第五節  養父 VS 養子


 ハズキは壁も何もかも真っ白な部屋の中、タゴルと対座していた。
 眠りから覚めたのが1週間前。
 それなりに捜査も進んでいることだろう。
 ハズキは静かに覚悟を決めた。
 冷徹な視線がこちらを射抜く。
「ついに、本性を見せたな」
「…………」
 ハズキは口を引き結んで、ただタゴルの眼差しから逃げずに睨み返すだけ。
「プラント破壊を目論んでいたか? さすがに、私もお前を侮っていたようだ。これほど簡単に虹の連結部まで解いてしまうとは思いもしなかった」
 ハズキは何も返さない。
 タゴルはハズキの行動をさも当然のような目で見ると、腕を組んで椅子にもたれかかった。
 まさか、事情聴取に所長自らが出てくるとは。
 それだけ焦っている……いや、ハズキ側の勢力を潰すための言い分が欲しいというところか。
 タゴルには、プラントを破壊されては困る事情があるのだろう。
 学者としての執着ではない、別の何かが。
「連結が解けていたら、このプラントの無力化は惨憺たるものだったろうな。穢れた空気など知らない温室で育ったプラントの学者など、何もないただの荒野に蹴りだされたら、何が出来ようか。……お前のしようとしていたことは、とても恐ろしいことだ。プラントを世界の導とし、食に困らぬよう、生きるのに困らぬように統制されていた世界のシステム全てを破壊しようとしたのだからな。これがどれほどの罪か、お前は理解できているか?」
 タゴルが40年かけて積み上げてきた……今では当然となっている世界の理。
 確かに、プラントの存在がなくなれば、たとえ世界から穢れた空気が消えたとしても、人類は生き残っていけるのかどうかはわからない。
 なぜならば、今の人類は生き方を知らないのだ。
 与えられることのない、自給自足の生き方を知らない人間たち。
 与えられるのが当然だった世界から突如何も与えられない世界へと放り出されたら、彼らはどうなるのか。
 どうやら、そう言いたいらしい。
 いつでも、養父は大義名分を持ち出すのが上手い。
 無論、だからこそ、プラントの所長の椅子を10代にして手に入れることが出来たわけだが。
 ハズキは静かにタゴルを見据えるだけだ。
 何も言わない。言い返さない。
「黙秘で通すつもりか? それもいいだろう。完全に疑っているのは私ぐらいなものだ。……お前も、知らぬ間に随分と人望を集めていたものだな」
「……俺に人望なんてものがありましたか? それはとても驚きですね」
「証拠が上がらねば、皆は納得しない。全くもって、面倒だな、罪の追及とは」
 ハズキはその言葉に少々首を捻った。
 事情聴取にタゴル自らが出向いてきたものだから、もう自身の処分は決定したものと思っていたが、どうやら確かな証拠となるものが見つからないらしい。
 削除を行ったのは……トワか?
 それ以外には考えられない。
 彼女以外に、タゴルが頭を抱えるほどに綺麗さっぱりデータの削除が行える者は、プラントには存在しない。
 しかし、どうやって?
 トワでも外部からは潜入できないように、強力なセキュリティを張っておいたはずだ。
 ……外部ではなく、内部か?
 一番戦闘能力が低いツヴァイの機体を留守番として置いておいたが、彼女が部屋に尋ねてきたのであれば、防ぎようもなかったろう。
「私は状況証拠のみで十分だと思っているのだがな」
 ハズキはタゴルのその言葉にハッと我に返る。
 今は、あまり長考している場合ではない。
 目の前の男に対して、ぼろを出さないように、しなければ。
 そうしなければ、トワの気配りが無駄になってしまう。
「1階に、自動監視装置と戦闘したお前のロボットの残骸。最上階にも1体機能を停止して立っていた。連結部の結合を解除したログは残っているものの、アクセスしたコンピュータのコードに該当するコンピュータは発見されていない。だが、そこには大怪我をして倒れているお前がいた」
 コンピュータが……見つかっていない?
 いや、待て。これは誘導かもしれない。
 反応は見せないほうが身のためだ。
「1つ言っておくが、私は嘘も冗談も言わないぞ」
「信用しませんよ」
「ふっ……お前の母は、何でもかんでも私の言葉は信じてくれたものだったがな」
「俺は母とは違いますから」
 一瞬眉をひそめながらも、ハズキは静かにそう返した。
 この男の口から母のことが出るとは、思いもしなかった。
「……母は、あなたにとってはどんな人だったんですか?」
 それは純粋な興味と言えるかもしれない。
 こんな時でなければ、問うことも出来ない質問。
 タゴルはその質問に、普段ならば答えないだろうに、反応を示した。
「……天使だ……」
「は?」
 厳かな口調で吐き出された言葉に、ハズキはきょとんと目を丸くした。
 確かに、母の背には翼があって言いたいことは分からなくもないけれど、あまりにも……タゴルという人となりを知り尽くしているつもりのハズキにとって、その言葉は不自然なように感じた。
「穢れを知らぬ。だが、誰よりも傷を知っている……そんな少女だった」
「…………」
 素直に返されたハズキは驚きを隠せずに、ただタゴルの顔を見つめた。
 タゴルがその様子に気が付いたのか、そっと目を細めた。
「なんだ?」
「いえ……」
「意外か? 単に、問われたことに答えただけのつもりだが?」
 ハズキはタゴルのその言葉に、ただコクリと頷いただけだった。
 問えば、母のことだけならば、この人は答えるのか?
