第三節  無知で臆病な子供でごめんなさい。


 怖い。
 伊織はテラを抱き締めて泣きそうな自分を一生懸命に鼓舞した。
 ツヴァイに連れてこられた場所は、ハズキの兄であるミズキの居住区で……みんなでゆったり過ごすためのサロンみたいな部屋だった。
 以前戦った時に自分を思い切り殴りつけたカノウの存在に気づいて、余計に表情を堅くした。
 ……ここには、伊織にとっての味方がいない。
 ミズキも天羽も、アインスもハウデルも…………味方ではない。
 むしろ、天羽を誘拐した伊織は敵だろう。
 どうして、こんなことになったんだろう。
 この人たちは、自分に何をするつもりなんだろう。
 ハズキが大変なことになっていることを知らない伊織は強張った表情でそればかりを考えていた。
 怖い。
 怖い。
 パパ、助けて。
 ツヴァイは伊織の隣で直立不動でその場に立っている。
 伊織は唯一心を許せるツヴァイがそんな調子なので、困ったように唇を噛み締めた。
「泣かないで」  その声ですっと視線を上げると、ゆっくりと天羽がこちらに歩み寄ってきた。
 背を屈めて、伊織の視線の高さに合わせてくれる天羽。
「泣かないで。だいじょぶだから。誰も、何もしないから」
「ほんとう?」
「うん」
 天羽は以前話した時の気丈な眼差しなんて持っていないように柔らかく朗らかに笑った。
 伊織はその様子に、やっと少しだけ肩の力を抜く。
 天羽はそっとテラの喉を撫で、優しい声を発した。
「この子とは、友達になったから嘘は言わないよ」
 天羽はそう言うと、伊織に再び視線を戻した。
 アメジストのように綺麗な瞳。
 吸い込まれそうだった。
 ……テラを連れて、彼女を監禁している部屋に、ハズキに無断で入って……。
 あの時、伊織は……彼女と友達になりたかった……。
 けれど、接触する他者全てを排除するかのような気丈な眼差しに気圧されて、テラのことだけしか言えなかった。
 彼女は、テラにだけは少しだけ心を開いたように見えたから。
「あたしの名前は天羽。君の名前は?」
 伊織はその言葉に驚きを隠せずに目を見開いた。
 名前なんて、ミズキだってカノウだって知っている。
 教えてもらうことなんて簡単だったはずなのに、天羽は真っ直ぐに伊織に問うてくれた。

『友達、欲しいな。
 テラは一番のお友達だけど、もっともっとたくさん、欲しいな。
 たくさん出来れば、パパに遊び相手になってってわがままを言わなくて済むもの。
 そうしたら、パパはもっとちゃんとお仕事に集中できて、ミズキおじちゃんなんてすぐに追い越しちゃうに決まってるんだ。
 友達、……欲しいな……』

 けれど、伊織の前には人間とTG-Mの壁が立ちはだかった。
 拒絶は怖い。
 こちらは好意を持っていても、あちらから向けられる嫌悪の感情が怖いから……伊織は、結局友達を作ることが出来なかった。
 あったかい好意を向けてくれる、ハズキとチアキだけでいい。
 それ以外なんて、要らない。
 伊織は自分の勇気のなさを、都合のいいように改変して、生きてきた。
 それでも、話したかったんだ。
 同じ年くらいに見えた、この天羽という名の少女と。
「ぼ、ぼくは……」
「うん」
「ぼくの名前は、伊織……」
「伊織くんか……じゃーあ、いっくんかなぁ」
「……?」
「いっくん。オーケー?」
 天羽はきゃろんと笑って、親指と人差し指で丸を作ってみせた。
 伊織はその丸を見つめて、その後、コクンと頷いた。
 すると、天羽は嬉しそうに笑って、伊織の髪の毛をわしゃわしゃと撫で回した。
 驚いて後ずさる伊織。
 天羽は本当に楽しそうに笑う。
「あたし、年下のお友達初めてだなぁ。嬉しいなぁ」
「お、怒って……ないの?」
 伊織はすぐにそう尋ねた。
 天羽はその言葉に一瞬きょとんとし、その後に思い至ったようにポンと手を打ち鳴らした。
「誘拐犯」
「…………」
「ん〜、まぁ、過ぎたことは過ぎたこととしてぇ。あもさんは、友達100人目指してるから、そんなことは小さなことでしかありませんなぁ」
「小さなこと?」
「うむ。過ぎたことは小さなことじゃ☆」
 天羽はにゃっぱり微笑んでそう言うと、伊織の後ろに回って背中を押してきた。
「ささ、座って座って。アイちゃん特製ケーキと、ハウデル特製アップルティーがあるのですよぉ」
 勢いよく体が前進していき、あっという間にソファにぼふんと腰掛けさせられた。
 すぐにアインスが紅茶とケーキを出してきて、伊織の前に置く。
 大きな体のアインスに、伊織は少しびくびくした。
 フォークでケーキを刺し、口に含む。
 ほわ〜んと甘みが広がって、少しだけ心が落ち着いた。
「お、美味しい……」
「そうですか? それはよかったです」
 アインスがそう言って笑みを浮かべた。
 伊織はロボットが笑うなんて思っていなかったから驚いて、フォークを握ったまま彼を見上げた。
「笑うんだ……」
「はい」
「ツヴァイは、笑わないのに」
「……アインスは変わったロボットなんだよ」
 そこで、ミズキがようやく話に参戦してきた。
 穏やかな眼差しで伊織を見つめ、伊織の向かい側に腰掛ける。
 そこで、ようやく伊織は状況を確認しなくてはいけないことを思い出した。
 フォークを置いて、手を膝に乗せ、姿勢を正す。
「あ、あの……ぼ、ぼくはどうしてここに……連れてこられたの?」
 その言葉に、ミズキは困ったように目を細めた。
「そうだね……話さなくちゃいけないね……」
「え?」
「トワとミカナギとチアちゃんが戻ったら、すぐ話してあげる。だから……それまで、ケーキを食べておいで。ね?」
 その優しい声は、逆に、伊織の臆病な心を……強張らせた。



