第六節  護りたかったたいせつなもの


 赤を基調としたシャツが雑然と並んでいる室内。
 ミカナギは1人静かに、ヒビの入ったディスプレイの小型コンピュータに視線を落としていた。
 あの時、思考の鈍い頭で、ミカナギが取れた行動はそれしかなかった。
 証拠の隠蔽。
 エレベータが最上階で止まっており、呼び出しボタンを押しても全く応答する様子がなかったため、もう1つ開いていた扉を抜けて、階段をひたすら駆け上がった。
 いくつかトラップがあったようだが、ミカナギにしてみれば、そんなものは大した効力はなく、適当にかわした。
 一体何階層あるのかも分からない階段を駆け上がり、ゼェゼェと息を切らして、最上階の扉を開けた。
 侵入者がハズキ以外にもいたであろうことは、あちら側にも察しがついているのではないかと思ったのだが、特にそういった部分に触れる情報はない、とトワから聞いた。
 ミカナギは、もう1つ、自身の手で握り締めていたブレスレットをコンピュータの上に置く。
 ツヴァイにあげたブレスレット。チリチリと微かな鈴の音がした。
 静かにそれを見つめて、ミカナギは悲しげに目を細める。


 扉が開いて入った先には……、氷の刃をいくつも突き立てられながらも、決して倒れることなく、停止しているツヴァイの背中があった。
 その瞬間、自分の判断力が著しく欠如してしまったのは明白だった。
 恐る恐る歩み寄って、震える手をぎゅっと握り締めた。
 傍にハズキが頭から血を流して倒れており、そちらの処置が先だ、と、自分を叱咤し、ハズキの体をそっとゆすった。
「ハズキ、聞こえるか? ハズキ。お兄ちゃんだぞ」
 その声にも反応がなく、すぐにミカナギはハズキの脈を確認した。
 青ざめた顔ではあるが、脈は思ったよりも頼もしくミカナギの指を打った。
 すぐに治療をしようと、ミカナギはハズキを抱き起こそうとした。
 ……が、その時、エレベーターの階層を示す数字が微かに明滅し、下へと移動しているのが目に入ったのだ。
 警備隊か。
 そんな言葉が心を抜けていった。
 自分がこの場にいては、状況の悪化は必死。
 ミカナギは慌ててハズキをその場に下ろし、焦る気持ちを抑えながら周囲を見回した。
 部屋の隅に、何かの拍子で吹き飛んだのか、派手に転がっているコンピュータがあった。
 ダッシュで駆け寄り、それを確認する。
 ディスプレイにヒビは入っていたが、ログを映し出す分には苦労はなかった。
 虹の連結部分へのアクセス履歴が見て取れて、ハズキのものだと確信する。
 ハズキ1人を背負って、警備隊が状況確認を行おうとしているこの塔を脱出することは不可能に近い。
 むしろ、そうしている間にハズキの容態が悪化する可能性のほうが高かった。
 ならば、ハズキのことは警備隊に任せて、その後のことを見越すべきではないかと、必死に判断スピードの危うい頭でまとめ、自分を納得させた。
 すぐにコンピュータをジャケットの懐に隠すようにねじ込んだ。
 視線を上げると、自身の体の熱で、氷の刃がどんどん溶け、ツヴァイの体からは大量の水が滴り落ち始めていた。
 ミカナギはツヴァイに歩み寄り、彼女の体に刺さっている刃を思い切り引っこ抜いた。
 1本、2本、3本、4本、5本。
 胸、肩、腕、腹、脚。
 容赦なく突き刺さっていた刃を忌々しげに抜き、床に思い切り叩きつけてやった。
 さぞかし痛かったろう? 女の子なのにな。
 その声は、言葉にならなかった。
 あまりにも、この子が可哀想で、言葉が出なかった。
 涙がにじみ出そうになったが、必死に堪えて、ただ、優しく片手で彼女の体を抱き締めた。
「ご苦労さん」
 やっと出た声は、それだった。
 ツヴァイの背中を見た時、彼女の生は、もう終わってしまったと、確信にも似た気持ちがそこにはあった。
 体は修理すれば直るかもしれない。
 けれど、核を貫かれてしまっている。
 プログラムはいくらでも代替できよう。スペアはいくらでもあるだろう。
 ……だが、ミカナギと慣れ親しんだ彼女は……もうどこにもいないのだ。
 メモリディスクが胸にぽっかり空いた穴から覗いていた。
 綺麗に半分にえぐられてしまっている。ディスクも傷だらけだろう。
 修復の余地はない。
「よく、頑張ったな……。思い、出してやるのが……遅くなって、すまん……」
 ミカナギは必死に言葉を搾り出した。
 言ったところで、彼女にはもう応える手段も、聞き取る術も残されてはいない。
 わかっていても、それをすることに迷いはなかった。
 いつも、笑顔で自分は彼女に語りかけた。
 プログラムを組みながら、レンダリングをしながら、ハズキが喜んで彼女を受け入れてくれることを願いながら、寝る間も惜しんで組み上げた。
 トワのような才に恵まれなかった自分が、それでも最後まで作り通した、最初の子だ。
 皮膚も裂け、服もぼろぼろで、ミカナギが似合うと言って決めた髪さえも、光線で焼き切れたのか短くなってしまっていた。
 頑張ったんだな。
 ハズキを守るために。
 ……そして、お前をこんなにした奴が誰なのかも、わかってる。
 絶対に、仇は取るから……。
 ミカナギはクッと息を飲み込んで、静かにツヴァイから体を離した。
 エレベーターを見ると、もうすぐ最上階に到達しようというところだった。
「じゃあ、な」
 ミカナギはなんとか白い歯を見せて笑い、ツヴァイの脇をすり抜けようとした……その時、コツンと靴が何かを蹴飛ばして、それでブレスレットの存在に気が付いた。
 素早く拾い上げ、ミカナギはポケットにそれを押し込む。
 ポーンという能天気な音が響いた。エレベーターが最上階に到達した音だろう。
 急いでミカナギは部屋を出た。
 扉が閉まる瞬間、きっと、気のせいだろうとは思うのだが……ツヴァイの声が聞こえた。
「マスター……ありがとう……」
 そんな言葉が、聞こえたような、気がした。