「母だけが、あの虹を操れる存在だったと、父が言っていました。それは本当ですか?」
「……ああ。偽りない。サラのおかげで、この世界は救われた」
「あなたの……理想とする形で?」
「……そうだな。サラは、自分がしたかったのはこんな世界じゃないと、私の考えを否定した」
 その言葉を口にする時だけ、タゴルは悲しそうに眉をひそめた。
 だが、それも僅かな間だけで、いつもの何を考えているか分からないような表情に戻った。
 深海を思わせる青い瞳。
 ハズキは静かにそれを見つめて、彼の言葉を待った。
 けれど、タゴルはもうその先を口にはしようとせず、当初の目的に立ち戻ったようだった。
「黙秘すれば長引くぞ?」
「俺には話すことは何もありませんから」
「……そうか。お前は、自分の行動により、事態がどう動くか……そこまで見越して動ける人間だと思っていたよ」
「…………?」
 ハズキはその言葉の意味が分からずに、ただ首を傾げた。
 伊織の保護は、癪なことだが兄に任せてある。
 ツヴァイの機体に異常が発生した時点で、チアキに預けておいたロボットテラが緊急信号を発するように細工をしておいた。
 だから、自分にとって困る部分は何一つ残してはいない。
 心残りがあるとすれば、チアキの誕生日を祝ってあげられないことくらいだ。
「お前の行動は……このプラントの存在を消し去るか、残すか……その分岐点を明確にするきっかけとなるだろう」
 ハズキはその言葉をいぶかしんで、目を細めた。
「じき、このプラントは戦場と化す」
「な……?」
「無駄な争いで、幾許かの命が消える」
 タゴルの言葉に、ハズキは言葉を失った。
「なぜ、そこまでこのプラントを破壊しようとする? それをして、世界はどうなるというのだ?」
「……この世界は汚染されています」
「…………」
「気が付いていないわけではないでしょう? もしも、このままプラントが世界を統制するシステムのまま行けば、地上から100年……いや、早くて80年で、生物は姿を消します。統べるべき者なくして、何のための統制システムでしょうか? それならば、プラントを清浄化しているあの虹の力を、世界のために使ったほうがいい」
「……お前のその言葉を、自白として捉えても構わんか?」
「…………。構いませんよ。だから、無駄な争いはやめて、全てを救うための話し合いをすべきです」
 トワ、すまない。
 心の中で、それだけを呟いた。
「私は、譲る気はない」
「なぜです? そこまであなたがこのプラントに固執する理由は何ですか?!」
 叫んだ瞬間、頭の傷がズキリと疼いた。
 表情を歪めて頭を押さえ、ハズキは苦悶の声を漏らす。
「お前は、お前たちはあの地獄を知らない」
「……え?」
「あのおぞましい光景を知らんだろう? 人がまるで人ではないかのような形で、それでも必死にもがき生きようとしている……まるで地獄絵図だ。核兵器が招いた惨状を何一つ知らん者に、何が分かる?」
「…………。ですが、使用できる核兵器など、もうこの世には存在しません」
「当たり前だ。私が、私の権威を持って、このプラントで処分し、あらゆる技術を独占することで……世界の均衡を保つことを可能にしたのだからな」
「…………お言葉ですが、その考えは間違っています」
「私は人間を信じない。何も信じない。私以外誰も、だ。だから、私の生が続く限り、この世界はこのままプラントが管理し、統制する」
「……世界は……命は、物じゃない。管理? 統制? そんな考え方から、もう間違っていることを、なぜ分からない?! このプラントは何もかも間違っている!! 存在自体がおかしいんだ!!」
 ハズキは傷の痛みを堪えながら、タゴルを叱責するように叫んだ。
 タゴルは冷たい眼差しでそれに応え、ガタリと椅子を引いて立ち上がった。
「正しいか間違いかではない。私は、もう二度と、自分の目の前であのようなことが起こる可能性を排除したいだけだ」
「……エゴだ……」
「今の世界も、ある1つのエゴによって生まれたのだ。ならば、私のエゴを押し通して、何が悪い?」
「タゴル……」
 ハズキは、湧き上がってくる今まで感じたことがないほどの怒りを、必死に押し殺して、タゴルを睨みつけた。
 しかし、タゴルはその視線には全く見向きもせずに、コンピュータをパタンと閉じて、部屋を出て行ってしまった。
 世界の終わりを、自分が見ることはない。
 たったそれだけの理由で、分かりきっている問題を、見過ごすというのか?
 信じられなかった。
 気が付いていない事実であるのならまだ考えようもあった。
 だが、タゴルはそれを全て把握した上で、このプラントを保持することを厭わないのだ。
 …………確かに、ハズキの行動は分岐点となってしまったらしい。
 伊織と共に、ミズキへ託した自分の研究データは、このような争いなしに、作戦を成功してくれるように……そんな願いをこめて引いた防衛線だったのに。
 プラントはこれから2つに分断される。
 ……それは、争いの火種だ……。
 ハズキはグッと拳を握り締めて、唇を噛み締めた。
 ポタリと涙がこぼれる。
 ……ツヴァイの犠牲は、こんな結果のために?
 もっと、自分は物事を見通せていると思っていた。
 けれど、結局未熟だった……。
 何一つ得られず、何一つ守れない。
 行動することに意味などない。
 結果を得られなければ、意味などない。
「……ミカ、ナギ……頼む……世界を、救ってくれ……」
 言いたくもなかった言葉。
 ハズキは、それを呟くことしか、できなかった。



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