第四節  遺伝子が言う。このお兄さんなら大丈夫だって。


 チアキの手を握り締めて、伊織は、ハズキが怪我をして……しかも、プラントを破壊しようとした容疑で捕らえられているという事実を聞いた。
 体が芯からカタカタと震え出してくるのがわかって、伊織はきゅっと唇を噛み締める。
 ハズキは自分の力には頼ってくれなかったのだ。
 確かに、伊織の力など中途半端で心許ないだろうけれど……それでも、命に代えてだって……ハズキを守ってみせる覚悟くらい、伊織の中にはあるのに。
 チアキが気遣うように伊織の体を引き寄せ、引き寄せた腕でポンポンとあやすように撫でてくれた。
 いつも、優しい手を受けて感じるのは……その優しさに包まれる幸せと、それとともに、相手に気遣いを与えてしまう自分の弱さ。
 情けなさがこみ上げて、泣きそうになる。
 それでも、その手を求める心はどうしようもなくて。
 いつも甘えてばかりだ。
 けれど、それは仕方ないのだ。
 伊織はまだ僅か10歳で、ちっぽけで、広い世界など何一つ見ることなく育ってきたのだから。
 目の前で、自分より大きい人たちが口々に意見をぶつけていく。
 伊織はそれをただ見つめていることしか出来なかった。
 チアキがその中に割って入るように、そっと手を上げた。
 ミカナギが気が付いて、すぐに「どうした?」と尋ねてくる。
 伊織も不思議に思い、チアキを見上げると、チアキは真剣な顔で伊織を見て言った。
「伊織ちゃんは、別室で休ませてあげてくれませんか? ……この子には、今の状況は酷です」  その言葉を受けて、ミカナギが納得するように頷いた。
「わり……。そうだな、まだ子供だもんな。伊織、疲れたろ? ちょっと休むか?」
 優しい声でそう言って、大きな手をこちらに伸べてくれる。
 朗らかな声で、「オレはミカナギだ。よろしくな、伊織」と名乗ってくれた目の前の金髪のお兄さんの声も手も、伊織にとってはとても心地が良くて、つい頷いてしまいそうになった。
 けれど、伊織はその手を取ることなく、首を真横にふるふる振った。
「伊織ちゃん?」
「伊織?」
 不思議そうなチアキとミカナギ。
 伊織は2人を交互に見上げて、一生懸命声を絞り出した。
「ぼく、ここにいる。ぼく、が、パパを助ける……。だ、だから、お願い。ぼくにもわかるように、お話してくれない?」
 目の前でどんどん前に行ってしまう議論に、伊織の頭ではとてもじゃないがついていけなかった。
 ハズキの現状を把握するだけで吐き気がして、思考がぐるぐる回っているうちに、状況だけは先に進んでしまっていたのだ。
 伊織の言葉が意外だったのか、ミカナギは目を丸くした。
 ミカナギの隣のトワは、当然のように目を細める。
「伊織、それはちょっとお兄さんとして認められねー」
「どうして?」
「ハズキは、お前にそんなこと望んでない」
「……望んでないとか、そんなの関係ないも……。ぼくが、パパを助けるんだも!」
 伊織がそう叫ぶと、ミカナギの体がふわりと浮いて、思いっきり壁に叩きつけられた。
 鈍い音が室内に響いて、ミカナギが軽くうめき声を漏らす。
 けれど、トワは眉1つ動かさずに、アップルティーをコクリと飲んだ。
 カノウと天羽が心配するように、ミカナギの元に駆けていって、声を掛ける。
「大丈夫?」
「お兄ちゃん」
「ああ、問題ない」
 ミカナギは特に怒りも何もない声でそう言って、すぐにすっくと立ち上がった。
 カノウが少々目つきを鋭くさせて、伊織を睨みつけてくる。
 伊織はビクリと肩を震わせ、小さな声を漏らす。
「ご、ごめんなさい……こ、攻撃するつもり、なかったの……」
 カノウがそれを聞いて、真っ直ぐに言葉を発した。
「その言葉を認めちゃうと、悪気がなかったら何をしてもいいってことになっちゃうんだけど」
 天羽は過ぎたことは小さなことと言ったが、カノウの中では勿論そうではない。
 なので、伊織に対しての接し方に少々棘があった。
