズキの居住区画まで移動」 「了解」 「えーーーーーー?! ツヴァイ、だめだよー、その人悪い人だよーーー。勝手に乗っ取るなんて!!」 慌てて踵を返そうとした伊織の腕を素早くツヴァイが掴んだ。 テラが威嚇するようにシャーと逆毛を立てる。 けれど、ツヴァイは全く動揺せずに伊織を片手だけ持った状態で持ち上げ、トワに視線を寄越した。 「捕獲」 「では、超速で、ミズキの元まで! あ、出来るだけ人目に付かないルートで」 「了解」 「あ、あわ、やめ、やめてー、離してーーー!」 ジタバタジタバタもがいたため、テラがズリズリと下にずり落ちていく。 テラも慌てたようにニャーニャー鳴きながら必死に伊織にしがみついて、なんとか事なきを得た。 ツヴァイがその様子を見て、テラの首根っこを掴み、伊織を持っているのと同じように持ち上げる。 そして、すぐに駆け出した。 トワはその様子を見送って、すぐに部屋を出る。 ホログラフボールでハズキの部屋にロックを掛け、ツヴァイが駆けていくルートを映し出しながら歩き始めた。 「うーん……データ捏造面倒ねぇ。まぁ、なんとかしますけど」 トワは静かにそう呟いて、前など見ずにその場でデータの捏造を開始した。 データの改ざん。改ざんのために行ったアクセスの削除。アクセスなどなかったかのような偽装。 データの捏造はどこまでも緻密で大変なのだ。 トワは今日の1日の行動全てを冷静に思い出すようにして、監視カメラデータサーバにアクセスした。 ここでありがたいのは、監視カメラは個人の部屋には設置されていないこと。 そこまで網羅されていたらもうお手上げ。 逃げようがない。 ハズキの容疑は真っ黒に染まる。 ……とはいえ、彼の行動は意図的で計画性に富んだものだったから、はじめから真っ黒なのだけれど。 成功すれば救世主、失敗すればテロの首謀者。 世の天秤とは……いつだって、理不尽なものだ。 ・ ・ ・ 暗い部屋の中でタゴルは椅子に腰掛け、静かに目を閉じて、警備兵の報告を聞いている。 はじめは大した問題ではないと思い、通信で報告を済ませていたが、事態と、タゴルの大嫌いな小娘の盗聴癖を勘案してこの方式に切り替えた。 「タゴル様、ハズキ殿の収容完了しました。只今治療中です」 「……そうか……」 「あの、指示通り、チアキ医師からの治療の申し出はお断りしましたが……どの医師に聞いても、彼女のほうが腕はいいのに、と口を揃えて……」 「腕は必要ではない。死ななければいいのだろう? プラントにいる医師はチアキ以外無能なのか?」 「い、いえ、そんなことはありません。優秀です」 「ならばいいだろう」 「は、はぁ……それで、ハズキ殿の居住区に関しては全面立ち入り禁止とし、データ等の確認を行わせておりますが、今回の事件に関係しそうな情報は一切検出されていないようです」 「セキュリティは?」 「……怪しそうなファイルは全くといって……。研究結果なら山ほど出てきますが」 タゴルはその報告に奥歯を噛み締めた。 「あの小娘……」 「は?」 小さく呟いた言葉に、警備兵は困ったように首を傾げる。 タゴルは何事もなかったように口を開いた。 「……TG-M005は?」 「行方不明です」 「…………」 タゴルの眉間に思い切り皺が寄った。 その表情を見て、さしもの警備兵も少々ビクリと肩を跳ねさせた。 「もういい」 「は?」 「状況が変わったら報告しろ」 「はい、承知いたしました!」 警備兵はその言葉と同時にタゴルにピシッと敬礼をすると、素早い動きで部屋を出て行った。 タゴルはデスクに頬杖をつき、ふぅ……とため息を吐いた。 面倒なことになった。 あんな小僧など、どこかでくたばってしまえばよかったのに。 そうすれば、事態など動かずに、自分の望みだけを叶えることが出来るはずだった。 ……まだ、研究途中だというのに。 時は待ってくれそうにない。 「予測される結果を見るよりも……行ってみるしかないのか……」 タゴルは目を細めて、昔は相当美しかったであろうその顔を歪めた。 部屋の隅に静かに立っていた男がケラケラ笑いながら出てきた。 「親父、どったの? メランコリック?」 「…………」 「なんだよ、役目は果たしたんだぜ? 誉め言葉の1つや2つ言ってよ。映画だったら、こういう時、父親ってやつはさ……」 「作り物の父親像などに心動かされるな、たわけが」 「なんだよ、経験少ない分、色んなものを見ろって言ったのは親父だろうがよ。あ、オレ、昔の文化のあにめーしょんってヤツもいくつか見たぜ。ありゃいいね。クレイジーで☆ また言葉もいちいち決まってんだ。あめりか映画のなんとも言えない洒落の効いたジョークも好きだが、あにめーしょんの描写も結構……」 「うるさい。配置に戻れ」 「…………」 ベラベラと上機嫌で喋る男に対して、タゴルは有無を言わさぬ声でそう言い、男の視線など気にもしないように腕を組んで、モニターに目を移した。 男はつまらなそうに唇を尖らせる。 しばらく、タゴルの背を見つめていたが、クルリと踵を返した。 「あ、そういえば……オレ、氷と間違えられてたみたいだったけど、よかったのか?」 「構わん。使えるかどうかの差で、お前達に大した違いはない」 「……使えるから、オレは置いてる、と」 「ああ」 その言葉に男は少々寂しそうに目を細めた。 けれど、背中を向けている相手にそれが伝わるはずもない。 そのまま部屋を出るために、1歩を踏み出した。 ドアが開いて、廊下の光が部屋に差し込む。 その瞬間、タゴルが厳かに言った。 「初めてにしては上出来だ」 その言葉を聞いて、少しばかり彼は表情を緩ませた。 |
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