「クッソ……!!」
 ミカナギは思い切り枕を殴りつけた。
 自分が記憶を失っていなかったら、事態は全然違う形に運んだかもしれないのに。
 そんな言葉が浮かんでは消える。
 どうしようもなかった。
 自分でもわかっている。
 記憶喪失は自身の弱さが招いたものだ。
 だが、記憶を失ったことによって得られた……強さや優しさを、ミカナギは自覚している。
 記憶を失わなかったら、自分は弱い自分のまま、なんともなしに彼女を傷つけたまま、1つの結末へ躊躇いながらも歩んでいくしかなかったのだ。
 ……自分は、必ず取り戻す。
 ツヴァイのためにも、……大切な弟を、取り戻してみせる。
 ミカナギは拳を握り締めて、上体を起こした。
 その時、いいタイミングで部屋の呼び鈴が鳴った。
 すぐに応答する。
 訪問者はトワだった。
「どうしたんだよ?」
「……いいから開けてちょうだい」
 ミカナギはトワに言われるがまま、ロックを外した。
 ドアが開いて、トワが軽い足取りで中へと入ってくる。
「どうした?」
「……大丈夫……?」
「? 何が?」
 心配そうなトワの表情に対して、だいぶ間の抜けた言葉を返した。
 それに対して、トワがすぐに唇を尖らせる。
「なんでも自分のせいにしたがるあなたのことだから、思い詰めてるんじゃないかと思って」
「ふっ」
 トワの言葉に、ミカナギは空元気で噴出した。
 トワはそれを怪訝そうに見つめ、歩み寄ってくる。
「ツヴァイのことは……残念だったわ」
 彼女にしてみれば、スペアのツヴァイがいるのだからさほど気にすることでもないだろうに、ミカナギの気持ちを見透かすようにそう言った。
 ミカナギの手に細い手が触れる。
 触れるとほっとする。
 彼女の手は、いつもおぼつかないながら、ミカナギの気持ちを穏やかにしてくれる。
「ハズキだけは、絶対に取り戻す」
 ミカナギは先程決意した気持ちを固くするように、トワに対してそう言った。
 トワはその言葉を静かに受け止めて、
「ええ、あなたがそうしたいなら、そうしましょう」
とだけ言った。
 時々、彼女のことがわからなくなるのは、こういう時だ。
 それではまるで、彼女にとってはどうでもいいことのように聞こえてしまう。
 勿論、自分はそんなことがないことを分かっているけれど。
「泣けばいいのに」
「は?」
「……せっかく、ハンカチ代わりになりに来たんですけど?」
「…………」
 少々小首を傾げた体勢で、こちらを見上げてくるトワ。
 けれど、ミカナギはただそれを見下ろして、しばらく沈黙が続いた。
 そのせいで、トワも引っ込みがつかないのか、そのまま停止して、少しずつ頬を朱に染めてゆく。
 なんとも間が悪くて、言葉に困り、ミカナギはただトワの頭をポンポンと優しく撫でた。
「気持ちだけ、貰っとくよ」
「…………」
「休むには、まだ、早いからよ」
「そう」
「ああ。気遣いサンキュ」
「そりゃね。3日も部屋から出てこないんですもの。心配にもなるわ」
「……ん? もうそんなに経ったか?」
 ミカナギのその言葉にトワが呆れたように目を細める。