 伊織はカノウの視線で縮こまる。
 ミカナギが優しくカノウの肩を叩いて、穏やかな声を発した。
「別にいいよ、このくらい。カン、子供相手にムキになるなって」
「ムキになんて……。ねぇ、ミカナギ、子供だなんだって括り、今は必要じゃないんじゃないの?」
「カン……」
「そうやって優しくして甘やかして、それでどうするわけ?」
「お前なぁ……子供とご老人には優しくするもんなんだよ。これ、世界のルール」
「馬鹿じゃないの」
 ミカナギが人差し指を立てて言う言葉に、呆れたようにカノウがため息を吐いた。
 天羽が2人の間で困ったようにおろおろしている。
「喧嘩は駄目よぉ……」
 そのやり取りに、トワがクスクスと笑いをこぼした。
 その澄んだ笑い声が意外だったのか、部屋にいた全員が彼女を見た。
 伊織も、きょとんと目を丸くする。
「カノウ君。その人は馬鹿なの。仕方ないわ」
「あ、え……?」
「ミカナギ」
「な、なんだよ……?」
「この子の意見、尊重してあげていいんじゃないの?」
「はぁっ?」
「ハズキを助けたいって気持ち、あなた並に強いもの、この子。むしろ、別室に連れて行ったら最後。勝手にあちらに乗り込みそうな予感が、私するのだけど?」
「…………」
 トワの言葉に、そこにいた全員が言葉を発することが出来なかった。
 どうやら、一番説得力があったらしい。
 ……この中で一番権力が強いのは、彼女なのか……。
 伊織は心の中でそんなことを呟いた。
「そうだねぇ。トワの言う通りだねぇ」
 ディスプレイを見つめて、ロボットテラの中に入っていたデータを覗いていたミズキが、久方ぶりに口を開いた。
 伊織に簡単な現状を説明して、それ以降はずっとコンピュータに向かっていたのだった。
「ミズキまで……」
「でも、ミカナギ。トワの言うことも一理あるさぁ」
「……そりゃ、そうだがよ……」
 ミカナギは困ったように目を細めて、トワの隣に腰掛け、気遣うように伊織を見つめてくる。
「伊織、本当にいいのか? オレは、あんまし無茶させたくねんだけど」
「……ぼくが、助ける」
「…………」
 伊織は出せる限りの声で精一杯言い切った。
 ミカナギと視線を交え、パチパチッと弱い火花を発した。
「……じゃ、勝手に突っ走らないこと。これ、約束な? わかったか、伊織」
 優しい声でそう言って、大きな手で拳を作るミカナギ。
 伊織に向けてくるので、伊織は最初意図がわからず、その拳を見つめた。
「こっちのほうが、分かりやすいか?」
 ミカナギは困ったように笑い、すぐに小指を立てる方式に切り替えた。
 そこで伊織もようやくわかって、小さな手でミカナギの小指に触れた。
「ん……ちょい違うが、まぁいいか。約束だからな」
 朗らかな笑顔。
 どうしてだろう?
 この人の声も笑顔も、見ているととてもほっとする。
 ハズキに固執することが遺伝子レベルのものだとすれば、ミカナギと対してほっとするのも……それと同様な気がした。
「ミズキ様」
「ん? なんだい、アインス」
「……今回、タゴル殿に会いますか?」
「……場合によってはそうかもねぇ。そういうパターンは避けたいんだけど」
 反抗勢力図式はもう出来上がってしまっているが、それでもなお、ミズキはまだそんなことを言う。
「ニールセン・ドン・ガルシオーネ2世を呼んできてもいいでしょうか?」
「え?」
「……彼は、タゴル殿に言いたいことがあるそうで」
 ミズキはその言葉にうーんと声を漏らし、けれど、しばらくしてから頷いた。
「いいよ。よく分からないけど、ここに来ることくらいは構わない」
「それでは、連れて参ります」
 アインスはミズキに頭を深々と下げ、素早く部屋を出て行った。
 伊織はアインスの背中を見送って、ただ首だけ傾げた。



*** 第十二章 第一節・第二節 第十二章 第五節 ***
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