「大食漢のあなたが食べずによく持ってるわ」
「悪い悪い。時間の感覚がな……」
 トワの言葉にミカナギは苦笑混じりでそう返し、ポリポリと頭を掻いた。
「その後、状況に動きは?」
「現時点では特になし。ミズキが臨戦準備に入るように指示を出していて、ハウデル部隊が居住区一帯にバリケードをこしらえているわ。カノウ君は武器の補強で引きこもり。アインスと天羽に、チアキと伊織から目を離さないように頼んでるわ。今のところは……そんな感じかな」
「そっか……」
「本当は、戦いなしで返してもらいたいところだけどね」
 トワは髪を掻き上げて、ふぅっと息を深く吐いた。
 彼女なりに戦いを避けるための防波堤造りをしてくれた。
 その苦労を考えれば、今のため息もわからなくはない。
「ちゃんと寝たか?」
「……ええ」
「嘘だな」
「人のこと言えないじゃない。それより、ご飯食べましょ?」
「ああ……それはいいけど……。そんな忙しいんじゃ、飯もまともなのないんじゃないか?」
「作ったわよ、私が」
「…………」
 ミカナギはトワの言葉に動きを止めた。
 息さえ止めた。
 耳の穴を小指でグリグリかっぽじる。
「うーん、今空耳が聞こえた」
「……それ、どういう意味?」
 ミカナギの反応に、明らかにトワが表情を引きつらせる。
「兎環が料理をこさえたっていう、幻聴が……。やばいなぁ。引きこもりすぎておかしくなったんだろうか」
「だから、どういう意味?」
「人参を皿に乗っければ完成とかじゃないんだぞ?」
 ミカナギは人差し指を立てて、真剣な顔でそう言った。
 トワが不快そうに笑った。
「私、なんだと思われてるわけ?」
「……生活力のないトシマ……コホン、女の子」
 ミカナギはわざとらしく言い直して、にっこりと笑う。
「失礼しちゃう」
「そうかぁ?」
「料理くらい、できるわよ、私だって」
 トシマのほうには全く触れずに、トワは不愉快そうにそう言い切った。
 手を見ても、彼女の手には切り傷ひとつない。
「包丁って知ってる?」
「知ってるわよ! 何よ? 食べたくないんだったらそう言いなさいよ。もう、あなたのそういう逆撫でするところは、今でも大嫌いなんだからね!」
 キレさせちゃった……。
 ミカナギは心の中で呟き、すぐに手を横に振った。
「ううん、食べます。食べたいです。兎環ちゃんの料理の腕を知りたいです」
 その言葉に、兎環は不敵に笑った。
「そう言えばいいのよ。見てなさい。あまりの美味しさに、腰抜かすんだから」





 彼女の料理の腕は脇に置いておくとして、ミカナギが完食できるレベルではあった。
 ……とは言っても、ミカナギは腐ったものと精進料理以外であれば、なんでも完食してしまう男なわけで……。
 想像には難くないかと思う。
 見た目は最高。中身は……。
 まるで、どこかの誰かさんのような料理だった。
 勿論、本人の名誉のため、ここだけの話だ。



*** 第十二章 第五節 第十二章 第七節 ***
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